第54話 女型の巨人
『彼』が入団してから60日目。
空も白んで数時間、市井の人々が朝食を終え仕事に出るかともいう時刻。町人達が並木のように秩序だった緑青の外套の群れを眺めている。物見遊山か今回も兵団への希望を捨てていないからかは知らないが、調査兵団の出立には必ず誰かしら見物人が付く。いつかエレン達が話していたように、兵団に対して無知な子供が、憧れの眼差しをそれらに向けることもあるのかもしれない。
そんな光景を想像しながら、『彼』はカラネス区を出た東の家屋の屋根に、刃を抜いて立っている。ミケ班の面々に混じって。ミケが口を開いた。
「援護班からの掃討完了を知らせる煙弾はいくつ上がった?」
「13箇所のうち、11は確認してます」
「残り2ヵ所か。……団長は本調査では進捗よりも時刻を優先する。もう時間は残されてない」
「日が上り始めてから開始したとはいえ、いつもより巨人の数が多い気がするね」
「やることは変わらないさ。おい、門が開くぞ」
ヘニングが指差した通り、外門はゆっくりと開かれてゆく。そして、細やかな連打が地面を伝う。調査兵団が一斉に駆け出した音だ。一筋の朱色が、家屋の隙間を掠めた。
「アッカーマンを借りた方が十全にも思えますが」
「彼女にはもっとふさわしい役割があるんだろうぜ」
「寧ろこちらに人員を割くわけにはいかない。彼女は個として、陣形の一部位を任せられるほどの人材だと、エルヴィンは判断したんだろう」
(私をリヴァイ班から借りることには躊躇が無かったな。……今更だな)
「ミケ、動き出したぞ」
「案の定、煙弾が上がらなかった箇所からか。行くぞ」
「はい!」
6つのバネの音は一斉に立ち、6つの煙が水平に軌道を描く。
本来の倍近い人数でかかれば甲斐も容赦もなく討伐は済むものだ。
討伐の最中に横を刈り込んだニヒルな男の髪を視界の端に捉えた気がしたが、『彼』はそれが全隊列の半分が通過したことの証として、頭の片隅に入れておいた。
ミケは担当していた班に労いの言葉を掛ける。
「やけに苦戦したようだが」
「直前まで仰向けだったんだ。俺達にも興味を示さなかったしな」
「奇行種か。久方ぶりに見たな」
「今回の調査でも、このくらいの出現頻度であってほしいものだ」
「残り1ヵ所の方から緑の煙弾が上がりました!最後尾の通過を確認!」
「総員馬に乗れ!補給拠点で合流せよ!」
ミケの一喝で、第一関門である兵団の出発は些事に終わった。
─2─
駿馬らは平原を駆ける。未だ壁の中であるここは、先代の者達と目的こそ異なれど、次なる人類の解放に繋がっていると信じて、『彼』らは今日を走っている。
前列の兵士の影がかろうじて見える距離を保ちながら、『彼』は一ヶ月分掛けて磨耗した手綱を握り、馬の跳躍に耐えている。
長距離索敵陣形には列と配置があり、列の若い番号ほど先頭に近くなる。
『彼』の配置は、五列四伝達。最後尾は六列、すなわち陣形のほぼ末尾に配置されている。この配置は索敵や指揮がほぼ完了した状態の煙弾を追うことになり、一見安全そうにも思える。しかし、先頭の放った煙弾と、そこからの後続が放った煙には、大きな時間差が生じる。仮に団長が指し示した指針に進もうとも、追い付く頃には巨人が列の端にまで接近している可能性もある。時間差を加味した上での舵取りが肝要だ。
「……って、オルオさんが言っていたか。この陣形が本格的に導入されたのは、先代団長が引退してからだ。リヴァイ班の面々が入団したのは四年前。それなりに改善も進んでると思うけど、矜持を絶やさないオルオさんが後輩相手に口酸っぱく警告したということは、この配置は未だ危険が付きまとっているんだろうな」
伝達の関係上、後方からの煙弾は、いくら兵団が全方位を警戒していても視認されにくい。末尾に近い者は、仮に被害が出たとしても、救援が追い付かないかもしれない。
