ある日の休日、マルコ、トーマスと他愛ない話をしながら広場を歩いていると、遠くにジャンの後ろ姿が見えた。丁度出身の話をしていたところだったので、彼も交えて話そうと思いたった。
「おーい、ジャン!」
ジャンはびくりと体を震わせ、こちらに向き直る。だが、右手を後ろに隠している。
「どうしたの?」
歩きながら訊いてみる。だが、
「お、おうお前らか。どうしたんだ?」
と返事は帰ってくる。頬はわかりやすくこわばり、眉もひくついている。おまけに冷汗までダラダラ掻いている。
「いや、本当にどうしたの?お腹でも痛いの?」
「い?あいや、別に何もねえぞ?」
「その後ろに隠してる物も何もないの?」
「ああ。ああ何もないぞ。ただ、気まぐれで右手で背中を掻きたくなっただけだぜ。おおう。」
「ジャン、もう観念したらどうだ。」
しつこく問い詰める私を諫めるためか、トーマスが割って入る。
「また手紙、貰ったんだろ。」
「トーマス、お前!」
「手紙?」
「そうだ。焦り方からして、ジャンの母さんからのだろうな。」
「ジャン。本当なのか?」
「・・・ああ。その通りだ。」
ジャンは観念したか、顔を伏せ、屈辱を受けているかのような表情を浮かべている。家族からの手紙で、そんなに嫌な顔をするものなのだろうか。
「もしかして、仲が悪いとか?」
「・・・お前には関係ないだろ。」
「ジャン、それはないんじゃないか?」
マルコも横やりを入れてくる。
「聞きたがってるんだから答えればいいじゃないか。」
「うっせ!てめえら、俺の事情分かってんだろ。そう簡単じゃねえってこともよお!」
「いや、簡単だろ。」
深刻なジャンの表情とは対照的に、マルコもトーマスもやや呆れた顔だ。
「じゃあ、二人が説明してくれる?」
「ああ。コイツがトロスト区出身なのは知ってるな?」
「確かトーマスも同じ所の、」
「うん。こいつ、家族と仲が良くってな。」
「うんうん・・・うん?」
「特に母親と仲が良くって。”ジャン坊”だなんて呼ばれてたっけな。だよな、マルコ?」
「うん。ジャンは結構、僕には相談してたな。僕はジエナ町出身だけど。」
「だああああああ!!トーマス、なんで言うんだよ!人がこんな顔してんのに!」
マルコに相談してたのは、おそらくウォール・ローゼの内地でありながらも、ジャンの噂を知らない程度のほどよい内情を持つ人だったからだろう。
だが、トーマスというジャンと同郷の人間とで、ワケの知り具合の差からボロが出てしまった。
「どんなっていつもの馬面だろ?んで、その母ちゃんが心配して、こいつによく手紙を送ってるんだ。今日はたまたま出くわしてしまったみたいだな。」
「そりゃそうだろ!いつもてめえらに見つからないようコソコソ受け取ってんだからな・・・ってオイ!なんで俺まで自白してんだ?!っつーかマルコもペラペラ喋んじゃねえ!」
「え?でも、結構本気で悩んでたから、他の人も交えて話そうかなって───」
ジャンがよろよろ歩きながら、マルコの両肩を左右から掴む。そして、
「・・・うな。」
「え?」
「もう誰にも話すんじゃねえって言ってんだ!!いいな!!」
「あ、ああ。わかったよ。」
「トーマスも!!いいな!!」
「お、おう。」
二人はしおれて、おずおずと去って行った。
「・・・んで、お前も誰にも話さないって約束しろ。」
「それは構わないけど、なんでそこまで隠す必要があるんだ?」
「あ?」
「だって家族の仲は良いんだろ?」
「おう。」
「喧嘩して飛び出して来て訓練地にやって来たとか?」
「そんなんじゃねぇ。」
「じゃあ隠さなくてもよくない?」
「ダメなんだよそれじゃあ!」
「ジャン坊って呼ばれるの、そんなに嫌か?」
「てめえ・・・。」
「悪かった悪かった!呼ばないからその顔やめてくれ。怖いから。」
馬術の時間に、たまたま引き当てた暴れ馬を思い出すような顔をされたらひるむ。
「・・・それで、”ジャン坊”って呼び名が広まってほしくないから、ずっと隠してた。それで合ってる?」
「ああ。」
「やっぱり理解できないな。そんで親に手紙も返していないなんてさ。」
「お前にもわかるだろ?親いるんだから。」
痛いところを突かれた。
「あー・・・いないんだ、もう。」
