進撃の巨人2 名もなき英雄の軌跡   作:なげすて

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視点が目まぐるしく移り変わります。
語り手の一人称が『私』の場合は夢主、「わたし」の場合はアニ視点となります。


第62話 ストヘス区と、"そと"の世界と

62日目の夜中、団長、兵士長と乗せた馬車と、エレンを乗せた馬車、その2つの馬車をこっそり馬で尾行していた『私』達は、確実にストヘス区に近付いていた。あと数百メートルのところまで。『私』と、ミカサと、アルミンとジャンの4人で、速度を落とす2台に蹄鉄の音を聞かれないよう細心の注意を払いながら、半月状の外壁を地表から眺める。機と場を窺うために。

 

ストヘス区に侵入する調査兵達は、同日、同時間帯に全員が入る訳じゃない。王政からは、最高位の構成員だけを連れてこいとは言われていないが、この作戦のための少人数だとしても、調査兵が区内をうろつけばさすがに目立つ。標的にも警戒されかねない。そこで、時間帯を分けて、門から正式に認可を受けて入る兵士と、『私』達のように忍び込む兵士とで分けて区へと入る。

 

「見つからないよう尾行はしてきたが、本当にここまで何事もなく来れるなんてな」

「今日は曇っていて月明かりがほぼ出てないし、壁上の松明で見渡せる範囲もごく狭い」

「壁上の駐屯兵が気付かなくても、馬車に乗ってる憲兵は気付かないものなのか?覆いのある造りとはいえ前後に除き穴が付いてるわけだし、完全な密室という訳でもないだろうに」

「正しくは、『どうでもいい』んだと思う。僕達が関与したところで捕えればいいし、うん。考えたところでしかたないよ。明かりを持っていない僕達の尾行が、上手くいったと考えよう」

「検問が近い。そろそろ下りよう」

「分かったよ、ミカサ」

 

『私』達は馬から下り、徒歩で接近しながら近場の茂みに隠れる。アルミンが作戦の再確認をする。

 

「僕達が事前に確認した、憲兵がエレンを拘束する場所の構造は、やはり他の区にあるものと変わらない。地下への出入口は一ヶ所しか無く、王都への移動を開始する時の馬車への搭乗でも人目がある。ジャンがエレンと入れ替わる最大のチャンスは、検問の今ここしかない」

「予感はしてたが、明日1日地下で過ごすのかよ、俺は」

「エレンは毎日そうしてた。ジャンなら平気でしょ?」

「ミカサ……お前……いや、俺が心配なのはそこじゃなくてだな……」

 

辛辣な言葉の筈が、ジャンは悔しそうだが満更でもなさそうな、微妙な歯切れを言葉に起こした。

 

「この変装で丸一日過ごせってことだよ。絶対途中でズレたりしてバレるだろ。俺、あいつとぜんっぜん似てねえからな!」

「うん。似てないと思う」

「私もアルミンと同じ」

「『私』も」

「お前ら……んなら似てねえ俺に任せんじゃねぇよ」

「御者を残して憲兵の4人が検問と話してる。今だよ!」

「うん、行って、ジャン」

「ちっくしょお……」

 

ミカサに命令され、青筋を立てる間もなくジャンは頭をひとしきり掻きむしってからカツラを被り茂みから飛び出した。アルミンは単眼鏡を覗いたままだ。

 

「うわ……本当にお金のやりとりをしてる」

「アルミン、あまり見ない方がいい」

「ミカサ、そうは言ってもいられないよ。まさか本当に憲兵が、あんな露骨な取引を行うだなんて。しかも内地なのに」

「そうか。アルミンは初めて見るのか」

「『君』は、そうじゃないの?」

「訓練兵に入って1年の任務の時に。憲兵団に行ったんだ。マルコと一緒に。その時に何度か」

「ああ……」

「見たのは『私』だけだったと思う。もしあいつがここにいたら、きっと失望したろうな」

「……そういえば、君とマルコが知り合った、あの憲兵志望はどうなったの?」

「ヒッチ共々、あの区で働いてるそうだ」

「合格したんだ」

「手紙で『私』はマルコのことは書いてないけど、多分、頭の固い彼でも察しが付いたんだろう。励ましの返事が多かった。まあ、彼の分も頑張るとも書いてたな」

「これからその2人を巻き込んでしまうことになるけど……」

「マルロもヒッチも動ける2人だ。伝える時間なんて無かったし、信じるしかない」

 

