史実やアプリ版からもかなり改変していますが、暖かい目で見守ってくださると幸いです。
それでは、どうぞ。
――このお話は、一人のウマ娘が、大切な人と出会い、仲間と共に自分を探す・・・そんなありふれた物語。
『・・・30分の写真判定を経て、URAファイナルを制したのはダイワスカーレットっ!わずか数cm、ハナ差の大接戦となりましたっ!今ここに、全ウマ娘の頂点に君臨する、初代女王が誕生しましたっ!』
テレビから、今年最後の頂上決戦、URAファイナルの中継が流れる。瞬きすることすら惜しいと感じる世紀の戦いを制したのは、ダイワスカーレット。同じトレセン学園に通うアタシの後輩だった。
「・・・すごいね」
小さくポツリと漏れたのは、その一言だけだった。
自分の限界を超えて走り続ける姿も、勝利以外の何もかもを捨てて戦う意思も。そして何より、あんな大勢の前で自分の走りを貫ける強さも・・・全てが輝いて見えた。
同時に、自分の無力さを実感した。アタシの、『メジロドーベル』というウマ娘の持つ力には、あの舞台で走るウマ娘達に勝るものがない。それどころか、足元にすら及ばないとすら感じてしまう。今の私には、あの舞台で走りたいと思うことすら許されない。今の弱いアタシには、そんな資格はきっとない。
「次は私達の番だね、ドーベル。」
アタシの心を知ってか知らずか、一緒にその中継を観戦していたトレーナーがそう声をかけたきた。
「・・・もう、やめてよ。アタシじゃ無理だって。きっと、あの会場に出た途端に動けなくなっちゃうから。・・・トレーナーの気持ちは、すごく嬉しいよ。でも・・・。」
ごく怖いよ・・・そう続けようとした。けれど、トレーナーがアタシに向ける真剣な眼差しを見て、口にすることが出来なかった。
「確かに、今は無理かもしれない・・・でも、信じて頑張り続けたら、きっとたどり着ける。大丈夫、貴女は強いウマ娘だよ。一緒に頑張ろう、ドーベル。」
いつものように、トレーナーは優しい言葉をかけてくれる。頭をそっと撫でる手は、彼女の心の温度を表したかのようにとても暖かくて、心地良い。
でも。だからこそ。その期待に応えられるような言葉を言えず、そして今の自分の心を打ち明けられないことが辛かった。
結局、小さく頼りない声で「うん・・・」と頷くことしか、アタシには出来なかった。
それから数日後の午後。トレセン学園のグラウンドで、模擬レースが開催された。出走するのは、生徒会長のシンボリルドルフ先輩。そして、私の憧れの存在、副会長のエアグルーヴ先輩だ。
模擬レースとはいえ、名を馳せた二人の走りが見られる貴重な試合ということもあり、その日のグラウンドには大勢の観客が集まった。その熱気は、まるで重賞レースさながらだった。
スタートからゴールまで、一瞬たりとも目を離すことが出来なかった。シンボリルドルフ先輩が前を行き、エアグルーヴ先輩が後を追う。隙を突いて前へ出ようものなら、すぐさま差し返す攻防の連続。両者の鬼気迫る走りの末、ほぼ横並びにゴールする。アタシの目からは、ほんの少しシンボリルドルフ先輩が先にゴールしたようにも見えた。
ゴールした直後、ギャラリーの大歓声が響いた。拍手と声援の中、先輩たちは互いの検討を称えあい、握手を交わしていた。
どちらが勝ってもおかしくなかった、ハイレベルなレース。やっぱり、凄い。・・・エアグルーヴ先輩のような、強くて素敵なウマ娘になりたい。改めてそう感じた。
「あら、ドーベル。貴女も観戦していらっしゃったのですね。」
後ろから声をかけられる。聞きなれた、柔らかな声。振り向けば、予想通り彼女がいた。
「・・・ええ、ブライト。当然よ。エアグルーヴ先輩が出走するって聞いて、アタシがじっとしているわけないでしょ。」
「ふふふっ・・・その通りですわ。さすが先輩方。皇帝、そして女帝。その名に恥じぬ圧巻の走りでしたわ・・・。」
ブライトは見ているこちらまで癒されてしまうくらいの優しい笑みを浮かべていた。
「そうね・・・いつか私も、あんな風に・・・」
そう、ポツリとこぼす。すると、先程まで穏やかな表情だったブライトは何かを訴えるような顔でアタシを見つめていた。
「時期尚早、でしたか・・・。」
そう言うと、突然ブライトはグラウンドに背を向けてこの場から立ち去ろうとした。
「えっ・・・?ブライト、今のってどういう・・・」
