─1─
カラネス区から出発し、南へ壁沿いに少し駆ければ、空が赤みがかる。次に壁を離れて西へと向かう。私達の目的地は、まず壁の内側であることは分かった。
「到着が翌朝になる」と分隊長が言っていたからか、てっきり夜通し馬で駆けることになると思っていたが、現実はそう過酷ではなかった。互いの顔が見えなくなる前にランタンに火を灯け、馬を降りて森の中を数刻ほど歩いた後、私達は立ち止まった。
私は手綱を担当していた荷馬車を止める。
「今夜はここで夜営だ。明日に備えるぞ。」
「了解!」
「エレンは動くな。それと新兵、勝手がわからねぇだろうから見て覚えろ。」
「はい!」
「……。」
オルオとペトラは荷馬車から班員4人分《・・・》 の寝袋を用意し、エルドが火口と薪を取りに離れ、グンタが調理器具と食材を、用意していた。一方兵士長は班員の準備を尻目に刃を抜いて、エレンを見張っていた。エレンはすごすごと、審議所での時のように跪く。
「あ、あの…。」
「なんだ?」
「いえ、別に何も…。」
エレンは兵士長に何か訊きたかったようだが、言い方にまごついているようだ。
ならば、まずそこを訊いてみたい。
「リヴァイ兵士長、質問が。」
「なんだ?」
「なぜエレンをあの時…法廷で蹴ったのでしょうか?」
「…エルヴィンの指示だ。」
「演出の関係で、だってさ。団長が手札を切るための。」
エレンが詳しく答えてくれた。やはり、アルミンの予想は当たっていたようだ。
「なら、これもまた演出なのでしょうか?」
夜光に反射する兵士長のブレードを訝しみ、見つめながら訊く。
「いいや。お前もあの場にいたから分かるだろうが、コイツが暴走、あるいは反抗したときには、殺すしか方法が無え。さらにいつそうするかも分からねぇときた。ならこれが最善な方法、という訳だ。」
彼がブレードを向けているのは、エレンを殺すためだった。審議所の結果では、エレンの調査兵団の入団は認められたが、彼の行動の動機や、巨人化についての謎は判明していない。
判決で一命は取り留めた筈だ。彼らに敵意が無いことも理解している。でも、今後の行動次第で、それは簡単に覆ってしまうのだ。
「兵長、火の準備が出来ました。」
「ご苦労。交代だ。」
「了解。」
今度はオルオとペトラが刃を抜き、エレンを見張る。グンタとエルドが料理を受け持ち、兵士長は手頃な木々を組み合わせて、地面から浮かせたすのこを作っている。
「…未だ信じらんねぇな。この卒業したての新兵が巨人になれるっつーのはおいおい訊くとして、なんで新兵まで巻き込んでんだ?ハンジ分隊長の意図は、理解しかねるね。」
「オルオ、分隊長を疑うと言うの?」
「あの変人を信用する方がおかしくねえか?いくら新兵が巨人に興味がありそうだからって、まだ経験もほぼねぇ内に新兵を俺達と組ませるなんざ、ありえねぇだろ。」
「私達には分からない意図があるのよ、きっと。」
「そういう風に思われてるんですか?」
ハンジ分隊長の認識に、思わず突っ込んだ。
「あ?新兵は違うってのか?」
「私は鎧の巨人を追ってはいるのですが、巨人そのものへの興味自体は、あまり…。」
「…なんだい、案外まともじゃねぇか。」
「案外って、あんたねぇ。」
ペトラはやれやれと首を左右に振り、ため息を吐く。
「それで、エレンって、どういう人なのかしら。」
「それは、本人が目の前にいるんですから、直接訊けばいいんじゃないですか。」
「あ、それもそうね。エレンは訓練兵時代、どんな感じだった?」
「どんなって、そりゃ一生懸命頑張りました!訓練成績5番で卒業しました。」
「すごいじゃない。私達は10番以内に入れてなかったわよ。」
「私達?もしかして、二人とも同じ訓練地だったんですか?」
「ええ。でも、見上げたものでしょ。これでもリヴァイ班に入れたんだから。」
