進撃の巨人2 名もなき英雄の軌跡   作:なげすて

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第42話 旧本部で見た悪夢 月夜の問答

靄のかかった叫び声が聞こえる。

 

「誰か、誰か助けてくれ!!!」

 

夕暮れの中おもむろに巨大な手に掴まれ、持ち上げられていく誰かを『彼』は見ている。『彼』の足は動かない。『彼』の手に握られているものもはっきりしない。『彼』の腰に下がる重みが何を意味するのかも、今の『彼』は覚えていない。踏みしめ、沈み込んでいる足が感じとる瓦が屋根のものであることは分かる。磨りガラスの向こう側のように曖昧な輪郭であっても、目に映る景色は確かに人が喰われる様相だった。

 

逃れるべく必死で暴れる誰かが巨人の口の中に運ばれ、身体が入りきる中途で巨人の口は万力のようにブツリと閉じられた。

 

「はっ。はっ。はっ。はぁ。はぁ…。」

 

朧気な景色は一変し、真っ暗な空間が広がっていた。真っ暗なのに鮮明に分かるのはなぜか。朧気な景色とは裏腹に、実際にその目で捉えることが出来ているからだ。

『彼』が引っ越したその場所に、彼は寝そべっていた上半身を起こしていた。地に付けた手のひらに、柔らかくすべすべなシーツの手触りを感じとり、胸元は大きく膨らんでは萎んでを繰り返している。先ほどの激しい息の乱れは、自分のものだったと目覚めてから気付いた。

 

「夢……夢、だったのか」

 

乱れた息づかいを、深呼吸を繰り返して治める。治まったことを胸に手を当て感じとり、先程見た現実同然の情景を虚妄と判断出来るほどに覚醒した『彼』は、その声の主を思い出してみる。

 

(今の声は、トーマスか。……実際に聞いたワケでも無いのに、なんて本物に近いんだ)

 

直接彼の死に目に遭った訳でもないのに、なんと生々しい夢なのだろう。

長く親交があれば、それだけ夢に出てくる者達も鮮明に聞こえる。たとえそれが悪夢であっても。

 

ふと今の時刻が気になり、はしごをかけ、天窓を開ければ、月が真上から『彼』を見下ろしていた。

 

『彼』が調査兵団に入団してから19日目。

 

(まだ真夜中くらいか。明日も朝早くからエレンをカラネス区に移送しないといけないし、その後に控えてる訓練も考慮したら、もう早く寝ないと。)

 

ショックで起こされてこわばった身体を、脱力させて再びベッドに寝かせる。

左手で頭を押さえる。額の辺りが湿っている。

左手がその水気を感じ取ると、二の腕、胸元、背中、足へと、下へ下へとその水気を、体表が知覚してゆく。

寝汗で気持ちが悪い。

 

(……眠れなくなってしまった。)

 

別に眠れない時が全くないわけじゃない。ただそれは、これまで見たことのないタイプの悪夢だった。

ベッドから出る。眠れないときは、これまでの歩みを日誌を読んで振り返り、気を紛らわす。嘗て開拓地でよくやっていたことだ。訓練地では仲間ができてからする必要もなくなっていったが、今晩はそれさえもする気にならない。『彼』はランプを持ち、部屋を出た。石造りの城塞を、地上階に向かって、一歩一歩暗闇を縫っていく。

 

旧調査兵団本部。

夜のここはとても静かだ。誰もが寝入って、人の気配などほぼしない。壁から離れた位置にこの本部があるからか、日中でも喧騒などとは無縁な場所だ。

 

木々は静粛に強風を塞ぎ、和らげて城内にそよ風を運ぶ。虫の脚を震わす声と、遠くの湖畔で鳴くカエルの声が聞こえる。

この静寂は、『彼』のよく知るあの場所の音に似ている。

 

まるで、夜中の南方訓練地に戻ってきたかのようだった。日が昇っているさなかは暑苦しいくらい人の声で溢れかえっているが、夜になるとくたびれた訓練兵らはまどろみながら語らうものだった。彼らの弁舌は穏やかで、消灯後も外の寝ずの番の連中にバレない程度の声量で悲喜交々を交わすものだった。

 

聞いたことはないが、もしさざ波というものがあるのなら、こういう音のことを言うのではないだろうか。耳の端から朧気ながらも確かに聞こえてくる、心地よい音色のことを。

 

地上階まであと階段といったところで、ふと、物音がした。木製の扉を隔てた向こうで、人間の腰程度の高さで物音がしている。いや、正しくは、さっきまで物音がしていた残響を、『彼』は耳で拾った。