「さあ、何のことでしょう?その先はご自分でお考えになってくださいな。」
アタシの質問を遮るように、そのまま彼女はどこかへ行ってしまった。
ブライトは、時々姉妹のアタシにすら分からない言動をとる。さっきの言葉にも、きっと何かの意図があるのだろう。けれど、それを理解することは出来なかった。
それから、しばらくして。
アタシはクラシック路線、ティアラ路線のどちらに進むかという大きな岐路に立っていた。ウマ娘として、何よりメジロ家として、この選択はアタシの未来を左右する大事なもの。どうするか決めかねていると、ブライトがクラシック路線に進み、三冠を狙いに行くと言う話を小耳に挟んだ。彼女がそんな大きな夢と決意を抱いていたなんて知らなかった。
けれど、メジロの同期としてアタシも負けていられない。ブライトがクラシック三冠を目指すのなら、アタシはティアラ路線を進む。そして、トリプルティアラを達成して、ラモーヌさんの描いた栄光に続いてみせる。そう決心がついた。
その日、ティアラ路線に進みたいというアタシの決意をトレーナーに伝えに行った。トレーナーなら、きっと優しくアタシの背中を押してくれる。そう予想していたけれど・・・。
「・・・うん。そう、だね。ドーベルならきっと出来る。私も全力でサポートするよ。一緒に頑張ろうね。」
どこか、引っかかるような返事だった。確かに、最後は背中を押してくれた。けれども、あの間はなんだったのだろう。ブライトといい、トレーナーといい・・・何を言おうとしていたのか、分からない。
でも、今はそれ以上に考えなくてはならないことが山積みだ。もっと強くならないと。喉に何かが引っかかったような違和感を覚えながら、目先の目標である桜花賞、その前哨戦として阪神ジュベナイルフィリーズに向けて特訓を始めた。
桜花賞、当日。阪神JFを1着で制し、G1でも走れるという自信を持ってその日を迎えた。人前に立つのは、まだ怖い。けれど、アタシは前よりも強くなった。きっと大丈夫。
レース直前の控え室で、トレーナーが声をかけてくれた。
「・・・ドーベル。緊張してる?」
「うん、心臓が飛び出しそうだよ・・・でも、大丈夫。今のアタシは、G1にも通用する。絶対1着を取ってくるから、待ってて。」
そう返すが、依然としてトレーナーはどこか不安そうだった。それも、きっとアタシが安心させられるくらいの強さがないから。だったら、この試合で彼女の不安を拭ってみせる。そんな想いを胸にレースに望んだ。
けれど、トレーナーの不安は的中することとなった。
『1着はメジロドーベルっ!栄えある桜花賞の女王となったのは、メジロドーベルですっ!』
場内アナウンスが、歓声が、大勢の目線がアタシに向けられる。
アタシは走りきった。全力を出して、結果を残した。
嬉しいはずなのに、どうして。
あの時の記憶が、フラッシュバックしてしまうのか。
「違うっ・・・違うっ、違うっ!なんでっ、どうしてあの時の事を思い出すのよっ!」
怖い。怖くて仕方がない。視線が、声が、観衆が。意識してしまった途端、体の震えが止まらなくなってしまった。
そのまま逃げ出すように、アタシはレース場を後にした。
結局、トレーナーとその事をまともに話すこともなく月日は流れた。様子のおかしいアタシに、トレーナーは何度も手を差し伸べてくれた。けれども、アタシはその度に「大丈夫だから」と突っぱねてしまった。自分でも、どうしてそんなことをしてしまったのか分からない。もしかすると、自分で何とかしなくては・・・なんて思っていたのかもしれない。
不安を誤魔化すように、がむしゃらに練習を続けていた。そんなアタシを見かねて、ある時エアグルーヴ先輩が声をかけてくれた。
「・・・精が出るな、ドーベル」
「グルーヴ先輩・・・!はい、こうでもしないと・・・弱いアタシじゃ、勝てないので」
そう返すと、先輩はどこか思い詰めたような表情を浮かべた。ブライトやトレーナーがしていた、あの顔に似ていた気がする。・・・もしかすると、今のアタシもそんな顔をしていたかもしれない。
「少し付き合え。休憩にはちょうどいいだろう」
「・・・はい、分かりました」
断る理由も、道理もなかった。そのままアタシはグルーヴ先輩の後について行く。
たどり着いたのは、トレセンの選抜レース場。そこでは、ブライトが懸命に走っている姿があった。どうやら誰かと並走しているようだ。相手は・・・ライアン?