「尊敬します。私はエレンのように10位以内には入れませんでしたが、調査兵団なら、同じくらいには強くなれる、ってことですよね?」
「まあ、そうとも言えるな。俺もこう見えて、初めからデキた兵士じゃなかったしな。」
「やっぱり訓練兵時代はライバルとかいたの?」
「おいペトラ。」
「ええ。ライナーとか、ベルトルトとか、それと…。」
「エレン、そこはジャンじゃないのか?」
「はあ?あんな奴、眼中にねぇよ。」
「私は個人的に、アニがそうかもしれないな。」
「アニ?誰なの、その人?」
「女性の兵士で、憲兵志望でした。よく対人格闘訓練で稽古をつけてもらってました。たしか彼女は4番で卒業しました。」
「そう。何か得意な分野とかあったのかしら?」
「立体機動は当然なんですが、対人格闘が得意だったみたいでした。本人は不本意だったらしいのですが。」
「対人格闘ね。彼女は憲兵志望だったのよね。なら、警備や対人の制圧には必要な技術だったんじゃない?」
「そうなんですよ。現に、私が内地に体験訓練に行ったときに、強盗を捕える際に役立ちました。」
本当は一年前のトロスト区での任務で使ったのだが、巨人相手に使ったと言ったところで信じてもらえるとは思えない。ここは信じやすい嘘を吐いた。
「やっぱり!そのアニ、慧眼だったのね。あなたは彼女のことを、ライバルって言ってたけど、彼女に勝負を挑んだりとかしてたの?」
「はい。私とエレンは、彼女に師事してましたね。だろ、エレン?」
「ああ。俺達じゃ、歯が立ちませんでしたけど。」
「どっかの誰かさんと違って、気だるげながらしっかりこなすタイプねぇ。」
「へっ、俺はとうにその境地だがな。」
「それで、卒業の時は、二人とも格闘の分野では最優秀だったんでしょ。大した競合もいないんだから。」
「対人格闘訓練で、私とエレンが同率2位でした。」
「へえ!あの無意味な分野で?」
「オルオ。…でも、二人とも2位だなんて。偶然もあるものね。ちなみに1位の人って…。」
「はい、ミカサです。」
「ミカサ?あれ、アニじゃなかったの。あ、さっき気だるげとか言ってたもんね。…それじゃあ、もしかしてそのミカサって人は。」
「最終試験、全ての分野で1位ですよ。筆記、巧術、兵站行進、馬術、立体機動、全部1位でした。」
エレンは歯噛みして答える。やっぱり悔しかったのか。
「全部って…オイオイマジかよ。」
料理を作っている筈のエルド、グンタも驚きの声を上げていた。鍋から少し良い香りが漂ってきていた。
「ああ、トロスト区での作戦で大活躍した、ミカサ・アッカーマンか。訓練兵の時点で頭角を現していたとはな。新兵より、そいつ連れてきた方が良かったんじゃねえの?」
「まだ配属兵科の決定の日じゃないもの。それに、私達が活躍を直接見たのは、『彼』だったし、引き入れたのはハンジ分隊長。」
オルオはブレードのトリガー二ヵ所以外の指を離し、鼻息一つ鳴らして肩をすくめる。
「まあ、そう落ち込むなよ、新兵。さっきも言った通り、ここに入ったとありゃあ、俺も半端に育てちゃ班の名が廃るってもんだ。みっちり鍛えてやる。」
「おーい、メシが出来たぞ!」
「はーい!ほら、行きましょ。」
私とエレンは、彼女に連れられ、鍋へと歩いた。
「そういえば、今晩は野戦糧食じゃないんですね。」
「まあ、エレンも久しぶりに外に出られたんだし、まともな食事は必要だと思うわ。」
「!……ありがとうございます。」
私は彼らの応対を、警戒からくるうわ言かと思っていたが、歴戦の兵士に恐慌を想定するなど生意気も良いところだと、自分でも思った。
むしろ彼らは、私達の緊張を解こうと働きかけてくれていたのだ。
途中から二人の質疑応答に注意を取られていたが、兵士長が立派なベッドの骨子を作り終えていたこと以外には、兵士がやっている基本的なことの範疇を出ていなかったため、すぐに覚えられた。
