翌日の日が暮れ始めるころ。
私は一人、彼女の部屋でガスコンロを焚いていた。
「今日は食堂じゃないの?」
「ああ、久しぶりにあなたとご飯が食べたくなってな」
「ふぅん……じゃあスバルちゃんたちに一言言ってこないと」
「それは私の方で済ませてある。出来上がるまで待っててくれ」
「……そ」
どこかぎこちない会話。彼女を前にして言葉に詰まってしまうのではないかと不安だったが、どうやらそれは杞憂で、どちらかといえば彼女の方が取り繕えていない様子だ。
あからさまに私を避けようとしている……そんな雰囲気。
日の出までにカレーを作るための食糧を調達しアリウスに戻り、それから日中は昨日私たちが荒らした場所の原状回復をして過ごしていた。
元が信じられないくらい綺麗だったおかげで、今までしてきたアリウスでの掃除がままごとのように感じられるほど掃除をした気がする。
相も変わらず殺気を向け続けられていたが、そこは流石というべきか。アリウスの子たちも自分たちの住処を綺麗にすることを最優先に置いているようで、私たちに銃を向けてくることは無かった。
平和というにはあまり気持ちのいい物では無かったが、それでも平穏な日だった。
しかしそれは前座に過ぎない。私にとってはこれからが一番重要なのだから。
「今日はカレーだ。あなたが好きな鶏肉が山ほど入っているぞ」
「ん、美味しそうだね」
「野菜もたくさん入れたからな……隠し味はパスタ用のペペロンチーノの素だ。この前作ってみたんだが、ガーリック感がとても良くてな」
「サオリも色々作ってるんだね」
「あぁ、あなたに色々食べて欲しくて……ただ、それだけなんだ」
「……そっか」
他意は無い。私は一切の下心無く話しているのに、彼女は私から一歩引いている場所で会話をしている。
私がどれだけ近づこうとしても、必ず一歩後ろへ下がる。
縮まらない距離。
私が一方的に話しているように、彼女の言葉は生返事ばかり。それだけ私たちのことを警戒しているのだろう。
しかしそれを心外だと言っても、今の彼女にそれは通じないことはわかっている。
「……」
「……」
重苦しい無言の時間。いままで彼女と時間を同じくして、会話の無い時間が苦しいなんて感じたことなんか無かったのに。
今はただ、苦しい。
「……スバルちゃんたちのこと、話しに来たんでしょ?」
「……ああ」
彼女から話を切り出す。
彼女に背を向けて鍋の中でお玉を回す私に、顔が見えないからと声を掛けたのか。
そんなに、私の顔を見たくないのか。
「一晩考えたよ……アツコちゃんに言われた通りだ」
「! なら、私達と協力して──」
「だからこそ、私はやっぱり協力できない」
期待で一瞬止まった腕。しかし、彼女の言葉にもう一度ゆっくり鍋をかき混ぜる。
期待を裏切られた……いや違う。こうなるとわかっていた。彼女と私達では、まるで考え方が違うのは明白だからだ。
こちらにいるのは「教育者であり子供を導く先生」であり、それに対して
意見が真っ向からぶつかるなんて、当然のこと。
「やっぱり私は、スバルちゃんたちがまた痛い思いをしてほしくない」
「……スバルが卒業してしまえば、あなたの思惑は達成できない」
「そこは私の仕事の管轄を広げて解決する。卒業してなお社会性が不足してる生徒は、私の庇護下で社会性を──」
「それでは私たちがトリニティで受けていることと変わらないじゃないか。あなたの計画は、私たちの計画に遅かれ早かれ重なる……そうなるならば、事は早いうちに……」
「まだ傷が癒えていない子だっている。急くことは正しい事じゃない」
お玉を握る手に力が入る。意見が平行線だっていうのはわかってる。わかってた。でもどうしても、私にはわからなかった。
結局、私たちは同じ道をスバルたちに辿らせようとしているのではないか? それが早いか遅いか、ただそれだけの違いのはず。
「傷ついたままの子たちにまた傷つくような場所に行けなんて、私は言えない」
「それは理解できる。だがそのままでは、あの子たちはいつまで経っても前に進めない」
「進むには戻る場所がないといけない。それが前に進むための力にもなる。だから、せめてアリウスをもっといい場所にしてから──」
「何度も言っている。それではスバルが卒業してしまうだろう」
これが彼女が目を逸らし続ける現実。そして、私たちと彼女の意見のすれ違いの根幹。
スバルの卒業に間に合うかどうか。
私達アリウスがどれだけ社会性に欠いているか、彼女が一番よく知っているはずだ。スバルは今、そのままの状態。そんな姿で社会に出ることなど到底無理な話だ。だからこそ、間に合わせなければならないと言っているのに。
「これはスバルの為なんじゃないのか? 私の意見も、あなたの意見も」
「私は……先生じゃない」
少し振り向く。彼女は、ただ俯いていた。
「私は先生じゃない……私に人を、子供を導くことはできない……」
小さくなっていく声。
「そんなことはない。私はあなたに導かれてここにいる」
「私ができるのは教育じゃない。警察官として見守ることだけなんだよ」
だから、と彼女は紡ぐ。
それが本音なのか、お世辞なのか。弱っている彼女の言葉に乗る感情が、見えない。
「サオリはね、自分の力でここまで来たんだよ」
「違う、あなたがいたからこそ私は……!」
「私のおかげじゃない。サオリは、自分でそこに辿り着く力を持っていたんだ」