「・・・どうだ。ブライトの走りは。」
・・・いまいち容量を得ない。グルーヴ先輩はこれを見せたかったのだろうか。返答に困ったが、ありのままの感想を伝えた。
「そう、ですね。あのライアン相手にあそこまで迫っているのはすごいと思います。知らないうちにあんなに強くなっていたなんて知りませんでした。」
「違う、ドーベル。お前に見せたかったのはそこではない。」
ますます分からなくなった。答えに詰まってしまい、そのまま黙り込んでしまった。そうしていると、見かねたグルーヴ先輩がヒントをくれた。
「・・・奴の目を見ろ。そして、感じろ。」
抽象的だったが、何となく理解することは出来た。言われたとおり、ブライトの走りをもう一度見てみる。
その時、ようやく気付いた。ブライトのあの目、あの気迫。あれは、以前トレーナーと一緒に見たURAファイナルの出場ウマ娘とそっくりだった。
「あれが、ブライト・・・?前と全然違う・・・。一体いつの間に・・・?」
「さて、ドーベル。それに気付いた上で質問だ。・・・一体何を恐れている。」
核心を突かれる。そんなことはないと、桜花賞の時の自分にも言い聞かせるように反論しようとしたが、先輩の言葉に阻まれてしまう。
「侮るなよ。お前があの日、レース後の様子がおかしかったことぐらい誰の目にも分かる。そして、それが何かに対する恐怖であることもな。お前の走りを見続けていたのだから、当然ではあるが」
そこまで言われて、否定できるわけがなかった。アタシは、自身のありのままの心境を先輩に伝えた。
「・・・怖いです。たくさんの視線も、歓声も、子供の頃のあの景色がフラッシュバックして・・・!あの時とは違うって分かってるのに、体の震えが止まらなくなったんです・・・!」
それを聞き届けた後、グルーヴ先輩は「違うな」と一蹴した。
「私にも似たような経験があってな・・・。悲願だったオークスを制した後、震えが止まらなかった。その理由は、なんだと思う。」
「・・・分かりません。」
少しの間を置いて、教えてくれた。
「・・・背負っているものに対しての、恐怖だ。私は母に打ち勝った。だが、それと同時に責務を背負ったのだ。母が成し遂げられなかった偉業を私が継ぎ、観客の期待に答えるという使命を。・・・お前も、そうではないか?」
言われて、ハッとした。今までの私には何も無かった。でもあの時、桜花賞を制したあの瞬間から、私は逃れられない使命を背負ったんだ。
「・・・気がついたようだな。ならば、その責務から逃げるな。恐怖と向き合え。今のお前は、もう以前とは違う。」
「・・・ありがとうございます、先輩。私、もっと頑張ります。そしていつか、先輩みたいなウマ娘になってみせます。」
憧れの先輩からの助言のお礼として、今のアタシにできる精一杯の決意表明をした。・・・だが。
「・・・ただ、お前にはもう一つ。気づかなくてはならない重大な問題がある。」
「・・・そ、それって・・・一体なんなんですか・・・?」
そう尋ねた。しかし、グルーヴ先輩は首を横に振るだけだった。
「それは、私の口から伝えるべきことではない。お前と、お前のトレーナーが見つけなければならない。」
エアグルーヴ先輩は、そのままレース場を立ち去ろうとした。その答えが知りたくて、アタシは引き留めようとした。けれども先輩は・・・
「甘えるな。・・・断言しよう。それが分からなければ・・・いつかお前は、決定的な場面で負けるぞ。」
と、突き放した。その有無を言わせぬ威圧感に、何も言い返すことが出来なかった。
「・・・済まない、ドーベル。・・・どうか乗り越えてくれ。お前が生まれ変わる瞬間を、期待している」
去り際に小さく呟いた先輩の言葉は、アタシに届くことは無かった。
それから、また月日は流れて。
ティアラ路線の二冠目となるオークス当日。結局、アタシはエアグルーヴ先輩の言っていた「重大な問題」を見つけられずにこの日を迎えた。レースの対策も十分に練った。コンディションも万全。だが、その問題だけが心残りだった。
いつまでも気にしてはいられない。トレーナーからのエールを背に、レース場へと向かった。
ターフへと足を踏み入れると、観客の声援が降り注いだ。もう、以前のように震えたりはしない。この期待に応えられるような走りを見せる。そんな想いで満ちていた。
大丈夫、きっとできる。アタシなら勝てる。絶対に勝って、二冠を成し遂げるんだ。心の中で、何度もそう唱えた。
そして、ゲートが開いた。
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『オークスを制し、樫の女王となったのはエイシンフラッシュっ!今ここに、新たな女王が誕生しましたっ!』
―――負けた。
それを理解したのは、ゴールしてしばらく経った時だった。アナウンスと電光掲示板に表示される、「2着」という言葉でようやく飲み込むことが出来た。
全力を尽くした。対策も完璧だった。1着のフラッシュさんは確かに強い。けれど、実力差はなかったはず。現に、最終直線までは私がリードしていた。・・・でも、最後の100m。あの瞬間に、フラッシュさんの雰囲気が変わったのを覚えている。負けた理由があるとするなら、きっとあそこだ。あの気迫は、URAファイナル、そしてエアグルーヴ先輩が見せてくれたブライトの姿と似ていた。・・・思いの強さで負けた?いや、そんなはずはない。アタシだって、彼女達に劣らないものを持っている。それなのにどうして?ただの精神論じゃないはず。
分からない、分からない、分からない・・・!
