修正完了しました 2025/12/01 16:35:57
背の高い小麦が揺れ動く。確実に迫るその音は、逃亡者を確実に追いかけていた。
その追跡は逃れようがなく、密として茂る小麦の茎に隠れながら、そして確実に逃亡者を追い詰めていた。
すると、逃亡者は無礼な追跡者に向けて言い放った。
パラダイム家の三男、カウシン9歳。確実に絶叫していた。
「気狂いの愚民め……!なんて真似を!」
「如何様な仕打ち、万死に値する!」
エスメープクド王国の伯爵家。封建君主制の根強いこの国において、公爵家の分家の末裔であり、肥沃かつ平坦な土地。確実に喉から手が100本ほど出てくるようなものである。
さて、例に漏れず、この世界にはある文化がある。
成人の儀だ。
庶民、貴族、王族で異なるが、ある共通点がある。それは15歳から25歳の間に執り行なわれる行事である。
さて、なぜ9歳のカウシンが襲われるのか。
それはひとえに、長兄のせいである。
長兄、パラダイム・ラウロのせいである。
彼は23歳であり、成人の儀をしている真っ最中だ。
貴族にとって、爵位継承の儀という側面もあるこの成人の儀は王都、パラダイム家の屋敷から少なくとも2日ほど馬車でかかる位置で行する。
興行的側面もあり、領地の活性化というインバウンド効果も期待できる成人の儀。
成人の儀があるということは、成熟した政治的技能を有するということであり、王室から権威を認められるに等しいことである。
つまり、現当主たるパラダイム伯爵と、その長男たるラウロの不在を狙った館への襲撃である。
女中は既に暗殺者に鏖殺された可能性が大であり、待ち伏せされている可能性は濃密だ。
クソ、足が早い。
俺を狙うということは、館にいるアマスィヤ兄は死んでるな。
つまり、パラダイム家は終わりだ。
次男は長男のスペア、教育は俺より受けてるはずだ。
何より俺は9歳で、アマスィヤは19歳、そしてラウロは23歳。
俺より強いはずのアマスィヤも、屋敷の護衛たちを気付かぬ間に全滅させるほどの暗殺者にかかれば仕留めるのは容易いはず。
畜生、まだ死にたくねぇ。
風を切って、人生最大級のトップスピードで走り続ける。膝が悲鳴をあげても、絶対に追いつかれてはいけない。
俺は、まだ未来がある。生き残らなければならない。
それに、この血筋が絶えるということは食料品の値上がりや軍馬の縮小が発生する!
そうなってしまえば発生するのは戦争で、少なくとも伯爵家は解体されて、土地はまるでパイを切り分けるように奪われるだろう。
屋敷の外に火の手が見えたから俺は館から脱走したが、まあ使用人とか俺の傍付きの女中は死んだな。
ラヴィーナもバカなことをした、俺を屋敷から逃がすために殿になるなんて。自分だけでも生きればよかったんだ。
クソ、俺を庇って俺を運んでた庭師が死にやがった。
子供を養うって言ってたじゃねえかよ、クズが。
本当にどうしようもない、価値の判断のできぬ愚物ばかり。
俺はアイツがいないと俺の手足の長さじゃロクに抵抗できねえ。
それに館を出る時に緊急用としてカネは少しだけくすねたが今頃どっかいってるなあ。
だけど、ここで引いたら負けだ。
魂の敗北だ。みんなの犠牲も無になる。死ねば何も無い。俺だけだ、俺だけが記憶を保持して、別の人生を歩むんだ。
だから。
暗殺者は、わざと足音を立てている。
おそらく計算された隙。だが、やるしかない。
走っているカウシンは爪先を、逆方向に向けた。
それは貴族としての矜恃であり、もう逃げられないという状況を理解した背水の陣であり、覚悟の証である。
小麦畑、そしてトウモロコシ畑……これを超えたら、緑肥用の作物たちの畑だ。
そうなったら隠れる手段はなくなる。
一か八か、人生をかけた世紀の大立ち回りをするしかない!
「喰らえやドブカスがあああああ!」
庭師が手に握りしめていた、鉄の小鎌。
鋭く光るその刃は、葉や枝を切るためのもの。だが多少の武器にはなる!
俺は襲撃者にそれを向けて……あれ?
影も形もなく、いきなり現れた暗殺者。
それは特別な走法だった。ミスディレクションを引き起こし、注意を引きつけるという錯覚を利用した走法。
瞬間、喉に激しい痛みと、それと同時に、何かが皮膚の上を走り、切り裂いた感覚が伝わる。
そして、そして。
世界が傾いていく。おい、これって、おい、まさかまさかまさか!
ありえない、有り得てはいけない!
あなたはいつの間にか目の前に現れた暗殺者により、首を切られた。だが、あなたには死ぬ暇などなかった。
「ゴミ野、郎、死にやがれ」
くそ、口から血が出てきた。もう長くは持たねえな頸動脈が斬られて血が気管に入りやがった。
肺が痛い、いや、胸も痛い。肋骨は折れているし、出血が酷い。
まだ首が完全に切断されてはいない!脳幹にはまだ到達していない……
あなたの外見はまさに血の雨。鮮血の池を作りながら、地に伏せた。
くそ、ヒューヒューうるせえな俺の喉が、息が吸えない、胸が凹んで戻らない……
「がが」
視界がもう見えない。四肢は跳ね回って言うことを聞かねえし、耳しか聞こえない。
最期に見たのが孫の顔とかでもなく、地面?
嫌だ、嫌だ、まだ死にたくない、絶対に生きるんだ。
「嫌、だね」
でも大丈夫、あなたの視線もきっと私の中で生きてくれるはずだから、優しく介錯してあげる
その後に、音は聞こえなかった。あるのはただ、骨が肺に突き刺さる痛み、血が肺に混ざる痛み、そして、胸元に感じる、死に至る鋭利な痛みであった。
暗殺者はその光景を見て満足した。
暗殺者には今回の襲撃に何も目的がなかった。
あなたを殺す必要は、存在しなかった。
だが、あなたは死んだ。
ただの趣味で、あなたは死んだ。
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カウシン君。あなたは美しいわ。死を前に、痛みを乗り越えたんだもの。
鮮度が落ちる前に防腐魔法を掛けないと。うっかりしてたわ。
私とした事が……やってしまったわ!
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