今俺の背中に走る固い感触は、診療所のベッドのそれだ。訓練兵時代の医務室のベッドと同じ作りのヤツを使いまわしてるからすぐに分かった。いっちょまえにマットレスを敷いてるくせに馬車の底並みに固いんだから……くそったれ。
目蓋を開ければやっぱりその通りだ。染みのついた板材の天井。横を向けば棚に乗った水差し。何度も見た景色のそれだ。周りは暗いがまあ、光源なら窓の外にある。カーテンが空いてるのはあれか?二度と目を覚まさねえと踏んでのことか?くそったれ。
で、こうして俺がこんな夜半に目が覚めたのは、こうも右足を吊るされてちゃ、満足に寝返りもうてねえから、ってことか。道理でどこかに落ちているかのような夢を見てたらしいからなあ。深夜ってほどじゃ無さそうだな。窓から見える月の位置からして9時かそこらか?
……で、こんな場所に置かれてるんだ。結果がどうなったかなんて分かりきってるよな。負けたに決まってる。俺一人がボロボロになって調査兵団の窮地を救いましたなんて、そんな筋書きな訳がねぇ。なんせこの俺が大怪我をしたんだからな。他の木っ端の兵士が無事で済むはずがねえ。
他のヤツらはどうなったんだろうな。
……グンタ、ペトラ、エルド。エレン。それに新兵も。
……いいや俺はなにも見てねえ。そんなものを俺は見ちゃいねえよ。大怪我こそしたが全員ここにぶちこまれて冷えた病院食を食ってるに決まってんだ。そうに決まってる。だから、だからこの病室に、俺一人しかいねえなんてあり得ねえんだよ。ああくそ、なんで目が暗さに慣れてきてるんだよ。くそ。くそ。くそ。まさか皆死んだのか?兵長もか?嘘だろ。……いや、まだ何にもわかっちゃいないんだ。そう落ち着け。クールに振る舞えよ俺。あの男みてぇに。冷徹な俺を。
誰もいねえ。……ハハッ。なんだよ。じゃあ俺だけか。怪我したのは。……………………。そんな訳…………ねえだろ。
……ああ、くそ。こんなことなら、始めからなにも見えてなきゃ良かったんだ。
兵長、あんたはいつもそうだ。
俺達の何歩も先を行く。
新兵と組めば兵長に匹敵するなど、本気で思ってなどいねえよ。
俺はただ、粋がってただけだ。
一生付いて行くと言ったが、
どれ程鍛練を重ねても、どれ程あいつらと力を合わせても、
死線を潜る度に思い知らされる。
俺達は、どうあがいても、あんたには追い付けねえって。
俺達じゃあ、あんたを支えられるほど強くなれねえって。
俺は信じた。
…違う。信じたがってたんだ。
いつかは辿り着けるって。兵長の背中を守れるぐらいの、強え班になるって。
入団して4年。
それが今はこの有り様だ。左腕はねえし、右足はぐるぐる巻きで邪魔だがそれでもなお動くかはわかんねえなんてな。
無様だなんて思わねえ。だが、こんなにもあっけなく命が散って、もはや死に顔すら拝めねえなんて…。
こんなもんであんたを守れる訳がねえ。
俺達は、守り合っていただけなんだ。互いの背中を守るだけで必死だったんだ。
すまねえ。エルド、グンタ、ペトラ…。
すまねえ…。
すまねえ…。
許してくれよ。無力な俺を。
【オルオは床に這いつくばり、窓の外の月に向かって悔いた。もはや誰も守ることの出来ない己を、もはや守る者が誰もいなくなった現在を悔いた。】
そう時間は経っていないだろう。
月の位置も、さほど変わっていない。
もう、俺には何も……
「にいちゃん?」
「何してるの?」
「……」
小さな子どもが、小首をかしげ、真ん丸な目を月明かりに照らし、指を咥えて俺を眺めていた。
俺は口が開いたままだった。何も言い返せなかった。ソイツは紛れもなく俺の弟だった。何人も兄弟のいる俺の家の、末の弟の顔だった。
「お前、なんで……」
「ボザトさん困ります!こんな夜遅くに来られては」
「うるさい!やっとオルオが運ばれてきた病院が分かったんだ!おちおち家で待ってられるかよ!!」
「オルオ!」
看護師を押し退けて姿を現したのは、親父とお袋だった。あんだけお袋に敷かれてた親父が、カンカンに怒ってやがる。
「ああ、なんてこと……」
「お前、腕を……」
「兄ちゃん!」
「兄さん!」
ぞろぞろと兄弟引き連れて、俺の一家は独りの病室で俺を取り囲む。
「……母ちゃん、お前の大好きなシチューを拵えてやったんだ。な?」
「そうだよ。持ってきたから、ホラお食べ」
「ボザトさんちょっと。怪我人だからまだ胃も満足には動いてませんし」
「ごちゃごちゃと!せっかく俺の息子が帰ってきたんだ好きなモン食わせろ!」
「親父。病院の人に悪いからあんまり言わないでやってくれ」
「兄ちゃんずーっと帰ってきて無かったんだから寂しかった」
「にーちゃんあそんで」
ああくそ。すげー残酷だぜ。ちっこいヤツの言葉は純粋なだけにキリキリ胃を絞めやがる。お袋、熱々なまま口に突っ込まないでくれ。親父はもういいよ怒らなくても。もういいから。ああくそ、やめろ。目がぼやけてきやがる。こんなことしてる場合じゃねぇだろ。俺にはまだ……まだ……?