考えれば考えるほど、深みにはまっていく。きっと先輩はこのことを予期していたんだ。けれど、アタシはそれを見つけられなかった。そして今もその答えにたどり着けない。このままだと、この先も負け続けてしまう。皆の期待に応えられなくなる。そんな不安と恐怖が、一気に押し寄せてきた。
そして、あの日と同じように・・・アタシはターフから逃げ出した。
会場と控え室を結ぶ通路の途中、トレーナーが心配そうにアタシのことを待っていた。
「・・・ドーベル・・・大丈夫?」
アタシのことを気遣って、声をかけてくれた。でも、今のアタシは彼女に向ける顔がない。その優しさに甘えることも、出来ない。
「・・・大丈夫だから。」
そう一言告げて、立ち去ろうとする。でも、トレーナーは食い下がった。
「そんなはずないよ。ドーベル、少しお話しよう?」
「大丈夫だってばっ!アタシに構わないでよっ!!」
「ドーベルっ!!」
手を差し伸べるトレーナーを突き放して、会場の外へと駆け出してしまった。
何もかもを投げ出すように、宛もなく走り出す。けれど、トレーナーはしつこく追いかけてきた。ウマ娘の足の速さに人は絶対に勝てない。だから、私は信号のある交差点で一気に距離を離そうとした。
・・・この判断が、間違いだった。
彼女はしっかり者だが、変なところで抜けているということをもっと考えるべきだった。目先のことに集中していると、周りが見えなくなると分かっていたはずなのに。
アタシが横断歩道を渡りきった後、後ろからけたたましいクラクションの音と、衝撃音が聞こえた。何事かと思い、振り返る。
そこには、綺麗な顔立ちに赤い化粧を纏ったかのような痛ましいトレーナーの姿があった。
理解が追いつかなかった。
呆然と立ち尽くしていると、騒ぎを聞きつけた周囲の人々やドライバーが集まってきた。遠くからはパトカーと救急車のサイレンが聞こえる。
「うそ・・・そんなっ・・・。トレーナー!トレーナーっ!」
駆け寄ってその体を起こす。しかし、反応はない。それどころか、彼女に触れた手のひらにはべっとりと生暖かい鮮血がこべりついた。
アスファルトが、アタシの勝負服が、彼女の服が、赤く赤く染まっていく。
「いや・・・いやぁっ・・・!おきてよ、起きてよトレーナーっ!」
ポロポロと大粒の涙がこぼれる。そんな時、突然体を引き剥がされた。
「君っ!どいてっ!」
見れば、それは救急隊員だった。トレーナーは彼らに担架に乗せられて、救急車へと運ばれる。そのまま病院へと搬送されるのだろう。すかさず、引き止めた。
「待ってっ!アタシのトレーナーなんですっ!お願いしますっ、アタシも付き添わせてくださいっ!」
隊員は一瞬顔をしかめたが、事情を把握してアタシを救急車に同伴させてくれた。
それからのことは、うっすらとしか覚えていない。気がつけば時計は22時を回っており、アタシは一人、病院の廊下で医師の知らせを待っていた。
オペ室の「手術中」のランプが消える。そして、防護服を来た医師たちが部屋から出てきた。
「先生っ!・・・トレーナーはっ・・・トレーナーはどうなったんですか!」
まくし立てるように尋ねる。執刀医は曇った表情を浮かべながら答えた。
「一命を取り留めることは出来ました。しかし、意識はまだ戻りません。・・・あれだけの外傷です。いつ目を覚ますかも分かりません。」
その言葉に、枯れたと思っていた涙が溢れ出す。もう二度とトレーナーと話せないかもしれない。頭を撫でてくれないかもしれない。ずっと、目を覚まさないかもしれない。それもこれも、全部アタシのせいだ。アタシがあんなことをしてしまったから。
後悔と自責の念が頭を埋めつくした。
「・・・今日はもう帰りなさい。体が資本のウマ娘が、体調を崩したら元も子もない。」
一言言い残すと、執刀医はその場を去った。ここに残ったとしても、アタシができることは何も無い。その言葉に従うしか無かった。
帰り道の途中。誰もいない河川敷で一人、声を上げて泣いた。
それから数日後。入院中の彼女に代わり、臨時のトレーナーがアタシに着くことになった。
練習内容は以前と余り変わらない、平凡なもの。アタシの走りに影響が出ないような、当たり障りのないメニューだった。彼女のようなオリジナリティも工夫も、特にないつまらないもの。けれど、そのトレーニングをひたすら続けた。予定されていた量を遥かに超える回数をこなした。代理トレーナーからも、周囲のウマ娘達からも何度も止められた。けれど、やめるつもりはなかった。
