TSホムンクルスは曇らせたい 作:やおよろずのねこ
コポコポ……コポコポ……
鈍い水の音が聞こえる。体はだらりと弛緩し、まるで海を揺蕩っているような感覚に陥る。
はて、僕は一体何をしていたんだったか。
目を開けてみるも、視界は真っ暗で何も見えない。手を動かそうとすれば、紐のような何かに引っ掛かる感覚があった。
その異質な体験に、ぼんやりとしていた意識が急速に覚醒する。
体が自由に動かせない。全身を拘束されている。
視界も塞がれ体の自由も奪われ、軽いパニックに陥りそうになったところで、はたと気づいた。
──僕は今、息をしていない。
一体何が起きているというのか。息を吸っている感覚も、吐いている感覚も全くない。
ひょっとして、夢を見ているのだろうか。
拘束されている手を強く動かせば、ぶちぶちと何かが千切れる感覚があった。
瞬間、けたたましい警戒音がなる。
さらに手を動かせば、手にまとわりついていたものが外れる。
自由に動かせるようになった手で顔に触れてみると、硬質な何かの感触が返ってきた。これは、マスクだろうか?
そのマスク状のものを勢いよく剥がせば、眩い光が網膜を焼いた。深夜に突然強い光を見たときのような視界不良に陥る。
しばらく目を瞬かせて視界が晴れるのを待つと、自身が透明な筒状の容器に閉じ込められているのが見えた。
やはり、これは夢に違いない。
映画やアニメに出てくるような、人体実験を行う怪しいカプセルそのものだ。そんなものに僕は閉じ込められている。
ふと思い至って、容器の壁面に触れて軽く押してみた。軽く押しただけ。たったそれだけで、容器が粉々に吹き飛ぶ。
これが明晰夢というものなのか。体を全能感が満たしている。
僕を覆っていた謎の液体が一気に外へ流れ、アラートが先ほどよりも大きく聞こえるようになった。キンキンと頭に響く音だ。
うるさいな……
そう思考すれば、パチリという音と共に警戒音が止んだ。
周りを見渡してみると、真っ白な壁の研究室風の部屋に大量の円筒が並んでいる。これは、僕が入っていたものと同じものだろうか。
男心くすぐられるその様に、夢だと分かっていてもどこかワクワクする。
ただ、円筒の中は何も入っていない。どうやらこの中に入っていたのは僕だけだったようだ。
そんな風に辺りを観察していると、奥の方にあった鉄製の大きな扉が大きな音を立ててスライドした。
なんだろうと思い目を凝らしてみると、開いた扉の奥から大量の人間が中に入ってきた。
なんだかSFチックな外見をした妙な集団である。
真っ白なアーマーに全身を固めており、顔の見えないその集団に気圧される。その手にはライフル銃のようなものが構えられているのが見えた。
その異様な雰囲気に、僕は一歩後ずさった。
夢だとしても、こうして突然銃を持った人が大勢現れるとびくついてしまう。
先ほど砕け散った容器の破片を踏んで、ジャリジャリと音がなる。
──それを合図にしたかのように、一斉に何かが僕の元へ飛来した。
チクリと痛みを感じ視線を下に向けると、小さな注射器のようなものが大量に体に突き刺さっている。真っ白で平坦な体に。
「は?」
思わず声が漏れた。その高すぎる声もまた、驚きを増幅させるものだった。
なぜか全裸になっていることは良いとして、股間にはあるべきものがない。しかもなんだこの小さな体は。
その衝撃に呆けているうちに、さらに注射器が飛んでくる。そのチクチクと刺さる痛みで我に返った。
『A01に麻酔は効かない。殺処分せよ』
顔をあげると、アナウンスで物騒な言葉が聞こえてくる。今殺処分と言っただろうか?
ガチャガチャという音と共に、目の前の集団が銃を持ち替える──アサルトライフルに。
ひぅっと喉が引き攣り体が硬直する僕に、それが一斉に向けられた。
次の瞬間、感じたものは猛烈な『熱』だった。
大量のマズルフラッシュが見えると同時に、体を無数の弾丸が撃ち抜く。
何が頭を通り抜ける感触と共に左の視界が真っ暗になった。
バチリと、頭の中で何かが弾ける。それは、思考を焼き尽くす閃光の如き痛みだった。
痛い、痛い、痛い痛い痛いいたいいたいいたいいたいイタイイタイイタイイタイイタイイタイいいいいい!!!!!!
なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで
恐怖と痛みで思考がぐちゃぐちゃになり、自分の血肉で足を滑らせて腰を打ちつける。あたり一面に赤い液体と体組織が飛び散る。
ただ痛みにのたうち回るしかない僕に、鉄の雨は容赦なく降り注ぐ。そこに一切の感情、躊躇いも込められていなかった。ただ、無慈悲に、害虫を駆除するかの如く、僕の体を蹂躙し続けた。
銃弾が体を破壊するたびに、べちゃべちゃと嫌な音を立てながら血肉が舞う。そのあまりの痛みに正常な思考もままならない。
半狂乱になって、半ば無意識に手を前に出して体を庇った。
身体中が熱い。熱くてたまらない。焼けるような熱が身体中を駆け巡っている。一体僕が何をしたっていうんだ。なんの罪を犯して、こんな仕打ちを受けているというのか。
何が起きているのかも把握できず、ただ蹲ることしかできない。
そうして蹲っていると、いつの間にか降り注ぐ銃弾が止んでいることに気づいた。いや、銃声は聞こえるのに、体に着弾する感覚がない。
目を開けると、体を半透明な球体が覆っていた。バリアのような見た目だ。それが銃弾を防いでいる。
もうわけがわからなかった。身体中が痛くて、こんなわけのわからないファンタジーを見せられて。これは夢ではないのか。
……逃げなきゃ。
痛みの中でも、とにかくその思考だけは働いた。いや、こんな状況だからこそ生存本能が刺激されたのだらうか。恐怖でガタガタの足を動かしてなんとか立ち上がり、不格好に走る。とにかくあの集団から離れる方向に。
だが、当然こっちは行き止まりだった。壁しかない。あちらに扉があったのだからこちらから出れるわけがなかった。
やけになって壁を殴りつけると、轟音と共に大穴が出来上がる。その様子に、それを為した自分でも驚く。不思議なことに、この破壊の反作用を受けるはずの拳は全く傷んでいない。先ほどの銃撃で出た血に濡れるのみだ。
薄々気づいていたが、どうやらこの体は随分と人間離れしているらしい。
そうして壁を壊したはいいものの、穴の奥には土の壁しか見えない。ここは地中にあるというのか。
──なら、壊すべきは上だ。
なんだかいけるような気がして、腕を天井に向けて振るう。すると、狙い通りに天井が崩壊した。ついでに瓦礫をあの集団との間に飛ばして壁を作る。火事場の馬鹿力とでも言うのだろうか。本能的にこの力の使い方がわかった。
もう一度手を振るえば、凄まじい音と共に真上に4メートルほどの穴が空く。これが風圧によるものなのか、不思議な力によるものなのかはわからない。ただ、綺麗に円状に抉れている。
穴から覗くのは、真っ黒な夜空。そこに浮かぶ星々が、今は希望の光のように見えた。
アドレナリン全開で体に鞭を打ち、痛みを無視して壁をよじ登る。
凄まじい握力、膂力だ。壁に指をめり込ませて簡単に登ることができる。もしかしたらジャンプすれば容易く穴から脱出できたのかもしれない。
穴から出ると、そこは山の中だった。山の地下に怪しい研究室を構えるなんて。以前に見たフィクションそのものだ。思わず乾いた笑いが込み上げてくる。
周囲を見渡すも、木々に視界を阻まれてどっちに進めばいいのかもわからない。
取り敢えず直感に従って適当な方向へ走りだした。とにかくこんな場所に長居はしたくない。
いまだに何が起きているのか全くわからないが、体に走る痛みが、これが現実であることを告げている。
走って、走って、走って。
一体どれくらい走っただろうか。ようやく人の手が入った道を見つけた。
なんの目標もなく走っていた僕は、取り敢えずその道に沿って走ることにした。
これだけボロボロなのに走り続けられるこの体がなんなのかわからない。けれど今はその疲れ知らずの肉体がありがたかった。
道を辿っていくと、やっと山の出口のような場所が見えてくる。