暗がりでも何かがこっちに向かって歩いてくるのが見える。その正体は、調査兵団の切り札たる男だった。『私』は安堵の声を漏らした。

 

「よう、戻ってきたぞ」

「随分早い帰りだったな」

「エレン?どこも怪我してない?あのチビの時のように?」

「お前、兵長のことまだそう呼んでるのか?」

「落とし前を付けさせるまでは」

 

ミカサは暗がりからエレンの顔をベタベタと触る。感触から傷を探しあてるかのように。

 

「平気だ。何もされてねぇよ。憲兵もオレが怪我したら巨人化するってこと知ってるみてえだったし」

「そう……エレン」

「なんだ?」

「アニが女型の巨人であることに、まだ確証が無いことは分かってる。でも、覚悟を決めて」

「はあ?俺はとっくに決めてるぜ。『あいつ』の証言でな」

 

エレンの貌は暗闇で浮かび上がらない。しかし声には、動揺の音色が混じっていた。

 

「そして、『貴方』も。衝撃だったかもしれない。でも、出会うまでは抑えて」

 

『私』にも彼女は釘を刺した。

 

「出会うまで……。言葉を尽くしたら、彼女は聞くと思うか?それなら、君達に一つ話がしたい」

「どういうこと?」

「もしかすると彼女は、この世界の秘密を、知っているかもしれない」

「『貴方』は、何を言ってるの?」

「アルミン、君はいつか、『私』に話したことがあっただろう?この壁の外には、【海】があるんだ、って」

「うん。取り尽くせないほどの塩の湖があるって。……信じてるのは、多分僕とエレンだけだと思うけど」

「『私』は、あると思っている」

 

『私』は即答した。

 

「なんで?なんで急にそんな話をするんだ?」

「アルミン考えてみてほしい。この壁のことを。この壁は人類を巨人から守るためにある、とウォール教の司祭が言っていたけれど、これは、一体いつからあるんだ?今から100年前、いきなり巨人が現れてから作ったにしては、あまりに準備が良すぎないか?今の『私』達の技術でさえ、普通の家を立てるのに1ヶ月は掛かる。なのに何百、何千キロメートルにもおよぶこの壁を、巨人がたどり着く前に建設し終えられるのか?」

「それは……多分、巨人が現れるよりも前にあったんだよ、きっと」

「だとしたら、それほどの技術を持っていてなお、我々人類はどうしてここまで巨人に追い詰められたんだ?」

「それは……」

「誇大妄想もいい加減にして。今は任務に集中しないと」

「ミカサ、これは大事なことなんだ。多分、『あいつ』にとって」

「エレン?」

 

静止したエレンに、ミカサは動揺する。

 

「オレも最後まで聞くよ」

「僕も」

 

『私』はフウと一息吐いた。

「……事前にあったとしては周到すぎて、巨人が出現してから作ったでは絶対間に合わない。こんな存在に囲まれるため人類が逃げ延びて来たのなら、やはり、巨人の進行を阻む別の何かが無いと、とてもじゃないけど逃げ切れない」

「…………それが、【海】だって言うの?」

「だから『私』は、君の言う【海】という存在を信じている。その巨大な湖が、巨人どもを『私』達に追い付かれないよう押し止めていたんだ、って」

「あ、ああ……」

「それで、それがなんでアニと繋がるの?」

「訊けば明らかになるかもしれないからだ。その【海】の実在を。彼女こそが証人になれる」

 

戸惑う2人に、ミカサは叱咤する。

 

「『貴方』達は冷静じゃない。こんな時にそんな話をするなんて」

「……2人は、ミカサにこの話をしたことは無かったのか?」

「え?うん。ミカサも一緒に居たけど、多分聞いてなかった」

「そうか。道理で……いつまでも蚊帳の外だと、寂しいだろう」

「そんなんじゃない」

「『私』は信じたいだけだ。この壁の外に、何か希望があるんじゃないのか、って」

「それは……やっぱり変だよ」

「そうか?」

「……鎧の巨人を倒すことが目的の『お前』が、その後のことを言うなんて。……やっぱり頭を冷やした方がいいんじゃなおのか?オレ以上に」

 