アタシが弱かったから、トレーナーはあんなことになってしまった。アタシが強ければ、今でも彼女と一緒に過ごせていた。強くならなくちゃいけない。もっと、もっと強く・・・。
ただそれだけが、アタシをつき動かしていた。無謀すぎる。破滅的だ。・・・きっとそう思われているだろう。でも、やるしかないんだ。
自分の限界を超えて追い詰め続け、鍛え続ける。いつか目を覚ましたトレーナーを安心させるために。そして、弱い自分を戒めるために。
そんな日々を送り、続く秋華賞、大阪杯、宝塚記念・・・その他の重賞を制覇した。・・・けれど、彼女が目を覚ますことはなかった。
そんなある日のこと。グラウンドへ向かう途中で、エアグルーヴ先輩に声をかけられた。
「・・・調子はどうだ、ドーベル。」
「・・・こんにちは、グルーヴ先輩。そうですね、いつも通りです。」
先輩は普段通りに振る舞うが、その口調にはどこかアタシを心配する素振りが見て取れた。
「・・・最近、大活躍だな。噂は聞いているぞ。URAファイナルの出場権も獲得したそうじゃないか。」
そう。先日、理事長から臨時トレーナーと共に呼び出され、URAファイナルの出場を許可されたと報告をうけたのだ。
URAファイナル。いつの日だったか、彼女と一緒に観戦したあの舞台。自分には、絶対に無理だと思っていたあのレースに出られるのだ。
けれど、喜びは全く感じなかった。代わりに浮かんできたのは、勝たなければならないという使命感。URAファイナルを制して、アタシが強いウマ娘であることを証明しなくてはならない。彼女のために、そして、自分自身のために。
「・・・ドーベル。もうすぐでURAが始まる。無茶なトレーニングはそろそろ控えるべきだ。本番で体が動かなくなっては、元も子も・・・」
「アタシなら大丈夫です。自分の体は、自分がよく分かってます。それに、今のままじゃ勝てませんから。お気遣いありがとうございます。・・・それでは。」
何度も聞いた言葉。例えそれが憧れの先輩の言葉でも、今の私には響かない。以前とは違う形で、その先を遮った。
背後で、先輩が何かを呟く声が聞こえた。でも、私には関係のない話だ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「・・・違う。違うんだドーベル・・・。私は、お前のそんな姿を見たかった訳じゃない・・・。」
ボロボロにすり減って、まるで別人のように変わってしまった彼女の後ろ姿に、エアグルーヴは涙を零す。
どんなに手を伸ばそうとも、その悲痛な声は、ドーベルには決して届かなかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『さあ始まりましたっ、第4回URAファイナル決勝戦!今年も錚々たる選手が集結いたしましたっ!』
大歓声とともに、決勝戦の開始を告げる場内アナウンスが流れる。
予選、準決勝と、アタシは2着と大差をつけての1着だった。ターフにはここまで勝ち上がってきた猛者たちが揃っている。
その中には、かつてのライバル・・・メジロブライトもいた。
「あら。どなたかと思えば、ドーベルじゃありませんの。ごきげんよう、すっかり雰囲気が変わりましたわね〜。」
彼女らしい、いつもの挨拶だった。以前は気にもしなかったはずのその態度が、今は何故か癪に障った。
「・・・そう。呑気に挨拶するくらいなら、目先のことに集中したらどう?」
「あらあら〜。いつの間にか嫌われてしまったのでしょうか・・・同じメジロ家なのに、悲しいですわ〜・・・」
「うるさいっ・・・!アンタと一緒にしないで!・・・もう、今までの弱いアタシとは違うの。このレースで勝って、アタシが強くなったことを証明するのよ!」
威嚇するように、語尾を強めて言い放つ。しかし、ブライトは物怖じする様子もなく、それどころか、目付きを鋭くしてアタシに反撃してきた。
「何か、勘違いしていらっしゃるようですわね。強くなった?冗談はよしてくださいな。そんなハリボテのあなたなんて、相手ではありませんわ。・・・この試合、勝つのは私です。腐りきったあなたの目を、覚まさせて差し上げますわ。」
そう吐き捨てると、彼女はゲートへと向かう。ここまで勝ち上がってきた相手だ、その言葉に嘘偽りはないだろう。けれど、アタシに「勝利」以外の選択肢はない。あってはならないんだ。どんな相手だろうと、叩き潰す。そして、アタシが最強であることを証明する。ただ、それだけだ。
