彼女の部屋に寄った日。あの日は結局、彼女は帰ってこなかった。
次の日の朝も連絡をしてみたが、電話には出ることもなくモモトークに返信が返ってくることもなく、そしてシャーレに戻ることもなかったらしい。
今までの彼女からは想像がつかない事態に焦っていると、ふと通知が一件。
急いで見れば、彼女からのモモトークが一件だけ。私が十数回電話を掛けて、何十通と連絡を入れたのに、返ってきたのはわずか一通。私がおかしいのだろうか。
嬉々として開いたモモトークに、私は絶望した。
『重要案件のためしばらく帰りません。鍵はポストの中に入ってるから、私の家は好きに使っていいよ』
膝から崩れ落ちた。比喩でも何でもない、文字通り本当に膝をついて絶望した。
ちなみにこれは正実のお仕事、それもパトロールの真っ最中のできごと。
私の様子を見た部員が上に連絡したのか、すぐにイチカが駆けつけてくれたが、私の説明を聞くや否や呆れた様子で「仕事に集中してくださいっす。女同士の惚気とかホントどうでもいいっすから」と一蹴してきた。惚気とはなんのことだ。
仕事中は真面目にやらないととスマホをポケットにしまうが、気になって仕方がない。
休憩時間に入ってすぐにアツコたちにも連絡を入れたが、イチカとほぼ似たような返事が返ってきた。特にミサキなんか「心底、どうでもいい」と言ってきた。何か冷たくないか? 私が悪いのか?
なにはともあれ、彼女がしばらくの間帰ってこれないことが確定してしまって……私の日々の楽しみの一つが減ってしまった。
正実の仕事やバイトが終わったら彼女の家に行って、共に食事をして他愛のないお話をして、夜遅くになったら寮まで送ってもらう。そんな生活を毎週の半分ほどしていたせいか、心に大きな穴が開いてしまった気分で……とても、落ち着かない。
きっとこれは「寂しい」という感情だろう。
彼女が帰ってくるまでは別のことを……なんて考えていたが、気が気でなく、頭の中が落ち着こうとしてくれない。
だけどこういう時、何をどうすればいいか私は知っている。
そう、体を動かせばいいのだ。
とにかく動かしまくる。雑念すら振り払うレベルで動きまくれば、彼女のことを考えなくなるだろう。
そうなれば早速運動だ。最近筋肉が衰えてきた気がするから、ジムにでも行くとしよう。
そういえば彼女は腹筋が好きと言っていたな……うん、じゃあ筋肉が浮き出るくらい筋トレしよう。
きっと彼女が褒めてくれるはずだ。
「ねぇ、これ重症過ぎない? いなくなってまだ一日でしょ?」
「サッちゃん、おまわりさん大好きだからね」
「えへへ……こういうの、雑誌でみたことあります……!」
「そんなの見なくていいから。というか、リーダーってそういう趣味だったっけ?」
「ミサキ、それは違うと思うよ。単純に懐いてる相手が連絡もなしにいなくなったからじゃない?」
「寂しいって素直に言えばいいのに……いつの間にリーダーは面倒くさい女になったわけ?」
「メンヘラ……は、違う気がするよね?」
「うわーん! サオリ姉さんが変な属性になっちゃってます!」
彼女に頼まれた通り、カレーを食べ終わったみんなを連れて「もの探し」とやらを開始した。
探してほしいものは彼女が書き記していてくれていたから、ある程度の人数分けをしてからアリウス自治区内の捜索に当たった。
改めて、もの探しのリストを確認する。それだけで、彼女が何を考えているのかは理解できる。
しかし問題は、これらを集めただけでは、私たちの技術だけでは、彼女が考えているような目的を達成できるかが不明なこと。
「薄めの木材、トタン、できるだけ大きな布……こんなの、アリウス内を探してもなかなか見つかりませんよ」
小さく息を吐く。それが呆れから来ているものだと自覚する必要はなかった。
私たちが拠点としている建物、その補修に使うための材料。割れた窓を塞ぎ、開いた壁の穴を補修し、住処としての機能を向上させる……いわゆるリフォーム。彼女が考えているのは、きっとそんなことだろう。
肝心の彼女は一度アリウスの外に出ると言って出て行ってしまった。
用事を聞けば、私たちに今よりも良い寝床を用意するため。それと、ドラム缶を手に入れる交渉をしてくるとのこと。
また施しか……そんな風で彼女を見ていたのだが、彼女は首を振ってそれを否定した。
『私がするのは交渉だけ。それに手に入れるのは全て廃棄物。そして、取りに行くのはスバルちゃんたち自身だよ』
仰天した。まさか、私たちにアリウスの外に出ろと言ってきたのだから。
当初と言っていることが違うではないか、そう罵ってやろうと思ったのだが……別にそのままアリウスの外で過ごせという意味でないことを理解して、言葉を飲み込んだ。
すぐにそういう考えに直結させようとする自分に、ちょっとだけ嫌気がさす。
「……はぁ」
「大丈夫ですかスバル先輩……?」
「え、あぁ……はい、大丈夫ですよマイアさん。心配をかけましたね」
