─1─
その後、エレン以降の者たちの適性検査も終了し、私たちは次の訓練の場所へと移っていった。とはいえ、その他の訓練も、先の適性検査のような大掛かりのモノではなくとも、ガイダンスや一部の紹介だけに留まった。本格的な訓練は翌日以降行われるのだろう。
その日は日程が早くに終了し、夕方、人々は暇を存分に持て余していた。談笑する者、本を読む者、喧嘩する者と様々だった。私は、とりあえず走り込みをしていた。せいぜい肩慣らし程度の強度の運動だが、これから過酷な訓練が始まる以上、これまでの鍛錬で培った肉体の整備くらいはしておかなければ。現に、一日中走り続ける怪物もいたわけだし。
丸太の柱で囲まれた訓練地の内周を走り、入り口まで差し掛かったところだ。エレンがミカサ、アルミンに両肩を担がれ、運び込まれてきた。エレンは頭から血を流しており、白目を剝いていた。
「なんっ何があったんだ!?」
私は急いで駆け寄る。他の人たちも入り口に視線が動いていた。
「エレンと一緒に、適性検査の復習をしていたんだ。」
「それで、怪我をした。」
アルミン、ミカサは答える。
(復習って、あれに復習なんて必要なのか?)
そう答えたくなったが、飲み込む。とにかく今は緊急事態だ。
とはいえ、二人が運んでいるからできることは無い。ただ、彼の無事を見守るだけだった。ゆっくりとした足取りで、三人は医務室へと向かっていった。
「オイオイ、あれじゃ明日も待たず、開拓地どころかあの世行きなんじゃねぇのか?」
髪を横に刈り込んだ、馬面の男が私の横から話しかけてくる。
「・・・私には、あれに適性が必要かどうかすら怪しいと思っている。」
「だよな。ただぶら下がることに大層あこがれてんじゃねぇの。」
馬面は続ける。なんだか調子がいい奴だ。
「まだ何も始まっていないのに、なんてことだ。」
「まぁ、俺としちゃあ願ったり叶ったりだがな。競争する奴が一人減るってこたぁ、俺が内地に行ける確率が上がるってもんよ。」
・・・態度から察するに、シガンシナ区から来た者ではないようだ。さしずめ、巨人に立ち向かおうとする人間の気持ちなんてわからないのだろう。
「君は内地に行きたいんだね。」
「あったりめぇだ。いや、ここにいる奴らの殆どがそうだぜ。巨人から最も遠ざかれるし、憲兵という兵士としての最高の栄誉をほしいままにできる。目指さない奴はよほどのバカか、あいつみてぇな死に急ぎ野郎だけだ。」
馬面は顎で遠くのエレンを指す。死に急ぐ、か。また、あの時を思い出す。
”鎧の巨人を殺す。”
私がやろうとしてることも、大して違いは無いのだろう。
「・・・だったら、私も同じだな。」
私は、噛み締めるように頷いた。
「ああそうだろうとも。ま、あまり本気で目指されちゃあ、俺の椅子が減るからよしてもらいてぇが────」
私はエレンを介抱するために、彼の方へ駆け出す。何ができるわけでもないのだろうが、とりあえず、行けばなにかわかるだろう。
「おい!人の話を聞けよぉー!」
遠くで馬面が呼びかける。
「ごめん、また今度!」
彼は苦い顔をして、舌打ち一つくれた後、食堂へそそくさと帰って行った。
まだ夕食には時間はあったが。
─2─
結局、あのあと私は何もできなかった。情けなくも、とかではなく、単純にできること自体何も無かったからだ。担いで運ぶのはミカサ、アルミンの二人で出来るし、手当ても医務室に任せればいいことだ。いや、疲れ果てたアルミンに代わり、エレンを運んだことくらいか。
医務室まで辿り着いたら、二人に礼を言われ、そのまま解散となった。
夕食の時間にはエレンも戻ってきていた。・・・半ば放心していたが。
「オイ、あいつ確か昨日の晩に・・・」
「巨人を皆殺しにしてやるなんて言ってた奴だよな?」
「あんなこともできねぇ奴がいるのか・・・」
評価が一変して、夕食時の空気もかなり悪い。エレンに対する陰口で食卓は埋め尽くされた。
「・・・なぁ、お前もそう思うだろ?」
「へ?」
「だから、エレンのことだよ。あいつ、このままじゃ開拓地行きだぜ?」
「所詮、志だけじゃどうにもならねぇってコトだろ」
今回ばかりは会話に交じりたくない。正直、自分のことを言われているようで胸糞悪い。