『各ウマ娘、ゲートイン。まもなく戦いの火蓋が切って落とされます。』
さあ、始めよう。
これが、弱いアタシとの最後の決別だ。
『スタートっ!各ウマ娘、一斉にゲートから飛び出していきましたっ!』
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
時を遡ること、数時間前。とある病院の一室にて。
暖かい日差しが、窓際の病床で眠る『彼女』を照らす。
刹那。
一定の波形を示していた心電図が、不規則な波を映し出した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『レースは折り返し地点を通過して、先頭は昨年度覇者、1番人気のマルゼンスキーっ!快調に飛ばしていますっ!続く2番手には、期待の新星キタサンブラックが続くっ!そして今回一番の大穴枠、3番人気メジロドーベルっ、後方から機会を伺っています!』
レース後半に差し掛かり、展開は大方予想した通りになった。全て想定内、ここからロングスパートをかける。・・・追込が得意なブライトは、アタシの後ろにピッタリと張り付いているのが分かる。恐らく、最後のスパートでアタシに食らいつくためのスタミナを温存しているんだろう。
でも、そんなことはどうでもいい。小細工もすべてねじ伏せる、圧倒的な走りで突き放すだけっ!
『ここでメジロドーベル、先頭目掛けて大外から加速を始めたっ!中団を一気に追い抜き、更に加速するっ!』
前に立ち塞がっていたウマ娘達は、視界の端へと消えていく。駆け引きも追い比べもさせる暇なんて与えない。ただ、追い抜く。
アタシの景色に彩りなんてない。歓声も、実況のアナウンスも、耳元の風切り音とさして変わらない。全て、灰色の世界だ。
それでいい。ただゴールさえ見えていればいい。あそこに最初にたどり着く。それがアタシの唯一の目的で、成し遂げなくてはならない使命だ。
『大ケヤキを超えて最終コーナー!レースが一気に動き出します!先頭はマルゼンスキー!リードは3バ身。その差を一気に詰め寄るメジロドーベルっ!準決勝に引き続き、鬼気迫る物凄い末脚だ!しかし、その後方に張り付くメジロブライト!決着は最終直線にもつれ込みますっ!』
・・・想定外のことが起きている。あのロングスパートにブライトが着いてこれるとは思ってもみなかった。けれど、問題ない。この直線で残りのスタミナを全て出し切れば引き離せる。
ゴールまであと300m。アタシは、ギアを更に引き上げた。
『メジロドーベルっ、更に加速するっ!勝負を一気に決めに来た!マルゼンスキーを差して先頭に躍り出る!・・・しかしっ、その後ろにはメジロブライトだっ!驚異的なメジロドーベルの末脚に食い下がっている!勝負はこの二人の一騎討ちだっ!』
・・・どうして?この速度に着いてこられるはずがない。ブライトの走りはよく知っている。いくらスタミナを温存しているとはいえ、引き剥がせないのはおかしい。・・・一体何が起きているの?
その一瞬の気の緩みを、ブライトは見逃してはくれなかった。
「そこっ、ですわぁぁぁぁっ!!」
「・・・っ!?しまったっ・・・!」
ブロックが緩み、ブライトはアタシと横並びになる。・・・いや、それ以上だ。僅かだが、ブライトはアタシのスピードを上回る速さで走っている。じわりじわりと、彼女の体がアタシの前へと進んでいく。
『交わしたっ!メジロブライト、メジロドーベルのブロックをくぐり抜けて僅かにリードっ!先頭はメジロブライトだっ!徐々にその差を広げていくっ!』
・・・嘘だ。そんなこと、あるはずがない。こんなにも自分を追い込んだ。誰よりも強く勝ちを望んだ。負ける要素なんてひとつもない。ありえない。
その時、ふとブライトの表情が視界に映る。
・・・あの時と、同じ。アタシが理解できなかった、あの覇気を纏っていた。
・・・ああ、そうか。やっぱり、エアグルーヴ先輩が言っていたことは、正しかったんだ。
技術でも、練習量でも、意志の強さでもない。・・・アタシにはない、決定的な「何か」が、勝敗を決めるんだ。
・・・そして、それが分からなかったアタシは・・・負ける。
それを悟った瞬間、アタシを取り巻く全てが一気に減速したかのような錯覚に陥った。まるで、アタシ一人が時間の流れに取り残されたかのように。
灰色の世界で、ゆっくりとブライトが先へ進む。けたたましい歓声も、場内アナウンスも、まるで耳に入らない。