食事を摂っている間でも、必ず二人の兵士はエレンを見張るようになっている。エレンが最後に食事にありついた時には、彼の腹は鳴りっぱなしだった。火は止めていなかったから、食事は温かいままだったと思うが。
食事が終われば、皆すぐに眠りに付いた。ただ、これも普段の行軍とはまた様相を少し変えた。
班の中で一人は火の守りも兼ねて寝ずの番を務め、時間制で交代する。私も要員に駆り出された。壁の内側だというのに。
エレンの寝顔を見下ろすも、確かに眠っていたようだが、少しだけ落ち着かないように見えた。
─2─
翌朝を迎えて、出発してから、午前8時程だろうか。
馬には乗ったがそう時間もかからず、道中に極端に急な勾配もなく、目的地が見えてきた。
旧調査兵団本部。かつて調査兵団が拠点としていた古城だ。結成当時から使われていた由緒ある拠点だそうだが、川からも町からも離れているため、不便さに辟易してやがて打ち捨てられたようだ。
と、いう蘊蓄が列の最後尾の荷馬車にまで聞こえてくる。
オルオがぶつぶつとそのルーツを話していたからだ。
あまり話し込むから心配していたが、案の定舌を噛んだらしく、馬のいななきが前方から聞こえた。
本部近くの厩舎もどきに馬を止めていると、口をすすいでいるオルオにエルドが遠くからやっかみを飛ばす。オルオは口答えする。
「討伐数は俺の方が上だろうがエルド!」
「その討伐数の伸びは、俺達の補佐あってのことだろう?昨晩新兵に先輩風吹かせてようだが、武勇伝を語る前に、どうすれば上手く連携が取れたかを教えてやるべきじゃないのか?」
「なんだとっ!」
オルオは狼狽えながらも引き下がらず、グンタは肩を竦めながらも彼を宥めにかかった。腐れ縁とも言い難い内輪のじゃれ合いに割って入れるとも思えず、私は蚊帳の外となった。
改めて、目の前の古城を眺めてみる。
木製の家屋と比べて老朽化の兆候は見られないが汚れがひどく、吹き付けられる雨風をそのまま受けた形跡を示唆するように、窓には白く波打つ雨の軌跡が何重にも引かれていた。壁面は地面に近い箇所に苔が生えており、生き物が暮らすには好都合な場所であることは自明だった。
「ここは、相当不便だな。」
「そうね。市場からも河川からも遠いし、長らく放っておかれていた場所だから、これは大変そうね。」
「ああ、ペトラさん。聞こえていたんですね。すみません。これから皆さんがここで過ごすというのに、無礼でした。」
「いいのよ。調査兵団なら、壁外で夜の番交代でおちおち寝られないときだってあるんだし、兵士ならある程度過酷な環境でも平常通り過ごせるよう、自分で工夫するものだから。」
「そんなものでしょうか。」
「・・・多分、あの人は違うかもしれないわね。」
どの人だろう、と見まわすも、それらしい人は見つからない。
(まさか、エルドさんとかだろうか。)
「・・・それで、昨晩私たちにいろいろお訊きになったと思うんですが、あれは・・・お気遣い感謝します。我々も、右も左もわからない新兵ですから。」
「確かにそうね。そのうえで言うけど、実は私達は、割と新しく編成された班なの。」
「そうなんですか。どれくらい?」
「ほんの数日ね。もともとリヴァイ兵長は兵団随一の実力者で、必要に応じて他の班に一時的に加わったり、遊撃などを担当していたの。だけど、あまりに酷使しすぎている現状を鑑みて、団長がこの班を作ったの。」
「まだほんの数か月なのに、すごいですね。トロスト区でのあの連携を見ましたが、まさかそんな短い期間で、あれほど卓越していたなんて。」
「まあ、私達も兵士になって4年も経っていて、班が出来る前からある程度交流はあったという条件付きだけど、やはりその通り。お互いのことを熟知していたから、今日までこの班は維持されてきたのだと思う。」