音からして、誰かが起きだして作業でもしていたのだろう。『彼』の接近に気付いて、作業をやめたのだろう。

 

(私と同じで、悪夢でも見た人がいるのだろうか。)

 

会議室を通り過ぎようとしたと見せかけて、扉を二度叩き、『彼』は名乗る。

 

「入れ」

 

声色から誰かを判別し、私はそのうえで扉を開ける。

 

「兵士長?」

 

『彼』の予想通り、リヴァイ兵士長がそこにいた。兵団の服とスカーフの見当たらない兵士長を、『彼』は初めて目撃した。平服と呼ぶにはやや生地の薄い服に、その気になれば片手で一息で解けそうな数の靴ひもの穴が付いたブーツ。その軽装に『彼』は自身の今の格好と照合していれば、リヴァイ兵士長はテーブルの上で動かしていた手を止め、顔をこちらに向けた。

 

「…新兵か。なんだ?」

 

彼の手には、工具が握られていた。

 

「兵士長こそ、何を、しているのですか?」

「見ての通り点検だ」

「点検って、それは……」

 

(兵長のものじゃない。)

 

そこには、リヴァイ班のうちの誰かの装備があった。兵長の体で遮られたテーブルの向こうには、さらに複数の装置が並んでいる。

 

「何故こんなことを?」

「……単なる確認だ。お前らが手を抜いてねぇかのな」

「手を抜いてる、ですか?いいや、そんなことはないと思います。……皆さんは一日の始まりと終わりと、2回は点検してます。昼食の時間にも簡易的ですが、装備を一度解除してまで点検してます。とても手を抜いてるようには見えませんが」

「だろうな」

「それならなぜ─」

「それより、お前はなぜここにいる。とっくに夜半だが」

 

リヴァイは『彼』の言葉を制し、訊く。

邪険とまではいかないが、リヴァイは新兵の訪れに、あまり好感を抱いていないように見えた。

 

「少し夜風に当たろうと思いまして」

「なら、ここは不向きだな。閉めきった埃くせぇこの部屋からとっとと出るんだな」

「この本部にそんな部屋ありませんよ。兵団きっての清掃能力を持つ班でしょう?」

「きっての能力だと言ってるが、あれでも必要最低限を遵守させてるつもりだ」

「仮にこの一室が、班が見落とした部屋だとしましょう。その閉め切った埃臭い部屋で、なぜわざわざ私達の装備の点検を行っていたのですか?私達に隠れてまで」

 

きっとあの時、兵士長は『彼』にさっさと出て行ってもらいたかったのだろう。兵士長は視線を装置に戻し、一つの問いを『彼』に投げかける。

 

「……お前は、兵士の最たる死因は何だと思う?」

「最たる死因、ですか?……巨人に喰われる、でしょう。次点で事故死」

「俺は、巨人との戦闘で死ぬ奴らに、自業自得だと思うことはねぇ。まして、無意味だとも思わねぇ。だがこの壁の中の連中は、あいつらの死に、常により大きな意味を求めたがる」

「意味、ですか」

「五年ま……ある時、道端の老婆が当時の団長に訊いた。『息子の死は人類の役に立ったのか』ってな。今のお前なら分かるだろうが、そんなことはありえねぇ。たった一人兵士が死んだところで、巨人が道を開けたりすることは無いし、人類が勝利することも無い」

 

兵長は話す最中でも、機器をいじる手を止めない。その手際はどの兵士よりも洗練されている。

 

「だからこそ、次点の死因には絶対近づけさせねぇ。あのクソみてぇな世界で、折角立ち上がることを選んだ奴らだ。それを機械の故障で邪魔されるのは、俺の癪に障る。先日の時も同じだ」

「先日とは?」

「お前、覚えてるか。俺が主導で訓練をしようとした日のことを」

「確か、長距離索敵陣形の説明を初めて受けた日と同じでしたから、今から11日前、いや、12日前ですね。訓練が始まる前に突然、『中止だ』と言い出した時は何事かと、新兵の間で持ち切りでした」

 

背後の扉の月光を思い出しながら、『彼』は答える。その返答に、特に兵長は眉一つ動かさず答える。

 

「そうか」

「新兵らでは、『虫の居所が悪かった』とか、『倒し損ねた巨人を仕留めに向かった』とか、そんな予想が挙がってました」

「……」

「私は洗剤が切れたのを思い出したからとか、そんな所だろうと踏んでいました。どうです。合ってますか?」

「どれでもねぇな」

「そうですか」

「それで、外に行く話はどうなったんだ?」

「兵士長。失礼を承知で申しますが、装備の点検に手を抜いてると思われたのなら、残るのは道理です。整備の終わったものを、私に見せていただけますか?」

「……まあ、いいだろう」

 

