AI「死にます」僕「やめて」から始まる、英雄になるための物語 作:霧夢龍人
足元を照らすのは、壁の亀裂から漏れ出た光。
淡い青と柔らかな赤色が溶け合い、脈打っている。見方を変えれば、まるでこの空間が“心臓”みたいだ。
壁を伝い落ちていく雫の音。普段なら聞こえない筈のそれは、僕と目の前の女の子の間を静寂が支配してることが分かる。
めっちゃ気まずい。
(ねぇ、こういう時どうすればいいと思う?)
──童貞か?黙って歩け。
……ふぅ、危ない。僕は冷静を欠こうとしていた。
敗北者達に、女の子との会話のお手本を聞こうとした僕が間違っていたみたいだ。
あと訂正させて貰おう、僕は童貞じゃない。
けれどこの状況は童貞だろうが非童貞だろうが、気まずくなってしまうと思う。
裸の女の子が光を反射するような綺麗な白髪を腰まで伸ばし、ツクリモノめいた美しい顔をしている。身長は僕と同じくらい。
しかも裸だ。
何度でも言おう、裸なんだ。
視線の置き場に困って石像みたいになった僕は、少女に問いかけた。
「……ねぇ、君は何者なの?」
その問いに少女は一度だけ瞬きをした。まるで、その動作そのものを“処理”するように。
洞窟のような
「定義、観測装置。正式名称はEmotional Vector Administrator──
私は、あなたの存在を観測し、記録し、報告する機構です」
「えもーしょなる……なに?えっと要するに、人間じゃないってことでいいの?」
「その解釈でも問題ありません」
彼女の声は、風のない部屋に響く機械音のようだった。
冷たいのに、どこか澄んでいて。
聞いていると、体温が奪われていく気がする。
「……僕を観測か。そんなことしても、きっと意味なんて無いと思うよ」
「否定します。私は“知る”ために造られました。貴方の観測事象に意味があるかどうかは、私が判断するわけではありません。
あくまでも私は記録者。それ以外の目的は設定されていません」
彼女は──イヴァは無表情のまま、わずかに首を傾げた。人間の仕草を真似ているようで、どこか不自然。
けれど、壁の隙間から僅かにこぼれる光が少女の頬を照らす度、生気を感じさせる顔色が影を落とした。
「ふぅん。ていうことは、君は魔性遺産が作り出したナニカってことか……けど君、僕を殺そうとはしなかったよね。
普通なら、魔性遺産の中の異形を倒してる僕は君たちの敵になるはずなんだけど。もしかしてそれも、観測のため?」
「はい。監視対象が死んでしまっては、困ります」
「急に重いなぁ。もしかして僕の事を気に入ったとか?」
「違います。観測するためです」
即答だった。
その淡々とした響きに、思わず吹き出しそうになった。
───静寂。
イヴァの視線が、僕の手に残るナイフを映す。
その目には興味も嫌悪もなく、ただ“記録する”だけの冷たさがあった。なるほど、確かに記録者だ。
冷たさに溢れる視線からは無機質で何も感じない。けれど、それなのに──どこか見られている安心感があった。
「ねぇ、君は怖くないの?僕みたいな奴って夢喰らいって言うんでしょ?もしも僕がイヴァなら、怖がってると思うけど」
「……怖がるという感情の概念は、私の動作範囲に含まれていません」
一拍。
壁を伝う雫の音が少し、遅れたように聞こえた。
「……ですが、“興味”はあります」
僕は一瞬、息を詰めた。
その声の抑揚は、ほんのわずかに低くなっていた。
「興味、ね。僕の何に?」
「あなたは“夢を喰らわれてなお夢を見る”。理論上、あり得ません。それ故に私はそれを──観測したい」
淡々とした声。
けれど、その奥には確かに微かな熱が宿っていた。
僕は小さく笑う。
「へぇ、いいじゃん。観測でも監視でも、好きにすればいいよ。どうせ、僕一人じゃここを出られないからさ。道案内でもしてくれたら助かるんだけど」
イヴァは僅かに沈黙した。
ほんの一拍の間。
その“間”が、妙に人間らしさを醸し出している。
「……了解しました。同行を開始します」
「やったね。可愛い女の子が加入だ」
「可愛い、という概念は理解できませんが、あなたがわたしに同行を求めていることは理解出来ます」
