進撃の巨人2 名もなき英雄の軌跡   作:なげすて

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第72話 追う者たち─サイド:ミカサ─

─1─

 

日はとっくに私の真上を過ぎていた。

 

エレンが拐われて、5時間が経った。

経ったというのも、私がアルミンにたった今聞かされて初めて分かったこと。その間、私はずっと気絶していた。

 

見回したところ、壁上で兵士達が寝かされている。どうやら死者は出ていないみたいだけど、上官達はひどい怪我を負ったらしく、アルミンは私に、とにかく安静にするよう言い聞かせてくる。

 

ズキン、と、一度だけ強く頭に痛みが走る。

 

「ああ、またこれか」

「え?どこか痛いの?」

「大丈夫」

 

(慣れてなんかいない。でも、また、この痛み)

 

「エレンがアニに拐われた時は、『彼』が後続の巨人達を足止めして、私とリヴァイ兵長が女型と戦って、やっと、それでやっと取り戻せた。でも、今では……もう……ねえ、アルミン」

 

寝ている拍子に落ちたのだろう。冷たい壁上で広がるマフラーを拾って、首を温める。

 

「何でエレンはいつも、私達から遠くに行くんだろう」

「そういえば……そうだね……。エレンはいつも、僕たちの先を行こうとする。もしかすると、エレンがいなければ僕達は、ここまで来てないのかもしれない」

 

アルミンは外套にこびりついた細かな灰色の粒子を振り落としている。

 

「僕たちが追い付こうと必死で……もう、そういう星のもとに生まれついたとしか、思えないよ」

「私はただ、そばにいるだけでいい……それだけなのに……」

 

(どうして、そんなことも許してくれないの?)

 

何度も巻いたこのマフラーを、いっそう強く巻き付ける。泣きたい。でも、胸を借りたいその人は、今となっては地平の彼方だ。

 

エレン。今すぐ追い付きたいのに……。

 

「ミカサ……?」

 

私の声を拾ったのか。布のずれる音がした。『貴方』が肘をついて身体を起こす。

 

「鎧は……ヤツは、どうなったんだ?」

「エレンとユミルを連れて、逃げ出したんだ。超大型の爆発で僕達は吹き飛んだけど、鎧だけはその爆発に耐えたんだ。熱風の中でエレンのうなじを齧り取って、巨人の身体から離脱したベルトルトとともに、南に逃げた」

「逃げられたのか。……そうか」

 

『貴方』は立ち上がり、毛布がわりにしていた外套を羽織る。

 

「なら待たないとな。リフトがなければ馬を向こうに運べない。……アルミン、団長や兵長はあれからどうなった?君達がいるということは、ストヘス区のアレコレはなんとか事なきを得たんだろう?」

「うん。兵長は多分怪我で動けないから来ないと思うけど、団長なら……」

「駐屯兵団に動きがあったということは、おそらく司令も事態を把握している。最高責任者が動かざるを得ない状況なら、既に団長も解放されているかもしれない」

 

『貴方』の言葉の端々から、いつもの調子を取り戻したように思えた。

 

「分隊長は、どこまでエルヴィン団長に知らされていたんだろう。僕達に───」

「知っていたのか」

 

『貴方』が放った言葉は、いつもと変わらない、冷静さを持った声音に聞こえた。でも、すぐにまたおかしくなった。

 

「鎧がどの人間なのか知っていたのか、と訊いてるんだ」

 

『貴方』の語気は平らになり、視線がこちらを向くのをやめた。

 

「なぜ……なんで『私』に何も言わなかったんだ?なぜ『私』を仲間はずれにするんだ?君達ならわかるだろう『私』だって君達と同じように、鎧の巨人を追い続けていたんだ。今さら何を隠すというんだ?そんなに『私』が信用ならないのか?」

「僕達が知らされたのは、『君』が去った後だった。兵長が言っていたよ。『君』はたしか、女型を捕獲したことを早馬でライナー達に───」

「ヤツをその名前で呼ぶな!!!」

 

『貴方』は叫んで、刃の折れた柄を抜いて私達に突きつける。これまでで最も大きな声ではなかったけど、その一声にはこれまでの自分が出したことのないほどに、怒りが混じっていた。その一喝だけで裂けたのか、『貴方』は目も閉じて喉を押さえ咳き込んだ。小さくうがいの混じった声で、私達に向けた柄を眺めて、「……あ」とこぼす。

 

『貴方』が両手に握る一本の柄は、力任せに叩きつけられたせいでひしゃげていた。あの最中で立体機動を出来ていたのが奇跡なくらいに。

 

私はその柄を阻むように、アルミンの前に立つ。

 