足を止めて天を仰ぐ私に声をかけてきたのはマイアさん。他の子たちが捜索のために散開している中、ぼうっとしていた私に気を使ってくれたのだろう。いい子だ。
先ほどまで失意していたとは思えないほど元気を取り戻したマイアさん。服にいくつかのカレーのシミを付けてしまっている姿を見て、私の口は勝手にしゃべり出した。
「マイアさんは……あの大人をどう思いますか?」
「……えと、おまわりさんのこと、ですよね?」
「ぁ……えぇ、そうです。あの大人は、マイアさんたちの目にはどう映っているのだろうと気になりまして」
「そう……ですね……」
少し考えるように目を閉じて、唸って、首を左右に振って……目を開けた。
マイアさんならこう言うんじゃないだろうか、そんな予想は見事に当たった。
「悪い人じゃ……ないんじゃないでしょうか?」
「……詳しく、言えますか?」
「ぅ……んと、えぇと……」
マイアさんの目が徐々にぐるぐるし始める。まるで詰める様な質問をしていることに申し訳なさを感じつつ、でもどうしても聞きたかった。
この巣は、一体どこへ向かおうとしているのか。
巣にいるこの子たちは、一体どこへ向かいたがっているのか。
私には、わからないから。
「その、私が感じたことですけど……言葉に裏が無い、気がして……」
「……」
「アリウスの外で、悪い大人に利用されました。甘い言葉につられて……騙されて……でも、おまわりさんの言葉にはそういう雰囲気が無い気がして」
「賢しいだけかもしれませんよ?」
「えぇっ!? そ、そんなぁ……」
彼女に限ってそんなこと。そう言いたげな表情に、いじわるをしすぎてしまったと反省する。
思った以上に信用を寄せている姿に、私の心が痛む。
まるで今までの立場を奪われてしまったような……そんな感情。
「いえ、可能性の話ですから」
「そ、そうだったんですね……スバル先輩は、どう思ってるんですか?」
「私ですか? そうですね……」
いざ聞き返されると困る。私にとって、彼女はまだ信用するに値する人物ではない。
それこそ、アリウス流で負けてさえいなければ追い返していたはずだった。私が彼女に文句を大きな声で言わないのは、負けてしまったがゆえに彼女の行動に文句を付け辛いからというだけ。
でも、マイアさんたちを見ていると……そんなことも、言えなくなってしまう。
「……私も、悪い人じゃないと思います」
「! スバル先輩も同じなんですね!」
「え、ええ……まぁ」
眩しいマイアさんの表情から目を逸らす。そんな目でみないでください……話を合わせただけなんですから。
そろそろ作業に戻りましょう、そう言うが、マイアさんがまだ何か言いたげな顔を見せてきていた。何か? そう言おうとした。
「スバル先輩……ハーモニカ、吹いてほしいです」
「……はぃ!?」
突如言われた吹奏のお願い。まさかこのタイミングで言われるなんて想像もしていなかったから、素っ頓狂な声を上げてしまった。
少し声が大きかったせいか、何事かと他の子たちが駆け足で戻ってくる。状況が最悪すぎる方向に進んでいる。
これは……まずい。
「み、皆さん、こっちは大丈夫ですから作業に──」
「みんな、スバル先輩のハーモニカ、久しぶりに聞きたいと思いませんか?」
「マイアさん???」
人の話を遮らないでください、お願いですから。
「えっ、吹いてくれるんですか!?」
「聞きたいです! 久しぶりにスバル先輩の演奏!」
「聞くと落ち着くんだよね、スバル先輩のハーモニカって!」
逃げ場が! 逃げ場が消滅した!
「だめ……ですか?」
上目遣い。可愛い後輩からのそれを断れるほど私は冷たくないんですよ……そんなことを思いつつ、ポケットからハーモニカを取り出す。
これが錠前サオリだったら「下らんことを言ってないで作業に戻れ」なんて一蹴していたでしょうね。アイツはそういうやつですし。それができないから飴を与える役になったのでしょうね、私は。
「……思ったのですが」
「どうしましたスバル先輩?」
「物思いに耽りながらハーモニカ吹くって……ちょっと変じゃないですか?」
「カッコいいので大丈夫です!」
「……さいですか」
無敵な後輩を持って私は幸せですね。もう少し別の場所でそれを発揮してほしかったとは思いますが。
目を輝かせる後輩たちのために、ハーモニカに口を当てる。
少し考えて、一度離す。そして、マイアさんたちに言う。絶対に破ってほしくない約束を。
「吹く前にひとつ、皆さんに約束してほしいことがあります」
「……スバル先輩?」
「彼女には……おまわりさんには、ハーモニカのことは内緒ですよ?」
意図までわかってほしいなんて思ってはいない。何故ならば……ただ、恥ずかしいだけだからだ。むしろ理解されたらそれはそれで恥ずかしい。
よくわからないといった様子のまま私の言葉に頷くみなさん。約束してくれたならばと、私はハーモニカに再度口を当てる。
次こそはと、息を吹き込んだ。
うふふ脳をオーバーヒートさせながら書くのってたのしいね(削れる睡眠時間)