「お互いのことを、よく知っていたから。」
「…ええっと、つまりはね、私達はまだ、貴方の実力がどれ程のものなのかがわからないの。トロスト区での活躍を見てなかったわけじゃないけど、それで全てはわからない。さっき言ってたミカサがもっと優秀なのは判ったけど、重要なのは、今この班にいる貴方のことを、もっとよく知ることなの。」
「えっと、じゃああれは、オルオさんなりの励ましだったってことですか?」
「そう。…いや、そうじゃないわ。あいつ、ある時から兵長の口癖や仕草を真似するようになったの。なにも分かりにくさまで真似しなくたっていいのに。」
ペトラは右手の指先を額に当て、半目で呆れながら答えた。
「なら、私も同じようにやります。といっても、昨晩べらべら喋ったように、訓練兵の時も、仲間との交流は欠かしませんでしたけど。」
「ええ。私もそれが良いと思う。私達のことを、強くなるためにも、もっと知ってほしい。そうね、さっそく何か始めたいのだけれど、まずは…。」
「掃除からだな。」
兵士長は私達に背を向けて言う。彼は本部の正面の壁、丸く象られたガラスを睨む。
そして、より本部に近いエルド、グンタに近づく。
「だいぶ時間が経ってるからか、少々荒れていますね。」
「早急に取り掛かるぞ。」
─3─
私たちは、掃除に明け暮れていた。
夜を跨いで明け方に本部に来たと思えば、やることはなんと掃除だったのだ。
掃除を始めてすでに昼過ぎになっている。掃除だけで、だ。
荷ほどきもまったく済んでいない。
(・・・まあ、埃塗れの部屋で過ごせ、と言われた方がしんどいけど。)
別にもたついているわけではない。班員たちはこれを見越していたかのように、物凄く手際がいい。私が一つの部屋にかかりきりになっている間に二人がかりで的確に掃除を済ませていく。
しかし、この本部はそのペースでも到底終わりそうにないくらい広い。なにせ、地上階、二階、三階、屋上に地下まであるのだ。部屋も回廊も、踊り場も掃除するとあらば、一日でも終わるか怪しい。
「まさか、早めに出発したのはこれが理由だったのか。」
「オイ。」
「はい!」
戸口に兵士長が立っていた。
「そっちの部屋の掃除は進んでるのか?」
「・・・いいえ、全く。」
ここで嘘をついても仕方がない。現に、天井の埃を落としても、床の石畳の隙間や家具の裏、探そうと思えばいくらでも汚れは出てくる。
「チッ・・・いつまでダラダラやってる。時間を掛けた割には全然片付いてねえじゃねぇか。・・・床の掃除すら全く済んでねぇだろうが。」
「すみません。先に天井の埃を落とせば、あとは床を掃くだけで片が付くと思っていたんですが・・・。」
「なに?」
兵士長の目が光る。
(しまった。言い訳するなんて。)
「いえ、なんでもありません。」
「糸くずに髪にカビ・・・探そうと思えばまだ見つかるぞ。・・・おい、少し休憩にするぞ。紅茶の支度をしろ。」
「え?ここで紅茶ですか?」
「俺が片付けた部屋が一つある。そこで飲むぞ。」
「了解。」
兵士長は先に降りて行った。私もひとまず掃除にケリをつけ、回廊に出る。
一階に降りようとしたところで、回廊の角でエレンと鉢合わせた。
「お、エレン、お疲れ様。」
「おう。お前もな。兵長の指導はすげえよな。」
「ああ。母を思い出すよ。あれほど手際はよくないが、綺麗に整った床や壁を見ては、うっとりしていたっけ。」
「ああ。俺も母さんにいろいろ手伝わされたっけか。・・・どこも同じなんだな。」
「エレンも手伝っていたのか?」
「主に薪割りだけどな。料理は兵士になる前まではやらせてくれなかったけどな。危ないの一点張りでさ。」
「予想は当たっていたな。料理担当になったとき、エレンははじめの内よく指を切っていたからな。」
