─1─
石造りの頑丈な城内。明かりがなければ満足に見えないのは日中でも同じだが、夜の今は、何かが異なる。なんだが、石造りの向こうから闇が包んでくるかのような。
そんな気がする。
夕食を終え、私達は作戦の予告をエルドの口から知らされる。
私が改めて淹れた紅茶を啜りながら、班は情報を整理する。
「我々への待機命令はあと数日は続くだろうが、一か月後には大規模な壁外遠征を考えていると聞いた。それも、今期卒業の新兵も早々に混じえると」
「エルド、そりゃ本当か?随分急な話じゃないか。ただでさえ、今回の巨人の襲撃は新兵には堪えただろうによ」
グンタは慌てる様子は無いが、同情の念を見せた。
「ガキどもはすっかり腰をぬかしただろうな。」
「本当ですか、兵長?」
どうやらグンタに限らず、今回の告知に班員全員が驚いていたようだ。エルドの口から聞いたものの、より確信を得るためにペトラが兵士長に窺う。
「作戦立案は俺の担当じゃない」
兵士長は、この指示が団長からのものであると説明する。曰く、私達より多くの思案を進めているらしい。
「その、例年では、新兵は壁外調査には参加しないものなんですか?」
私は班員に訊いてみる。
「そうだな。壁の近くに兵站拠点を建てることは知ってるな?」
「はい。壁外調査による大規模な移動、それによる消耗を適宜回復させるために、長距離にわたって物資を保管する拠点を、点在する形で建設している、と教本にありました」
「ああ。新兵をその拠点を建設する際の露払いに参加させ、まずは巨人との実戦を覚えてもらう。壁に最も近い拠点から始めるから離脱も容易い。死ぬ確率も少ないハズだ」
グンタが訥々と説明する。
「それで、新兵を混じえた壁外調査は、移動の距離そのものもかなり短いものとなる。まあ、冬は壁外調査が無ぇし、期の始まりであることも相まって、毎年度俺達の肩慣らしにもなってるんだがな」
「そうなんですね。」
「……だが、今期はその定説も当てはまらねぇ。事情が事情だからな」
兵士長はカップを、例の持ち方で手に取り、赤茶色の水面を眺める。
「確かに、これまでとは事情が異なりますからね……。多大な犠牲を払って進めてきたマリア奪還ルートが一瞬で白紙になったかと思えば、突然まったく別の希望が降って湧いた。」
班員全員の目線が、エルドの言葉とともに、エレンへ向かってゆく。私もその流れについ便乗した。
「……未だに信じられないんだが、”巨人になる”っていうのはどういうことなんだ、エレン?」
エルドが訪ねる。
(巨人になる方法、報告書では確か……)
「その時の記憶は定かでは無いんですか、とにかく無我夢中で……でも、きっかけになるのは自傷行為です。こうして手を……」
エレンは言いかけて、じっと自分の手を見つめる。
「……エレン?」
何か考えているのは間違いない。だが、自傷行為がどうかしたのだろうか。そこから言葉が続かない理由が分からなかった。
「お前らも知ってるだろ。報告書以上の話は聞き出せねぇよ……。ま、あいつは黙ってないだろうがな」
兵士長は紅茶を一口飲み、茶器をテーブルに戻して背もたれに体重を掛ける。
「下手にいじくり回されて死ぬかもな」