「私は! ……っ」
あの子たちには、まだそれが足りないから。彼女は今にも消えそうな声で言う。
見たことの無い弱気な姿。今までの笑顔は、覇気は一体どこに行ったのだと問いかける気も起きなかった。
あまりにも弱弱しい姿に、これ以上何か言う事を躊躇ってしまったから。
必至に立っている。自らを大人だからと鼓舞してアリウスと向き合い続ける彼女は、今にも崩れそう。
私たちとスバルたちで板挟みになっている彼女の心は、既にすり減り始めている。
「苦しくないか?」
「……わかんない」
「……食事にしよう。話はそれからだ」
ちゃんととろみのついたカレーをお皿に盛り、彼女の前に出す。カレーの香ばしい匂いが充満する部屋の中、消えそうな声でいただきますを言って彼女はカレーを口に運んだ。
一口、二口と一定のリズムを刻んで次々に食べる姿に、彼女が今も「何が正しいのか」を考えていることは目に見えていた。
何をどうすることがスバルたちにとって最善なのか。どうすれば、私達との衝突を避けられるのか。
考えていることはきっと同じだ。でも一つだけ、私達と決定的に違うことがある。
「……ぅ、ん……」
涙を流しながらカレーを頬張る彼女。
彼女は、大人だ。
アリウスという地において、たった一人の大人。
立ってしまった立場がゆえに誰も頼ることが出来ない孤立無援。
私たちもいると抱きしめることも、今は叶わない。それが、今の彼女の立場だから。
「……ごちそうさまでした」
こんな彼女でもカレーはすぐに食べ終わる。急いで食べたわけでもないのに早く食べれてしまう魔法の食べ物、それがカレー。
不思議と元気が出る魔法のスパイス……それは一体、彼女にどんな影響を与えたのか。
「サオリ」
「……決まったか」
「……うん」
涙を袖で拭い、立ち上がる。
壊れかけのロッカーを開けて、中にある制服をなぞる。
「……決めよう、アリウス流で」
その話を聞いたとき、正気ではないと思った。
彼女は先生と同じで銃弾一発で死に至る身体だ。それなのにアリウス流でサオリに戦いを挑むだなんて、無謀だと。
しかし彼女の思惑はそこではないと気づき、彼女も賢しい人間の一人なんだと、少しだけ口角が上がってしまった。誰にでも格好よく振舞っている彼女は、やはりただの一人の人間だと思えたから。
サオリとの関係を利用したこのアリウス流での決着も、彼女の「人間らしい」行動の一つだと思えた。
彼女は完璧じゃない。だからこそ、生きること、自分で決めた道を歩むためにも手段を選ばない。
そんな姿が、私には格好よく見えた。
「まさかこんな手段で……驚きです」
「やりたくなかった。でも、こうすることしかもうできない」
「どこまで話し合いをしたところで平行線。であれば、どちらかの意見をねじ伏せるか手段はない……ふふ、実にアリウス的な考え方ですね」
あなたが否定しようとしたやり方だというのに。意地悪のつもりで溢した言葉。彼女はその言葉に動きを止める。
「……うん。言い返す言葉も無い」
少しだけ考えてそう言い、再び装備の点検をし始める。今の間にはどれだけの後悔があったのだろう。
彼女と話していて、サオリとの間にあった絆は確かな物だ。絆というよりも、親愛とかそういう方向だと思えてしまうほどに。それなのに、彼女はサオリに武器を向ける選択を取った。きっとけじめなのだろう。
私たちの未来は私達で決めなければならないが、それでも、今の私たちにサポートが必要なのは間違いない。こうして積極的ではないにせよ、外の文化や生活に目を向けることができているのは、当然それがあってこその。
これは、そんな私たちのサポーターの席の奪い合いだ。
「嫌われるだろうなぁ」
「サオリにですか?」
「……サオリね、この前私に『好き』って言ってくれたんだ」
「……信頼されてる証ですね」
小さく頷く。装備を次々に装着していくが、帽子と防弾ベストだけは置きっぱなしになっている。いくらサオリ達が非殺傷弾を使ってくれるからと言っても、それが無ければ……そう思っていると。
「スバルちゃん。アリウスの防弾ベスト、余ってる?」
「……ありますよ。持ってきますね」
「ありがと。サオリは悪い子じゃないから、警察官の名前があるコレを着る訳にはいかないから」
「あなた個人として、そういうことですか」
無言。しかし、それは肯定。
彼女はアリウスのマークを胸に、警棒と盾を持ち上げる。
「……行ってくるね」
彼女は私に笑いかけて、部屋を出て行った。
にこやかな笑顔じゃない。三日月のような口は小さく閉ざされ、ただ口角が少し上がっているだけ。
燦燦と輝く瞳に光は無く、未だ迷いの渦中にいるように覇気は無い。そんな状態でサオリに勝てるほど、サオリは甘くない。
しかしそれは、彼女に対して銃を向けることの一切を躊躇わない場合だけ。そんなこと、サオリには無理だろう。
だから、こう言うのだ。
例えそれが彼女にとって酷なことだとしても、私にとってはそれが希望なのだから。
「勝ってくださいね。待ってますから」
「……うん」
どこまでも弱気なサムズアップが、曲がり角の向こうに消えていった。
えへへ、最後まで寄り添おうとする関係をぶち壊すのって楽しいよね
というか書いてておもったんだ
サオリとおまわりさん、コレほぼナグサとアヤメみたいな感じになってる…