祝・追放 100回記念 特別編~犯罪コレクション~ 作:高見南純平
崖の下、水に濡れながらヒドロFは倒れていた。全身が泥にまみれ、ユニットの金属音ももう聞こえない。微かに胸が上下しているが、もう長くは動けないだろう。
その様子を遠くから確認したララクは、思わず息をのんだ。
「! あの状況で、1人を討ち取ったっていうのか……! (ダァフさん、タフで爆発力のある人だな)」
ヒドロFが上から落ちてきたこと自体にも驚いたが、空中で一瞬だけ見えたダァフの姿が、さらに彼を驚かせた。燃え上がる煙の尾とともに、蒸気を纏いながらダム上へ戻るその影。本物の獣が戦場を駆けるかのような勢いだった。
ダァフは明らかに疲弊している。腕や足には焦げ跡、服の裂け目からは筋肉がのぞいている。それでもその表情に諦めはない。まだ戦場を離れる気配がなかった。
ララクは少し唇を噛んだ。ダァフに頼んだのは撤退戦。自分がダムの修復に集中できるよう、上で陽動してもらうだけのはずだった。だが、結果は予想をはるかに上回る。ヒドロFの排除。それは戦況を大きく傾ける成果だった。
ヒドロFの厄介さは、工場での戦闘で痛感していた。耐久力、反応速度、装備の性能、どれを取っても一筋縄ではいかない相手。そんな相手を、あの混戦の中で仕留めたのだ。ララクは胸の奥でざらつくような感情を覚えた。
「……ボクも状況を好転させないと……! (けど、どれだけボクのスキルでせき止めたとしても、押し返されるし、そもそも永久に持続はしない)」
ダムの放水穴は、すでに泥と氷で半ば封じられていた。ララクが地面から引き出した土壁の上に、雪を重ね、それをさらに氷でコーティングして補強している。だが、水の勢いは止まらない。
圧力に押され、氷の継ぎ目から水が滲み出し、再び流れ始めていた。整備士たちも懸命にセメントを流し込み、ホースで吸水を続けているが、追いつかない。
冷たい水流が脚を叩き、視界を揺らす。空は晴れているのに、風が生温く湿っていた。
「まだ、止まらない……っ!」
手のひらから氷の光が伸びる。ララクは歯を食いしばり、再び穴の縁を凍らせていく。だが、その氷の表面にはすぐに水圧が波を描いた。
ダムの奥から響く低い唸り。水はまだ生きている。
この流れを完全に抑えるには、さらなる策が必要だった。
ララクの額から汗が伝い落ちた。焦りと集中の熱が肌を焼く。氷を張っても、押し戻しても、圧力は増す一方。腕が痺れ始め、息が荒くなっていく。
その時だった。
崖の周囲、山を切り崩したような谷の方角から、低くうなるような音が響いた。
「ブォ──ー」
耳をつんざくモーター音。地鳴りのように谷全体を震わせ、風が逆流する。ララクは作業の手を止めずに、その音源を横目で確認した。
視界の端に、土煙を巻き上げて駆け下りてくる一団の姿。
頬がわずかに緩む。
「……来たか」
整備士たちもすぐに気づいた。
「応援部隊が来てくれたぞ──ー!」
歓声があがる。
谷を駆け下りてくるのは、大量のバギーだった。エンジンの唸りが幾重にも重なり、岩壁に反響して轟音を作る。四輪駆動のタイヤが砂と泥を跳ね上げ、後方には煙と砂塵が尾を引いた。
バギーの荷台には、無数のスクラップや鉄板、補強用の資材が積み込まれている。どの車両にも、整然とした制服姿の者たちが乗っていた。
スーツに身を包んだ事務官風の者。カーキと緑の制服を着た警官たち。いずれも、国の警察組織に所属する者たちだ。人間が大半を占めているが、角を持つ者や、獣の耳を備えた者の姿も混じる。人工と自然が交錯するこの国ならではの混成部隊。
そして、その先頭のバギーに立つのは、一際強い存在感を放つ女性だった。
ベテラン刑事・セブトル。短く切りそろえられた焦げ茶の髪。鋭い目つきに刻まれた小さな傷跡。腕には古びた捜査用の腕輪が輝いている。
彼女は長年、悪党エルフ・アジドFを追ってきた。前任の刑事たちの意志を引き継ぎ、執念にも似た使命感でこの日まで走り続けている。
バギーのハンドルを強く握りしめ、岩を越えるたびに体が跳ね上がる。それでもアクセルは緩めない。
「……くそぉ、あいつの犯行は止められてなかったか! ……このままじゃ、この辺りが水に埋まるぞ。最悪な大胆不敵さだなぁ!」
歯を食いしばり、スピードをさらに上げる。
エンジンが悲鳴をあげ、車体が振動する。谷を抜け、濡れた風が顔に叩きつけられる。
セブトルの眼前に広がるのは、崩れかけたダムと、蒸気の向こうに見える戦闘の余波。
その光景に、彼女の目が険しく光った。
「よくみなって、あの子がガンバしてんじゃん。それに、そのために、このゴミをかき集めてきたんでしょ?」
そう声をかけたのは、助手席ではなかった。
荷台に山積みのスクラップと共に立ち、風に髪をなびかせながら前方へ身を乗り出していたのは、戦闘医ゼマだった。ララクと同じパーティーの彼女は、泥と埃にまみれた顔に笑みを浮かべ、セブトルへ呼びかけた。
バギーのエンジン音が轟く中、ゼマの脳裏にはララクから受けた指示がよぎっていた。
『もし本当にダムが狙いで、それを破壊したとします。規模に寄りますが、そこからの流水を食い止める必要があります。それも永続的に。そのためには物資が、必要です』
その言葉を聞いたセブトルは当初、渋い顔をしていた。警察組織として動く以上、資材の調達には正式な手続きがいる。だが、状況は緊急だった。
『……上に掛け合ってみるが、すぐに壁の材料になりそうな物が確保できるか……。いや、犯罪を完成させないために、かき集めてくるさ!』
そう言ってセブトルは決意を固めた。
そこへ、無骨な声を差し込んだのがダァフだった。
『ゴミなら荒廃街に散在してるぞ。……汚染されてる地域を除いても、人が投棄していったゴミの山がいくらでもある』
確かに荒廃街には、長年放置された廃材が積み上がっていた。壊れた機械の残骸、焦げた鉄板、車体フレーム、金属片。それらは風化と錆に覆われていたが、加工次第では立派な資材になる。
ただし、放っておけば空気を汚し、野生モンスターの巣となり、感染症の温床にもなる厄介な代物でもあった。
ゼマとセブトルは、分担してこのゴミ収集作戦を遂行していた。
汚染値を測定するポータブル機器を使い、危険度の低い素材だけを選別。
金属片は壁材として、パイプは補強骨格として。
それらを積み込んだバギーを連ね、全速力でダムへと戻ってきたのだ。
バギーに乗っている警官たちの多くは、セブトルの旧知の仲間たち。「セブトルの頼みであり、アジドFの犯罪を阻止するためなら」と迷いなく動いてくれた者ばかりだった。
谷を下る車列は、光を反射してきらめく金属の波のように見えた。
セブトルはハンドルを握りしめながら、短く応じた。
「……私たちは、正義を完成させるだけかっ……!」
バギーの列が、谷底に向かって土煙を巻き上げる。
崖下の戦場に向け、希望の音が響き渡った。