「ライナーが正体を現した時、『貴方』はひどく混乱して、もはや兵士の戦い方さえも忘れて、鎧のうなじの上でひたすらに暴れていた」

 

まるで命すら省みない、殺すことだけが原初的欲求の獣であるかのように。

 

「刃が折れても替えることなく柄を叩きつけて、柄がダメならと次は手で打ちすえて、血塗れになったところでようやく私が追い付いて引き離した。引き離した後も『貴方』は激しく吠えて、私達の指示に従いながらも我先に奴へと飛びかかっていた。本当に、超大型巨人が爆発する寸前まで、『貴方』の理性は戻らないままだった」

 

私は、今の『貴方』が少しでも冷静さを取り戻していることを前提に、大まかに話して聞かせた。

 

なぜなら『貴方』が柄を突きつけた時、刃は込められていなかった。仮に込めていたとして、私達には届かない距離にいたから。あのときと違って、人並みには理性を取り戻していると思ったから。人の怒りの範疇に収まっていると思ったから。

 

でも違った。

 

アルミンは座ったまま、後ろ手に身体を引きずって後ずさろうとしている。『貴方』から滲み出る恐ろしい気配に。『私』は強い。凄く強い。でもだからこそ、人一倍強くそれを感じ取っていた。

 

「つまり……『私』が鎧を逃がしたのは…………お前らのせいなのか?」

 

(まずい)

 

『貴方』を起点にどす黒い殺意が辺りに充満する。フードの下で開ききった瞳孔は攻撃の焦点を予測出来ず、外套の下に折れた刃は隠れた。一歩足を引いて、『貴方』は突撃の構えを取る。そこまで分かっているのに。

 

私に矛先が向くならまだ捌いて気絶に留められる。でも、もしアルミンに向いたら。

 

自分の脳が導きだした最適な動きに則れば、『貴方』は殺さないと止まらない。

 

『貴方』が踏み出した次の一歩で全てが決まる。そう思って私がふくらはぎに軽く力を込めた時、『貴方』は止まった。胸を押さえ、ポケットの辺りを手で握りしめている。

 

その感触から『貴方』は何かを察知したらしい。「だいじ……ぶ……がん……くはまだある」と言っているが、破れた喉では聞こえにくい。

 

ーーーーーー

 

急に胸が激しくムカつき、思わず手で握りしめる。その感触から『私』は悟った。

 

(大丈夫。丸薬はまだある)

 

しかしそれよりももっと重要なものがまた一つ。それが『私』を押し止めた。

 

肺の間にあるソレは激しく脈打ち、その脈動は手足へと巡り、頭はカッカと熱を外へと放ちたいと足掻く。ズキン、ズキン、と拍動が殺意を示し続ける。血液が湯だつほどの怒りを。

 

(これが、そうなのか。5年もの間眠り続けていた、あの時の怒り……)

 

もし炎の水があるのなら、それくらい身体の内はグラグラと爛れている。それなのに身体の表面は刺されたかのように寒がっている。氷の大地に独り取り残されたかのように。『私』は唸り、震えながら背中を丸める。

 

(彼は……エレンは常に、この熱に振り回され続けていたのか)

 

ヤツと刃を交えてようやく湧き出たこの熱が、エレンが常日頃抱えていたものの、ほんの一部に過ぎないその狂熱を、『私』はエレンが連れ去られてからようやく纏った。

 

『私』は一度大きく身震いし、その熱を振り払ったかのように見せかけて、一言二人に謝った。

 

それでも、この悪寒は消えてくれない。

 

寒い……寒い……誰か、誰かいないのか。

 

「オイ、大丈夫か」

 

誰かが『私』の背中に触れる。振り向くとそこには、ハンネス隊長がいた。

 

「なにやら騒いでたから来てやった。震えてるぞ?寒いのか。まあ今はこれくらいしかねえが」

 

ハンネスはまだ脂の残る松明に手際よく火を灯して、手頃な距離にもたげる。「夏が近づいてるとはいえまだ冷えるもんな」と、年の功を漂わせる。

 

「……ありがとうございます」

「いいってことよ。……俺は、また何もできなかったからな」

 

ハンネスは懐をガサゴソ言わせて、銀紙に包まれた手の平サイズの直方体を幾つか取り出す。兵士なら慣れ親しんだ、野戦糧食だ。

 

「しんどい朝だからこそ、何か腹にいれて、体温を上げねえとな。あ、もう昼過ぎくらいか。じゃあしんどい一日の始まりに、だな。俺には酒があるが、お前らにはこれが向いてるだろ」

「……自分の熱で中毒でも起こしたみたいだ」

「なに?今度は熱があるのか?忙しい奴だな」

 

ハンネスは、さっき『私』がミカサとアルミンに放った殺意には頑なに触れない。大人としての立ち回りなのか。それとも年長者には、あれが子どもの諍いにしか見えてなかったのか。

