今回で『彼』は原作主人公の一人と出会う。
─1─
ここは、ウォール・ローゼ内の避難民の区画だ。
あの後、船で川を北上し運ばれた私たちは、シガンシナ区とは比べ物にならないほど狭い区画に押し込められ、食料の配給を待つ日々を過ごしていた。
人類は領土のおよそ3分の1を失い、1万人余りの死者を出した。ウォール・ローゼに押し寄せた避難民の数は尋常ではなく、損失した領土に対し、食料は十分に賄うことはできなかった。配給は人数分には届いておらず、わずかな食料の確保のために、口論や暴力沙汰が頻発した。
争いに勝てなかった者は、争う必要もない、さらに弱い者を狙う。列に並び、ようやく食料を手にした私は、列を外れるが早いかすぐに大人に殴られ、そのまま配給を奪い去られた。上記の情報も、私が出遅れ、列の最後尾でおとなしく配給が眼前で途切れるのを幾日か味わってから得たものだ。
鳴りやまない腹の音と、病気とは明らかに異なる腹痛、そして出続けるあまり濾されて塩味まで感じた唾液の不味さを覚えている。石畳に薄い藁を敷き、布切れ一枚で震えながら、眠れぬ夜を過ごした。
初めは規範の順守のため、憲兵が取り締まることもあったが、やがて噴出する不満の量に辟易してか、起こる諍いへの介入も唾棄するようになった。あまつさえ無力な私たちを穀潰しだと罵るようになった。避難民への風当たりは少しずつ強くなっていった。
両親の死を悼む暇も、ここでは許されていなかった。
避難民の中には私と同じくらいの年頃の子どももいたが、親を喪いだだ泣き続けるもの、反対に避難という行事の物珍しさからか、どこか楽しげで絶望を知らないもの、ものもいわずただ屋内で壁を見つめ続ける者もいた。それぞれの悲哀を抱え、それぞれが無知のままであった。
だが、私は諦めなかった。子どもであれ足掻けばそれなりの力を出せるものだ。靴磨きや掃除、一般家庭の煙突の煤払いなどなどで日銭を稼ぎ、新聞を買って世相を確かめた。ここはとにかく情報が少ない。
漫然と停滞したように感じるこの状況は、とにかく鬱屈としている。いつまでもここを脱せないかのような焦燥は私を追い込み、なにか報せを得ねばおかしくなりそうだった。悲報ばかりだったものの、気を紛らわす程度には役立った。だが人が増えるだけでは、雇用が増えるわけでもなく、やがて仕事のあてもなくなり、再び貧しい生活に戻ってしまった。
幸か不幸か、私たちを憐れむ市民もいた。貧しい子どもへのわずかな慈悲か、区画に忍び込み、パンや芋を差し入れる者もいた。私はそのおこぼれにあずかっていたが、ある日粗野な避難民にバレてしまい、集団で暴行を加えられた挙句に惨殺された。数日にわたり犯人探しが行われるも足はつかず、私たちへの疑義が強まり、肩身はさらに狭くなった。
避難生活が始まってからおよそ2ヶ月が経ったころ、王政が領土の奪還を提唱するお触れが、新聞に載ることになる。賛同者を募り、兵団と避難民を混合した大規模な軍団を組織し、物量で巨人を殲滅する、というものだった。
こどもの私にもわかった。この作戦での領土奪還は不可能であると。発令を受け、民衆の間ではどよめきが起こった。この作戦は明らかに、ウォール・マリアから避難してきた多数の市民を動員するであろうことは、想像に難くなかった。わかりやすく態度に表す者はいなかったものの、避難民という厄介者どもを一掃するという事実に、壁内の民草は湧き上がっていた。
私は恐怖した。子どもである私も、参列するかもしれないことを。
845年の夏、作戦は決行された。数多くのウォール・マリアの避難民や失業者等を引き連れ、兵士たちは後退した壁の外へと向かった。子どもは連れていかれなかった。私は助かったのだ。しかし、避難区画は恐ろしく静かになった。
夜になり、つい昨日まで誰かが使っていたであろう毛布をかぶり、私は床に就く。
子ども達だけになった区画を誹る大人たちはいなかった。がしかし、子どもであれ、壁内の物資を消費し、無力であることについては、眉を顰められた。避難生活が始まってたった4ヶ月だった。毛布が増えても鬱陶しい季節のはずなのに、とてつもなく寂しく、心細く、寒かった。
しばらくして、作戦の結果が通達された。