この会話に、『私』は少しだけ賭けていた。この3人が『私』の持つ丸薬の存在を打ち明けるに足るかどうかを。使わせてるつもりは無くても、新しい世代の彼らなら何か新しい活用法が生み出せて……いいや、『私』の意図は、もっとシンプルだった。

 

ただ、知ってもらいたいだけだった。『私』の秘密を。そして、知ろうとしていたんだ。あの存在を。リヴァイ班を殺したあの存在を、自覚もなしに知ろうとしていたんだと、今では思う。

 

 

「なら、やはり『私』の気の迷いなのかもしれないな。じゃあここで一つ冷や水でもぶっかけて──」

「明日丸1日あるから洗面所ででもしなよ。とりあえず、外縁を大きく回り込んで入ろう。馬に戻るよ」

「ええ」

 

アルミンの号令で4人は歩きだした。すでに閉じられた外門を尻目に。

 

ーーーーーー

 

そこから、40時間後。

 

『彼』の入団から64日。その午後5時あたりの夕方。

 

4人が入る地下道の地点を、衝立のように数件阻まれる建物の屋根から見下ろし、『私』は鞘に収まった柄を握って待つ。ここはストヘス区、本日エレンが王都へ向かう際に経由する区画だ。ここに、アニ・レオンハートがいる。【身代わり作戦】が上手くいけば、エレン達が彼女をここまで連れてくるはずだ。

 

「心配か。エレン達が」

「ええ」

 

単眼鏡を手渡しながら『私』は兵の展開を担当する先輩兵士、ペールに答える。懐疑的なのは身代わりのジャンが似てないからだけど、しかし失敗したときのことを想定すれば、それは心配に間違いない。

 

 

もしこの作戦が失敗すれば、街中で突如巨人を出現させ、市民を危険に晒すことになる。シガンシナの時のように。兵団はそうならないよう地下道近辺の住民は誘導のもと遠ざけているが、団長、兵士長移送の只中に調査兵団は表立って動けない。まして当日中に住民に告知した避難誘導。市民の移動速度はまさしく牛歩だった。誘導を担当する兵士も数人しか割けておらず、難航している。

 

なぜなら残りの兵士は全て女型確保のため、そして、万が一の戦いのために、標的を待ち続けているからだ。

 

ハンジ班は先んじて壁外調査で使った拘束具を解体し、独立した部品なら粗悪なゴミに見えることを逆手にとり検問をくぐって、今は組み直して別の箇所で待機している。『私』達もその部品の一部を持って侵入し、昨日の段階で補給担当のヴァイラーさんに手渡している。

 

その際に、ハンジ分隊長は団長からの言伝を『私』にくれた。「アニは恐らく『君』の生死を把握していない」と。彼女を騙して同行させるなら、幼なじみ3人ならまだ怪しまれないだろうと、『私』を戦闘班に配備していた、と。

 

脳内を復習していれば、手はず通りに事が運んでいた。

 

「足音がします。3人が来ました。おそらく地下道まで来ます」

「よし、引き続き監視するぞ」

「そして……」

 

(来た)

 

足音で分かった。適当に見せかけて、いつでも戦いに逃走に移行できる油断ならない足取り。間違いなくアニの足音だった。訓練兵時代、格闘訓練でサボる彼女の足音から感じた違和感と、何ら変わっていなかった。今なら耳をそば立てれば呼吸の音から警戒してる度合いまで判別できる。なぜならここは住民を遠ざけて、恐ろしく静かだから。

 

 

ーーーーーーーー

 

[[rb:わたし > ・・・]]達がここまで来るのに、『あんた』の影は無かった。とても静かなこの通りにも隠れていないのなら、そのまま死んでいてくれ。今は、なんとかしてここから逃げることを考えないと。『あんた』がいる可能性を考慮してる場合じゃない。

 

「ったく、傷つくよ。一体いつからあんたは、わたしをそんな目で見るようになったの、アルミン?」

 

怯えが顔に出ているし、半身に隠した右手が震えている。わたしに比べれば、明らかに下手な嘘。

 

「アニ、何でマルコの立体機動装置を持っていたの?わずかな傷やへこみだって、一緒に整備した思い出だから、分かった」

 

