自室へ戻った殺島は、リビングのソファへどさりと体を預け、一本のタバコを咥えて火をつけた。肺に落ちていく煙とともに、今日の出来事がゆっくり脳内を反芻する。
この世には魔法が存在し、その魔法を使えるようになるための修行として花屋で働くことになった。言葉にすると完全にヤク中の戯言で周りに話せば即ヤク中認定だろう。
殺島としては魔法の存在を信じており、他の仕事仲間達も誘って修行させたいところだが心の奥底で騙されているかもしれないという猜疑心が芽生えていた。殺島を含めた皆の目標を達成するための時間を削る事になり、それは避けたい。
「しかし、
自嘲気味に呟くと、口元に思わず笑みが浮かぶ。
殺島飛露鬼、暴力団長沢組の若頭であり正真正銘の反社会的存在だ。元は総員10万人の規模を誇る暴走族聖華天の総長であり、その圧倒的なカリスマ性から仲間達からは
かつて極道は栄華を極めていた。恐喝、強盗、人身売買、臓器密輸とありとあらゆる悪事を働き、それを止める存在は警察を含め誰もいなかった。だが数十年前、人間社会という生態系の頂点である極道に天敵が現れた。
忍者
忍者は圧倒的な戦闘力で極道や悪事を働く者を殺し続け、極道達はその力に対抗する術はなく、力が衰え悪事を働けなくなった。
そして殺島が所属していた聖華天も民家を放火して警察の目を逸らすという過激な手段による暴走が目をつけられ、総勢10万人のうち5万人が殺され文字通り半殺しにされた。
そして現代、
タバコの煙をゆっくり吐き出しながら、殺島はスマホを取り出し検索欄に指を走らせた。
『生花店 業務内容』
実家は生花店で店舗名は殺島生花店、その殺島生花店は中学生の時に母親が死亡したことで閉店した。
偶に手伝いもしたが遊びに夢中になって真面目に手伝いをしていなかったので、どんな業務をしていたかは覚えていない。覚えているのは働いている母親の姿と客の笑顔だった。魔法使いになる修行として花屋で働く、何か運命のようなものを感じる。
やるからには全力でやる。少しでも早く魔法を使えるようになるために、そして母親のように真面目に働き息子が客を笑顔にする。それが母親に対する弔いと店を継がなかった自分への贖いとなる。
「さっそく仕事内容を予習とは感心感心、と言いたいところだけ花屋の仕事は関係なんだよね」
そのとき、リビングに馴れ馴れしい声が響き渡った。見るとオレンジ色のカエルがふわふわと宙に浮いている。
「ケロッペだっけか?何の用だ?」
「これがヒロキの家か?3LDKぐらい?東京の30代の1人暮らしならそこそこだけど、ヤクザってもう少し儲かっていると思ったけど、そういえばヤクザって家とかスマホとか契約できなかったんじゃなかったけ?」
「
ケロッペの軽口にも、殺島は驚くほど素直に答えていた。本来なら警戒するところだが、魔法を扱う存在相手なら知っていて当然に思えてしまう。
「それで何の用だ?
「まさか、ケロッペは現代の考え方に適応してるから職業差別はしないって。まああの娘達にヤクザ的な事をするなら別だけど」
「安心しろ。
「うわ、発想エグっ」
「それは
「言わない言わない。無意味にビビらせる必要はないし」
「それで、結局何の用だ?」
「調査、ユイナ達はケロッペが見つけてスカウトしたけど、ヒロキは急に来たイレギュラーだしね、一応素性を調べておかないと」
「それで審査の結果は?」
「合格で~す」
ケロッペは手で〇を作ってへらりと笑った。極道でも一緒に働かせるだなんて随分な懐の深さだ、いやどんなことを考えても見破り、どんなことをしても対応できるという自信の表れか。
「一応訊くが、魔法のポイントが溜まればオレが使いたい魔法が使えるようになるんだよな」
「もちろん、ケロッペは最近流行りの詐欺系の悪辣マスコットとは違いますから」
「それが
殺島はケロッペを見定めるように鋭い視線で見つめ、ケロッペは気にも留めず笑っている。殺島が使いたい魔法、それは忍者を殺せる魔法だ。
かつては銃弾を躱し素手で首を飛ばす忍者を殺すなど夢物語であったが、ある物が開発されたことにより現実味を帯び始めていた。
ヘルズクーポンは各種のドラッグや漢方を調合したドーピング剤であり、それさえ服用すれば戦闘力は何十倍も向上し、ネズミでもヒグマを殺せるほどだ。これが極道側の切り札である。
殺島としてはヘルズクーポンを使用すれば忍者を殺せると信じている。だが万が一通用しなかった場合、その時は魔法で殺す。
