力の限り生きてきたつもりだった。
それでも、上手くいかないことはある。
仕事が上手くいかない。
人間関係が上手くいかない。
家族関係が上手くいかない。
趣味が上手くいかない。
誰にでもあることだ。重なることだって、往々にしてよくある話。
そしてそれに耐えれられる人間が多いか否か。答えは、前者。
では、後者に該当する人間はどうなるか? 例えばそう、心が弱い人だったり。
精神を病むならばまだいい方だろう。
最悪の場合……
「っ……ぅ゛う……ぁああぁ゛あッ!!!」
こうして、身を投げ出そうとして、死にきれない無様を晒すことになる。
死ねたならば、むしろ潔いと言えるだろう。
だけど、こうして死にきれない人間は?
無様。
その醜態は野暮であり、惨めで哀れ。
いっそ死ねと自分に言いたくなる姿にも、心の底では死にたくないと叫ぶ。
橋の手すりの向こう側。何かのパイプにぶら下がり、泣き叫ぶ。
誰も通らないような橋には人っ子一人おらず、痛む手に募る苦痛が心を潰す。
後悔が頬を伝う。
自分の意味を疑って、全てを諦めた自分に。
全てが空回りしていた自分に、何もしない方が良かったと吐き捨てた自分に。
こんな人生は無意味だったと、何も成せないことに言い訳した自分に。
全てが虚しいと、生きるのを辞めようとした自分に。
だからこそ──
「絶対に離さないよ!!!」
柵の向こうから現れた、一本の腕。
青色の制服と、少しつばの広い帽子。
真っ直ぐ私を見ていて、情けない私が映るその瞳には、無数の光。
「絶対に、助けるから!!!」
落ちる雫。彼女の汗。
顔に当たって、伝播する。
彼女の光が、私の瞳にも生まれる。
「もう大丈夫!!!」
柵の向こう側にあったのは、必死な顔じゃない。
白い歯がみえるくらいの、全力の笑顔。
彼女が叫んだ。
「おまわりさんが、来た!!!」
やけに懐かしい記憶。夢。
私が今に至るまでの軌跡の、原点。
私がおまわりさんを目指した、全てのはじまり。
私も、助けを求める人に、手を差し伸べたいって……そんな夢を抱いたんだ。
「起きろ!!!」
大声に飛び起きる。耳元で大声は心臓に悪いってばよ……と、そんなことを思いつつ目を擦る。
眠気が覚め切らないまま、ぼやける視界で声の正体を探す。
横を向くと、目が合った。
サオリだ。うひょかわいいねサオリ。
「いつまで寝ぼけている。今日は連邦生徒会に用事があるのだろう?」
「……なんでサオリがここに?」
サオリが私の部屋にいる。呼んだ記憶もなければ、起こしてくれって頼んだ記憶もない。
とにもかくにも、動かないと怒られそうな気がしたからベッドから降りる。そして気が付いた。
サオリが、エプロンをしている。
片手にはお玉を持っていて……その姿はまるで新妻。
「……エプロンサオリ!?」
新衣装か!? エッチすぎるでしょ!!!
ただでさえ黄金比とも言えようパーフェクトボディの持ち主なのに武骨なあの装備やロングコートとかを全部脱いでそのピチピチインナーだけの状態でその上からエプロンなんてそんなのエッチすぎて反則だししけぇに決まってるでしょムチムチなのは知識だけにしなさいしかもこの子色んな人をそのイケメンフェイスで誑かしてるくせにその気が一切無い自覚ゼロなのが逆に悪意すらも感じるよねサオリのことだしそんなこと絶対に無いんだけどでもやっぱ無自覚って罪だと思うんですわ私もその陥落したうちの一人だしなんならそのムチムチでムキムキなボディの方にも大変魅了されております三十路近くの喪女の私には眩しすぎて羨ましいのですよ若さって歳を取るたびに羨望の対象になるよねサオリお前もおまわりさんにならないか。
「何を驚いている? 朝食の準備は済ませてある。早くこっちに来てくれ」
「……ママ?」
「……年上にママと呼ばれると鳥肌が立つな。これが『気持ち悪い』というやつか」
「サオリ!?」
ひぃんと泣きながら顔を洗ってからテーブルに着く。そこにはサオリの手によって作られたハムエッグトーストとコーンスープ。サラダまであるじゃないか。
やはりサオリはママか……ママになると言えサオリ!!! ならない? そう……
「どうだ?」
「凄く美味しいよサオリ! 毎日作って欲しいくらいだよ!」
「喜んでもらえたなら何よりだ。毎日は難しいが、時間があるときは来るようにしよう」
「通い妻だね!」
「……軽々しくそういう事を言うな。いつか痛い目に遭うぞ」
サオリは目を逸らしてトーストを頬張っている。サオリもスルースキルを身に着けたことに感動を隠せないよ私は。
トーストを口に詰め込んでスープでふやかして飲み込む。私は朝ごはんは絶対に抜かないタイプなんですの。
……結局サオリがどうしてここにいるかを聞けていなかった。
「どうして私がここにって?」
「うん。だって鍵とか渡してないはずだし……」
「……昨日は一緒に夜のパトロールをして、遅いから泊ってけと言ったのはあなただぞ?」
「そっ、そうだっ……け?」
サオリの目が徐々に細くなる。私は知っているよ、人を軽蔑するときの目って皆あんな感じなんだ。
よく先生がアコちゃんとかイオリちゃんにあの目をされてるから知ってるんだ!
