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(ウトガルドには行かせない!)
そう念じて『私』は月下、ウトガルド城へと歩く生白い【異形の巨人】のうなじを、二振りの刃を交差させ切り付ける。ブレードは柄の辺りまで深く沈んだがギギギギと金属の擦れ合う音が聞こえ、装置の噴射で付けられた慣性は一瞬にして0となった。引き抜こうにも既に再生が始まり、刃はびくともしなかった。
(あのときと違って刃は通る。でも、届かない)
なら足止めをと、『私』は【異形】の下肢へと目標を変える。刃を換装し足首へ、逆さまのまま腱へ刃を振るも、今度は刃が砕けた。
それもそのはず、足の部分は切り株のように厚い鎧で覆われていたのだから。寒天のように柔いかもしれないと賭けてみたがそれも空しく、刃はさらに歪な形に折れていた。
それならせめて視力を奪うか、と正面に躍り出た時、声が聞こえた気がした。
「『新兵』!聞こえるか!リーネとヘニングは予定通り北に応援を呼びに行った!我々だけでここを超えなくてはならない!その【異形】は君を無視してこちらに向かい続けてる!今はこっちの数を減らすことを考えてくれ!」
【異形】に攻撃を仕掛けていた『私』は、遠くからナナバの口話を読み取り、泣く泣く攻撃を諦めた。
この間一切物音は聞こえていなかったが、塔は火を見るより明らかに、先程を超える数の巨人に群がられていた。
【異形の巨人】の装甲は圧倒的だが、歩みは遅く、馬で掛けてもまだかかる距離を、蟻並みの速度で進んでいる。
たどり着けば絶望的な脅威だが、塔には未だなにもしていないのは確か。優先順位を切り替えて、『私』は塔へと跳んだ。
そこからさらに数時間。
ウォール・ローゼ壁内にて巨人の群れが出現して、すでに20時間が経っていた。状況は、絶望的だった。
一掃したかに思われた巨人の群れが、再び森の向こうから押し寄せてきたのだ。目測で、最初の一波だけでもおよそ20体以上。何度も押し寄せてきたからそれ以上はもう、数え上げるのを辞めたくなった。
さっきと違い、手筈通りリーネさんとヘニングさんが離脱して、こちらの手数が大幅に減った。
投石の軌道を外したお陰で馬も皆も無事だったが、奴らは波状に押し寄せ、群れを倒せばまた次の群れをと、あたかも誰かに命じられたかのように動いていた。皆を逃がす猶予は無かった。
ことがことゆえに、私も積極的に攻撃するようになった。私は先輩方に比べてガスと刃の燃費がずっと少ないものの、3人程度ではとても殺しきれなかった。
『私』が西部から持ちよった予備の装備は、ゲルガーさん、ナナバさんに引き継いでもらったが、それでも、巨人の数が途方もなかった。塔へのダメージも考慮すれば、節約して動くなんてハナから不可能だった。余分とも思われた物資は瞬く間にすり減った。大型の巨人も、すべては倒しきれない。もし倒せたとしても、【異形の鎧の巨人】がもうすぐ森を抜ける。そしてそう遠からず塔の城壁に足を掛けるだろう。
【異形の鎧の巨人】は、やはり刃が通らなかった。アンカーは刺さろうと、刃は刺せど、凄まじい抵抗で阻まれ一片も肉を削ぎ落とせなかった。再生で塞がれ、引き抜き損ねた刃が2本、ヤツのうなじに突き立っている。2人で合わせて攻撃を仕掛ければ可能性はあったが、周囲の普通の巨人がそれを許さなかった。
『私』は既に、1日2粒までの丸薬の禁則を何度も破っていた。無音の世界での数時間に渡る殺し合いの中、それ程の生命の危険が、3人に何度も及んだためだ。ナナバさんの涼やかな顔も、ゲルガーさんの軽薄さも消え、固く結んでいた『私』の唇からは血が一滴こぼれ落ちた。長引く戦いで吹き出た汗はとっくに乾いて、夜の帳は3人の身体を急速に冷やしていく。
そして、経年による劣化と想定外の衝撃を何度も受けたからか───
「もう塔が保たねえな」
「私はガスが残りわずかだ。そっちは?」