「おい、あんまりそれを言うなよ。」
エレンは鼻を擦る。そして、口を開く。
「・・・なあ、その、お前は、俺が怖くないのか?」
「んん?・・・それはどうして訊くんだ?」
「地下で、考えていたんだ。ミカサやアルミンは俺を怖がったりしなかったけど、他の奴は違うんじゃないか、って。お前からの意見を聞かせてほしい。」
「・・・。疑いの目を向けられていた。少なくとも、トロスト区で司令が演説したときは、誰もが狼狽えた。」
「・・・そう、だよな。やっぱり・・・」
エレンの視線は下へと落ちていく。
「だが、」
「!」
「アルミンが言っていた通り、君の巨人は人を襲わず、巨人へと向かっていった。君の行動理念と矛盾はない。」
「でも、俺はミカサを攻撃して、危険にさらした。あの時は記憶が無かったけど、それで、お前らを危険にさらしたんじゃ──」
「それはいずれ解き明かすだろう、ハンジ分隊長が。」
「・・・なあ、お前はどうなんだ?他の奴らの話はわかったけど、お前は不安じゃないのかよ?」
「私は昔のエレンを知ってるから。別に、まだなんとも言えない。」
「そうなのか?」
「まあ、悪ガキを懲らしめるために暴れてる様子が、町の角っこから見えていたくらいだけどさ。」
「なんだよそれ。」
「あんな直情的な人が、巨人になる力なんて大層なもの、あの日まで隠し通せるとは思えない。」
「お前、おちょくってんだろ。」
「信用してるんだ。少なくとも、このリヴァイ班の中では一番に、だろう?」
「……。」
「おい、紅茶の支度は?」
「はい、ただちに!じゃあエレン、また後で。」
「ああ!」
(エレン本人は不安だったようだが、私は違う。彼の力は、必ず奴に届くための武器になる。彼には、必ずその力をものにしてもらわなければ!)
一階の応接間に移動し、あらかじめ運び込まれていた茶器を木箱から取り出す。木箱の中には羽毛を詰めた緩衝材が入っており、細心の注意を払って保管されていたことがわかる。中には陶磁器製のティーポットにガラス製のポット、茶漉しに白いカップ、ソーサーが入っていた。
「本格的だ・・・。」
ケトルで湯を沸かす間、兵士長も私も黙っていた。火元から目は離せないため、私は兵士長の存在を背中越しに感じているだけだった。
「・・・・・・。」
沸騰し終えた後、ガラスのポットにお湯を移し、わずかに揺らしたあと、さらにに陶磁器製のポットに移し、内部が温まるのを待つ。空いたガラス製のポットに、茶葉を一人分入れる。
(この種類の茶葉は大きいから・・・スプーンに大盛りで・・・)
ケトルからガラス製のポットに勢いよく湯を注ぎ、直ぐに蓋をする。そして、漂う茶葉が静まり、雲に隠れるまで少し待つ。およそ三分。
ポットのお湯を捨て、ガラス製のポットを一度かき混ぜ、茶葉入りの湯を茶漉しでこしながらティーポットの中へ。
(そう。確か、ここで・・・)
最後の一滴まで注ぐことが重要だと、母は言っていた。ポットがひっくり返りそうなくらい傾けて、最後の一滴が絞り出されるまで待つ。
待つことが多いこの工程だが、まあ、休憩なんだし、多めにとってもいいだろう。
「できました。」
「ほう。掃除に比べりゃ随分手際が良いじゃねぇか。」
「掃除も結構手伝っていたつもりだったんですけどねぇ。お待たせいたしました。」
ソーサーとカップを置き、ティーポットを傾ける。少し持ち上げ、また持ちおろす。しぐさとしてするべきだと教わっていた。
「・・・・・・。」
兵士長は無言で紅茶を見つめ、持ち手を持たず、左手で淵を鷲掴みにして、口元へと持ってゆく。
(鼻と手がぶつからないのかな、その飲み方。)
「・・・悪くねぇ。お前、紅茶の淹れ方を、誰かに教わったことはあるのか。」
「昔、母に教わりました。いつか、私も飲めるように、と。」
「・・・そうか、いい親を持ったな。感謝することだ。」