「あ。」
ジャンも何かを察した。私がシガンシナ区出身なのはもう知りえたものだ。そして、そこから来た人間が、どういう過去を持つのかも。ジャンからつい飛び出た甘えの言葉が、図らずも私の過去に突き刺さってしまった。彼は顔が青かった。
「そういう年頃ってやつだよ。あー、あれだよあれ、思春期ってやつ。そうだろ?ジャン?」
いつの間にか、ユミルが私の肩にもたれかかっていた。ジャンの顔面は蒼白だった。
(なんだ、そっちが青くなった理由か。)
不意に現れた、一番ばれたくない奴にばれたかもしれない。その危惧は、ジャンを瀕死に追い込むには充分すぎた。
「・・・おまえ、どこまで聞いた?」
「はあ?聞いたも何も、こいつの背中がちょうどいいからよりかかりに来ただけさ。んで、なんの話をしてたんだ?」
「お前にゃ関係ねぇだろ?」
「おお?関係ねえとくりゃあますます聞きたくなった。話せよ。」
「クソっ・・・。」
ジャンは直情的な人だ。エレンやコニーのように、わかりやすい。それゆえに彼女の話術には簡単にノせられてしまう。一年こき使われて、彼女のやり方は大体わかった。ワケありみたいだから、今回はジャンの味方をする。
「家族の話だよ。ジャンが手紙、返したくないんだってさ。」
「ふーん。んで、仲いいの?」
ユミルは少し猫の手で爪を眺めたあと、ジャンに問う。私に寄り掛かったまま。
「あ、ああ。」
「そう。・・・・・・。」
ユミルは少し空を見上げた後、またジャンに言った。
「じゃあ返してやればいいんじゃねえの?」
そう言って、彼女は私の肩から離れ、去って行った。
「・・・詮索してこなかったな。」
「ああ。あいつにしちゃ、俺の手紙のネタは格好の餌だ。けど、あいつ何もしなかったな。」
「ああいうときは大概私に用事があるんだけど、・・・空気読んだのかな?」
「さあな。」
二人きりになって、休日の往来の声が聞こえてくる。とはいえ、働く者たちのゆとりの時間。うるさくもなく、静かでもなく、だが、二人で話す声が通る程度のざわめきがあちらこちらから聞こえてくる。
家族、家族か・・・。
「・・・あんまり、思い出せないな。」
「なんのことだ?」
「親のことさ。」
「ああ、お前にゃ、下らん意地に思えるんだろうけどよ、とにかく、返事を出す必要なんかねえよ。俺と母ちゃんの関係は、そういうもんなんだ。」
「いずれ、そういうもんじゃなくなるぞ。」
懐の左ポケットから、手記を取り出す。
「お前、それ、見つかったんだな。」
「ああ。だが、こいつには開拓地でのことからしか書かれていない。」
「開拓地って、今から三年前のことか。」
「そうだ。毎日つけてるわけじゃないけど、それでも、まめに書いてたつもりだ。・・・だけど、やはり忘れてしまうんだ。そこからさらに昔のことなら、なおさらだ。」
「・・・・・・。」
ジャンは静かに、私の話を聞いている。私は、手に持った手記を、少しもたげる。
「こいつは、二冊目なんだ。」
「なんだって?」
「本当は、シガンシナで暮らしていた頃にも、手記は書いていたんだ。それを、陥落の日に置いて行かなければならなかった。少しでも人を多く乗せるためにね。」
「そいつぁ・・・。」
「答えに迷うのも仕方ない。けど、私はあきらめていない。」
「・・・。」
「故郷を取り戻して、あの手記を見つけて、忘れかけているあの日々を思い出すんだ。覚えておきたいんだ。」
「なんでだ。なんだってそんなことを俺に話す?」
「君の秘密を知ったからさ。これで対等だ。そうだろ?」
「・・・ハッ。だからって俺の気持ちは変わんねえからな。母ちゃんに返事は書かねえし、お前も秘密は漏らすな。いいな。」
「わかったよ。」
うまく言えたかはわからない。ジャンは落ち着いたのか、歩いて去って行く。私が彼に言ったことはまた事実だ。三年経って、少しずつ、大切な思い出が零れ落ちていく。だが、あの巨人への怒りだけは、消えない。
ジャンだって、憲兵団に行くからって巨人と戦わない保証なんてない。母との思い出を、今やってることを、きっと後悔するだろう。だが、私がそこまですることでもないのだろう。
昼下がり、少し彼の秘密を知った日だった。そして、ユミルが珍しく、おとなしい日だった。