 

「『私』は、生かしていた。あの2人を。5年もの間。避難区画でも彼らの姿を見たことがある。でも気にしなかった。訓練地で3年も近くにいて、全く気付いていなかった。それどころか、2人に命を救われた」

 

“今日ばかりは、お前が一番優秀な兵士だ”

 

初めての立体機動演習で、ライナーに言われた言葉を思い出す。

 

「そこから、憧れた。密かになんかじゃない堂々とだ!君達と同じように。仲間だ、って。……全部、嘘だったのか……」

 

『私』は額へ浮上する熱を冷ますように、膝を抱える。

 

「『私』は生きていたんじゃない。彼らに生かされていた。屈辱以外の何物でもない」

「本当に、そうなの?」

 

見なくても、アルミンの足音が近付いてくるのが分かる。

 

「君は、エレンと同じだと思ってた。エレンがこの世から巨人を駆逐したいと言っていたように、君もまた、彼に応えるようにそう考えたのかと、僕は思ってたよ」

 

「いや、思い違いならそれでいいんだけど」と、アルミンが腕をはためかせるのが聞こえる。

 

「同じ望みを、誰もが抱えていたと思うよ、アルミン。あの場にいた誰もが、甲板で『駆逐してやる』と叫んだ誰かのように。力が無くても、歳が邪魔しても、誰もがそう願ったハズだ。『私』は、その言葉に救われて、決意を持てただけだ」

「……その言葉、誰が言っていたか知らないの?」

「?誰でもそう叫ぶだろう?まあ、『私』はその声を聞くまで、絶望していただけだったけど」

「それ、エレンが言っていたんだよ」

 

『私』は無自覚に、言葉を失っていた。ミカサがアルミンに添い、続ける。

 

「エレンの願いは、あのときからずっと変わっていない」

「シガンシナが墜ちる前から、ずっとエレンは僕達に言っていた。外の世界を探検する、って」

「……知らなかったよ。エレンが言っていたのか」

 

馬鹿な『私』だ。あんな願いを抱くのは、彼だけじゃないと思っていた。

 

志半ばで死んでいく人たちを数多く見てきた。あの甲板にいた一人の子どもも、とっくにそうなっていたと、勝手に思っていた。

 

彼はずっと側にいた。彼はずっと『私』を、導いてくれていたんだ。

 

「……こうしてはいられない。追い付かないと……エレンに」

 

(この怒りを、エレンに追い付かせるために)

 

「俺も」

 

大人の声が聞こえた。

 

「俺もそこに加えさせてくれ」

「ハンネスさん」

「『お前』がこれまでやってきたことが間違いだとは言わせねえよ。トロスト区で簡易拠点を作るよう提案したのは、『お前』なんだからな。確かに俺が議会までこぎ着けたが、選んだのは『お前』なんだ。シガンシナにいた時は、せいぜい『お前』のオヤジとかみさんとも、挨拶を交わすくらいの仲だった。『お前』は、そこから立ち上がってここまで来たんだ。俺は──」

 

ハンネスは一度大きく息を吸い込んで、続けた。

 

「俺はあの日常が好きだ。あの平和な日常が。エレンが聞いたら怒るかもしれねえが、俺が飲んだくれのままで、『お前』らが兵士として立ち上がらずに済んでたら、と。俺がもっと強ければ、と、何度も後悔した。あの日常を取り戻すためなら、俺はなんだってやる。だから、頼む」

 

『私』達の肩をがっしりと掴んで引き寄せる。まだ『私』達が、あの時の小さなままのように。

 

「俺も、一緒に戦わせてくれ。エレンだってきっと、シガンシナで喧嘩に明け暮れてた時のように、ただ黙って捕まってるワケがねえからな。俺も、ここでじっとしているワケにはいかねえんだ」

 

『私』達三人は、言葉を返さなかった。代わりに、彼から頂いた野戦糧食を噛み砕く。まだ『私』達は終わっていない。戦い続ける限りは、まだ負けていないのだから。

 

(まだ、考える猶予はある。ユミルの言葉がどれほど真実を含んでいたのか。それも問いたださないと)

 

─2─

 

あれからまた数時間ほど経ったか。

 

エルヴィン団長が到着した。

 

憲兵団。駐屯兵団。本来前線から縁遠い者達が合わせて150人。調査兵団の穴埋めのために急遽召集されたか、明らかに歴戦とは程遠い腹周りの者も混じっている。

 

「あ」

 

『私』はその群れの中幾つか見知った顔を見つけた。104期の駐屯兵達も駆り出されている。その中で、因縁深い一人の顔を見つけた。

 