……そうだよ。何を考えていたんだ、俺は。
俺には、こいつらがいる。
すまねえ、ペトラ。グンタもエルドも。
俺には、まだこいつらがいる。
親父も、お袋も、兄弟達も。
……まだ死ねねえ。わかりきってたことじゃねぇか。
俺にはまだ、守るべきもんが、ある。
【オルオは末の弟を抱きしめ、号泣した。己の非力と独りよがりを。背けていた現在を、涙とをだけを、小さな弟に覚えていてもらうために泣いた。】
ーーーーーー
朝を迎えた今、兵長と新兵が見舞いに来た。エレンは旧本部地下で待機だそうだ。かわいそうに。俺の家族は日付を跨ぐ前に帰ったから、別途訪問するそうだ。兵長達が生きていたことは、親父からもう知らされてた。もう俺は、これから何をするべきかは決めている。この身体で出来ることはあんまり無いかもしれねえが、やれるだけのことはやる。
「……ということで、すみません、兵長」
「……不可逆の傷を負った兵士の行き先など知れてるからな。俺は止めない。それがお前の選んだ道ならな」
「悔しいですよ、俺は。本当なら、戦わなくちゃならねぇ。あいつ等の仇は、今もどこかで生きてる。けど、この体じゃどうしようもねぇんですよ」
「分かってる。お前はよく戦った。あとは俺達に任せろ」
「わりぃな、新兵。もう、教えられなくてよ。実演はできないかもしれないが、困った時は、いつでも来てくれ」
「はい」
……チッ。浮かねえツラしやがって。
「……お前のせいじゃねえ」
「分かってます」
こんな時ぐれぇ、俺にいいカッコさせてくれよ。俺はソイツの肩を掴んで揺すってやる。
「『お前』は生き残ったんだ!このリヴァイ班の中で生き残ったんだぞ!?名誉あることじゃねぇか!お前はちゃんと強くなってるだろ!な!?分かるだろ。……分かってやれよ」
ソイツはただ頷くだけだ。目も合わせず。
なんだよその顔は。いつもの軽口はどうした?俺達を慕っていたあの明るい顔はどうしたんだよ。元気出せよ。こうして俺は生きてんだ。兵長も十分頑張ったって俺に言ってくれたんだぜ?そうなればお前も褒められてると同じだろ?先輩の俺が兵長からありがたいお言葉を賜ったんだからよお!
「俺、支えますよ、兵長!エルドやグンタ、ペトラの家族も。この手じゃ何も掴めねえかもしれませんが!絶対!あいつらの分も、…生きて、……頑張りますから!!」
【オルオの眼前は再び揺れ動く。頬を水滴が次々と伝い、喉は痛み、締め付けられる。
それでも、とうに戻れぬ今を見据えるのを、決して止めなかった。
リヴァイ兵長は、わずかに振り返り、目で訴えかける。
”悔いは無いか?”と。
「はい。お元気で!」
オルオは喪った左手を掲げ、まばゆい日差しの下、兵長と新兵を見送った。
一人の兵士の生は続く。たとえ、振るう刃を失おうとも。羽ばたく翼がなくとも。】