第4話 訓練の始まり(1)
─1─
ここ、南方訓練地での初日は衝撃から始まった。まさか入団式で堂々と蒸かした芋を食べる人間がいるとは思わなかった。ましてあの恐ろしい形相の教官の恫喝にも動じないとは。まぁ、その後死ぬ寸前まで走ることと、夕食抜きを宣告された時にはさすがにこたえたようだ。
・・・いや、それ以前にもアクの強い訓練兵がいたような。心臓を捧げる所作である敬礼を間違える者がいたような。なんとも、ここに来る者たちは、私が想像するよりもはるかに頭のネジが外れた人が多いのかもしれない。
かくいう私もその一人なのだろう。鎧の巨人を倒すと宣言したとき、教官以外の視線を幾つか感じたからだ。やはり、滑稽に聞えたのだろう。だが、無謀であったとしても、そのためにここに来たんだ。
そういえば、私よりも先に名乗りを上げた者の名前に、聞き覚えのある名前があった。アルミン・アルレルト・・・。そうだ。845年の冬に、泣いていたあの子だ。そうか、彼も兵士になることを選んだんだ。あの時、決意に満ちた表情を浮かべた彼を思い出す。
「ねぇ、君だよね?」
入団式を終えた夕方、訓練地をひたすら走り続けるサシャなる女性をボーっと眺めていると、背後から話しかけられた。振り返ると、あの時の少年がいた。もっとも、身長は伸びていたが。
「あぁ!確か、アルミン、だったよね?あの時以来か。」
「うん、久しぶり、だね。」
アルミンは少し目を逸らし、右手の人差し指で頬を掻く。あの日、確かに私たちは出会ったものの、碌に会話も続かなかったことも覚えている。
「あのときの”ありがとう”ってこういうことだったなんて思わなかったよ。まさか訓練兵になるなんて。」
「ああ。君の方こそ。」
お互い、なぜ兵士を目指すのかも話していなかった。今聞くべきだろうか?
「おーい、アルミン。どうかしたのか?」
茶髪のような、黒髪のような髪の色をした少年が兵舎の中から駆けてくる。私たちのいる木造のテラスまでやってきた。
「ああ、エレン。紹介しよう。『彼』が───」
アルミンが私の名前を紹介する。いや待て。今エレンと言ったか?アルミンが涙を見せたがらなかったあの?
「よろしく。とはいえ、アルミンとはそこまで話した仲じゃないんだけどね。」
「ふーん。そうか。よろしくな!」
いや、私の邪推とは反して、悪い人には見えない。不良に突っかかっていくからてっきり乱暴な人かと思ったんだが。
「エレン、勝手に突っ走っちゃ駄目。危ないでしょ。」
エレンの背後から、長い黒髪の少女が顔を出す。正直ぎょっとした。全く気配を感じなかったからだ。
「あなた、アルミンの知り合い?」
「ミカサ!お前は俺の母親じゃねえんだぞ!」
エレンはそのミカサなる人物に口答えしていた。一方ミカサは私に視線を向ける。その眼はとても静かに見えた。
「ええっと・・・」
「おいミカサ!いい加減俺を子ども扱いするのはやめろって言ってんだよ!わかんねぇのか!」
「わからない。少なくとも、エレンは子どものまま。昔から知ってるそのまま。」
「このっ!」
エレンは歯を食いしばり、ミカサをにらみつける。ミカサはエレンには目もくれず、その目線を私から外さない。敵か味方か品定めするかのような、警戒心に満ちた目だ。この三人の結束はすこぶる強いようだ。
エレンとミカサで今にも衝突が始まりそうで気まずい。
「オイ。あの芋女まだ走らされてるぞ」
大きめな声が近くから聞こえた。視線を向けると、坊主頭の少年が、夕暮れを背景に走っているサシャを退屈そうに眺めていた。エレンやミカサ、アルミンたちの注目もそこへ向かう。坊主頭の声があまりにも場違いに間が抜けていたからだろうか。なにはともあれ助かった。
「すごいな、5時間ぶっ通しか。」
「しかし、死ぬ寸前まで走れと言われた時より、今日メシ抜きと言われた瞬間の方が悲壮な顔をしたよな」
エレンは呟く。やはり私以外にもそう思う人はいたようだ。
「あの人、どこから来たんだっけ?」
私は周囲に聞いてみる。あの豪胆さは出身に由来していそうだったから。
「ダウパー村だな。人里離れた山奥にある少人数の狩猟の村だ。」
坊主頭が答える。
「まだそんな村があったなんてな・・・」
そばかす顔の男が独りごちる。彼は続ける。
「そういえばキミは出身とか聞かれなかったけど・・・どこに住んでいたんだい?」
エレンに聞いていた。
「こいつと同じシガンシナ区だ。そこから開拓地に移って・・・12歳までそこにいた。」
私は、別のものを見つめていた。馬車だ。幾人かの人を乗せ、敷地の外へと上り坂を上っていた。乗っている人々はいずれもうなだれていた。初日の段階で、心が折れてしまったのだろう。