ジョルジュ。卒業試験で揉めて、遺族の訪問の時にも冷やかしにも来たアイツが、最前線に送り込まれることになるとは。

 

彼の高慢に満ち足りた顔はすっかり鳴りを潜め、「なんで……俺がこんな前線に……」とぼやいている。彼だけでなく、少し顔回りが柔らくなってそうな同期達も、同じようにうつむいては不測の事態に恐々としている。まあ、そんな状況でも『私』を一目見たときは、恨めしそうに睨んできたが。

 

哀れむことも、まして軽蔑などするわけがない。もはやそれどころじゃないから。

 

「クリスタ、やっぱり君には残っていてほしいんだけど」

 

アルミンはクリスタに促すも、クリスタは睨み返して譲らない。

 

「言ったでしょ。アルミン。ユミルが攫われておいてここで待つなんてできない。『あなた』達なら分かるでしょ?」

「クリスタの言う通りだぜ、アルミン。俺だって、まだ信じられねえからよ。ライナーとベルトルトが裏切り者だなんて」

 

コニーも腕を組んでキッパリと言い放つ。

 

「それに、『あなた』がユミルと働いた共犯の落とし前も。彼女を取り戻してからちゃんとしてもらうから」

 

クリスタは『私』に釘を刺した。結果的に、『私』は卒業試験の真相を話した。クリスタを中央に逃がすために、共謀したことを。

 

「正直私は、ユミルか『あなた』で10番まで満杯になると思ってはいたの。でも、情で譲ってもらうような、お嬢さまを気取っているつもりも無かった」

「『私』があの時聞かされたことは、彼女が外の世界から来たことと、外の世界に人類がまだいるかもしれない、という二つだけだ」

「その情報もすっかり陳腐化しちまったな。ライナーとベルトルトのせいだがな」

 

増援に混じっていたジャンが合流する。クリスタが必要だという情報は伏せた。

 

「ああ。最早疑いようもない。外の世界には、巨人の力を持つ人の生存区域がある。獣の巨人。多分、アイツが全ての元凶だ。アイツも探さないと───」

 

遠くで騒ぎを聞き付けて、『私』はその方を振り向く。寝ていたハズのハンジ分隊長が、這いずって近くの部下のブーツを掴まえていた。「地図をくれ」と分隊長は言い、引ったくると団長を呼んだ。

 

「先日私達で集めた証言によれば、数日前、アニは寝込んでいたらしい。巨人化の手練れでもそれほどに代償を要求されるのなら、ライナーやベルトルトも例外ではないだろう。相対的に未熟なエレン程でも、連続して巨人化したアニ程じゃなくても、どこかで休みたいハズだ。そこで休むとしたら」

 

南にある小規模の巨大樹の森を分隊長は指差した。

 

「彼らにとってそう都合よく夜も動ける巨人がいるとは考えにくい。コニーによれば獣の巨人がウトガルドに現れたとき、二人は妙に眼を輝かせていたようだからね。だから、勝負を付けるなら夜までだ。夜までに、ここにたどり着くことを、この急ごしらえの索敵陣形の指標にしてほしい」

 

団長は二つ返事で引き受け、団の全員が蜘蛛の子を散らすように持ち場へ散っていく。

 

「やはり鎧が相手でもアンカーは刺さる。なら、あと少しのところまで来ているあの兵器も、きっと役に立つハズだ」と、モブリットに運ばれていくハンジはぼやいていた。

 

女型を捕縛するための兵器が、『私』に秘匿していた兵器の正体ではなかったのか。それを問う時間は無く、『私』はリフトに乗った。

 

ーーーーーー

 

ミカサ視点

 

私は、『彼』が馬上でいつもと変わらない目の光を取り戻したことを確認する。

 

(『貴方』の抱える殺意は、一度、私も似たようなものを見たことがある。6年前、人攫いにエレンが殺されそうになったとき、私が内に抱えたものと同じ。エレンが、人攫いを殺した時にも抱えたものと同じ)

 

私は風で暴れるマフラーの端を兵服の中に仕舞う。普段ならそんなことも気にしないし、事実立体機動でも邪魔になったりはしない。それでも、自分の今置かれた状況が、まだ取り戻しうるものだと信じるために。

 

(私には、帰る場所がある。頼る人がいる。だからその殺意を制御出来る。ならそれは『貴方』も同じハズ。なのに、それなのに。『貴方』にはそれが無いかのように感じてしまうのはなぜなのだろう。『貴方』の殺意は、とめどないし、行き場もない、そんな風に感じられてやまない)

 

答えを求めない思いは、静かに兵士の群れの中に紛れていった。

 

(もしかして、鎧の巨人以上に、許せないものがあるの?)

 

夕日が差すまで、そう時間は残されていない。

 

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