兵士長の背後にある扉、その閂が大きくガタン、とひとつ音を立てた。誰かが扉の向こうで、頭でもぶつけたのだろう。
それがハンジ分隊長のものと皆はすぐに気付いた。この本部に拠を構えた私たちの存在を知る者は、ごく小数だから。まして、この時間に訪ねてくる者は、一人しかいまい。
私が扉を開けると案の定、頭を軽く押さえる分隊長がそこにいた。
明かりを持っていない。それに、また髪につやが出てきているような。
(それに…におう。風呂にも入れていないのか。)
「ここを突き止めたということは、地図は頭に入ってたんですね。」
「そうなんだよ。夕暮れまでには着くと思ってたんだけど、読みが外れてね。ちょっと長引いちゃった。あ、リヴァイ。それに班の皆さんもお揃いで。お城の住み心地はどうかな?」
分隊長は部屋を見渡すやいなや、無遠慮に入り込んでエレンの向かいにある椅子を拝借する。
私が座っていた席を。
「私は今、街でとらえた2体の巨人の生態調査を担当してるんだけど、明日の実験には、エレンも協力してもらいたい。その許可をもらいに来たんだ」
分隊長はエレンに事情と、来訪の目的を話す。
「実験、もう始めていたんですか?」
「そうなんだよ、新兵。私は別件があると言っただろう。これが理由さ」
旧調査兵団本部は、カラネス区とトロスト区とで地図上に三角形を結ぶと、カラネス区にやや近い立地となっている。勾配は緩やかだが一応山の上に建っている。トロスト区で実験を終え、その身のままやってきたのだろう。
「実験、ですか?俺が何を──」
「それはもう最高に滾るヤツをだよ」
ハンジ分隊長は鼻息荒く、エレンの文末を食う。
「えっと、権限を持ってるのはリヴァイ兵長ですから、自分では決められません」
「リヴァイ、明日のエレンの予定は?」
「庭の掃除だ。」
「じゃあ決まりだ!決定!エレン!明日はよろしく!」
(決断が早い)
分隊長に手を取られ、ブンブンと振られるエレンはされるがまま「あ、はい」と答えた。
「ハンジ分隊長、巨人の実験というのは、どういうものですか?」
「おいやめろ聞くな」と近くから声が聞こえた気がしたが、私は分隊長に質問した。
分隊長は私の声を聞いて、「あぁ、やっぱり」と期待に満ちた顔で、私を見つめる。
「そんなに聞きたかったのか…ならしょうがない。聞かせてあげないとね。今回捕まえたあの子達について」
そうして分隊長は語った。新しく捕まえた巨人2体、ソニーとビーンについて、およそ3時間ほど。
─2─
分隊長の語りは凄まじかった。
巨人の弱点を探るために傷つける実験の時には泣き、対話の確認の実験の時には笑い、不用意に傷つけた時には怒り、巨人に名前を付けて、あたかもそれらが同胞であるかのように激情のまま語るその様は、狂えるほどに振り切っていた。劇場で遠くの観客に見せるために、役者は舞台では大袈裟に演じるという。まさしくそんな感じだった。巻き込まれた私達をひどく疲弊させた。
「……いやー、総じて、実に楽しい実験だったんだよ。昨日のトロスト区での実験は」
語り終えた分隊長は、一頻り走り終えた兵士が脳内物質の分泌で浮かべる、恍惚とした、いけない表情を浮かべ、天井を眺めていた。
「それで、君達はここまでで、何か質問があるのかな?」
(…どうする?何から訊くべきなんだ?)