あいつ……がわたしに任せたからだよ

 

「あれは……拾ったの」

 

「じゃあ生け捕りにした2体の巨人は、アニが殺したの?」

 

兵士ごっこしてるあいつが、命令したからだよ

 

「さあね。でも2ヶ月前にそう思っていたのなら、なんでその時に告発しなかったの?」

「今だって信じられないよ。きっと何かの見間違いだって思いたくて、そのせいで……でも、アニだって、僕を殺せた筈なのにそうしなかった……だからこんなことになってるんじゃないか!」

「ああ……心底そう思うよ。あんたらにここまで追い詰められるなんて……あの時、なんで……だろうね」

 

思えば、全ては『あいつ』に教えを乞われた時から、綻び始めていたのかもしれない。半端に兵士として徹する2人と、ボロを出さないよう、普段と変わらず戦士として動いていたわたし。……わたしも、あの兵士ごっこしてるヤツのことを、なじれない日が来るなんてね。ああくそ。まただ。また『あんた』の顔が浮かんでくる

 

「オイアニ…お前が間の悪いバカで、くそつまんない冗談で適当に話を合わせてる可能性が、まだあるから……こっちに来て証明しろ!!」

 

「そっちには行けない。わたしは、【戦士】になり損ねた」

 

もう覚悟を決めないと……覚悟?そんなもの最初から無い。ただ約束があるだけ。父さんとの約束が……。

 

ーーーーーーーーー

 

足音は3人分しか聞こえない。音からするに、アニの足は止まっていた。そして、エレンの声が聞こえた。「証明しろ」と。ほどなくして、刃の閃く音がした。抜刀の擦れる音の規則正しさからして、ミカサがやったに違いない。

 

(まずい)

 

矢庭に、笑い声が聞こえた。異様だ。誰の笑い声かさえも、一瞬分からなかった。おまけにそれは、あまりに場違いだった。もし喩えるとするなら、まるで、嬌声のような。

 

「アルミン。ひとまずあんたは賭けに勝った」

 

(“賭け”だって?)

 

切らした息からして、笑ったのはアニだと確信した『私』に聞こえた。

 

「でも、わたしが賭けたのは、ここからだから」

 

作戦は失敗だった。『私』が掲げた音響弾の発射と同時に、地下道からも同様の音が鳴り響いた。

 

私服を纏った兵士達は一斉にアニを取り押さえる。巨人化の引き金となる自傷を防ぐべく、アニの四肢は開放され、同時に固着される。

 

「俺達も行くぞ」

「は───」

 

ペールさんに答える前に、雷鳴が轟き、光が辺りを包んだ。そして一瞬の爆発。眩さと危うさから、手を翳して『私』はそれを凝視する。

 

節々を赤黒く染めて、筋繊維を露出させた女型の巨人は、ゆっくりと立ち上がりその背を晒した。

 

近距離での巨人化は家屋を吹き飛ばし、瓦礫は砲丸と化す。防御を解いた『私』は、真隣に座っていた兵士の位置に枝垂れる血痕から、彼はそれだけを残して消し飛んだことを察知した。女型は身を屈め、3人が逃げ込んだ地下道の中に、埋め尽くせる大きさの腕を突っ込んで空洞の中ゴリゴリと爪立てて音を反響させていた。

 

「クソッ」

 

『私』は屋根から飛び出した。女型はその足音を逃さず、通路から出した右拳を振り抜いた。女型の頭上を通り過ぎた『私』は、女型の空振った拳に意図が無いか勘ぐった。『私』は標的の無防備なうなじを見下ろしていたが、『私』の後方から大質量の石が擦り合わされる音がする。地下道を越えた家屋に身を隠すべく着地すれば、さっきまで『私』がいた上空を、扇状に瓦礫が飛んでいく。余波で『私』の隠れた家屋の屋根も瓦礫に混じる。

 

(女型……まるで、『斬ってくれ』と言わんばかりだったな。エレン達はどうなってる?他の兵士の合流にはまだ掛かる)

 

石の礫が落ちきってから『私』は立ち上がり、1度アンカーを射出するも、どこにも突き立てずカツンと音だけを立てさせすぐ巻き戻す。そして踵を返して飛び出せば、アンカーの落ちた場所の壁が吹き飛んだ。