「・・・しかし、これほど本格的なセットは初めて見ました。」
「ほう、珍しいか、これが。」
「話だけは聞いていたのですが、実践したのは、これが初めてですね。」
「言われた通りにできることは、兵士としての重要な能力の一つだ。こっちはひとまず及第点、ということにしておいてやるが、これが終わったら掃除の続きだ、まだ休む暇はねぇぞ。」
「・・・はい、存じております。私も、なるべく清潔な部屋で過ごしたいものですから。」
「天井から掃除を始めたと言ったな。あれ自体は悪くない。だが、時間が掛かり過ぎだ。」
「はい。以後、精進します。」
「・・・掃除のコツも、親から学んだのか?」
「ええ。仕事については父から、家のことについては母から、両方ともしっかり学ばせていただきました。」
「ました、って、まだ学ぶことはあるだろうが。」
「・・・はい。それもそうですね。」
謙虚さを表すために、笑う。
「その、兵士長の班員も、全員が初めから綺麗好きだったわけではないのでしょう?」
「当然だ。あれは班を組む前に仕込んだ。」
「組む前。」
「試験も兼ねてな・・・おしゃべりが過ぎたな。そろそろ戻るぞ。・・・少なくとも、掃除についちゃあ、エレンより手が込んでるようだが、じきに追い抜かれるぞ。」
「!・・・了解。」
急いで二階の持ち場へと駆けあがる。「埃が舞うだろうが」と怒られた。
─4─
結局、夕暮れまで掃除をすることになってしまった。
班員らは十部屋ほど終わらせたらしいが、私とエレンは二部屋ずつしか終わらなかった。特に、エレンは何度もやり直させられたらしく、相当参っていたようだ。
「あの、新入りは紅茶の腕前で兵士の適正を確かめるとか、そういう意味合いがあるんですか?」
「?いや?」
掃除も兵士長が納得するレベルには仕上がり、
私達には、一つずつ個室が充てられた。もとより調査兵団は兵舎が個室となっていたらしいが、ここでもその慣習は変わらないのだろう。
しかし困った。個性が出にくい。訓練兵団の兵舎から物品を取ってこないといけないが、しばらく任務がかさばりそうだし、当分は寂しげな部屋のままだろう。
・・・まあ、訓練兵時代でも、部屋を私物で飾ってたわけではない。ベッドが並べられた二段構造の大部屋に、そんな余裕などどこにもなかった。枕元に本一冊置く程度が関の山だ。
開いていた扉を2回ノックする音が聞こえ、振り向けばエレンがいた。
「よお。晩飯できたってさ。」
「エレンか。」
「結局掃除でほぼ一日が潰れたな。」
「そうだな。荷物も運びこんだけど、まだ荷ほどきも出来てないや。」
「箱に入ってるそれっぽっちか?」
「いいや、トロスト区の兵舎にまだ残ってる。」
「そうだ、俺の分の荷物も取ってきてくれねぇか?俺はここの地下で寝ることになってるけど、いくつか持って来たいものもあるからな。リヴァイ班丸ごと、俺達の引っ越しにつき合ってもらうわけにはいかねぇし。」
「わかった。夕食の後、リストにまとめておいてくれ。」
「おう。」
トロスト区は奪還作戦の二日間で巨人の掃討が行われ、ひとまずの安全が確保されたと公式の発表があった。だが、同区内に捕獲した巨人がいるためか、安全面に不安を唱える市民が多く、別の地域に移住していっている。そのため、市民が置き去りにした物品の回収、区外への運搬が駐屯兵団に進められている。
商会のボスが審議所でその件について騒ぎ立てていたのを覚えている。彼の商売の中心地である区を滅茶苦茶にされた補償をしろと、議題と無関係にふっかけていた。
取り下げられたが。
トロスト区の本部にある兵士の荷物の回収は、兵士各個人の度量で行われていた。
私達の荷物の回収は、あと数日先にはなりそうだ。
「じゃ、行こうか。」
エレンと二人で、地上階へ向かう。
今後の作戦を知らされるために。