……え、向けられてるの私?
やめてよねサオリ、私がその目を向けられて無事でいられるわけないだろ?
「同衾を提案したのはあなただ。布団が無いからって」
「待ってサオリ、意味は間違ってないけど……ちょっと使い方違うかも……」
「なに? 同衾とは一緒の寝具で寝ることだろう?」
「あってるけどね……えっとね……」
それじゃまるで私とサオリがえっちなことした関係みたいに聞こえるじゃないか!
脳内モブ子集合! お久しぶりですモブ子です。
さてここで101匹モブ子に議題を提起します。「同衾」という言葉を一般的にあまり使わないということを、どうやってサオリに伝えるかを考えましょう。
俗っぽい使い方をすることが多いのがこの言葉ですね。主に「男女で寝る」という意味を含めて使うのがこの「同衾」という言葉ですが……ええ、そういうことですね。
モブ子兼おまわりさんが前世通して未経験なアレですよ、コロスゾー。
「どうした?」
「サオリ、えっちな本とか読んだことある?」
「……先生に報告しておこう。セクハラを受けたと」
「待って! そんなつもりじゃないから! ちょっと気になるのは嘘じゃないけど」
「もしもし先生?」
「サオリィ~!!!」
サオリが耳にスマホを当てる様子にあたふたしていると、サオリがいたずらっぽい顔で噴き出した。
堪えるように笑うサオリに、首を傾げる。
「いや、すまない……っふふ。面白くて、ついからかってしまった」
「サオリ……?」
「知っている、同衾がどういう使われ方をしているかも」
衝撃的な一言を放って、サオリはコーンスープを飲み干す。ふぅと一息ついて、唇をナプキンで拭いた。
一度台所に戻ってサオリはコーヒーを作って、再度席に着く。そして、柔和な笑みを浮かべながら私に語ってくれた。
環境の変化に、ようやく適応できはじめた証拠を。
「アリウスの外に出てから、そういうことも目に入るようになったからな。俗な知識もある程度は知っている」
「……ちょっと意外。正実の子たち、そういうのサオリに見せないようにしてると思ってた」
「最初はそうだったさ。だが、コハルという子の落とし物を見てからかな。そういう話題にも混ぜてもらえるようになったんだ」
「あぁ、コハルちゃんかぁ……」
むっつりだからエッチな本も持ってるんだよねあの子。R18コーナーに入ろうとしてたから補導したのは記憶に新しい。
顔を真っ赤にさせて今にも泣きそうになってたからどこにも報告はしなかったけど、多分正実の大半がコハルちゃんむっつりは知ってるんじゃないだろうか。
サオリの口からその手の話題が上がったことに感心していた……言葉に詰まる。
「サオリも大人に……大人に……」
ふと、サオリと目が合う。
疑問符を頭に浮かべるサオリに、思うことがあった。
そういう知識を手に入れるにしては、あまりにも遅すぎだと。サオリは17歳。今年で18歳になるお年頃の女の子だ。
俗らしい知識など、当然のように持っていてもおかしくないはずだ。おかしくないはずだった。
そんな知識すらも、手に入れたことを恥じながらも喜ぶ姿に、少し寂しさを覚えた。
表情を崩さず、苦虫は心の中で噛み潰す。
「……」
「どうかしたか?」
「……あっという間なんだね」
「? 何がだ?」
「ううん、こっちの話」
大人になってからわかることがある。それは、子供の時には決してわからないこと。
大人が子供に言っても、子供が決して理解できないように。当時では理解できないこと。
子供の成長は、思ったよりも早いことを。
「サオリ、ちょっとこっち来て」
「なんだ? ……何故撫でる?」
「んー、撫でたくなったから?」
「???」
一切が理解できないと言った表情。それもそうだ、何の脈絡も無いのだから。本当に、ただ撫でたくなっただけ。
サオリが、あまりに愛おしいと思ったから。これはどういう感情か?