 

『私』が空へ登りながら耳を澄ませると、二次作戦への移行をアルミンが指示するのが聞こえた。

 

その直後、女型は一度大きく地団駄を踏んだ。女型の右足は大きく沈み込む。地下道を貫いて。

 

二の足を踏ませぬよう、『私』は女型の正面へ躍り出る。アンカーは射出せず、ガスだけでの不安定な軌道で。

 

(次は──)

 

崩れた足場でも、適した攻撃は握撃だ。素直にその法則通り、人間1人包むに十分な大きさの掌が伸びてくる。

 

 過去に『私』は1度だけ、アニを動揺させたことがある。格闘訓練の最中、予め尾針を切り落としたハチを投げつけたときのことだ。活きの良いハチは最後っ屁にアニの眼前で踊り狂ってくれたため、彼女がはたき落とす隙を突いてあと数ミリのところまで拳打を届かせることができた。命中はせず返り討ちに遭ったが。

 

 立体機動には個人の癖が宿ると、過去に教わった。その癖の証左として装置に付く凹凸に現れる、と。逆に考えればその癖さえ消せば、紛れることも可能だ。きっと女型は今、フードを目深に被って、癖を殺した『私』が誰なのか気付いていない。

 

(虚を突かなくては)

 

アンカーをどこにも刺さない、無から繰り出す回転切り。その威力は本物より大幅に落ちて、女型の左手に容易く勢いを殺されたが、代わりに左手の指を2本切り落としてやり、彼女の左脇の下をすり抜ける。女型は『私』から目を離していない。なるべく地下道から逸れるよう跳ぶが、女型は追ってこない。

 

(この程度じゃ動きたがらないか)

 

女型は再び右足を僅かに浮かせる。蹴りか、踏みつけか、瓦礫を飛ばすか。そのいずれにせよ、初動を起こされた時点で『私』は止める距離にいなかった。

 

彼女は再度踏み抜いた。しかし今度はそれよりも少し早く、2人の頼もしい兵士達が地下から飛び出した。赤いマフラーの少女の顔は蒼白で、地下を向いていた。有無を言わさず、察した『私』は女型に斬り込む。最悪なのは彼女に気取られることだからだ。エレンが地下に閉じ込められたことを。

 

(まだ”癖”は明かせない!このまま戦う!)

 

ミカサは『私』を一瞥し、エレンから遠ざけるべく刃を向けた。

 

ーーーー

 

 

「食いついたな」

「僕の挑発が効いたのかな」

「それもそうだが、ここは、対等になった、というべきか」

「対等……」

「壁外調査では女型の情報が無く、巨人を味方に付けて我々は負けた。今度の作戦は、『私』達兵士がどれだけ潜んでるか分からない。助太刀する巨人もいない。ここまでしてようやく対等になったんだ。だから彼女は誘いに乗った。ここで勝たないと」

 

 

しかし、そこからの戦況は芳しくなかった。エレンから女型を引き離し、時間を稼ぐことはまだ出来ている。女型はエレンの誘拐よりも、逃走を優先しているように見えた。ミカサやアルミン、その他の伏兵を恐れてるなら都合が良いが、こちらが戦力が足りないのは同じだった。女型の逃走を阻止すべく現れる兵士達は、現れるとほぼ同時に殺されてゆく。熟練兵士達が次々に。ハンジ分隊長が用意した拘束具も、数が圧倒的に足りず、振りほどかれた。

 

それでもなお混乱の中『私』が生きているのは、女型が人間だったときの動きを覚えているからだ。

 

3年の歳月でさんざん見せられた、彼女の攻撃に伴うありとあらゆる動作が、記憶のなかで繰り返される。素手のとき。長物を持っているとき。投擲物を持っているとき。そして、未だ彼女が見せていない、あの構えを起こしたとき。

 

彼女の動作の起こりから行動のパターンを予測して、先んじて躱しているから凌げているに過ぎない。人間の姿でどれほど高速で動けようと、巨人の縮尺でなら如何ようにも避けられる。的である『私』は虫同然の大きさだ。飛び越える。潜り抜ける。斬り開く。人同士では出来なかった動きを、この装置が可能な動きを、全てこなしてみせる。

 

