─1─
巨大樹の森から約一キロメートル離れた平野まで撤退した調査兵団は、荷馬車に死者達を積み上げていた。布でくるまれたそれらは靴しか見えず、最早誰が誰だか分からなくなっていた。リヴァイ班の面々も、その中へ積まれてゆく。彼らの遺体は、ミケ班が運搬した。運ぶのに必要な馬の数は、むしろ余っているくらいだった。
女型の巨人が呼び寄せた巨人が彷徨いている可能性があるにも拘わらず、兵団が極力遺体の回収をするのは、遺族の溜飲を下げさせるためだ。「兵士達は勇敢に戦い抜いたその末に散った」という、物的な証を示すために。
しかし遺体を回収してなお、兵服の左胸の刺繍だけを切り取り、遺族に届ける決まりになっている。壁の外では、何が起こるかは分からない。やむを得ず回収出来ないことだって大いにある。現に今も、その刺繍の回収すらままならず、行方不明として処理しなければならない人が、何人かいる。
回収したいと申し出る先輩の兵士の悲痛な叫びも、団長の一声であえなく止んだ。すすり泣きに代わって。
回収のためさらに踏み留まるか、今いる兵士を危険にさらすか。団長は天秤にかけ、出発を選んだ。
『彼』はエレンを含む負傷者らが乗った馬車の手綱を握り、一度ピシャリと叩く。たとえ軋む身体であっても受けた傷は『彼』の背後に乗せられた、オルオも含めた兵士達の方が遥かに重い。それだけのことだ。
帰りの長距離索敵陣形は、恐ろしく小規模だった。出発時300人程いた兵士達は、その数の約3分の1を失った。そのうちのほとんどが初列を受け持つ者達、ある程度状況に乱れがあろうと対処が可能な、秀才達ばかりだった。
エレンは未だに目を覚まさない。ミカサと兵士長が救出したエレンは、女型にあと一歩のところで拐われかけていたのだったという。
ミカサは『彼』に何も言わない。普段ならエレンが目を覚ますまで声をかけ続けていたし、それを咎める先輩もいた。しかし今や荷馬車からは呻き声一つ立たず、ひっそりと車輪の跳ねる音だけを響かせている。
団長曰く荷馬車のペースでも、壁に着くまでそう時間はかからないらしい。
道のりにしてほんの十数キロメートルと数時間。その間に多くの命が喪われた。あまりに多くのことが起こった。
「巨人出現!!」
さっき団長に諦めさせられた先輩兵士が、友の亡骸を背中に乗せ、馬を走らせている。
「あの人……」
『彼』には他の兵士を危険に晒した当人を詰る気力も無かった。刃を振るう体力はあっても、持ち場を離れれば馬車は方向を失う。
「あのバカ……」
「兵士長、馬を頼みます」
悪態を吐いた兵士長に馬を任せ、『彼』もミカサに続いた。
遺体を背に乗せた兵士、ディタは、迫る巨人の腕を躱すべく伏せたが、イヴァンの遺体が馬から滑り落ちた。
ミカサが討ち取るも、巨人はそのいち個体だけではなかった。陣形の後部へと、周囲に巨人達が迫ってきている。ディタが呼び寄せたのではない。長距離索敵陣形を展開できない今の兵団では、巨人の接近に反応できる範囲も著しく小さかった。
ディタはすぐにまたイヴァンの身体を背負うが、身体に縛るなりする猶予はない。『彼』が並走してはいるものの、陣形からはぐれつつある。ミカサはすでに合流を済ませている。
「ディタさん!イヴァンさんの兵服だけを持って下さい!遺体の方は無理です!!」
「で、でも……」
「硬直が進んでて脱がせられないか。なら……」
『彼』は刃を抜き去り、イヴァンに構える。
「お前、なにする気だ!」
「ただでさえ今生きてる兵士達を巻き込んで、団長の命令を無視してるんですよ」
先輩への諫言が、自分にそのまま返ってくる。
前方を走る荷馬車の後部が開かれた。そこから、布にくるまれた者達が、一人、また一人と放り出されてゆく。
「……っ!!」
ディタからもはや言葉は出てこなかった。『彼』はイヴァンの左胸を切り、肉片が混じった刺繍を掴みとる。ディタは涙ながらに、遺体を背から下ろした。
どしゃりと無残な音を立てて、オレンジ色の髪を持った重しが、巨人と違って遥かに重たい命を持っていた者が、荷馬車から転がり落ちてゆくのを、『彼』はなるべく視界の端に追いやって認める。
(……ごめんなさい)
その甲斐あって、馬は速度を取り戻し、巨人達を引き離してゆく。『彼』は血肉を振りほどいた刺繍を、ディタに渡す。兵士達の服、その左胸に結われた刺繍の裏地には、その兵士の名前が縫われてある。たとえ身体は無くとも、我々が刺繍だけと切り抜くのはそのためだった。必要最低限だが、その兵士がいたことを示すためだった。
─2─
もうすぐ壁まで着くところで、エレンはようやく目を覚ました。『彼』がそれに気付いたのはミカサの声で御者の席から振り向いたからだ。『彼』は思った。まだ目を覚まさない方がむしろ良かったのに、と。
「女型は……どうなった?」
「……」
背中に向けられるミカサの視線が痛い。『彼』も言葉を返せなかった。
「今朝より数が少なくなってないか?」
「かなり減ってるな」
『彼』が口を開くよりも先に、潜った門の向こうの野次馬の声が飛んできたのだから。
「早朝から叫び回って出ていったと思ったら、おさんじ過ぎにはもう帰ってきやがった」
「何しに行ったんだ?」
「まぁしかし、コイツらのしけた面から察するにだな、俺達の税をドブに捨てることには成功したらしいぜ」
エレンが起き上がろうと苦悶の声を上げる。たとえ反論の余地が無くても彼はそういう人だ。しかしそこに、漂う暗雲にそぐわない晴れやかな声が聞こえて、エレンまでも、その声には直視出来なかった。
「カッケエー!これがあれが調査兵団か!!」
10歳くらいの小さな少年と少女。二人がこちらに向かって、大人の野次に負けないくらい大きな声を出していた。
『彼』は子どもの頃、調査兵団の凱旋に並んだことは一度もない。そうしなくても日常は続いたし、そうせずとも関心を惹くものは別に沢山あった。
「あんなボロボロになっても戦い続けてるなんて!!」
しかし今は違う。もう無関心ではいられない。この罵声と失望の声の只中から逃れられはしない。大人達のぼやく声の中を掻き分けて、背伸びして眺める無知な子どもの、純粋な憧憬の眼差しからも。
「エルヴィン団長!答えてください!」
「今回の遠征で、犠牲に見合う収穫はあったんですか!?」
「死んだ兵士に悔いは無いとお考えですか!!」
後悔がないわけが無い。分かりきってる。でもこの立場にひとたびなれば、それこそ人だと思われないのだ。まして、英雄でもなんでもない。
『彼』はうなだれて、ただ馬車の手綱を手繰ることだけに意識を向けた。
今回の壁外遠征に掛かった費用と損害による痛手は、調査兵団の支持母体を失墜させるに十分であった。エルヴィンを含む責任者が王都に招集されると同時に、エレンの引き渡しが決まった。
『彼』は痛感させられた。
生きてこそいるが、我々は負けたのだと。一個人の勝利も生存も、評判の根拠としてなんの意味も成さないのだと。