・・・私も、エレンのように豪語したうえで失敗していれば、同じ目に遭ったのだろうか。
志なんてなくても、彼らは兵士になるのだろう。そして、エレンはなれない。
不本意だ。急いでスープを掻き込む。
「おい、まだ時間は当分あるぞ」
「いや、まだやりたいことがあったから。」
嘘だ。いや、半ば本当だ。そそくさと食堂を出て、宿舎へ向かう。自室の手記を開いた。
ウォール・マリア陥落から一年の間は、まともな手記を手に入れることすらできなかった。再び筆を執ることができたのは、開拓地で任意で支給される物品に、手記とインク、万年筆が含まれていたからだ。
開拓地に移ってから、ずっと書き続けている。これは、手記第2号、といったところか。
これには、これからの訓練の日々も書き記そう。今日感じた忸怩たる感情も、ここに記そう。
思えば、避難区画での生活は、情報を受け止めるばかりで、外へ出すことはできなかった。
その閉塞感は、ここでなら解消できるはずだ。
置いてきた日誌第1号、あれも、いつかは取り戻せるのだろうか。
書いているうちに、だんだんざわめいていた感情も落ち着いてきた。そうだ。いくら心配したところで、私にできることは無いはずだ。
今はただ、自分の心配をした方がいいのだろう。そう心に決め、私は灯を消し、眠りについた。
しばらくして、後続の連中に灯りを付けられるまでは。
─3─
翌日、一度中途半端な時間に寝てしまったか、少し瞼が重い。だが、今日を乗り越えられないほどじゃない。今日は、エレンが再度適性検査を受ける日だ。
昨日陰口を叩いていた人々も、固唾を飲んで見守っていた。なんだかんだ、たった数日とはいえ、皆は皆で仲間意識を持ち始めていたのだ。次は自分かもしれない、という怯えをごまかすために、あんな心無い言葉を吐いたのだ。
今ならわかる。
「エレン・イェーガー。覚悟はいいか?立体機動装置を操ることは兵士の最低条件だ。できなければ開拓地に戻ってもらう・・・いいな?」
頼む。うまくいってくれ。私は眉間に力を込める。
エレンの体が少しずつ吊り上げられていく。キリキリと音を立てながら、装置はゆっくりと回転する。場は、恐ろしく静かだった。冷や汗のつたう音が聞こえるほどに。
できた。エレンは、完璧に姿勢を制御していた。
「おお!!」
皆が沸き立つ。しかし、
「ああ!!」
少しの間ののち、エレンは再び後ろにひっくり返った。
「降ろせ。」
教官の無慈悲な言葉が響く。ここまで、なのか。だが、さらに
「ワグナー。イェーガーとベルトの装備を交換しろ。」
教官は続けた。
ベルト?ベルトがなんだ?あれほどの失敗を、ベルト一つで打開できるというのか?
例外なんて無いはずの検査で?
だが、果たして。
エレンはなんの苦労もなく、姿勢を制御できていた。今度は、ひっくり返ることも無く、なんの変哲もない、私たちが誰でもやっているあの姿勢が、彼にもできていた。
「装備の欠陥だ。」
(欠陥?本当にあったんだ。)
「貴様が使用していたベルトの金具が破損していた。正常なら腰まで浮いた状態から反転しても地面に頭をぶつけられる訳がない。」
ということは、
「やった!!」
「いや、なんでお前が喜んでんだよ。」
いつぞやの馬面から突っ込まれる。
「いやー、つい自分のことのように思ってしまって。」
「なんだそりゃ?死に急ぎ野郎と同じだなんて冗談でも言わない方がいいぜ?」
「冗談なものか!私にだってやりたいことはあるんだ。」
「・・・そうか?」
馬面が眉を片方吊り上げる。
「ま、やりてぇことがあんならそれでいいけどよ、俺の足は引っ張るんじゃねぇぞ?あと、それはそれで、昨日は名乗らなくて悪かったな。俺はジャン。ジャン・キルシュタインだ。」
「ああ、こちらも名乗らないままだった。すまない。私は───」
新たに知り合うことになった憲兵志望の男。どうやらジャンは、エレンに対抗心を持っていたらしい。今思い返せば、この時点でかなり見え隠れしていたな。
「・・・あぁ、もうこんな時間か。そろそろ寝るか。」
記録を終え、灯を消し、床に着く。明日から、さらに過酷な訓練が始まる。
私は、ようやく入り口をくぐったばかりだった。
ここから、さらなる地獄が始まるとも知らず。