いつか王都地下から『私』を追ってきた刺客のように知識が無かったときや、あるいは彼女が人間の縮尺のときなら対応は出来なかっただろう。

 

ミカサのように、攻撃を加えることまでは出来なかった。より正確な攻撃のためにワイヤーを伸ばせば、どうぞ掴んでくれと言っているようなものだ。せいぜい眼前で暴れる蝿の真似事しか、『私』には出来なかった。そんな新兵の中での精鋭である彼女でも、はたき落とされて行方をくらましたことは一度や二度じゃない。その度に、背筋が凍りつきそうになった。

 

アニの正体が明るみに出てから15分と少し。情報の秘匿性で対等に持ち込めても、それでも『私』達調査兵団は敗北に近付きつつあった。

 

(戦えても、勝てない。止められない)

 

万事休すと思われたその時、2つ目の雷鳴が轟いた。そして、結構な距離を離したはずだが、その足音は敷石を蹴り飛ばしながら、女型を殴り飛ばした。ウォール教の礼拝堂もろとも。

 

すかさずエレンは追撃するが、女型は意外にも逃げ出す。その意外さにも納得がいった。立体機動の困難な平地へ、彼女は向かっていた。

 

(迂回させるつもりか。ジリ貧なまま負けるくらいなら、こっちも『賭け』に出てやる)

 

『私』は丸薬を口に含んだ。リヴァイ班が力を貸した時に躊躇したそれを噛み潰した瞬間、視界の縁が、青に彩られる。

 

女型は家屋を蹴り壊して進むことはしない。障害物だらけのここなら、跳べる『私』の方が速い。迂回せざるを得ないのは確かだが、噛んだ丸薬はその迂回路をものともせず『私』の身体を運ぶ。

 

ひと2人程度の狭い路地を、通行人の真上を、ワイヤーの辛うじて届く屋根を、平時なら絶対に通らない死と隣り合わせの悪路を『私』の身体は一切のミス無く通り抜けていった。たどり着いた場所で、『私』は目撃する。

 

2体の巨人は平地に躍り出る。『私』は家屋の一棟に腹這いになり、しかしいつでも飛び出せるよう、右足を力ませて静観する。

 

(周囲の物音からして、ここまでで彼女に追い付いたのは『私』だけか)

 

丸薬の副作用でのしかかる重みを堪え忍んで、彼らを見守る。

 

(1人では勝てない。機を待つんだ。エレンも、『私』も)

 

「ああ……あれは……」

 

エレンは両手を握りしめ、僅かに腰を落とす。彼女はあの構えを取った。訓練地で何度も『私』達に見せた、一度たりとて崩せなかった、あの構えを。エレンと共に苦心に満ちて、何度も攻略法を話し合ったその構えから、音速を超える蹴りが打ち出された。右手で殴るべく踏み込んだエレンの軸足の切り替わりを見抜いて、体重の掛かったエレンの右足を硬化した足が断ち切った。

 

しかしエレンは跳んだ。左足が残ると予測して、力の配分を僅かに残していた。跳び上がり、落下の加速を乗せて、エレンは右手の拳を女型に叩きつける。地に落ちたエレンは吠え声を上げるも、彼女の右手は、しかとエレンの殴打を防いでいた。立て直す間もなく、エレンの顔に蹴りが叩き込まれた。

 

先の戦いでは顔が吹き飛んだそうだが、今回は違った。家屋に叩きつけられることで衝撃を散らしたエレンは、女型の放たれた蹴りを食い止め、食らいつき、離そうとしない。女型は鋼鉄の拳を何度も叩きつけ、吠えて忌々しさを著す。彼女の意識に綻びが出ていた。彼女が初めて見せた激情。

 

(今だ)

 

その衝突音に乗じ、『私』は静かに屋根を跳び越えた。刃を構え、錐揉み回転し北から東西へ、直角に女型の首筋を通り抜けた。

 

 

彼女に『私』は、きっと見えていなかった。

 

切り裂いた感触は確かにあった。しかし、両の刃を合わせて、肉片を切り落とした感触では無かった。

 

(なぜだ。何かがおかしい。今、確かに『私』は切った筈だ。うなじを)

 

振り向けば、彼女はエレンの噛みつきから逃れ、宙にもたげる足を戻して、『私』を睨んでいた。うなじを右手で隠しながら。

 

(失敗した?馬鹿な)

 

刃に乗せる怒りも、その正しさにも揺らぎはない。訓練通りに身体は動くし、正体が明かされた分、敵の意図を読むことだって出来る。それなのに。

 

(それなら、コイツが相手でも同じはずだ。抱えている怒りは。それがなぜだ?)

