何が起きたか理解した頃。
気が付いたのは、この状況があまりに常軌を逸していたことだ。
空崎ヒナがアイツの死体を目撃した直後、紫色の光線が至聖所の一角を消し飛ばした。
徐々に上る太陽の光が至聖所に差し込み、空崎ヒナを照らしていく。
巨大化した角。二枚だったはずの翼は四枚へと増殖し、純白の髪の毛は唸りを上げるように揺らぎ、逆立っている。
掌から放たれた光線が、空崎ヒナが現実離れした姿へと変貌してしまったことを物語っていた。
「これが黒服の言っていた、神秘が反転した姿……」
「……」
空崎ヒナは死体になったあいつを抱え、私たちの前まで跳躍してきた。
そっと地面に死体を置いて、開いたままの目を指で閉じさせる。
哀愁の顔を見せたのも束の間、鬼のような形相をマダムへと向けた。
空崎ヒナが掌をマダムへと向けた。
マダムも同じような態勢を取り、至聖所の一角を消した光線を真っ向から受け止めようとしているようだ。
さっきマダムは言った。「生徒の攻撃は効かない」と。
しかし、マダムの額には汗が滲んでいる。
「貴女を始末する。ベアトリーチェ」
「反転しようと所詮は生徒。私に攻撃が通用するわけが──」
刹那の間に走った光線が、マダムに直撃する。
しかし光線は先ほどの弾丸の様には弾かれない。
ねじ込まれるように照射し続けられ、その勢いにマダムの踏ん張りが徐々に押し負けていく。
長時間の照射で減衰した光線が止むと、マダムの手が黒く染まっていた。おそらく、マダムの防御をわずかに突破したのだろう。
「……なんという力。これが反転した生徒の……いえ、忘れられた神々の力とでも言うのですか」
「何をゴチャゴチャと……」
空崎ヒナが再び銃を手に取った。しかし、握ったのはグリップではなく、銃身。
あの大きさの銃を空崎ヒナは軽々と振り回す。まるで鈍器だ。
「なんと野蛮なッ!」
「気品が欲しいの? じゃあまず自分から身に着けなさい」
「餓鬼風情が、この私に高説を垂れるなどッ!」
マダムが無数の触手を出現させる。どこから湧いて出てきたのかわからない視界を埋め尽くすほどの触手に、空崎ヒナは一切動じない。
それどころか、笑みを浮かべている。
「そんな攻撃で……私を止めることはできないわッ!」
振り回している銃に紫電が走る。その密度は徐々に多くなり、やがて雷を纏った棍棒へと変わる。
迫る触手たちに向けてそれを一振り。風を切り裂く音と共に雷電が一面を覆い尽くし、触手が一掃された。
塵一つ残らない様に、マダムが驚愕の表情を浮かべた。
「この数を、たった一撃で……」
「次は貴女よ、ベアトリーチェ」
「……ッチ!」
今度はグリップを握り、引き金を引いた。当然と言わんばかりに放たれた光線だが、掌から放っていた物とは様子が違う。
細く鋭い光線が無数に放たれ、あっという間にマダムを光の嵐の中へと追いやった。
マダムの姿が見えなくなるほどの土煙。しかし、空崎ヒナはその中が見えている。
「……なんで死なないの?」
「ふふ、甘いですね空崎ヒナ」
土煙から出てきたのは、服についた埃を払っているマダム。あれだけの攻撃を受けているのに、なぜダメージを受けていないのか。
「まだ理性を保っているようですね。完全に反転すればどうなるか……直感でわかっているからでしょうか?」
「……うるさい」
「反転すれば簡単に私に勝つことができるというのに。嗚呼、なんて不甲斐ない姿なんでしょう」
マダムが空崎ヒナをあざ笑う。それに反発するように、空崎ヒナから放たれる圧が強まる。
睨み合って数秒、二人は目で追えないほどのスピードで跳躍し空中戦を始めた。
私たちは攻防に参戦することもできず、今はただ瓦礫の影に隠れていた。
先生すらも戦闘についていけてない現状で、私は震えるアツコを抱きしめることしかできない。
こんな状況の中、先生は困惑を浮かべながらタブレット端末を見つめている。こんな時に何をしているというのだ。
「先生、こんな時に……」
「違うんだサオリ。ヒナが……」
「? 空崎ヒナがどうした」
「ヒナの反応が、ないんだ」
何を言っているのか理解できない。空崎ヒナは今目の前で戦っているではないか。
先生のタブレットに私たちの位置情報からコンディションまで表示される機能があるのは知っている。だが、空崎ヒナに反応が無いのはどういうことだ。
壊れている……先生を先生たらしめるアイテムに、そんな不調は無いだろう。
「そんなわけが……いや、まさかアレのせいで?」
「ベアトリーチェが言っていた反転。もし今のヒナがそれだとすれば、シッテムの箱がヒナを認識できないのは……反転したら、生徒ではない存在となるから?」