「……君、本当は感情あるでしょ?」
「変数が多いだけです」
「なるほどね。ところで道案内は?」
「不許可です」
「む、協力型NPCじゃないのか」
「私は観測者です。あなたが死亡した場合も、記録の価値は残ります」
「いや怖い怖い!あとちょっとで保険会社みたいなこと言い出さないよね?」
返ってくる言葉は無機質で、正確で、でも───どこか少しだけ温かみを感じた。
外の世界ですら感じなかった熱が、魔性遺産で得られるなんて。
管理AIとかっていうよく分からない存在を前にしても、驚きや恐れよりも嬉しさが勝ってしまう自分がいた。
足音が二つ、灰色の回廊に反響していた。
魔性遺産の壁は生き物のように脈打ち、そこを流れる光が血液のように流れていく。
湿った空気は重たく、呼吸するたびに金属と土の匂いが舌の奥に残った。
イヴァは僕の少し前を歩いていた。
白い髪がほのかな光を反射し、冷えた空間の中でひと筋の炎のように揺れている。
その歩幅は正確すぎて、まるで“測ったように”均等だった。
もしイヴァがメトロノームなら、僕はリズムのズレたカスタネットかな。
……いや、うん。
何を言ってるんだろうって自覚はあるんだよ。
でもこうやって現実逃避しないといけないっていうか、ツッコんで良いのか分からないって言うか。
……聞くか。
「ねぇ、ひとつ聞いてもいい?」
「どうぞ」
「さっきから何してるの?」
イヴァは歩きながら、指先を小さく動かしていた。
その指の軌跡に、淡い光の線が残る。
「あなたの歩幅の平均値を測定しています」
「……え、なんで?」
「観測精度の向上のためです」
「それ、そんなに大事?」
「はい……おそらく」
少しの間。
“おそらく”の部分が小さすぎて、聞き逃しそうになった。
歩きながら、僕は少し笑った。
僕が何度か問いかけるたび、彼女はバカ正直に律儀に答えてくれる。ただそれが“妙にズレてる”から、何だか拍子抜けするのだ。
「君みたいな管理AI?でもそんな曖昧な言い方するんだ」
「データが不足しているだけです。判断を保留するのは、間違いではありません」
「なるほど、真面目なんだね」
「……」
返事はない。
でも、イヴァの歩調がわずかに遅れた。
その一瞬の“遅れ”が、なぜか人間的に見えた。
「……あの」
「ん?」
「あなたは、よく笑いますね」
「そうかな。たぶん、笑ってないと怖くなるから」
イヴァは首を傾げる。
その仕草も、前より少し自然になっていた。
「恐怖の回避に、笑いが有効なのですか」
「うん。少なくとも僕はそう思うよ」
「なるほど、興味深い……」
「君も試してみたら?例えば深呼吸とか」
「呼吸という行為は、私の動作プロトコルに存在しておりません」
「えー、残念だなぁ」
「ですが、学習することは可能です」
その声はほんのわずか、柔らかかった。それに気づいているのか、いないのか。
イヴァはそう言うと、また何かを記録する仕草を見せた。そして、小さく息を吐いた───ように、見えた。
「今の、何?」
「排熱です」
「……へぇ、ほんと?」
「おそらく」
「そっか。便利だね、その言葉」
思わず、また笑ってしまう。
その声に反応するように、イヴァの視線がわずかに揺れた。
彼女は無表情のまま、静かに言った。
「あなたの笑い声、悪くありません」
「えと、ありがとう?初めて言われたよ」
「感謝は必要ありません。評価ではなく、記録です」
「そっか……でも、ありがとう」
また沈黙。
二人の足音だけが、続く。
それでも──なんだかさっきよりも、“静かさ”が柔らかくなった。そんな気がしたんだ。
「あっ!そうだ、これ。忘れるところだった」
隣を歩くイヴァの背中に、僕の肩にかけていた上着を着せる。これで少しは目のやり場に困ることもない。
「なんでしょうか、これは」
「そんな格好じゃ危ないからね。とりあえず今はそれを着といてよ」
「理解できません。私には不要なものです」
「……頼むから着てくれない?僕にとっては必要なんだよ」
ため息と共に零れた声は、冷たい空気の中に解けるように消え、やがて規則正しい足音と辿たどしい足音だけが響いた。