腕にも、足にも、自分の体では無くなったかのように力が入らない。もうとっくに限界が来ていた。「勝利」という原動力を失ってしまったアタシには、もうそれらを自由に動かすことも出来なかった。
途端に、心の隙間へと恐怖が流れ込んでくる。使命を果たせなかった。期待に応えられなかった。また、あの日の弱いアタシに戻ってしまう。
・・・いや、そもそも・・・強くなんて、なっていなかった。
あの事故が起きた日から、アタシはこの無彩色の世界に取り残されて、立ち止まっていたんだ。
・・・・・・・・・ごめんなさい、トレーナー・・・。
「・・・・・・ドーベルぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
ノイズだらけの世界に、声が響いた。
聞き間違えるはずもない声。アタシが、いつも待ち望んでいたあの声。でも、そんなはずがある訳ない。幻聴だ。弱いアタシがみせる幻だ。だって、彼女はまだ眠り続けているんだから。
でも、それでも。・・・顔をあげずには、居られなかった。
灰色の世界の中。観客席の最前列に、たったひとつ。色鮮やかに輝く一人の女性の姿があった。
とくん、と。心臓が跳ねた。
「強くなくていいっ!」
冷えきった血液が、熱く沸き立った。
「誰かになんてっ、ならなくていいっ!」
手足から、激痛が・・・アタシが生きている証拠が、駆け巡った。
「私がっ、ずっとそばにいるからっ!」
目元が熱くなり、視界が潤んだ。
「ドーベルっ!私はっ、ここだよっ!」
色褪せた世界が、ガラスのように砕け散った。
その時、全てが繋がった。
今まで、アタシに足りなかったもの・・・それは『アタシ自身』だったんだ。
ずっとずっと、弱い自分を捨てようとしてきた。誰かになろうとしていた。でも、違ったんだ。皆、『メジロドーベル』を応援してくれていたんだ。そしてトレーナーは、『メジロドーベル』を待っていたんだ。
「・・・・・・いやだ」
蓋をしていた、『弱いアタシ』の言葉が溢れる。
「・・・負けたく、ない・・・」
こぼれ落ちる涙が頬を伝う。
「アタシはっ・・・勝ちたいんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
残り、100m。もう一度、仕切り直しだ。
これが、アタシ・・・メジロドーベルの、第一歩だ。
『・・・これはっ!メジロドーベルっ、メジロドーベルが息を吹き返したっ!最後の最後っ、メジロドーベルが執念の追い上げを始めたっ!』
ようやく見つけた。アタシは、アタシの望む道の先で・・・遥か彼方の向こうで待つ、『あの人』のところへ行くためにっ、ここにいるんだ・・・っ!
「・・・ドーベル・・・っ!・・・あらあら、これは・・・。でもっ、私も・・・負けられませんのぉぉっ!」
『メジロブライトっ、先頭を譲るまいと加速するっ!だがメジロドーベルっ、差をどんどん縮めて・・・並ばないっ!並ばないっ!!メジロドーベル、ここで差し替えしたぁっ!』
会場がどよめきと歓声で震えた。もう恐怖は感じない。ただ、今すぐに、誰よりも早く・・・あの人に会いたかった。
『メジロドーベルっ!そのままの勢いでゴールインっ!ウマ娘の頂点、その栄光を手にしたのはメジロドーベルっ!今、歴史に新たな名が刻まれましたっ!』
ゴールを過ぎたあとも、アタシは速度を緩めなかった。だって、アタシの目指すものはそこじゃない。・・・観客席の、あそこなんだから。
「ドーベルっ!ドーベルぅっ!」
トレーナーが塀を乗り越えて、ターフ内に入ろうとしている。見れば、その姿は包帯が至る所に巻いてあり、病院を抜け出して来たことは一目瞭然だった。
「トレーナーっ!トレーナぁぁぁっ!!」
もう彼女は目の前だと言うのに、その距離がもどかしかった。
会いたい。話がしたい。もう一度、その温もりを感じたい。歯止めなんて、効くはずもなかった。
「トレーナーっ・・・会いたかった・・・会いたかったよぉっ・・・!」
涙と汗でぐちゃぐちゃになったアタシを、トレーナーは包帯だらけの体で、優しく包み込んでくれた。
「・・・ただいま、ドーベル。・・・こんなにボロボロになるまで、いっぱい頑張ったんだね・・・」
そっと抱きしめながら、アタシの頭を撫でる。その手があまりにも心地よくて、温かくて・・・どうしようもないくらい、アタシはこの人のことが好きなんだと理解した。
「ごめんなさい、トレーナー・・・。アタシ、あんな酷いことばっかりで・・・あなたのこと、傷つけてばかりだった・・・」