「……反転は……生徒が生徒じゃなくなる、あぶない現象……」
「ひ、姫!? 正気に戻ったか!」
私の腕の中で声を出したのはアツコ。さっきまで意味不明で理解不能な言葉を垂れ流していたが、正気に戻ったようだ。
嬉しさのあまり抱きしめる力が強くしてしまったが「ぐえ」と潰れそうな声をあげたからすぐにやめた。
具合が悪そうに咳払いしながら、アツコは言った。
「色彩……反転……生徒が、元の姿に戻ること……」
「元の? どういう意味、アツコ?」
「……生徒は、忘れられた神々」
「忘れられた、神々?」
「色彩の中で見たの……色彩は、神々を呼び起こすための朝日……」
その後もアツコは言葉を続けた。私たちの知らない単語が次々と出てきて、私たちはおろか、先生すらも話を理解できないよう。
いくらアツコが何かを教えてくれようが、その単語の意味がわからなければ理解は到底出来っこない。
先生も必死にアツコの言葉を理解しようとしているものの、点と点が遠すぎると頭を抱えている。
「色彩で反転した生徒は……もう……ッ、ゴホッ!」
「姫、無茶をするな!」
「先生……空崎ヒナ、は……まだ、完全体じゃ、ない」
荒くなる息を胸を押さえて必死に堪え、アツコが先生に告げた。
「あの子を……本当の姿に。それが、空崎ヒナを……戻す方法」
「あの子?あの風紀委員の子のこと?」
「……あの子は……おまわりさん……」
「……姫? ……ひ、姫!」
アツコの意識が再び落ちる。この状況に陥った原因を知っている唯一の人物だというのに、紡ぐ言葉は全てちぐはぐ。
おまけに、マダムに対抗できる力を手に入れた空崎ヒナの様相は危険そのもの。
徐々に怪物化していく空崎ヒナが、マダムに対抗する力と引き換えに破滅へ突き進んでいることは火を見るよりも明らか。
それが、アツコの言う「反転」なのだろう。
「アロナ、アツコの容態は? ……そっか。大丈夫だよサオリ、アツコは気絶しただけだ」
「そ、そうか……しかし先生、私たちは何もできないのか?」
「……アツコが言ってた『あの子を本当の姿に』の意味が分かれば、何かできるかもしれない」
「アツコは最後に『おまわりさん』と言っていた。私にはもう、何が何だか……」
螺旋のように思考が奥へ奥へと進んでいく。理解が追い付かないまま。
ヒヨリとミサキはお手上げだと言わんばかりに撤退の準備を始めている。いつでも脱出はできると、二人の目は訴えてきている。
「……おまわりさん」
「先生、何か思い当たる節でもあるのか?」
「うん。もしかして……マエストロが言ってたのは、このこと?」
先生が再びタブレットに目を向ける。度々タブレットに向かって話しかけながら、何度も何度も操作を繰り返す。
「色彩、反転、忘れられた神々……そして、おまわりさん、こちらのままの姿、未来の記憶……」
何度も同じ言葉をつぶやき数分、先生がおもむろに顔を挙げた。ひらめいた。しかし、それを信じられないと呟いた。
髪をくしゃくしゃにしながらも、その可能性しか考えられないと。
「……この子は……私と同じ、外の世界から来た大人?」
「神秘が足りぬ」
「恐怖が足りぬ。故に、器が反転できぬ」
「それは忘れられた神として顕現できないということか?」
「なぜ足りぬ」
「贋作者による神秘の簒奪故」
「では如何にするか」
「代わりがいる。バアルなる神が」
「しかし、アレは色彩によるものでは無い」
「神秘を回収するには十分な力だ」
「神秘を回収し、色彩の教導者としてユースティティアを呼び起こす」
「我々の正義となり、神秘の仮面を剥ぎ、全てを恐怖へと正す」
真っ暗で何もない空間。仮面をつけた変な格好の人たちが何人も立っていて、倒れている私を囲うようにして話し合っている。
色彩の影響だと思う。私は動けないまま、だたこの人たちの会話に耳を立てるだけ。
先生とサッちゃんたちになにも教えることができなかった。
色彩と接触してわかったこと。マダムがどうやって色彩の力を手に入れたか。
あの子の正体。空崎ヒナを元に戻す方法……これは推測だけど。
知ってること、何一つ教えることができなかった。
私は今まで、守られるだけの存在だった。
あの子と出会って、私にもできることがあるって……でも、やっぱり何もできなかった。
私はお姫様なんかじゃない。私は、厄を振り撒く者。
「……なんだ」
「この世界に干渉する者がいる」
「理解できぬ」
彼らの会話が止まった。
真っ暗なこの空間に、赤い光が現れた。
音もなく、ただ光り続ける赤い光。
「なぜ彼女がここにいる」
「神秘ではなく、魂が反転したということか?」
「であれば、尚理解できぬ」
「崇高を持たぬ者が色彩に触れた。それは何を意味するか?」