 

『私』は、迷っていた。

 

『私』は一体、何を迷っているんだ?もう逃げられそうだ。止めなくてはならないと考えている。その感情は食い違っていないのに。なぜ『逃がした方が好転する』と考えているんだ?

 

(殺した人の数が違うからか?両親を殺した直接の仇じゃないから?シガンシナを壊した2人と比べて、判明したのが遅かったから?それとも……)

 

悩みながらも、向ける刃は鈍りはしなかった。

 

(あの人の言葉を受け入れたからか?)

 

女型が屋根を腕で薙ぎ払う。しかし苦し紛れだったのか、飛来する瓦礫の群れの1つが『私』を捉えても、『私』は即死どころか怯みもしなかった。

 

「アニ!!」

 

一昼夜考え続けても分からなかったのに、血と、刃と拳を交えた今ようやく分かった。『私』は叫びたかったのだ。

 

「アニ……!!それほどの力を持っているのなら、きっと全てが下らなく見えていたんだろう!?その躯から見える世界も、『私』達も……ずっと小さくて下らなかったのか!?」

 

(違うだろ!そうじゃないだろう。『私』が言いたいのは!まだ引き留められる言葉があるだろ!考えろ!!)

 

地に落ちた『私』は家屋の壁を押し退け走り出して、また『私』は跳んだ。エレンを追い越して東へ。外壁へ走る彼女に向かって。

 

(ただでさえ離れていた力の差が、ますます遠ざかっていく。『私』では……もう、届かないのか?)

 

逃げようとする仇を殺せもしない。そんな半端な『私』を引き留める言葉が、迷いながらも喉に引っ掛かっていたからだ。849年にユミルから聞かされた、ある1つの事実を。喉に刺さった釣り針を引き抜くかのように、声を涸らそうと踠く。

 

(このまま何も言わず、消えるのか?)

 

「待て!!アニ!」

 

あの時『私』には、ユミルが何を言っているのか分からなかった。その証明さえ、脅迫同然の言葉で彼女は打ち消した。しかし今なら合点がいく。あの人から聞かされたあの言葉の証明が、アニによって成されてしまったのだから。

 

記憶の海で散乱したその言葉を、過去に彼女が発した言葉を、『私』は今絶叫で反芻する。背を向け、東へ走るアニに向かって。

 

【───アタシは───】

 

「君は!『外の世界』から来たんだろう!!」

 

『私』の言葉に気付いたからなのか、『私』の背後から空を引き裂くエレンの咆哮に反応してかは分からない。しかし、彼女のストライドは少しだけ緩んで、確かに後ろを振り向いて、ほんの刹那だが『私』と目が合った。

 

腕も脚も不完全に治癒したエレンの突撃は、気化する高温の体熱で火を纏いながら『私』のすぐ真下を通過し、巻き起こされた突風で『私』は宙を転がる。エレンの突進は、女型からも予想外だったのだろう。逃走を阻まれ、石の架け橋を突き崩しながら、2人は倒れ込む。

 

おそらく、理性を失っていたのだろう。女型の定型通りの技で、エレンは容易く蹴り飛ばされ、家屋の壁面に激突する。再び女型は壁を目指すも、『私』はそれを追うよりも、むしろ逆に一度距離をとった。ハンジ分隊長、アルミン、ジャン、そして、ミカサが『私』に追い付いたからだ。

 

「アイツ、壁を登る気だ!」

「行かせない!」

「ミカサ!!跳ぶんだ!私が合わせる!」

 

ミカサは戸惑いの色も見せず屋根から跳んだ。そのまま加速すれば地面に激突するくらい前傾し、両足裏を『私』に向けて。

ミカサの両足の裏に、空から着地するかのように『私』も両足を合わせる。ただし『私』はミカサに背を向けて、そのまま蹴り出した。ナナバさんから教わった連携を実践した。真逆の方向から噴射される2つのガスは、ミカサに装置の出せる規定の速度を突破させた。