兵士長がすでに手入れを終えた、『彼』の立体機動装置を検分してみる。全体的に手入れが施されたというのならば、特殊な溶液で磨かれでもしたのかと、『彼』は勘ぐったがそんなことはなく、装備の放つ輝きはいつもと変わらなかった。しかし明確に異なるのは、細部にあった。

 

複雑な機構を持つ物品ならこれも例に漏れない。立体機動装置はある特定のネジを留める時、完全に締め切ってしまえば、設計の意図しない角度からのほんの小さな衝撃で爆発するように分解が起きる。そのため、わずかにあそびを入れるのだが、そのあそびの加減は個人で明確に変わる。粗野な人ならかなり緩く、繊細な人ならギリギリまで締める。

 

兵士長のあそびには、一切の妥協が無かった。キツすぎず緩過ぎず、まるで床に落ちた硬貨がいつまでも回転し続け、倒れることが無いかのような、再現が不可能な平衡を固持していた。

 

「何か見つけたか?」

「凄い。この箇所にこんな緩めかたがあるなんて……」

 

しかし、『彼』は訝しんだ。こんな緩め方があるなら、とっくに班全員が気付くのではないか、と。

 

「毎晩やっているわけでは無いですよね。だって、私達が点検をする頃には、ネジはこんな繊細なバランスで留まっていない。私達が普段やっているように、ネジの締まる加減が戻っている」

「どうだかな」

 

『彼』には解せなかった。兵士長のやっている点検が全て無意味とは言わない。現に、『彼』らが朝に装備の点検をする際に、ふと、いつもより行き届いている気がしたのは、ほんの一度だがある。それを自惚れと『彼』は断じていた。だが、しかし、

 

「それじゃあ、無駄ではありませんか。その、また失礼を承知で申しますが、兵士長が身を削ってまでやることでは無いと思います。どっちみち夜が明ける前に、私達の手癖にそれが戻ってしまうのなら」

「そうだ。無駄だと分かっているが、やらねえと気が済まねえ」

「お手を煩わせているのなら、そうならないよう励みます。私達に改善の余地を下さい。普段の掃除の時のように、上手くやってみせます」

「だから言ってるだろうが。これは俺の気の問題だ。数時間で元に戻ろうが、お前らの馴染むように変わろうが、俺の目の届くうちはこれをやる」

「……それが、先に言っていた、『次点に近づけさせない』に関係してるんですか?」

「ああ」

 

事故に繋げないよう、兵士長は点検を怠らない。ほんの一点が彼の手を離れようと、その仕上げを辞めることはしない。たとえそれが無意味であっても。

 

「それは、まるで……」

 

『彼』が日誌を書き続けている理由のようであった。

 

「?その日誌は、お前がいつも書いてる奴か」

「はい。これは、あくまで個人のために書き留めているものです。訓練の到達度や任務の結果などは、教官なり上官なりが認めて、報告している。単に記録するためなら、私が書く意味なんて無い」

「そうだな。それがどうかしたのか」

「意味が無くても、自分がやらなければ気が済まない。私はこれを半ば願掛けのようにやっているので、まったく同じとは言えませんが、似てると思いませんか、兵士長と」

「……」

 

兵士長は手を止め、黙った。首を左右に振り、天井を見上げ、『彼』に顔を向ける。蝋燭の明かりに半分顔を照らされながら、兵士長から出た言葉は、

 

「違うな」

 

否定であった。間髪いれず、兵士長は言葉を続ける。

 

「なんだ、てめえ、その呆けたツラは?」

「へ?何がです?この顔がどうかしましたか?」

「お前が今にも床に突っ伏しそうなことくらいは分かる。さっさと部屋に戻れ」

 

兵士長に部屋の外に追いやられ、金属で縁どられた木製の扉は『彼』の背後で音も立たず閉じられた。

あの問答に、睡眠を誘因させる効果などありえないはずだ。寧ろ、巨人の恐怖を喚起させ、警鐘を鳴らすものの筈だが、『彼』はその問答から、壁のような雄大さを感じ取った。その壁は盾でもあり、あるいは翼なのかもしれないと、階段を上り、微睡みベッドに倒れ込む『彼』は連想し、発汗と脱水も忘れて、また昏々と沈んでいった。

 

兵士長への贈り物のヒントを聞き出せる絶好の機会だったが、『彼』の眠気はその意図を完全に忘却していた。

 

 

 

 

 

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