正直尋常では無い。巨人を相手に愛着が湧くなど、到底理解できなかった。トロスト区で巨人を捕獲する際にも、兵士の命を軽んじかけた節がある。
そんな、まるで狂気に取り憑かれたかのような人に、軽率に質問してもいいのだろうか。
つもる疑念は、エレンが取り払おうとしたようだ。
「あの、何で…巨人を前にして、そんなに陽気でいられるんですか?」
「え?」
ハンジ分隊長は、豆鉄砲を食らったような顔をした。
「その…巨人はオレら人類を絶滅寸前まで追い込んだ天敵で、ハンジさんだって、その脅威を数多く体験してる筈なのに……」
「そうだよ。私は巨人に仲間を何度も目の前で殺された」
分隊長はあっさり言ってのける。
ハンジは、当初は仲間を殺された憎悪を胸に、巨人を殺し続けていた、と語る。私達と同じように。
だがふとしたきっかけで、その憎悪が鳴りをひそめた、というのだ。
「軽かったんだよ、異常に。巨人の体が」
「え?」
「まあそもそも、比重から考えて、あの巨体が二足で動き回れること自体がおかしなことなんだ。どの巨人でもそうだった。現にエレンの巨人も、何もない所から巨人の肉体が現れた、と聞く」
「報告書にあった通りですね。私はエレンが巨人化する瞬間は見たことがありませんが」
「オレも、ここで話を聞くまでは、一切知らなかった」
「そういえば、エレンはこの数日間、どこにいたんだ?」
「審議所の地下だよ。湿気ってて、窓も無くて居心地が悪かったよ」
「いやー、私もそれなりにゴネたんだけどねぇ、こればかりは兵団全体の意向に押し切られてしまったよ。ごめんね、エレン」
「ハンジさんが謝ることじゃありませんよ。オレが訳のわからない奴だということなのは事実なんだし」
「……そう。やはり、私達が見えているものには、限界がある。だから私は、見えているものと、実在するものの本質を、見極めたいと思っている。エレン、君が実験に参加すれば、その本質がわかるかもしれないんだ。間が抜けていると思われているかもしれない。だが、憎しみ以外の観点から、私はこの巨人とやらを見直してみたいんだ。バカげているかもしれない。空回りに終わるかもしれない。でも、私はやる」
ハンジは、エレンを真っ直ぐに見つめる。真摯に、実在を認めるために。巨人と人間。どちらともいえるし、どちらともいえない、そんな希薄な存在の、本質を見極めたい、という好奇心でその目は満ちていた。
(……なんて真っ直ぐな眼差しなんだ。)
私は、この目を知っている。調査兵団やらなにやらを知るより、もっと昔に。
「ハンジさん、良ければ実験の話を、もっと聞かせていただけませんか」
「ほ、ほんと?」
「エレン。それは止したようがいい」
だがその眼差しが、寝る間も惜しんで探り続けるほどの興味を表出させたものであることも、また知っている。
かつて自分がそうだったから。
「その前に分隊長、風呂に入りませんか?」
「え?」
「つもる話は沢山あるのでしょう。まして、この一晩で語れる量でもありますまい。ここはあえて、明日への準備もかねて、英気を養いませんか?」
私はそう言いながら、引き出しから人一人はすっぽり入るタオルを取り出す。
「ええっと……まあ、そうだね。確かに、そういえばそうなのかも。そういえば、巨人を捕獲してからここ数日研究しっぱなしだったか。」
「報告書の記入とかですか?」
「あ、今回の分はモブリットに任せてある。普段は私が書くんだよ、誤解のないように言っておくけど。とにかく、早くエレンに会いたかったからねえ。……そういえば、君達、ここでは何を──」
「さあ、早く行きましょう。浴室はあっちです。着替えは持ってきてますか?」
「ランタンもなしに掛けてきたんだからあるわけがない」
「分かりました。備品があるので、それを使いましょう。さ、行きますよ。」
「……君、もしかしなくても、結構綺麗好きだね?」
「まさか。兵士長には到底及びませんよ。お湯を張りますから、また少し待つことになりそうですが」
─3─
お湯を張って湯船に浸かるという行為は、この世界ではどうやら珍しいことらしい。
兵士長も「水の無駄だ」と私を叱ったが、その構造自体はお眼鏡にかなったようだ。
私もシガンシナ区で暮らしていたころ、変な風呂だと近所の子どもによくからかわれたが。蒸気に塗れて汗を思う存分かくだけで体が洗われた気分になることの方がおかしい、と思っていた。
綺麗好きなリヴァイ班でも、どうやら私が少数派のようだった。
兵士長は上がったのち、「悪くない」と感想をくれた。
ハンジの場合、驚いた声が何度か聞こえたが、「特に髪がスッキリした」とのご感想だった。
班が買い置きしておいた石鹸を利用してくれたようだ。
……それで、その浴槽をどうやって作ったのかって?