25万人。人口の約2割を投じ、その成果は皆無。その報せは、結末を確信しきっていた私たちには希薄な文言だった。生存者はほぼおらず、そのごくわずかな生存者も、心身を喪失し廃人同然の者、身体のほとんどを失い、身寄りも無いため朽ち果てる外無い者だけであった。
もしも私の父さん、母さんが生きていたとしても、この作戦で死んでいた。
その可能性が、この状況の不変ぶりを示していた。
私は茫然としながら、ただうつろな目で区画内をとぼとぼと歩いていた。もはやこの現状にじたばたもがくこともできなくなっていた。
これでは、もはやどうにもならないではないか。
「うぐっ……ひぐっっ……」
曲がり角を曲がったところで、私と同い年くらいの金髪の子どもが、膝を丸めて泣いていた。
……これまで泣いていた子どもは何人も見てきたはずだが、なぜか私は、その子どもに声を掛けていた。
「……どうしたの?」
その子どもは泣くのをやめ、泣くのを見られたことを咎められたかのような怯えた目を一瞬だけ見せた。だが見知らぬだれかであると確信したからか、すぐに泣くのをやめ、目元を拭い、やや鼻の詰まった声で答える。
「何でもない。君こそどうしたの?」
子どもは言葉を発するも、その物言いがやや敵意を含んでいたものであることに気づいてか、少年はすぐに伏し目になった。
「君の名前は?」
私はとりあえず、この子どもが何のために泣いていたのかは訊かないことにした。もうわかりきっていた。この世には辛いことがいくらでもあることくらいには。子どもなりに、解を出した。
「僕の名前は、アルミン・アルレルト。君の名前は?」
少年が答える。ならば私も答えなくては。
「私は───」
自分の名前を答える。今は、きっと、これだけで十分だ。
─2─
「そうか。……君も避難してきたんだよね?」
「うん。そうだ」
だが子どもは、その人の機微とやらを、肌感覚で理解できても、好奇心が勝ちたがる。
「さっきはなんで泣いていたの?」
私はふたたび理由を聞いた。今となっては、それで関係が破綻したかもしれない。なんとも危ない橋だ。
「……他の人に、見られたくなかったから」
アルミンは答える。
「友達のこと?」
私はさらに問う。
「そう。エレンとミカサっていってね。僕はいつも泣いていた。だけど今日だけは、今日だけはどうしても見られたくなかったんだ」
エレンの名を聞いて、私はシガンシナ区での日々を思い出してみる。思い出すついでに、アルミンの隣に座りこむ。
「エレン。エレンかぁ……。聞いたことがある。確か区内の悪ガキに突っかかっていってたような……」
「そう、その人のことだ」
「そうか。さぞ怖いやつなんだろ?泣くのを見られたくないってのはそれか?」
「うーん。いや、そのような……そうじゃないような……」
アルミンは答えあぐねていた。やはり、答えたくないような理由なのだろう。
「嫌ならいいんだ。その、私もその日については、言いたくないこともあるし」
なぜこんなことができただろうか。今となってはつらい記憶のハズなのに。彼が聞き出したからなのだろうか。子どもにしては、何かがうまくいったような気がした。
「いや、僕の方こそ……」
「いや、私だって……」
お互いがお互いを庇いあう、変な問答が続く。しどろもどろになり、もつれた。
若干気まずくなったところで、アルミンが座ったまま空を見上げる。
かなりの時間が流れた。無言のなか、アルミンはこぼす。
「……ありがとう」
「へ?」
突然礼を言われ、私は戸惑う。何もそれらしいことはしていないからだ。
「なんだか決心がついたんだ。だから、ありがとう」
その決心がなんなのか訊きたくなったが、やめにした。なんとなく、
「君とは、またどこかで会えそうな気がする」
それで、この場はお開きとなった。
私に背を向けて歩き出すアルミンは、どこか吹っ切れた、だが危うくない表情を浮かべていた。
それ以降も、日を替えてアルミンを見かけることはあったものの、碧色の瞳を持つ少年ともう一人、黒髪にマフラーを巻いた少女と一緒にいた。私は何故か気まずく感じ、結局ある日まで、彼らに話しかけることはできなかった。
そう、847年に、私が訓練兵団に入団し、恐ろしい形相の教官に決意を表明する、その日まで。
冷える開拓地での日々を越えて。