「すでに4体目の討伐が済んでいる!貴様は新兵を置いてさっさと配置に戻れ!」
馬を走らせる中聞き覚えのある威圧的な声が先から響いた。森を切り抜け遠方を見ればその正体は明らかになる。キッツ・ヴェールマンだ。『彼』が馬から下りて小鹿の下に辿り着く頃には、先導していた駐屯兵は敬礼を済ませてさっさとその場を立ち去っていた。馬上でキッツは[[rb:悪口 > あっこう]]を吐く。
「北の監視を切り上げトロスト区に戻るとあいなって数日にこれだ!それで調査兵が南にいると聞きつけ召喚を要求すれば新兵と来たもんだ。子どものお守りなど、司令一人で手一杯だというのに、くそぉ……」
「隊長、お待ちください。『彼』なら十分戦力として見込めます」
頬を歪め遊び毛がハラハラと抜け出る隊長に、眼鏡を掛けた銀髪の兵士が『彼』を一目見て宥める。『彼』はその精鋭に、敬礼で以て切り出した。
「リコ班長、二か月ぶりです」
「生き残っていたんだな。あれから互いに。……成長したようだな」
「ええ。それなりに刃は研ぎました。きっと貴方の力にもなれます」
「実力面で、とは一言も言っていないがなぜそう考えたんだ?」
しまった。ややくまが滲む目もとを眼鏡で隠す彼女に、いや親しい人全般を前につい緩んでしまう癖は、いい加減何とかしなくては。
回答に困っていればキッツが怒鳴った。
「ええいリコ!貴様は北の防衛の心労を知らぬからそんなことを言ってのけるのだろう!みろこの私のほつれた髪を!」
「いつも通りではありませんか」
「このッ……!」
キッツは青筋を立てるも、激高している訳ではなさそうだった。「まあいい」と溜息を吐いて南を睨む。『彼』はキッツよりも少し前にある家屋の屋根に上り、隊長に確認を取る。
「やはり南から来ているのですか?」
「ああ。貴様ら調査兵団が遭遇した城から北西にある村。そこから更に西にある、我々駐屯兵団の防衛線。おおよそ君らの時系列通り、巨人どもは南からここに向かって来ているな」
『彼』が周囲を見下ろしてみれば、駐屯兵が防衛線と言っていたとはいえ、その造りは壁に比べて酷く簡素だった。帯状に延びているわけではなく、並ぶ家屋に砲門が幾つか鎮座しているだけだった。
(急ごしらえにしては用意がよく、重点的な防衛線にしては準備が足りない。大方、複数点在する拠点の一つなんだろう。壁内にこんなものが用意されるようになったのは、多分、シガンシナが墜ちてからなんだろうな)
キッツ隊長とリコ班長、砲手そして『彼』含む防衛線の兵士の数は合わせて20人にも満たない。やや人手の不足を感じて『彼』はキッツに問うた。
「人数はこれだけですか?」
「普段の我々の守りの厚さに対して面食らうのは分かる。だが当然人員はこれだけではない」
キッツは徐に南を指さした。
「斥候に当たらせ、目撃次第信煙弾を上げさせている。心配は無用だ」
「我らの案の剽窃ですか」
「貴様らの団長はアイデア1つ取られるだけで居丈高に怒鳴るのか?」
「……」
「それに我々は斥候に斥候を付けさせている。煙弾だけでなく目視で斥候の位置を確認できる距離を互いに保つようにな。貴様らの陣形の右翼は煙弾に頼りすぎたゆえ壊滅した。我々はその反省を活かしているというわけだ」
団長への侮辱を並べ立てるキッツに目もくれず、視線を正面に戻した『彼』は小鹿の目の前で赤の煙弾を打ち上げた。案の定小鹿はこの未熟な心に見合わない牡鹿同然の悲鳴を上げて、リコは『彼』を嗜めようとしたが、『彼』は特段ムカつきからそんな行為に及んだのではない。
『彼』にはすでに敵の足音が聞こえていたのだ。
森林から2体の巨人が躍り出る。律儀に1体につき1人ずつ、兵士の亡骸を口に咥えながら。
「やはり。そういった配置は連鎖的に奇襲されればたちまち崩れる。誰かが思い至る打開策はすでに団長は思い付いていて、なおかつそれの課題さえもをとっくに潰しているのか」
司令との対局を思い出して独りごちる『彼』にキッツは顔をわなわなと震わせるが、牡鹿の矜持をこれ以上崩すまいと声を張り上げた。
「奇襲!砲撃用意!!」
ーーーーーーーー
「新兵!そっちに向かったぞ!」
「了解!」
片腕の腱を削がれた14メートル級の腕を掻い潜り、草原を滑るように体を横たえ飛行し、左足の腱を切り裂く。寝ころんだ標的をリコが討ち取る。戦闘開始から2時間と少し。連中の侵攻は非常に緩やかで、本来の駐屯兵団の作戦とは、立ち回りを大きく変えることになった。
「ふう……兵士は陽動に徹し、拵えた砲撃拠点で迎え撃つ予定だったが、まさか、斥候役の兵士とで片が着くとは。特に疲れ知らずの新兵がいると迅い」
「ありがとうございます」
リコと『私』の2人で索敵と討伐を繰り返し、その場その場の斥候と協力し終わればまた煙弾の下へ。それを繰り返せばもはや砲手までの誘導も要らず討伐が可能となった。正直『私』にも予想外で、斥候の駐屯兵の練度に驚かされた。拠点に戻り、よっこらせと『私』はキッツの前まで歩いてくる。
「さっきの話の続きですが、調査兵団の壁外調査には、視界と耳を同時に不自由にされ、壊滅した事例があります。確か……第23回だったか。その前例のもと、団長は陣形を決定する折に兵士ごとの間隔をさらに広く開けるよう設定したと、彼自ら高説を賜りました」