だがこれは本当に最後の手段だ、こんな傍から見たら与太話に思えるような手段を実行するための労力を自分以外が割くわけにはいかない。
「じゃあ明日からよろしく、ケロッペ的にはヒロキには結構期待してんだよね。あと店の行き方だけど帰りに教えたノックのリズムで扉を叩けば店に繋がるから、それと出入口はリビングの扉じゃなくてクローゼットにしておいたから注意してね」
ケロッペは手を振りながらリビングから消え、それを確認すると殺島は殺島は煙を吐きつつ、深く息をつく。とりあえず約束は守りそうだが信用はできない。
あの軽さは天真爛漫ではなく、格の違いから来る『舐め』だ。舐められるのは極道として最も嫌う行為。たとえ相手が魔法を使える化物でも、癪に障る。
今後の方針としては本業の妨げにならない程度に修行をする。魔法が使えるようになると期待せず、ケロッペに騙されたのであれば笑い話のネタにすればいい。
そう結論づけると、殺島は再びスマホを手に取り、生花店の業務内容を検索し始めた。
──
殺島は洗面台の鏡で姿を確認する。とりあえず服はいつも通りスーツでいいだろう。記憶の通りだと勤務時の母親は私服にエプロンをつけていたので、働く際はスーツの上を脱いでシャツにエプロンだろう。
だとしたら腕の部分の入れ墨が透けて見られる可能性がある。一旦スーツとシャツを脱ぎ長袖の肌着を着てからシャツとスーツを着た後タンスに移動しケロッペに教わった独特なノックのリズムを刻んで扉を開ける。
昨日も来た控室へと、空間がふっと繋がった。
「よっ、
「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
控室に入るとマイとキョウカがソファに座りスマホをいじりながら挨拶し、殺島も空いているソファに腰かけながら自然な調子で声をかける。
女子高校生の集団に中年男性が混ざる。積極的にコミュニケーションをとって彼女達と打ち解けておく。でなければ彼女達が気まずくなり魔女見習い修行に支障をきたす可能性がある。
「集合時間分からねえからこの時間に来たけどこれでいいか?キョウカ、マイ」
「これでいいと思うよ。そういえば私達も集合時間決めてなかった」
「他の学校も下校時間はこの時間だと思います、じゃなくて思うから、暫くしたら他の3人も来ると思うので、集合時間とかは改めて決めればいいと思う」
「そうか、俺が学校通ってたのなんて何十年も前の話だから、下校時間なんてうる覚えだったから、この時間で合ってるか心配だった。あとキョウカは
「え?そんなぎこちなかったですか?」
「
「え?まあやりにくそうな感じは結構」
マイは突然話を振られて驚きながらも答え、殺島はその様子をつぶさに観察する。距離を詰めるのはいいが詰め過ぎてもウザがれる。そのバランスが重要だ。
「じゃあお言葉に甘えて。やっぱり目上の方に敬語を使わないのは失礼だなって罪悪感があったので」
「キョウカは
それから殺島は雑談を交わしながらキョウカとマイの性格を分析する。キョウカは典型的な優等生、先生にタメ語を使っていると言った時ほんのり眉をひそめていた。本性をそのまま見せれば嫌われるだろうし、初対面の時に見せたユイナへの軽いジョークは相性が悪かったようだ。マイはそこまで固くはないが、グイグイ来るタイプはそこまで好きではないタイプだろう。
そこへ勢いよく扉が開き、チョコ・ユイナ・アズが控室に入ってくる。
顔合わせて早々にユイナとアズがワイワイ騒ぎ、チョコも便乗するように混ざっている。殺島はその関係性も横目で観察しつつ、五人の相性と接し方を思案する。
暫くすると何もない空間がぷかっと裂け、ケロッペがひょっこり登場し、ユイナとアズの様子をニヤニヤしながら見ている。それに気づいた殺島の視線に釣られるように5人もケロッペに視線を向ける。
「みんな集まった?じゃあ店を正式オープンするにあたって…」
「確認なんだけどよ、修行っていうのは来た客の願いを叶えるんだろ、つまり客が欲しい花を売れば願いを叶えるってことか?」
「あ、ヒロキは知らないんだっけ、花屋は一応形だけで別に花は売らない。客の願いを叶えれば魔法のポイントが貯まる。ヒロキが加わったから119999ポイント」
「
「こんな感じに叶える」
ケロッペの目が光り空中に映像が投影される。そこにはアイドル風の衣装を身に纏った5人が歌を歌い踊っている。
「おっ、これユイナ達か?