 

彼女はその異例の速度を巧みに操り、一切の破綻も無く急上昇し、新兵の誰よりも的確に女型の右手指を一直線に切り落とし、戻りに左手の指も全て切り落とした。

 

越えるまであと10メートルといったところまで上っていたアニは、素直に重力に従い落ちていった。堕ちた天の使いのように。

 

ーーーーーー

 

視界を共有していた巨人の頭からの信号がぶつりと途絶えた。わたしの背後から、肉の裂ける音がする。

 

ああ、わたしは負けたんだ。

 

負けてばかりだね。今日は。

 

視界が途切れるほんの直前に、『あんた』の顔が見えた。ホント、しつこい。訓練地のあの時と同じ。なんの因果なんだろうね。『あんた』が生きていたなんてさ。

 

…『あんた』は乗り越えた。わたしたち普通の人間が諦める壁を、『あんた』は乗り越えようとしたんだ。でも、そうだとしても。

 

『あんた』はこの世界の真実に、たどり着かない方がいい。きっと耐えられないから。この世界の広大さと、残酷さに。

 

残念だけど、わたしはそれを見届けることも、伝えることも、止めることも、もう、出来そうにない。だってわたしも守りたいもの。父さんと交わした『故郷に帰る』という約束くらい、守らせてほしい。

 

だってあまりに酷じゃない。『普通』の人間には、守るモノを持つことも、それを固持する意地も、それらすら…許されないなんて。

 

だから、ああ……この約束よ、この力よ……お願い………………父さんを…………守って……

 

ーーーーーー

 

遠くから助けを呼ぶ市井の声が聞こえてくる。きっと憲兵達が当たっているはずだ。

 

戦いの余波で燻る火の粉が舞う中で、アニは凍てついてるかのような色合いの水晶に包み込まれて、寝そべっていた。

 

水晶に閉ざされた彼女は、もう、何も言わない。死んでいるのかも、生きているのかも分からない彼女に、『私』が掛けられる言葉なんて無かった。

 

水晶を運ぶべく縄が巻かれてゆく中で、彼女のジャケットとパーカーの背中が、横薙ぎに切り開かれて垂れ下がったまま閉じ込められていることを、『私』は見つけた。

 

 

(本当に、あと少しだったんだ。……あの武器さえあれば、変わっただろうか)

 

『私』が旧本部の自室に隠し持つ異形の刃。1ヶ月前にそれを収めるための柄と鞘の設計図はとある工房に渡したが、その業物の実物を比較する機会無しに一発で作れという無茶振りを敢行させたため、あの刃は未だ完成できていない。

 

催促すればあと数日は必要だと工房は言っていたが、もし今あの刃があれば、この厚い水晶の壁は穿てるのだろうか。ケイジさんは怒りのまま、その水晶にブレードを叩きつけるのをやめなかった。

 

兵士長に止められるまで、彼は叫んだ。同僚の、市民の命の代価が、ただ沈黙する一人の少女を拘束することだけに留まっていいはずが無い、と。

 

調査兵の誰もがその叫びに同情していた。しかし、『私』達に出来ることは何もなかった。布を覆い被せ、さらにもう一重縄で縛られ、水晶は暗く閉ざされてゆく。

 

「オイ」

 

感傷に浸る間も中断され、兵士長は『私』に呼び掛ける。

 

「お前には伝令をやってもらう」

「私、ですか」

「ああ。事情聴取で俺達は動けなくなるが、まだ憲兵どもは事態の収拾に追われてる。紛れてミケに連絡しにいくなら今だ」

「憲兵……兵士長。マルコの装置は今どこに?」

「それは憲兵の管轄だ。遺族への遺品とは別に、兵士の装備は溶かされるなりして再利用されるからな。トロスト区奪還作戦の折の犠牲者の分はなぜか順番待ちのようだが」

「それなら、すみません。ひとつお願いがあります」

 

『私』は一つ願ってから、馬に乗った。

 

「どうかマルコの立体機動装置を残してほしい」、と。

 

女型の巨人の正体に気付いた、最初の功労者としての名誉を、彼に委ねるために。叶うかどうかも分からない願いを片隅に、『私』は休むまもなく駆け出した。ストヘス区から南西の城へ。夜を越えるために。

 

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