言わずもがな、親心だろう。
「サオリはそのまま、いろんなことを勉強して、知って、触れて……健やかに育ってね」
「……当然だ。あなたに助けてもらったこの命──」
「そういうんじゃなくって。サオリがしたいように生きて欲しい」
「それは……まだ、わからない」
「いつかでいいんだよ。ただ、サオリらしい生き方をしてほしい」
「ど、どうしたんだ急に?」
私の態度が急変してしまったからだろうか、サオリが不安そうな目で私を見つめる。
ふとした瞬間に見えるサオリの成長に、ただ感動しただけなのだけど……それは、黙ってるとしよう。
サオリらしい成長の仕方、そしてサオリらしい生き方。それを、ただ見守りたい。
だから私は、黙っていよう。
「サオリがかわいいからね」
「……私が、かわいい?」
「もちろん。もっといろんなお洋服着て、もっといろんなサオリを見たいな」
「……今度、一緒にショッピングモールに行こう」
「うん。一緒に行こうね、サオリ」
「あぁ、もちろんだ」
頬を緩めて目を細めるサオリの頭を、遅刻寸前まで撫で続けた。
「それで、アリウスの現状は全然わかってないんだね?」
「はい。フィリウス派閥の生徒が何度かアリウスの地に足を踏み入れたらしいのですが……」
「門前払いされた感じ?」
「いえ、何人かのアリウス生のトリニティ勧誘に成功したようです。ですが……」
「あー、嫌な予感」
「パテル派、サンクトゥス派の圧によりフィリウス派の行動が潰されてしまったらしく。特に、ホストたちや上層部を除く水面下での行動がかなり制限されてしまったそうです」
「まぁ……一枚岩だったら苦労は無いよね」
会議室。カチャ、と音が鳴るようにカップを置く。
リンちゃんが顔を上げる。
「……お嫌いですか、トリニティ」
「……ノーコメントで」
「それは肯定と同じですよ」
「言わないでよ」
ポーチから缶コーヒーを取り出す。プルタブを開けて、味覚を通さず直接喉に流し込む。
「お出ししたコーヒーは口に合いませんでしたか?」
「美味しかったよ。ただ、今の話に美味しいコーヒーは合わないから。不味いのをわざと」
「……続けても?」
「うん、お願い」
リンちゃんが再び書類に視線を落とす。
この会話の結末は、もう予想がついている。形式上の会議だけど、これを聞いていい気分になる人間はいないだろう。
この前、ミカちゃんに聞いたばかりの噂。それは、ほぼ相違なく現実のものだった。
「圧を掛けられて以降、アリウスには赴いていないそうです。残っている生徒たちがどこで、どうやって生活して……いえ、生きているのかも、わからないと」
「……そっか」
リンちゃんが書類をまとめて、机に叩いて書類の角を揃えた。
私のため息など知ったことかと、青色の瞳が私を見据える。
「頼めますか?」
「うん。騙されたから助けに行くのが遅くなったなんて、ただの言い訳だし」
立ち上がって、リンちゃんを通り過ぎて扉に近づく。本当だったら「行ってきます」の一言くらい言うべきなのだろう。
それを言うための顔が、今は作れない。
「どんな仕打ちが待ってるかはわからない。だけど、それは助けに行かない理由にはならない」
ドアノブに手をかける。
「どんな理由でも、状況でも。助けに行くのがおまわりさんのお仕事だからね」
必至に釣り上げた口角。なんとか作った笑顔。
振り向いて見せたけど、リンちゃんの目にはどう映っていただろうか。
おまわりさんの原点はおまわりさんでした。
サオリはもう無知無知サオリじゃないのは原作と一緒だね。
親心マシマシになっちゃう…
久しぶりの投稿なのにランキング載ったから喜んでツイッタにスクショあげたけど、そんなことのために書いてるんじゃねぇと消したワイ…アタマオカシ