『私』たち3人は、巨人の手が届かない高さで、辛うじて塔の壁面に張り付いていた。『私』の耳も、数時間が経って回復の兆しが見えてきたようだった。常人にしては、早すぎる気もするが、耳を澄ませば2人の声は聞こえる。精鋭のはずの彼らの激しく乱れた息遣いも。『私』の吐き気の混じった喘息も。
「ガスもねえし、刃も使い切った。お前はそのなまくらが最後なんだろ?」
「ああ。新兵、まだいけるか?」
「……まだ戦えます。ですが、もう、この塔から離れないと」
「だが巨人はより人数の多い場所に向かう。私たちが離れれば、奴らが向かうのは武器を持たない新兵達だろうね」
「新兵のくせに無茶ばかりするな。まったく、まるで初陣の俺みたいだな。初めてだぜ、『お前』がそんなにくたびれた顔を見せるのは。さぞ、これまでの戦いは余裕綽々だったんだろ?」
「そんなこと、ありませんでした」
ゲルガーさんは『私』を見つめ、少し笑う。空笑いだ。認めたくはなかったが、『私』は歯を食い縛る。ここまで頑張ったのに、もう、それも終わりなのか。丸薬はまだ残ってるが、刃とガスが尽きれば少し速く動けるだけの、ただのヒトとなる。
「俺たち3人で何体やったんだろうな」
「さぁ……数える余裕なんかないからね」
討伐数を数えるなんて、今思えばのんきなことだ。こんな絶望的な状況で、そんな悠長なことを言ってられない。普段の討伐がいかにゆるやかなものだったか、この戦いで思い知らされた。
「みんな、こうして戦ってたんですね。『私』は本当に、何も知らない」
「『お前』は十分やったさ。新兵なら上出来だ。……俺も俺にしちゃあ、よくやった方だと思ってる。ただ、最後に…酒が飲みてえな」
ゲルガーさんの体が前へ傾く。
「ゲルガーさん!?」
彼の横顔はうつろだ。まるで──
「悪いな、新兵。頭打っちまって、力…入んねぇ───」
ゲルガーは、壁からアンカーを外してしまった。すぐに落下した拍子に巨人に左足を掴まれる。
「ゲルガーさん!」
彼を掴んだ巨人を、振り子の要領で下降、上昇して、すぐに討ち取る。だが、離脱できない。アンカーは伸ばせても、立体機動装置は、フシュウと力なく音を立てて、静まった。ガスが切れたのだ。
「あ」
今落ちれば、巨人の群れの真っただ中だ。空中で投げ出された今、ただ死を待つのみになったのだ。下を向きたくない。今、奴らがどんな目を私に向けているのか、見たくない。あの死体のような、生気を感じない瞳。今見据えられたら、今度こそ何もできない。
恐れが後ろ髪を掴もうとその冷気で撫でてくる。
(やめろ…やめてくれ)
「新兵!」
背中を激しく蹴り上げられる。首だけ振り向いて下を見ると、ナナバさんが凛々しい瞳で私を見上げていた。
ナナバさんはなにかを口走っていたようだが、『私』にはその言葉も、これから訪れる光景から目を背けたい一心で、全て圧し殺してしまっていた。
ナナバさんの顔が、巨人の手の中へ吸い込まれていく。彼女の瞳は、消えていく直前に、輝きを失った。それが、見えてしまった。
私を塔の屋上に押し戻すために、彼女は最後のガスを使い切ったのだ。
『私』は打ち上げられ、大きく上向きの半月を描いて、塔の屋上に体を叩きつけられた。
「がはっ!」
「オイ、大丈夫か!」
コニーが駆け寄る。
(まだだ。まだ動けるはずだ。早く……早く助けに行かないと)
「ナナバさん!!!」
『私』は、早く動き出したかった。
だが、なぜだ。
体が動かない。
私は仰向けになったまま、指一本動かせない。
「どうして、動けないんだ?戦うなら今しかないだろ!」
「どうしたんだ?どこか怪我したのか?」
自問する『私』に、ユミルも駆け寄る。
「……わからない。なんで今……ゲルガーさんが……ナナバさんが死んでしまう
……」
(丸薬の副作用……こんなところで限界だというのか)
「そういやお前、あれからいつ休んだ?早馬で急いでいたが…」
「ストヘス区から、夜通し馬を跳ばして伝令を伝えに来たんだ」