ついに、木々だけの視界か晴れ、田んぼと民家が見えた。それに安心して思わず足を止める。後ろを振り返るも、特に何かが追ってきているような気配はない。
流石にこんな民家があるようなところで銃を乱射してきたりはしないだろう。きっと。もし見つかったとしても先ほどのようにはならないはずだ。
ほっと胸を撫で下ろす。ひとまずは大丈夫そうだ。
少し安心してしまったが、一体これからどうすればいいのだろうか。
警察に保護を求めるべきだろうか。いや、こんな格好だ。真っ先に病院に連れて行かれ、この異常な体がバレる。そうすればその先どうなるか全く読めない。実験動物エンドにはならないと思いたいが。何せあんな謎の研究施設がある地域だ。本当に他者を、国家を信用していいのかわからない。
もしかしたら、あれは国が秘密裏に研究を行う場所である可能性もある。
そもそも急にこんな体になって、ここが僕のよく知る日本なのか非常に怪しい。先ほどのアナウンスから、日本語が使われているのはわかったのだが。
本当に、どうしようか……
そうして悩んでいる内に、ふと一つの民家が目につく。真っ暗な中で一軒だけ2階の明かりがついている。
……そうだ、どこかの家に寄生するのはどうだろうか。誰か理解のある人に一旦匿って貰えれば、しばらくは落ち着くことができる。そこから現状を打開する方法を考えれば良い。
そうと決まれば善は急げである。早速例の明かりがついた民家へと向かった。
今更になって、アドレナリンが切れたのか痛みが戻ってくる。ていうか、どうしてこんな体でまだ生きているのだろうか。怖くて確認できていないが、確か頭を撃ち抜かれはしなかっただろうか。いまだに左目は何も映していない。意識したらまた痛みがやってきた。
まぁ、この不思議ボディのことは後で考えよう。
目的の家まで着き、立ち往生する。何も考えていなかったが、インターホンを鳴らして玄関から入るというのはなかなかによろしくない気がしてきた。速攻で警察を呼ばれることだろう。そもそもこの格好を見て叫ばないわけがないし、そうなると周囲の民家にも聞かれて非常にまずい。
目を凝らしてみれば、表札には『坂本』の文字。やはりここは一応日本ではあるのだろう。
明かりがついているのは2階のみ、1階は完全に消灯されている。この家の大きさから見て、住んでいるのはおそらく1人ではないだろう。あの二階の住人以外とは接触したくない。あまり多くの人に見られるわけにはいかない。
少しだけ考えて、非常に脳筋な戦法で行くことにした。
そこらへんで石を三つ拾い、手の中で転がす。狙いを定めて、優しく2階へ向かって投げた。窓を割らないように、少し横に当てるよう注意する。
完璧なコントロールで、狙った場所に石が飛んでいく。この体は精密動作性も高いらしい。
3度カチカチと音を立てて壁に当てると、しばらくして窓が開かれた。
──そのタイミングを見計らって、勢いよく窓枠に飛びつく。常人離れした身体能力は、2階程度の跳躍は容易く可能だった。
「うわぁ!!! むぐ……!」
窓から中に押し入ると、そこには目を大きく見開いた青年が1人。大きく
「静かに……お願いだから、声を出さないで」
いまだに自分の声に慣れないながらも、静かに彼に呼びかける。
「君に危害を加えるつもりはないんだ。……お願い、少しで良いからボクを匿って」
わけのわからないと言った顔をしながらも彼は僕の腕を掴んでもがく。
僕の外見に反して、その手がピクリともしないことに驚いたのだろうか。その動きがピシリと固まった。
それを見て、再度叫ばないように忠告し腕を離す。意外にも彼は静かにそれを受け入れてくれた。
思ったよりも早く冷静になってくれた彼は、神妙な顔で口を開く。
「何が何だかわからないけど…………まずは服を着よう」
それが、これから長く奇妙な共同生活を送ることになる彼、坂本優斗との出会いだった。
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