ぷかり、ぷかり、と浮いていた。
それは
今は無惨に折れ、流されるままとなっていた。
王権神授説。それはこの世で最も強固で、揺るがない、いや
しかし、先刻。同じ同胞とはいえ、今回は度を超えた。
いつもの水利権や、家畜の移動の騒動ならばどれだけよかったか。
8ヶ国において国教となるウスト教。
それを支えにしていた支配を崩す、
それはこう言っていた。王とは個人の能力で決めるべきであり、神の思し召しで失敗を隠蔽してはならず、また教会は王のまつりごとを妨げてはならぬ、これはひとえに神に裁かれる罪であると。
東ファウス国の王、アメリにはこれがわからない。
西ファウス国の王、マチビにはこれが分かった。
西ファウス国は、王権神授説を否定する布告を出した。
それはまさしく、アメリにとっての逆鱗に触れた─!
アメリは軍備を激しく進めた。時に練兵場に立ち、自ら訓練を指導し、時に民衆の前に立ち、奮起せん、神の教えを冒涜する悪魔に魅入られし者を救済せよ、と。
マチビは軍備を進めた。アメリには民心を勘ぐる心がないと非難し、民たちはマチビを強く支持した。
そして2人は、川中の流れる舟の上にて一騎打ちにして決す。
「おまえはなぜこのような事をしたか」
アメリの問いに、マチビはこう答えた。
「恐ろしかったからだ。なにもかも。おまえの国がもっとも強かったと認めよう」
アメリはこう言っていた。
「ならば、友よ。今一度、我らは手を取り合い、偉大なるファウスの地を完全に取り戻そうではないか」
「失ったものは多いが、我らなら取り戻せるはずだ」
マチビはこう答えた。
「友よ。友よ。それは誠か」
「だがわしは、そのようなことはできぬ」
「わしは、民のために戦った」
「おまえもそうだろう」
アメリは、血に沈みつつある友をしかと胸に抱きながら、どう答えようか少し悩んだ。
「ああ。わたしも、民のために、わたしのために、共に戦った兵のために、戦った」
口の端から血を流したマチビは、それを聞いて満足気に笑い、死に顔は安心したような顔であったとされる。
アメリは、血を流し尽くしたマチビを強く抱きしめていた。
舟は、二人の血で朱く染まった川面をゆらゆらと漂う。西ファウス国と東ファウス国の運命を決めた一騎打ちは、アメリの肉体的な勝利に終わった。しかし、アメリの胸に残ったのは、勝利の歓喜ではなく、友の最後の言葉と、得体の知れない不安だった。
「わしは、民のために戦った」
マチビのこの言葉と、満足げな死に顔は、アメリの心を深く抉った。アメリは、自らの戦いが「神の教えを守る」という大義と、「逆鱗に触れた怒り」という個人の情念でしかなかったことに気づかされた。偉大なファウスの地を取り戻すという彼の願いは、マチビの「民のために」という純粋な信念の前で、かえって自己中心的なものに感じられた。
アメリは、舟を対岸の東ファウスの陣営へと漕ぎ進めた。
アメリの帰還は、東ファウス国に熱狂的な歓喜をもって迎えられた。神の教えを冒涜した悪魔は打ち倒され、ウスト教の権威は再び揺るぎないものとなった。アメリは英雄であり、ファウス文明の守護者となった。
しかし、その勝利は泥にまみれたものだった。
川岸の激戦で両国は国力を尽くし、兵士も物資も疲弊しきっていた。アメリは、マチビの不在が西ファウス国にもたらした混乱を収拾し、そのまま吸収合併に取りかかる。西ファウス国の旧領土は、合理性を重んじる文官たちが支配していた。彼らは、王を失ったにもかかわらず、混乱することなく、マチビが残した政教分離のシステムに基づき、淡々と行政を継続していたのだ。
アメリは困惑した。彼が最も恐れ、打ち破ろうとした「王権神授説を否定する思想」は、マチビの死後も、幽霊のように王がいなくとも生き続け、機能していた。
軍事力で勝利したアメリに対し、思想と行政のシステムで勝利したマチビ。どちらも敗北せず、勝利していた。
アメリは、ウスト教の権威を再構築しようと試みたが、西ファウスの官僚たちは、神の権威ではなく、法律と能力に基づいた行政手続きを盾に、巧妙に抵抗した。彼らの反抗は、あまりにも効率的で、あまりにも冷徹だった。アメリは、自分が打ち倒したはずの合理性という亡霊に、少しずつ、しかし確実に、国家の運営権を奪われていくのを感じた。
だがしかし、アメリはあの時に、ほんとうに一騎打ち以外でこの戦を収める手段は無かったのか、と寝る時に考えてしまう。
「友よ、私はおまえがいなければ駄目な指導者だった」
アメリは告解をするように、淡々と語り始めた。
マチビはウスト教に則り、生まれた地である西ファウス国にて葬儀をした。皆が涙を流していた。わたしを、敵を見るような目で見つめていた。
西ファウスの子供は、私に対して石を擲した。
わたしは戒めとして、護衛がその子供を斬るのを止めさせた。
「私はどうすれば良かったのだ……」
時の流れは決して巻き戻ることはない。川の流れのように、誰も変えることはできず、ただ迫り来る未来という未知の舟に乗ったわたしという存在が、ただ
そう考えて、アメリは涙した。
「わたしの兵も、おまえの兵も死んだ」
「我が家臣は、おまえの家臣と一騎打ちをした」
「勝敗はおまえの家臣の勝利だった」
「死を悲しまないとは言わない。わたしの臣も、そのことを知っていて戦ったのだ。哀しみ、無力感。わたしはそんなことを思って過ごした」
アメリの背中には、何も無かった。重圧を掛ける、王としての責務を果たせという声は聞こえず、心配の声ばかり。それがわかっているからこそ、アメリは泣いているのだ。
「友よ、ああ友よ」
「時が巻き戻るというのならば、わたしは迷うことなく、おまえと肩を並べて、同じ太陽の方を向いて笑った頃を選ぶよ」
真夜中。満月の月光に照らされて、その顔はどこかすっきりとした表情だった。
そして。そして。
視界が月が欠けるように傾いていき、風の音も激しく聞こえてきたころ。
(許して欲しい、我が友よ)
アメリは死んだ。
だが誇りあるファウスの大地で死んだのだ。
死に場所には見合わない舟の上ではなく。
死は、アメリを包んだ。月光だけがそれを見ていた。
月の光は狂気を帯びると言う。果たしてそれは真実なのか。それとも偽なのか。
ああ、我が友よ。そこに居たのか。
ファウスの大地も、もう近い。
いま逝くぞ。すまなかった。本当に。本当に…
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