「そうだよね。外から見るとウチら結構可愛くてエモいよね」
「自分としては露出が多くて少し恥ずかしいけど」
「でも可愛いしカッコイイよ、キョウカリオン」
5人は映像に映る自分達を見ながら感想を口に出していく。知らない曲だが歌もダンスのクオリティが高い。この5人は実は魔女見習いという設定のアイドルで、この店もPR活動の一種なのではなのかと思う程であった。
「それで、この客は
「違う歌は手段、歌うことによって魔力が高まって客の願いが叶う。これを繰り返して魔法のポイントを集める。OK?」
「繰り返す?毎回やるのか?」
「そう」
「もしかしてオレも
「メンバーに入ったならそりゃそう。何、5人が歌って踊って魔法ポイントを貯めているのを横で黙って見て願い叶えるつもり。そんな労働搾取ケロッペドン引き~」
「
「歌と踊りは魔法で出来るようになるからそこは心配しないでいいから、ケロッペこう見えてサービスはするタイプなんで」
自慢げに胸を張るケロッペをよそに殺島は絶句する。百歩譲って歌を歌うのはいい、だがこんなアイドルっぽい曲を歌って踊るのか、30代のいい大人が。修行のためとはいえ、恥ずかしさが常軌を逸している。
「まあ、普通はそうだよね、男がこれをやるのは恥ずかしすぎ」
「確かに。中年男性がアイドルの真似事は恥ずかしいと思う」
「同情チョコちゃんだよ」
「え~、案外ヒロキ君が入ればエモエモかも」
「は?100パーない、無理!」
5人は頭を抱える殺島を見て心中察する。歌っている時は何とも思わないが、外から見ると少し恥ずかしいかもと思えてきた。それを30代の男性がやるのだ。その恥ずかしさは計り知れない。
「なあ、今から曲変更できねえ?例えばバンド方式にするとかどうよ?それでも歌だろう。演奏する奴が余ったら男女のダブルボーカルにすればいい」
「ヤジリンボーカル志望?目立ちたがり屋さんなんだね」
「別にボーカルやりたいわけじゃねえよ、ベースでもドラムでもギターでもいい。魔法で歌って踊れるようになるなら、魔法で楽器弾けるようになるだろ。皆もそっちのほうに
殺島の提案に、五人はそれぞれ思案していた。
キョウカは、殺島の気持ちを理解できるし、そもそもアイドル路線は少し恥ずかしい。可能ならバンド路線は歓迎。
アズは、願いが叶うなら手段はどうでもいい派。
マイは、多数派がそっちに流れるならやむなしの賛成気味。
チョコとユイナは、かわいくてエモい今の路線が好きなので、どちらかといえば反対派。
意見は3対2で微妙に割れ、控室がふわりと静まる。
「別に出来るけど、ヒロキが望むバンド形式だと効率悪いよ。踊りがあることで魔法が強くなるし。歌とダンスのシナジーってやつ」
「なるほど、神事での奉納の舞で踊る場合もある。踊りと歌をする今の形式が一番適しているのか」
「そう、そんな感じ。でそれを踏まえてどうするヒロキ?」
ケロッペは意地悪な笑みを浮かべながら尋ね、殺島は思わず顔を顰める。同じ歌ならバンド路線への路線変更という淡い期待は潰えた。アイドル路線には明確な理由があった。これでは路線変更する正当性は弱く唯の我儘になる。
こんなアイドルの真似事はしたくない。ならば5人に歌は任せてそれ以外の雑務を担当することで何とかするか?それだと貢献度が釣り合わず不満が出るどろか、ケロッペが容認せず歌わなければやる気無しと見られメンバー脱退される可能性もある。
いっそ自分から脱退するか?アイドルの真似事をしてポイントを貯めてもケロッペが願いをかなえてくれるとは限らない。
殺島が羞恥心と焦燥がせめぎあい、殺島が苦悩に沈んでいると、アズがすっと彼の前に歩み出た。
「大人なのにワガママ言うの本当に無理だから、ちょっとアイドルの真似事するのが嫌だからってアズ達に迷惑かけないでよ。アズは一秒でも速く願いを叶えたいの、寄り道している暇なんてない。その程度の願いしかない人が居ても足引っ張るからさっさと辞めれば?」
容赦ない言葉が部屋に響く。
キョウカは眉をひそめ、
マイとチョコは視線を行ったり来たり、
ユイナは「さすがに言いすぎだよ」とアズを諫めた。
皆の反応を無視するようにアズは殺島を睨む。
アズは多少殺島に一目置いていた。口ではオジサンが女子高校生の集団に混じろうとかノンデリでキモくて無理と言ったが、願いを叶える為に女子高校生のグループに混じる覚悟、そして言葉に籠った決意、願いを叶えたいという熱意を感じていた。