「新兵をここに置くなんて……腕を買われているから、としておきたいけど、数日前、初めて配置の図を団長手ずから班に渡されたとき、先輩達の顔は曇ってたな」
今朝方東の補給拠点では、リヴァイ班の皆にさんざん褒められた。やれ2ヶ月でよく成長しただの期待してるだのと、この配置にされてからは妙に先輩達が低姿勢で勘弁してほしい。
思案をこねていたところで、西から煙弾が上がる。方角の先には班長がいる。
「黒の煙弾……奇行種か」
持ち場を大きく離れることはなさそうだと判断した『彼』は、西へと馬を走らせた。
手練れの班長のお陰もあり、奇行種のうなじは容易く切り落とされた。言葉を交わすよりも早く、今度は東から煙弾が上がった。赤の煙弾が上がった直後に、同一の座標から黒の煙弾が上がる。その状況に、班長は懸念の声を上げた。
「おかしくないか?」
「何がです?」
「俺たち、さっきまで奇行種相手に戦ってたんだぞ。ただでさえ遅れてる俺たちが届きそうな位置で煙弾が上がるってことは……」
「先輩は陣形の保持に専念して下さい。私が向かいます」
「心苦しいがそのつもりだ。死ぬなよ!」
先輩の激励に頷いて答え、『彼』は全速力で東へ向かった。
煙弾の下では、ライナーとジャンが戦っていた。
ライナー達が『彼』を視認するよりも声で存在を知らせた方が早く済むと案じた『彼』は、「加勢する!」と一声掛けてから、二人が十分に削り取った巨人の四肢を掻い潜り、一直線にうなじを斬り飛ばす。
「お前、なんでここに!」
「無事で良かった。でも、ライナーは四列五の伝達だし、ジャンはさらに前の三列の配置だろう。伝達が二人も戦わざるを得ない状況だなんて」
「索敵が機能してない、ってことだろうな。ッくそ!」
「とりあえず、お前も俺達と来い。俺達で陣形を補填するぞ」
巨人の蒸発する死体から筋繊維が見え始める頃には、三人は出発した。馬上で装備の点検を行いながら、ジャンは『彼』に呼び掛ける。
「お前、どんどん強くなってるな。素直に尊敬するよ」
ニヒルな彼からの真っ直ぐな称賛に、『彼』もまた真摯に答える。
「ありがとう。でも、強くなってるのは私だけじゃない。新兵も、その他先輩達も、この2ヶ月で飛躍的に生存能力が上がっている。現に君たち2人だけで巨人と戦ってたなんて、凄いよ」
「奇行種だからまだマシだっただけだ。帰ったら班長にメシ奢らせてやる」
「おい」
ジャンが指差す方角に、またもや忌々しい黒い煙弾が上がる。
「やるか」
「ああ。飛ばせば間に合うと思うぜ、ライナー」
しかし三人が追い付くよりも早く、二発目の煙弾が上がる。同一の方角から、再三黒い煙弾が。立ち上る煙の視認を妨げる木々はどこにも無かったが、平らな地平を垂直に突き抜けるそれは、不吉にも道中に転がる二人の亡骸をまざまざと見せつけた。
「ネス班長….…シスさん……」
「ってことはこの先に…….」
立ち止まり亡骸に祈りを捧げるような猶予は無く、馬上から瞬く間にすれ違った二人から視線を反らすと、一人の兵士が地面にへたり込み、フードを触る姿が見えた。配置からして、それが誰なのか、三者には容易に判別できた。
「アルミン!」
ライナーの呼び掛けにアルミンはすぐに反応した。顔は青ざめていたが目立った外傷は無く、すぐに馬上で『彼』らに状況を説明した。彼曰く、あれは人間が操っている、すなわち、エレンと同じことが出来る人間であると。今しがた巨人の襲撃を受けたアルミンに『彼』は尋ねた。
「異形の巨人の可能性は?」
「無くはない……と思うけど、前例二件と比べても体色が違うし、なにより、行動に明確な意図を感じた。急所を狙われた途端に、ヤツはシス先輩を『握りつぶし』て、ネス班長を『叩きつけ』た。『殺す』ために動いた。そして……」
アルミンはフードを指でつまむ。
「落馬した拍子に僕のフードを摘まんで、顔を確認した。人を捜してるという『目的』まであったんだ」
