宮間太郎の幻想入り物語 作:宮間太郎(ITARIA-DOITU)
中学生・宮間太郎、結界を越える逃避行
宮間太郎、15歳。中学3年生。
彼の世界は、重苦しい「受験」と、息苦しい「人間関係」に支配されていた。勉強、部活、内申点。すべてが彼を追い詰め、どこか遠い場所へ逃げ出したいと、いつも思っていた。
あの日も、塾からの帰り道だった。
深夜の住宅街、人っ子一人いない通り。太郎は、頭の中で鳴り響く教師の小言と、志望校の判定ラインから逃れるように、ただひたすら自転車を漕いでいた。
ふと、公園の脇に、見覚えのない鳥居があるのに気づいた。
「この公園に、神社なんてあったか?」
錆びて、風雨にさらされた鳥居は、街灯の薄暗い光を受けて、奇妙に輝いている。それはまるで、彼の逃避願望を誘う、罠のようだった。
好奇心と、現状へのうんざり感が勝った。太郎は自転車を降り、鳥居をくぐった。
瞬間、景色は溶けた。
アスファルトの匂いが消え、代わりに草木と、少し湿った土の香りが鼻腔をくすぐる。閉塞感に満ちた夜の街から、一気に解放されたような、広大で清らかな空気。
目を開けると、そこは深遠な森だった。木々が天を突き、その奥には、夜空を背景に虹色の光を放つ、巨大な結界が揺らめいていた。
「すげぇ…」
受験勉強で擦り切れた彼の心に、その光景は、あまりにも非日常的で美しかった。
太郎が結界に近づこうと一歩踏み出した、その時。
第一章:異変の中心
突然、背後から冷たい声が響いた。
「そこで止まりなさい。貴方は、そこから先へは行けない」
振り返ると、白い制服を着た少女が、木の上に立っていた。その手には、まるで日本刀のような長い剣が握られている。
「えっ? 誰…?」
少女は冷徹な瞳で太郎を見下ろした。
「私は魂魄妖夢。冥界と現世の結界を守る者よ。貴方、元の世界へ戻りなさい。ここは、貴方の世界じゃない」
太郎は戸惑った。ここはどこなのか、元の世界に戻るにはどうすればいいのか、何もわからない。
「あの…僕は、どこから来ちゃったんですか? 戻る道が…」
「何を言っているの? 貴方がくぐった『門』から戻ればいいでしょう」
妖夢の視線は、太郎が来た方向、つまり森の奥へ向けられた。しかし、太郎が来たはずの場所には、ただ木々が立ち並んでいるだけだ。鳥居は消えていた。
「鳥居が…無いんです。僕、もう戻れないんですか?」
妖夢は、驚きと困惑を混ぜた表情で太郎を凝視した。
「…まさか。本当に、幻想入りしてしまったの…?」
そして、やがて諦めたように溜息をついた。
「ここは幻想郷。外の世界から忘れ去られたものたちが集う場所よ。貴方の『現実』は、もうここには繋がっていない」
太郎は愕然とした。「帰れない」という事実は、彼の心に大きな衝撃を与えた。家族、クラスメイト、そして、受験という重圧。すべてから解放された喜びと、完全に孤立した恐怖が、同時に押し寄せる。
「どう…すればいいんですか…」
「…仕方がないわね。私の上司に話を通しましょう。貴方みたいな珍しい異変は、私の一存では決められない」
妖夢はため息をつき、その剣を鞘に収めた。
「ついてらっしゃい。貴方は、しばらく私の上司、西行寺幽々子様の屋敷で過ごしてもらうわ」
太郎は、制服にリュックサックという場違いな姿で、剣を持つ少女の後を、ただ無言で追った。
第二章:冥界での「逃避」
太郎が連れてこられたのは、広大で美しい白玉楼という場所だった。しかし、そこは冥界。亡霊たちが優雅に舞い、桜が満開に咲き乱れている、不思議な世界だった。
西行寺幽々子は、優美で呑気な女性だった。
「あら、珍しいわね。中学生の外来人なんて。受験から逃げてきたのかしら?」
幽々子はくすくす笑いながら言った。彼女の目には、太郎の悩みなど、まるで取るに足らない小石のように見えているようだった。
「貴方の結界を通り越す力、少し調べさせてもらうわね。それまで、ゆっくりしていなさい」
太郎は、冥界で「居候」を始めた。
彼の日常は、一変した。朝早く起きて勉強する必要もない。クラスでの振る舞いを気にする必要もない。誰かに評価されることも、プレッシャーを感じることもない。
彼は、幽々子の膨大な蔵書を読み漁り、妖夢から剣術の手ほどきを受けたりした。彼は、幻想郷の住民たちの奇妙な「日常」に驚かされながらも、次第にこの世界に安寧を見出し始める。
ある日、太郎は幽々子に尋ねた。
「あの…ここで、僕が勉強しなくても、怒られないんですか?」
幽々子は、優雅にお茶を飲みながら答えた。
「なぜ怒る必要があるの? 貴方が何をしてもしなくても、世界は回っているわ。ここは、貴方の好きにできる場所よ」
外の世界では「何もしないこと」は罪だった。しかし、ここでは違った。
太郎は、生まれて初めて、**「何もしない自由」**を感じた。それは、受験という監獄から解放された、最大の安らぎだった。
第三章:新たな「居場所」
数週間が経ち、太郎は少しずつ幻想郷に馴染んでいった。彼は白玉楼の庭掃除を手伝い、幽々子や妖夢の雑用をこなすようになった。
ある日の夕暮れ。太郎は、白玉楼の縁側で一人、携帯電話(もちろん圏外だ)を眺めていた。
「…帰りたい?」
妖夢が、隣に座って尋ねた。
「…わかんない」太郎は正直に答えた。「家には、帰りたい。でも、あの世界には、戻りたくない」
彼は、外の世界の自分を思い出した。自信がなく、他人の目ばかり気にしていた、窮屈な自分。
「僕は、外の世界では『誰かにならなきゃいけない』って、ずっと思ってました。いい高校に入って、いい大学に行って、いい会社に…」
妖夢は静かに剣の柄に手を当てた。
「幻想郷では、そんな『誰か』になる必要はないわ。貴方は、ただ『貴方』でいればいい。戦う力も、魔法の力も、何もなくても。ここにいるだけでいいのよ」
太郎は、その言葉に深く感動した。それは、彼が外の世界で誰からも言われたことのない、完全な肯定だった。
「僕、ここで、妖夢さんの手伝い、したいです。庭の手入れとか、屋敷の掃除とか。誰にも評価されなくても、僕がやりたいから」
妖夢は、初めて少しだけ微笑んだように見えた。
「そう。なら、そうしなさい」
宮間太郎は、もう外の世界の「中3の受験生」ではない。彼は、巨大な結界を通り越したことで、**「自分の役割」を失い、その代わりに「自分自身」**を見つけたのだ。
彼は、制服を脱ぎ捨て、動きやすい服装に着替えた。
幻想郷の冥界、白玉楼。中3の少年は、そこで掃除と雑用の「住人」として、新しい人生の一歩を踏み出した。彼の物語は、始まったばかりだ。