アズには何としても叶えたい願いが有り、その思いは女子5人の中では一番であるという自負がある。そういった意味では殺島に多少なりシンパシーを感じていた。殺島の恥ずかしいという気持ちは少しだけ理解できるが迷っている姿に落胆していた。
「そうだな、大人が
「本当にいいの?来た客は「うわ、女の子に混じってオッサンが踊ってる、ヒクわ……」って思うかもよ」
「
にやりと口角を上げたその表情に、覚悟が宿っていた。忍者を殺したいという気持ちはアイドルの真似事をする恥ずかしさで萎える程弱いものではない。どんな恥だろうがかいてやる。
「アズ、
「は?何が?」
「オレを励ましてくれたんだろ」
「違うし!思った事口にしただけだし!勘違いとか無理!」
アズは語気が強い言葉を吐きながらそっぽを向く、どうやら図星のようだ。素直になれない性格のせいで出力された言葉は手厳しく思い遣りがないように聞こえるが、あの言葉は叱咤激励の言葉だった。これが俗に言うツンデレというやつか。
「それでケロッペ、オレが皆に混じって歌ったらどんな舞台衣装になるんだ?」
「こんな感じ」
パチン、とケロッペが指を鳴らす。軽快なポンという音と共に、殺島の衣装が切り替わった。
「ヤジリンかっこいい」
「ヒロキ君、似合ってるよ」
「混じっても意外と違和感ないですね」
「王子様系じゃない、なんだろ?でも悪くないかも」
「まあ、悪目立ちはしないんじゃない」
5人はそれぞれ感想を口にするが評価はそこそこのようだ。だが肝心の姿が見えないのでスマホで確認しようと取り出す前に姿見が現れる。
ロングコートにパンツにブーツは白を基調に所々に黒が入っている。一見5人が着ている衣装の男性版にも見えなくもないが見る者が見ればピンと来る。これは特攻服だ。
厳密に言えば特攻服ではなく、特攻服をアレンジした衣装だ。5人に特攻服はなじみが薄くアレンジも施されているのでモチーフが特攻服だと分からなくても無理はない。特攻服ならではロングコートも5人が羽織っているマントのようなもので上手く紛れている。
これが特攻服であるという何よりの証拠は頭の飾り、一見キリストの茨の冠のような物に見えるがこれは有刺鉄線である。実際は素材が違うがデザインや形状は同じである。そして暴走族時代は気合いを入れる為に頭に有刺鉄線を巻いていた。
「アイドル風の衣装で頭飾りって珍しい、て……これ有刺鉄線?」
5人が衣装を着た殺島を見ているなかマイが頭に巻いている有刺鉄線に目ざとく気付き、他の4人も視線を飾りに向け、若干引いている。
「まてまて、これは
殺島が頭を出すとユイナが恐る恐る触れ、感触を確認すると何度も触る。
「本当だ、ゴムみたい」
「だろ」
「よかった。本物だったら痛た痛たチョコちゃんだよ」
「有刺鉄線を巻くのがオシャなのかな?男子のオシャレはよく分からないや」
「一般的では流行っていないけど、一部の人には刺さるんじゃない、まあ知らないけど」
「いやこれは無いから、アンタのセンスだったら無理」
「いや、オレの
殺島はケロッペに責任を押し付ける。仮にアイドル風の衣装を着るとするならば自分の意志では有刺鉄線を頭に巻かない。であればケロッペのセンスだ。
一方ケロッペはこのセンスが分からないかとアズを挑発し殺島はその様子を見て安堵する。ケロッペは魔法を使って聖華天時代の服装を知ったのだろう。でなければこの衣装を作らない。
殺島は改めて姿見に写る姿を見つめる。姿見に映る自分を改めて見つめる。十数年ぶりの特攻服もどき。懐かしい記憶が鮮明に蘇る。
――暴走の夜の高揚。
――仲間たちの笑顔。
――忍者に半殺しにされ、解散に追い込まれたあっけない終わり。
それがトリガーになりアイディアが閃く。
殺島は今も大人の辛さや退屈さに耐えている。もし暴走すればその退屈さや辛さをひと時は忘れさせてくれ癒してくれる。そう感じる仲間も居るはずだ。
今の警察は優秀だ、現役時代と比べ捜査も進歩し暴走したら逮捕される可能性はある。そうなったら社会的地位や名誉、家族も失うかもしれない。
おそらく5万人全ては招集に応じないだろう。それでも、もう一度暴走したい仲間は必ずいる。大人としての辛さ、退屈さに押し潰され破れかぶれでも“あの夜”を取り戻したい仲間が。
「お~い、ヒロキ聞いている?」
気が付くとケロッペがメンチを切るぐらいの距離でこちらを見つめていた。
「ちょっと考え事してた」
「しっかりしてよ、ヒロキの為にもう一回説明してるんだから」
ケロッペは深々とため息をつき、軽く咳払いしてから話を再開した。殺島は暴走の幻影を頭の奥に押し込み、耳を傾ける。