「じゃあ人間だと仮定した上でだが、捜すといったって誰を?」
「エレンだ。ジャンが言った通りなら、アイツには巨人を引き寄せる力がある。超大型巨人や鎧の巨人にはその力は無かった。……僕が知る限り、二回とも、ヤツが関わってるのかもしれない。いや、だとしたら……」
アルミンには一つ疑問が浮かんだ。仮に845年、シガンシナ区陥落の際にも同じことをしたのなら、その当時から三体の巨人の目的は、一人の少年だということになる。問題はそれを、三体がエレンであると知ってのことか。それとも異なるのか。エレン以外にも巨人になれる存在がいて、それをも捜しているのか。
「狙いがエレンなら、真っ先に伝達すべきだろ。おい、お前はリヴァイ班だったよな?エレンはどこにいるか分かるか?」
ライナーはアルミンの思案を遮り、『彼』に尋ねた。
「左翼の中頃あたりだ」
「は?リヴァイ班なら右翼側を担当してるんじゃないのか?」
「俺の企画紙では左翼後方あたりになってたぞ」
「僕の企画紙には右翼前方あたりにいると記されていたけど……そんな前線に最高戦力を置くとは考えにくい」
「団長の指揮にすぐ反応できて、即座に行動を起こせる応用の利く場所……それは」
中央後方。四人とも思い至った結論である。
「煙弾が指令班まで届けば右からの巨人集団を躱して撤退出来るだろうが、アイツが超大型や鎧並みの脅威だって知らせるための煙弾なんて持ってねえ。そんな複雑な情報を伝達出来る手段は口頭だけだ。それも、一時的だが馬より速く走れるアイツを追い抜いて必要がある。アイツがそれを見過ごすワケがねぇ」
「……どうするつもりだ、ジャン?」
「撤退の伝達が済むまで、俺達でヤツの注意を引けるかもしれねえ、ってことさ」
「俺たちで足止めをするってのか。俺は伝達を優先した方がいいと思うんだが。……それに、俺の知るジャンは、自分のことしか考えてない男のハズだ」
「失礼だなライナー……俺はただ……誰の物とも知らねえ骨の燃えカスに、がっかりされたくねぇだけだ」
ジャンはいっとう力強く手綱を握り込む。ギリギリと音を立てるソレは、閉め出した空(くう)の中に怒りと後悔を握り込んでいた。
「俺には今なにをすべきなのかが分かるんだよ!そして、これが俺達の選んだ仕事だ!力を貸せ!!」
「私も」
「!」
「私も、届かないところで誰かが死ぬのは嫌だ」
猛り昂るジャンに『彼』が同意した。
「フードを深く被るんだ!顔がアイツに見えないように!あいつは僕らが誰かわからない内はヘタに殺せないハズだから!」
アルミンの言葉に呼応するように、三人とも次々にフードを被る。『彼』は元よりフードを被っていたため、何も変わらず、ライナーの軽口を聞く。
「なるほど、エレンかもしれないヤツはヘタに殺せないと踏んでのことか。ついでに目の悪さにも期待してみるか」
「戦うにあたって、厄介なことが一つ」
『彼』は勇士三人に指摘する。
「立体機動がどういう仕組みで動いてるかは訊くまでも無い。問題は、その仕組みが、敵にとって分かりやすすぎることだ」
「それってつまり──」
「アンカーはそのまま進行方向を差している矢印だし、ワイヤーの長さは移動する距離そのままを現してるってことだな」
利発な4人から答えが出るのはそう遅くはなかった。特に立体機動に秀でていたジャンは、アルミンの回答を食う速度で答えていた。
「ガスの噴射で多少距離は稼げるけど、向かう方角を知らせているなら誤差の範囲だ。私達ヒトにとってアリやネズミ程度のサイズの生き物が事前に動く向きを知らせれば、どんなに動きが素早くても、捕まえられると思う。巨人にとってそれこそ私達は、ネズミに見えるんじゃないかって」
「……哲学の話がしたいのか知らんが、要は予測が立ち難いよう動けばいいんだろ」
「いいかお前ら、『こいつ』の言葉もそうだが、これから言う俺の言葉も頭に入れとけよ」