「理解できぬ」
赤い光はくるくる回っている。それが、彼らの白い仮面を赤く染めた。
ザザッ、砂の上で何かが止まったような音。そして、足音。
「アツコちゃんに何をしようとしてるのかな」
「理解できぬ。何故
「大人としての責任を果たすためにいる」
「責任とは」
「おまわりさんとして、危ない場所にいる女の子を補導しに来た」
反撃の様子を見せることのない彼ら。その横を通り、それは私の前に立った。
彼女の記憶の中で見た姿と同じ。あのおまわりさんだ。
「大丈夫アツコちゃん。立てる?」
「……どうして?」
「色彩に触れたからだよ。私、一応生徒だったんだから」
「でも、あなたはおまわりさんで……崇高が無いのに」
「崇高が無いからここに来れたんだ」
あの子……おまわりさんが私の顔を覗き込む。
今まで帽子や前髪で見えなかった顔が、ようやく見えた。
ちょっとタレ目で、まんまるお目目。鼻とかの輪郭が綺麗な曲線を描いていて整っていて、浮かべるのは常に笑顔。
先生とはちょっと違う大人。これが、オトナの女性。
「帰るべき場所まで送るよ、アツコちゃん」
「……だめ」
「……どうかしたかな?」
心配そうに私を見つめるおまわりさん。
屈んで、私よりも低いところから話しかけてくれる。
「私がいると、みんなが不幸になるから」
「そんなことないよ。アツコちゃんは、だれも不幸にしてないよ」
「私はアナタを殺してしまった……マダムをあんな姿にしたのも、空崎ヒナが反転してしまったのも、全部私のせい」
「アツコちゃん、聞いて」
「私はもう戻らない方がいい。こうしてここいいる方が……」
「アツコちゃん」
おまわりさんが私の手を握る。すべすべでちょっと冷たい手。
私のよりも大きい手が、不安を包み込んでくれる。
「ここにいたら、今よりももっと怖いことが起きる。どうしてか、わかるかな?」
おまわりさんの言葉に無言でうなずく。彼らの話を聞いていればわかる。
空崎ヒナがマダムを倒したら、次に反転するのは私。ここに留められているのは、マダムに取られた神秘が返ってくるのを待機しているから。
「じゃあ、出ないとだよね。危ない場所に留まろうとする子を、おまわりさんは感心しないなぁ」
「……うん」
おまわりさんの手を握りなおして、彼らのいるこの場所を後にしようとする。
しかし、易々と逃してくれる彼らではないだろう。
「待て大人よ。お前は何を望み触れた」
「この子を……子供たちを助ける力を望んだ。それが、この姿」
「色彩に触れ、魂が生徒から大人へと反転したとして、終わった肉体が変化することはない」
「それはどうかな?」
「……理解できぬ。息絶えた肉体が蘇ることはない」
おまわりさんは「確かにその通りだ」と前置きして、彼らの方を見向きもせずに歩き続ける。
赤い光の下……白いバイクへと辿り着いた。私を後ろに乗せる準備をしながら口を開いた。
「ここは摩訶不思議がまかり通るキヴォトス」
「……何が言いたい?」
「こんな魂だけの私でも、誰かが存在を認めてくれたらどうなるかな?」
「……理解できぬ。そんな奇跡を、お前は望むのか」
「おまわりさんはね、助けを呼ぶ人のために駆けつけるんだよ」
私を後ろに乗せて、おまわりさん自身もバイクにまたがる。
彼らはもう私たちを引き留める様子もない。エンジンをかけたバイクが、この真っ暗な場所を後にしていく。
「おまわりさんはどうするの?」
「待つよ」
「いつまで?」
「アツコちゃんたちが助けを呼ぶまで」
真っ暗な中、光が見えてくる。きっとあそこまで行けば、私は現実に帰れるんだろう。
マダムが倒されても、きっと反転しない……そんな気がした。
「おまわりさん。あなたを呼びたいとき、なんて呼べばいい?」
光の目の前。バイクが止まって、私は降りた。
透明なバイザーの向こう側で、おまわりさんは変わらずに笑っている。
「助けておまわりさん! って叫んでみて。私は、いつでも助けに行くよ」
「……わかった」
私は光に向かって歩き出す。きっと、ここが出口。
あと一歩を踏み出す前に振り返り、おまわりさんに小さく手を振る。
すると、おまわりさんが叫んだ。
「アツコちゃん!」
バイザーを上げたおまわりさんは、口角を指でぐいっと上げた。
「笑って!」
「……こう?」
「ふふ、可愛いよ!」
よくわからない茶化しだ。
でもちょっとだけ……私の口角も上がった気がした。
光へと向かう。
目を開けると、目の前にはサッちゃんがいた。
司祭「本来あるはずの神秘が半分くらい足りないから反転しても肉体が神になれないンゴねぇ」
色彩関連を上手に書ける人たちってすげえよ
(↑考察とか見ながら書いてた人)