「そうだったか。それは・・・」
「ってことはよ、その日もいたよな!シガンシナに!」
「オ、オイ!」
坊主頭はシガンシナという言葉に喰いつき、そばかすはその言葉を諫めていた。私といえば、心折れた人々を憐れんでいた。
「見たことあるのか?超大型巨人!」
彼らは何を目指していたのだろう。面接の日もそうだが、去っていった人たちのことばかり考えている。
「あぁ・・・」
エレンはぼんやりと答え、坊主頭をはじめとした大勢の訓練兵に連れられて、食堂の中へと入っていく。
「ねぇ、君も」
アルミンに声を掛けられ、私も食堂へと向かう。馬車の人々の目が、私を睨んでいるような錯覚を覚えながら。
─2─
夕食は芋や根菜の入ったスープと、パン一つだった。やはり、領土を失って久しい今でも開拓は満足に進んでいないらしい。もう何年も肉を食べていない。開拓地の食べ物も貧相だったが、ここも大して変わらない。
夕食の最中にもかかわらず、訓練兵の殆どは、さめるスープもよそに、エレンに質問攻めをしていた。ここに来る以上、巨人について興味深々なのは充分理解できる。
「・・・・・・だから・・・見たことあるって・・・」
エレンも注目の的になってうんざりしているようだ。ひもじかった私は黙って食べた。同郷のよしみでエレンの助け舟を買って出ることはできなかった。中身の殆どないスープに入った、ひと口サイズの芋をギュッと噛みしめてみる。
味もほぼ無い。
シガンシナ区での温かい、具沢山のシチューを思い出してしまう。牛乳や鶏肉、緑黄色野菜もふんだんに使われたシチューを。そこにやわらかい白色のパンを思い切り漬けて、下から掬い上げるようにパンを食べる。下品だと母によく怒られたっけ?
・・・目の前にあるのは酵母もスカスカな固い黒みがかったパンと、砂色で薄味のスープなのに、なぜか唾はあふれてくるし、塩味が効いてきた。
「ウッ・・・」
スプーンがカランッと落ちる音がした。振り向くとエレンは青い顔をして、口元を右手で抑えていた。
私は、その表情を知っている。過去の心の傷を刺激された者がよく示す反応だ。避難区画にも、開拓地にもそんな人は何人もいた。作業が手につかないほど傷が深い者は、憲兵にどこかへと連れられていった。時間が経つにつれ、去っていくものが次々現れたのを覚えている。
あの連中の中に、エレンの傷をえぐった者がいたのだろう。私もシガンシナ区出身だと名乗ったが、矛先が自分に向いていたら、ああなっていたのだろうか。
周囲の人々もさすがに自分たちの不手際に気づいたようだ。エレンほどではないが青い顔をし、次々に押し黙る。
「・・・もうみんな質問はよそう。思い出したくもないこともあるだろう」
そばかすが皆に呼びかける。さっきといい、あの人は人をよく見ている。きっと優しい人なのだろう。
「す、すまん!色々と思い出させちまって・・・!」
坊主頭も続く。どうも彼は頭で考えるより、言葉がつい先に出てしまう人らしい。・・・まぁ、押し黙る数多くの人々に比べれば、素直で潔い。
大多数は元の席へと戻ろうと向きを変え始める。
しかし、
「違うぞ…」
エレンは反駁する。
「巨人なんてな・・・実際大したことねぇな。オレ達が立体機動装置を使いこなせるようになればあんなの敵じゃない!」
私は、正直半信半疑だ。・・・いや、そこまで自信を持てない、が正しいのか。まだ何も試していないところで、不敵に笑うことなどできない。
彼は強い人なのだろう。
「石拾いや草むしりじゃなくて、やっと兵士として訓練できるんだ!さっきは思わず感極まっただけだ!」
エレンはさらに続ける。
「そんで調査兵団に入って・・・巨人を───」
「ねぇ、スープ冷めちゃうよ?」
隣に座っていたおさげの女の子が私に呼びかける。
「えっ」
気が付いたらずいぶんと時間が経っていた。もうすぐ夕食の時間が終わってしまう。だが私はパンもスープも半分ほどしか食べきっていなかった。さっきまでがっついていたはずなのに、エレンの話にすっかり耳を傾けてしまっていたのだ。
「もうこんな時間か!急がないと!」
喉に詰まらせない程度のペースで、だが素早く掻き込んでいく。エレンがいる後方ではなにやらいざこざが始まっているがもはやそれどころじゃない。
夕食の時間の終わりを告げる鐘が鳴る頃には何とか食べ終えた。少し腹が痛む。
「まったく、男子ってあんなのばっかりなのよね。カッコよさそうなものや武勇伝やらなんでも食いつきたがるんだから。あなたもそう思わない?」
「・・・今回は事情が違うと思う。あの場にいなかった者には、恐ろしさなんてわからないんだろう。きっと。」