アルミンを先頭に、四人は脅威に向けて駆ける。女型の巨人と仮称されたその巨人は先程よりも歩調を落としている。次の攻撃対象を捜しているかのように。
その周囲をバラバラに、四人は併走する。いずれの方向から仕掛けられるか、巨人に警戒させるために。
仕掛けたのは女型の方からだった。身構えてはいた。しかし、馬から跳び立つ暇も無く、一歩で距離を詰め、拳は下手に振り抜かれた。アルミンに向かって。
女型の殴打を受けて吹き飛んだようにも見えたが、直撃を受けたのは馬であり、アルミンは巻き添えに地面を転がっただけだった。
不本意ながらそれが開戦の合図となった。ジャンが真っ先に跳び出し、アルミンを覗き込む女型にアンカーを突き立てる。『彼』も馬から跳び立ち、地面を疾走する。トリガーに指は掛けている。
(攻める時は一瞬だ。なるべく攻撃の瞬間を悟らせるな。でもアンカーの巻き取りで勢いを付けなければ十分なダメージにはならない。両方だ。両方同時に進めるんだ。そして、アイツが兵士のやり方を熟知してるなら───)
女型は腰を落としたまま、ズシンと一歩踏み込んで、右腕を振り抜いた。その動作の間に、振り抜かれるかというその刹那に、『彼』はアンカーを射出し、ガスを吹かせ急速にワイヤーを巻き取り張り付かせる。しかし、跳び立たなかった。
(アイツは攻撃の『可能性』を、無視しない)
その行動が女型に効いたか、抜群の機動力を持っていたかは不明だが、ジャンは振り抜かれた右腕をすり抜けて女型の正面をくぐり、左肩上空へと逃れた。左肩へ抜けたジャンを確認するよりも先に、『彼』は突き刺したアンカーを引き戻した。
次はこちらに来るかと案じたが、女型の視線は頑なとしてジャンから離れていない。
(見破られたか。私のワイヤーの張りは本気の攻撃とは微弱な差があったことを自覚はしてたが。なら、さっきと同じ張りで攻めてやる。なによりジャンから注意を反らすんだ!)
女型が次にその腕で風を巻き起こす前に、アルミンが絶叫した。
「ジャン!死に急ぎ野郎の仇を取ってくれ!!」
女型の拳の力みが緩んだ。アルミンはさらに捲し立てる。右翼側で本当に死に急いでしまった死に急ぎ野郎の仇を取れ、と。
その言葉に、女型からは明らかな油断が見て取れた。打ち落とせそうな着陸の隙を晒すジャンの離脱を、許したのだから。
(仕掛けるなら今だ!)
巨人相手の討伐に、一人で挑む無謀さを今になって発揮するほど『彼』は愚かではない。2ヶ月掛けて鍛え続けたある技を使うためだ。計画を変更し踵が埋まるほどワイヤーを張り詰めさせた『彼』は、軋む装置の苛みを一気に解放させる。風は巻き付き、景色は溶ける。しかし『彼』はそれでも標的を逃さない。激しく回転する刃を、女型の肘に滑らせた。実地にて初めて披露した、「回転切り」である。
しかし宙に浮かぶ『彼』の予想に反して、歴戦の兵士が編み出した技とは思えないほど、女型に与えた打撃は弱かった。ほんの数ヶ所切り込みを与え、そこから血を滴らせるにとどまったのだ。おまけに女型はその損傷に反応せず、右手になにかを握り込んでいる。血を吹き出しながらもその握撃を加えるなにかに対し、ジャンが絶望の声を上げた。
「お…おい…ライナー…お前……」
ライナーが捕らわれた。その情報を噛み砕く前に、すぐさま女型の右手の五指は四散した。血と風にくるまれたその男は、回転でそれらを振り払って、地に降りてアルミンを拾い上げ女型から走り去る。
「もう時間稼ぎは十分だろう!?急いでヤツから離れるぞ!!人食いじゃなきゃ俺達を追いかけたりしないハズだ!」
ライナーはそう言い、残った二人が逃げ隠れるための注意を引いた。ある意味その言葉の通りに女型は、じっとその手を眺めながら立ち上がり、馬よりやや遅い程度の速度で走り出した。陣形の中央後方へ。右翼を縦断する進路から一変して。