立ちのぼる狼煙も碌に無い、晴らした家屋の屋根で『彼』は下の押し黙るキッツに訥々と聞かせる。きっと働きに免じて怒鳴るところを敢えて黙っているのだろう。リコは眼鏡を外し、砂礫の付着が無いか確認している。既に予備の眼鏡を装着し終えた上で。丹念にレンズを拭きながら、彼女は独り言ちた。
「なんだろう。やはり、なにか……」
「なにか気になることでも?リコ班長」
「静かすぎる、とでも言うべきか。シガンシナが墜ちた時も、トロスト区が破られた時も、ここまで戦局が静かだったことは無い」
「ええ。確かに……『私』が来る前に駐屯兵達が倒した数も含めて20体……それを迎えてから、索敵から一切報告が上がらない」
構えを解いた覚えは無いと示すように、リコは眼鏡を掛け直して、『私』は被ったフードの頂点をつまんで位置を正して、腕を肩まで一度大きく回す。身体の節々が痛む。明らかに疲労の兆候だ。
「奇襲こそ許したが、我々もそう容易く遅れは取らない。イアンとミタビを喪ってから、次の班長候補を選出すべく指揮を執ったキッツ隊長の指導は熾烈を極めたからな。勿論、私やハンネスもだが」
「ハンネスさんも?」
「ああ。彼はクロルバ区担当だが、破竹の勢いで巨人と刃を交えているらしい。5年前の雪辱はあれどあの歳だ。単独での撃破などはさすがにありえないが、同胞や新兵を率いての勝率は精鋭班に食い下がるくらいには仕上がっている」
「ああそれは手紙で聞いてます。たっぷりと」
「……私は手紙を書く暇が無かったな。下っ端と隊長とで板挟みになったから報告の紙のせいで腱鞘炎になりそうだ」
リコは真一文字に結んでいた口を、少し綻ばせた。その綻びとは対照的に、キッツは重々しく口を開く。
「私は反対だがな。新兵……それも規則も碌に守らん調査兵と関わりを持つなど……」
「それは……どうしてでしょうか?」
「我々がどれほど身を窶してきたか解らんだろう貴様には。連中がシガンシナ区等の末端で呑んだくれてた合間にも私は、いかに市民が、兵士が逸しないかハラハラしてたというのに……貴様らには解らんはずだ!今ものうのうと呆けていられるのが誰のお陰なのかを」
隊長は一度高く掲げた腕を、ブルブルと力み震わせ、やり場もなく振り下ろした。
「特に貴様がエレン・イェーガーのいる104期なのが輪を掛けて気にくわないのだ!今期に限って異例ばかりではないか」
キッツ隊長は歯を見せて握り拳をもたげる。
(規則の遵守主義か。これが、キッツ隊長をあんな行動に移した理由か)
キッツは口の端を泡立てることなく、新兵に言い聞かせる。
「大概貴様ら調査兵はそんなもの、糞食らえと思うだろうがな」
「いいえ。間違っているとは思いません」
「む?」
「『私』もその規則を遵守する人達に、助けられた者の一人ではありますから」
隊長はポカンと口を開けている。
「でも、だからこそ、今ある規則では手に負えないエレンに……調査兵団にも最も高い敬意を『私』は持っています。彼らには、新しく前へと道を拓く力がある。駐屯兵団が、その後に続く人達のために規則を作る。『私』は、前に立ちたかったんです」
「……そういう忠誠心からの媚びへつらいは貴様の兵団でやってもらいたいものだがな」
「本心ですよ。5年前、『私』もただ守られるだけの市民でしたから」
こういう言葉を媚びと受け取られるくらいには、駐屯兵の上官もそんな軽薄な言葉の数々を浴びてきたんだろう。キッツ隊長は薄目でまた溜め息を吐き、リコ班長は「またその話か」と、背中を掻き始めている。
「どうでしょう?一度、イェーガーに会ってみては」
「なにを言い出すかと思えば。無理に決まっているだろう!結果的に奪還が成功したとはいえ、私は司令の作戦にも反対だったんだぞ!?」
「もしかすると案外、物わかりが良い人かもしれませんよ。『私』のように」
「自分でそう言うのか」と、リコ班長はブレードを持ったまま、手首で眼鏡を正す。
「こうして食っちゃべっている間にも、煙弾は一切挙がらなかったな」
「……ここは、一通り殲滅した、と捉えてもいいのでしょうか?」
「なんだ?まさか休みたいのか?」
「班長。いいえ。上官達に報告したい。それに、非武装の新兵達は未だ南で市民の避難誘導に勤めていると思います。『私』も、南に向かいたい。大元を叩くなら、『私』も加わらないと。もし超大型巨人のような存在だったら───」
「許可する」
キッツ隊長はボンベと替え刃、そして革製の水筒数本ずつを下っ端に持たせながら述べる。
「あいにく渡せる装置の替えは無いが、皮肉にも貴様の活躍で物資の節約が出来た。あれほど倒して貴様は刃一つ替えとらんとはな。上官の人数はいくらだ?」
「4人です」
「ボンベ4本と替え刃4本。あと少しの水。それが限界だ」
「……融通感謝します」
「我々はここを離れるわけにはいかない。件の【異形】が姿を現すかもしれん。そのためにも、渡せるのはこれが限界だ。野戦糧食で1日しのいでくれ。兵士なら一人ずつ自前のがあるだろ」
屋根の上からの班長の敬礼に、『私』は同じように無言で答えた。脂の巻かれた棒を片手に、『私』は一人西へ馬を走らせる。壁に阻まれて見えなくなった夕陽は、すでにその直線を覗かせることさえ出来なくなっていた。
もうすぐ、夜が来る。