食堂を出て、宿舎に向かって歩く時に、おさげはついてきた。
「あ!ごめん、自己紹介がまだだったよね?あたしミーナ。ミーナ・カロライナ!あなたは?」
「そういえば私も名乗ってなかった。ごめん!私は───」
私は、ミーナ・カロライナに向かって、照れ笑いながら名乗る。名乗らずもスイスイ話が弾むものだ。同じ時と場を同じくする人同士だからだろうか。
「それにしても、ずいぶんと急いで食べてたよね?あの芋女と同じで、もしかして食いしん坊だったり?」
「いや、ぼーっとしてたから。・・・芋女?」
「今もあそこで走ってる子のことよ。衝撃的よね。まさかあんなおっかない教官の真ん前で芋食べて、ひいては教官にその半分を差し出すだなんて。」
ミーナは私に耳打ちした。
「芋女・・・。すごいな。なんかいろいろ。」
まだ走り続けてたのか。やはり、ここに来るからには、自信の根拠となる素養は持っているようだ。
「・・・エレンが立体機動装置についてなにか言ってたよね?」
「ああそれね。なんでも、明日適性検査が行われるから張り切ってるんだと思うわ。」
「そうだよね。まだ装置を使えるかどうかも、わからないんだった・・・」
立体機動、三次元的な動きを可能にする装置。・・・文言だけではさっぱりだが、昔に壁面の整備のために駐屯兵団が使用していたから、なんとなく、伝えたいことはわかる。
私が、あれを使うのか。
「悩んでても仕方ないか!明日わかることだし!」
「うん!明日わかることだし!」
ミーナがオウム返しする。くよくよしても仕方がないんだ。できるどうかは、私が決めることなんだ。
宿舎に入り、寝室へまっすぐ向かう。明日で出来るかどうか、すべてがわかる。
私はさっさと眠りについた。開拓地での寒々とした寝具とは比べ物にならないくらい温かい布団に、四方の熱をを木材に守られながらでは、あっさり意識が遠のいた。
─3─
翌日、朝食を終え、全員が広場に集められた。
広場には教官がおり、さらに背後には妙な器具が数台配置されていた。
7メートルはあろう巨大な木製の三脚が地面から伸びており、三脚の頂点から二方向に金属製の縄が伸びている。金属製の縄は下へと続き、吊り下げられた、人間の腰に巻く大きさのベルトに合流していた。
これは・・・
「まずは貴様らの適性を見る!両側の腰にロープをつないでぶら下がるだけだ!!全身のベルトで体のバランスを取れ!これができない奴は囮にも使えん!開拓地に移ってもらう」
教官の言葉通り、これは立体起動装置、その原型にあたるものだろう。他にも装備があるが、ベルトだけだ。ここでまず中空でバランスが取れるかどうかの確認をするのだ。
「・・・難しくなさそうだな」
金髪の面長の男が溢す。というのも、訓練兵たちは次々に適性検査を通過していっているのだ。教官の脅しに反して、実はそこまで難しくないのか?
「そうだな。私にも、ただぶら下がっているようにしか見えない。」
彼に同意する。
「本来もっと複雑なんだろけど、少なくともここでつまずく人はいないと思う。」
私は続ける。すると、今度は私と、さっきの金髪、トーマス・ワグナーが呼ばれた。
「・・・・!」
実践してみると、これがなかなかどうして難しい。・・・いや、違う。先に見た訓練兵たちのように、ブレを少なくして吊り下がるのが、だ。吊り下がること自体、なにも苦ではなかった。昔、二つ並んだブランコを、片足ずつ乗せて互い違いに足を動かしたりした、あの感覚に近い。うっすらと危険を感じるものの、気分は楽しさが勝つ。
「やったな!やっぱり難しくなかった!」
「ああ!」
先ほどのトーマスと喜びを分かち合う。楽しかったもののスリルはあった。こうして分かち合う程度には。
「エレン・イェーガー!」
「はっ!」
エレンの名前が呼ばれる。昨日の有名人だ。
「おい、次アイツの番だぜ。」
「おお、巨人を駆逐するって言ってた奴だな!」
「あの人、私たちとは違って、才能めちゃくちゃあるんじゃない?」
男女それぞれが沸き立つ。”感極まった”とは言っていたエレンだが、私には違って見えた。そしてまた、彼らにとっても、その言葉の意味は違うのだろう。エレン自身、今は自信に満ちた表情をしていた。
しかし結果は、大多数を落胆させるものだった。
「何をやってるエレン・イェーガー!上体を起こせ!」
エレンは真っ逆さまにぶら下がっていた。無造作に、ただ現状に困惑するばかりだった。彼本人も、眺めていた私たちも。私たちは誰一人として、そのような状態になった者はいない。むしろ、たいして難しくも感じなかったのだ。
つまり、彼だけが、適性が無かったのだ。