祝・追放 100回記念 特別編~犯罪コレクション~ 作:高見南純平
工場の天井を突き破り、夜風が吹き込む。月明かりの下に立つアジドⅭの姿が照らし出される。溶けた鉄と機械油の匂いがまだ漂っていた。彼女は屋上の端に立ち、静かに空を見上げる。
「月明かり、いつかキミも、私の手の中に」
柔らかな声が夜に溶け、白い髪が風に揺れた。アジドⅭは軽やかに走り出し、その指先を遠くの月に向ける。そこにあるのは、手の届く獲物であるかのように。彼女の瞳には確かな熱があった。惑星すら、意志ひとつで掴もうとするほどの遠大な野心。
「……Ⅽ様らしい、遠大な夢の詩ですね」
バリアに包まれたヒドロFが、満身創痍のまま手を叩いた。バリア越しの音はくぐもりながらも、確かに夜に響く。彼女の瞳は、敗北の痛みよりも主への敬意を宿していた。
アジドⅭはわずかに微笑んだ。
「戦う相手を間違えてしまったね。あの2人も素晴らしく面倒だったけど、ドロくんの光なら対抗できたと思う。采配ミス……か」
そしてそのまま背を向け、闇の彼方へ歩み出そうとした瞬間。サイエント工場の方角から、金属を踏みしめる音が響いた。
アジドⅭが振り返ると、崩れかけた足場の上に立つ少年の影が見えた。破れた服の裾を押さえ、真っ直ぐな視線を向けてくる。ララクだった。
「そのコレクション、全て回収させていただきたい!」
声に迷いはない。ララクの胸には、アジドⅭが操る武器ユニットへの純粋な憧れがあった。それは少年の夢であり、希望の象徴だった。だが同時に、それが罪と破壊によって生み出された現実を、彼は知っていた。科学者たちの努力の結晶が、犯罪の道具に変えられている。その矛盾が、彼を突き動かしていた。
アジドⅭは片手を腰に当て、軽く肩をすくめる。
「はぁ、機動力のあるチェイサーは煩わしいな、セブちゃんと違って。……あのさ、久しく犯罪を遂行できずに撤退するんだ。こんなときぐらい、情けで素直に見過ごして欲しいんだけれど。……すんげぇ、落ち込んでんだよ」
その口調は飄々としていながらも、どこか疲れた響きを含んでいた。耳長のエルフ族の彼女が肩を落とす姿は珍しい。長い年月を生き、数々の犯罪を成功させてきた彼女にとって、今回の敗北は確かに痛手だった。
しかしララクは一歩も退かない。
「そのまま沈み込んで、逮捕されてください」
「温情はなしか。若人なのに冷徹だね~」
月光に照らされたその笑顔は、どこか寂しげで、それでも誇らしげだった。次の瞬間、足裏のジェットが噴射し、青い光の尾を引きながら彼女は宙へと舞い上がる。バリアドローンがヒドロFを包み込み、共に夜空へと逃げていく。
夜の風が吹き抜け、残されたララクの頬を打った。
工場の屋根の上、少年の視線は逃げ去る光を見つめ続けていた。
その眼の奥に宿るのは、悔しさと、確かな決意だった。
「 【モルテロンカッター】オーバーズ」
ララクが腕を振り上げると、溶熱された鉄の円盤たちが幾つも宙に生まれた。真紅の輝きを帯び、空気を震わせながら高速回転を始める。熱で歪んだ空気が屋上を揺らし、鉄の焦げる匂いが立ち込めた。円盤は群れをなして、アジドⅭの方へと向かっていく。
「 【アブソリュートゼロ】」
低く透き通る声。次の瞬間、アジドⅭの身体から白い霧が放たれた。絶対零度に近い冷気が周囲を包み込み、空気すら凍りつくような圧が走る。赤く煮えたぎっていた鉄の円盤は、一瞬にして凍りつき、鈍い灰色の氷鉄へと変わった。
続けて自動音声が鳴り響く。
『ユニット展開:ブリザード・ウィング/型番C-04A。冷気拡散モード、稼働率70%』
マントの内側から突風が吹き荒れ、凍結した鉄の塊がまとめて吹き飛ばされた。その全てがララクの方角へ。氷の破片が屋根に突き刺さり、鋭い音を立てる。
「……ボクも持っていない。究極の氷系統スキル……」
ララクはその氷鉄を跳ねるように避けながら、屋根の上を駆ける。しかし、足を止めた瞬間を狙うように、アジドⅭは噴射音を響かせた。足裏のジェットが火を噴き、彼女とヒドロFを包むバリアが夜空へと浮かび上がる。加速し、遠ざかっていく。
「……なら【マーキング】!」
ララクは手を翳し、追跡スキルを発動する。青白い紋章が空中に浮かび上がり、相手の居場所を示すはずだった。だが、光はすぐに歪み、空間に吸い込まれるように掻き消えた。
「……これは、ジャミングされているのか」
【マーキング】。逃亡者にとって最大の脅威とされる索敵スキル。だがアジドⅭはそれを完全に無効化する装置を組み込んでいた。経験の差が、技術の差が、明確に現れていた。
遠く、夜空の向こうからアジドⅭの声が響く。
「名も知らぬ神童よ、キミの勝ちだが、結果はこれから分かるんだと思うよ。異国の風を感じられた、そんな夜だった」
光の尾を引いて、彼女は暗闇の彼方へと消えた。ヒドロFを抱え、青い閃光を残して。
「……っく! ……未熟だな、まだまだ」
ララクは拳で屋根板を叩きつけた。金属の鈍い音が夜に響く。強くなったはずなのに、すべてを掴めたわけではない。圧倒的な敵を仕留めきれなかったことが、胸に重くのしかかる。
冷気と焦げた鉄の匂いが混じる工場跡に、ひとり立つララク。守り切った勝利の代わりに、悔しさだけが残る。
工場は無事だった。だがアジドⅭが放った言葉どおり、妨害が成功したのかどうか──それが明らかになるのは、明日以降のことだった。