「夜通しだと?じゃあ昨日から寝ずにウォール・シーナからここまで来たってのか!?」
ライナーも私の方を向く。
「……分からない。女型の巨人と交戦して、そのまま…」
「なんだって!」
ベルトルトも駆けつける。
「それで…それでも…戦わないと…疲れたなんて言ってられない。それなのに…」
なぜ『私』の体は動かないんだ。
「くそぉ!」
ただ、叫ぶ。
「もう音を上げるのか!今までの戦いも、ここで寝るためだって言うのかよ!!ふざけるな!」
それだけしかできない。眠ったように、依然、私の体は動かない。
「オイもうよせ」
ユミルが、ひざまづいて私の胸倉を両の手で掴む。外套を引っ張り上げられ、上体が少し、石畳から浮いた。
「そうやって見苦しく喚くんじゃねぇ!お前はもうできること全部やったんだろ!」
「だからなんだ!何も成し遂げられないなら、こんな足掻きも何も意味なんか無い!君なら分かるだろ!」
私は歯を食いしばり、眉間に深くしわを刻む。
「まだ『私』は戦わないと───」
「…駄目。…あの人たちは、もう…」
クリスタが、塔の縁から見下ろしていた。その宣告は、また私は何もできなかったことを示していた。
「……」
もはや、私は何も言葉を発せなかった。ただ、脱力して顎をガクガクといわせるばかりだった。言葉にならない何かを呟かんために。ユミルも私から手を離し、私は石畳に寝そべる。
また、見殺しにした。ゲルガーさんとナナバさんを。
窮地にてまた、『私』は助けられなかった。また、繰り返した。
「ミカサなら…最後まで戦えた。エレンなら、こんなところで屈したりなんかしない…。アルミンやジャンなら…こんな状況でもなんとかできるはずだ…。ここにいる皆なら…………いや違う。リヴァイ班のみんなだって、あの時、みんなで戦おうって、そう、言っていれば……私にもっと力があれば……」
縋るのは強者達の名前ばかり。『私』には、何もない。
「私には、何もない…。だから今日までやってきたのに……」
目の奥も、喉も痛い。肺は小刻みに震え、それでも、体は動かない。【戦え】と神経を打ちすえても、何一つ回答は戻ってこない。ただひたすらに背中が痛む。
リヴァイ班の時だって、『私』は何もできなかった。見殺しにして、また、おめおめと生き延びた。あと少しで、手が届きそうだったのに
「お前はもう、十分戦っただろ」
ライナーは『私』に言って、ベルトルトは装置で腰が浮いた『私』を持ち上げて、石壁に寄りかからせた。その言葉に、行動に、嘘は無かったと思う。ただの慰めだったとしても。
無力さに浸る私を見て、クリスタは塔の下でひしめく巨人どもに向かって言う。
「私も、戦いたい。何か武器があればいいのにそしたら一緒に……」
「クリスタ、お前まだそんなこと言ってんのかよ」
「え?」
「死ぬつもりか?こんなところで?彼らの死を利用するな。あの上官がたはお前の自殺の口実になるために死んだんじゃねぇ。何より『コイツ』がまだ生きてる。まだ生きてるヤツがいる手前で、守ろうとしてるヤツがいる手前でそんなこと考えるなよ」
ユミルは脱力した『私』を睨め付ける。クリスタは『私』を見て言葉を転がす。まるで今にも手から滑り落ちそうな花瓶を、割れないよう手でお手玉するように。
「そんな……『貴方』をそんなつもりで言ったんじゃ」
「クリスタ!お前はコニーや上官方や『アイツ』とも違うだろ!本気死にたくないなんて思ってない……いつも、どうやって死んだら褒めてもらえるのかばっかり考えてただろ?」
(ちょっと待て。死にたがってる?クリスタはそんなことを……?なんで?)
『私』の頭は死の恐怖から少し遠ざかった。皮肉にももう一つの死の話題によって。
聞いていたユミルの話と違っていたから。
「思い出してくれ。雪山での訓練のことを」
迫り来る重厚な【異形】の足音を耳で拾いながら、『私』は思い出していた。
卒業試験の少し前にユミルと交わした、一つの共謀を。その時にユミルから出た、とある言葉を。
【アタシは、外の世界から来たんだ】