実は、旧調査兵団本部に、埋められたかのように据え置かれていたのだ。班員達が大きな不動の容器に疑問を浮かべていたところ、私だけが見つけて狂喜していて四名から幻滅された。
訓練兵時代、蒸気に蒸されるだけでは物足りず、上下式のポンプで水を汲み、樽ごと体を浸けていた生活からおさらばできそうだったから。
兵士長に頼み込んで、浴室の手入れができたのはこれ幸いだった。
「蒸気で蒸されるのとはまた違った感触で、少し面白かったよ。血の巡りが良くなって、どっと疲れが出てきた。エレン、悪いんだけど、今日はあまり実験の話はできないかも」
「え、ああはい。分かりました」
「もう寝る時間だけど、エレンは地下で寝るんだっけか」
「ああ。けど、兵長が地下を特に集中して掃除してくれたみたいでさ。なんか匂いとか、湿気とかも審議所とは違ったぜ」
「兵士長、優しいな」
「リヴァイは汚いものを許せないんだよね。昔からそう。私にもあまり近寄りたがらないんだ」
「あれだけ風呂に入れなかったことは珍しいんでしょう?」
「…………」
「なんで黙るんですか分隊長」
「まあ、エレンには悪いんだけど、辛抱してくれ」
「ええ。兵長が条件の一つだって言ってましたから」
エレンは自覚していたようだが、その顔の翳りが気になる。
”『お前』はオレが怖くないのかよ。”
(……当然か。)
エレンが巨人になれることなんて知らなかった。それで、自分ではなく、選択のあれこれを、誰かに握られ続けている。
(自分に立ち返って、考えてみろ。避難区画で暮らしていた時、自分に出来ることが、選べることが少なかったあの時は、とても不安で、耐えがたかっただろ。そういう時、どうして安心できたのか、思い出してみるんだ)
五年前に出会った、小さな、金髪の少年を頭に思い浮かべる。会話にならず、互いの傷も見せずに、ただ水路を眺めて身を寄せ合った、あの時を思い出す。
「エレン、不安なら、私も地下で寝るよ」
「は?なんでお前まで……?」
「二人に頼まれたからさ」
「頼まれたって……まさか」
嘘だ。だが、時として都合もいい嘘も吐けてしまうものだ。誰に頼まれたか言わなかったが、エレンは「あいつら……」と一言独り言ち、数秒の沈黙の後、エレンは顔を見せず、耳を赤くして、「あいつらの頼みなら」と言った。「先に待ってる」と、エレンはこちらを向かぬまま、部屋を出た。
「あ、じゃあ私も。監視も兼ねてだけど、一つ、君に話しておきたいことがあったんだ」
ハンジはカップに入っていた紅茶の残りを啜りながら私に言う。私に言いたいことがあるとは、てっきりエレンに会うためだけだと思っていたんだが──
「鎧の巨人らしい存在を、我々は発見した」
あまりに唐突な報告に、心臓が破裂するかと思った。さっきまでの安心から一転して、気になることが次々に湧いてきた。だが、今日は夜も遅い。
「……壁外調査まで一月も猶予があるのでしょう。話はじっくり聞かせてもらいます。日を追って」
「ああ。今言い出してなんだが、鎧の巨人に特別固執する君だからこそ、情報を少しだけ出すことにしたんだ。君の言うとおり、後日話すよ。それより今は、エレンの実験についてもう少し情報を出すとしよう」
その場と逸る動機をなんとか治め、エレンのいる地下室へ、予備の寝床二つと寝袋、枕を持って向かう。
窓の無い、閉鎖的な空間。格子を隔て、私達三人は地下で眠る。
鬱屈とした空間は苦では無かったが、鎧の巨人らしき存在の発見、という一言は、私の快眠を害するには十分すぎた。