「・・・いいんだよ、ドーベル。あなたがとっても頑張り屋さんで偉い子だって、私は知ってるよ。それに、私どんくさいから。あなたが厳しくしてくれなきゃ、ミスばっかりだったよ。」
彼女は、そう言って微笑んだ。その笑顔で、全てが報われた気がした。
「もう、どこにも行かないで・・・ずっとそばにいて・・・。あなたがいないと、アタシ・・・もうっ・・・」
縋るように、彼女に告げる。きっと、甘えているのだろう。それでも、この気持ちを抑えることは出来なかった。
「・・・うん。ずーっと、傍で支えるから。大好きだよ、『ベル』」
「・・・っ!・・・うんっ・・・うんっ!・・・私も・・・大好きっ・・・!」
小さい時のことを思い出すのは、あまり好きではないけれど・・・。あの瞬間、アタシは久しぶりに子供の頃みたいに笑えた気がした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
URAファイナルから、月日は流れて。
アタシは、トレセン学園の屋上に来ていた。理由は、ただひとつ。
「・・・来たか、ドーベル。さて、なんの用事だろうか。」
「呼び出してしまってすみません、エアグルーヴ先輩。・・・先輩に、渡したいものがあって。」
そう言って、懐から黄色のカーネーションを取り出す。
「・・・黄色のカーネーション・・・それを渡すという意味を、お前は分かっているのか?」
先輩は、どこか嬉しそうな表情で尋ねてくる。
「ええ。花言葉は、嫉妬。いい意味ではありませんよね。けれど、私の憧れるウマ娘は・・・母の日に、この花を自分の母に渡しました。その意味は・・・」
「「あなたに、挑戦する・・・」」
先輩とアタシの声が、綺麗に重なる。
「ははっ・・・そうか。だが、簡単に勝たせてやるつもりは無い。・・・お前に、私が越えられるか?」
挑戦的な笑みを先輩は浮かべていた。
「ええ、超えてみせます。なぜなら・・・」
前の私なら、こんな大胆な行動は取れなかったと思う。でも、今は違う。だって、私には・・・。
「ベルーっ、ここにいたんだ。模擬レースの時間が近いよ?・・・って、ありゃっ。お取り込み中だった・・・?」
「あ、うんっ!ごめんねっ、すぐ行くからっ!・・・アタシには、『あの人』がいますから。」
満面の笑みで、そう答えた。
「・・・そうか。・・・精進しろ、あのトレーナーとな。」
「はいっ!・・・失礼します!」
そのまま、屋上を後にした。
「・・・成ったな、ドーベル。・・・おかえり。」
屋上で一人、人知れず涙を流す女帝の姿があった。
「あらあらドーベル。あなたが遅刻なんて、珍しいですわね〜」
グラウンドに着くと、既にブライトがレースの準備を整えていた。
「ごめんブライト。ちょっと用事を済ませてきたの。」
「まあ、模擬レースよりも優先する用事だなんて。さては、誰かに思いの丈を伝えてきたのかしら?」
・・・相変わらず、マイペースなのに変なところで鋭い。やっぱりブライトには敵わないなと実感する。
「・・・まあ、そんなところよ。」
「あらあらまあまあ・・・!ドーベルも隅に置けませんわねぇ〜」
茶化してくるブライトはさておき、アタシも模擬レースに向けた準備運動を始める。
「今日も、アタシが勝つから」
「あらあら、私も負けっぱなしは御免こうむりますわ〜」
売り言葉に買い言葉。アタシとブライトの中に対抗心が燃え上がった。
「それじゃあ、二人とも準備はいい?・・・よーい、ドンッ!」
トレーナーの合図と同時に走り出した。
ライバルのアタシ達、どちらが勝つのか・・・それは神のみぞ知る、ってところかしら。
・・・そういえば、自己紹介がまだだったわね。
アタシは、メジロドーベル。
メジロ家でも、URAチャンピオンでもない、一人のウマ娘。
この話は、そんなアタシがトレーナーと出会い、ライバルとともにアタシ自身を見つけ出した・・・そんなありふれた物語。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
こちらもpixivであげていたものを再編集したものになります。
この作品では、ドーベルという繊細な女の子が、泥臭く足掻いて・・・その先に、本当の強さを手に入れる。そんな展開を描きたくて、トレーナーの不慮の事故・・・という展開を入れています。
曇らせたあとほど、澄み渡るような笑顔が見られる・・・というものです。あまり得意ではないんですけどね・・・。
次回作は未定ですが、今のところスマートファルコンを予定しています。では、またお会いしましょう。