─1─
鎧の巨人は群れの先駆けを突進で弾き飛ばすも、次の、そしてまたさらに次の巨人に肢体を捕まれる。あの日の扉も、エレンをも打ち破ったあの突進は、巨人の群れに容易く勢いを殺され、瞬く間に巨人同士の泥試合が始まった。
形容するならば、それこそ、
「なんだこりゃ……地獄か?」
「いいや、これからだ!」
ジャンの独り言を斬り伏せるかのごとく、団長は総員に告げる。
「総員突撃!!人類存亡は今!この瞬間に決定する!エレンなくして人類がこの地上に生息できる将来など、永遠に訪れない!!」
(まだクリスタとエレンがあの中に……!)
「行くしかない!」
「エレンを奪い返し、即帰還するぞ!心臓を捧げよ!」
どのみち動かなければ、周囲の巨人に包囲されると判断した『私』は、いの一番に駆け出した。
続く足音が、後ろから聞こえてくる。このまま走れば、『私』が真っ先に鎧の巨人にたどり着ける。
(しかしその後は?鎧を剥がした形跡も無いまま、ヤツを攻撃する手段は?)
鎧のさらに手前から、物音がする。地面が捲られるかのような籠った音だ。丁度1本の木の向こうから何かが動く影が見えた。『私』は馬から跳び降りて、木の向こうにいる何かを切りつけた。
案の定、そこには巨人がいた。巨人は頭を数度振り、切られた頬を震わせる。
その個体は、『私』にとって誤算だった。その巨人の頭は異様に大きく、まるで大きな蜥蜴のような長い両顎を持ち細かい鱗を顔に纏わせて、大口を開けて『私』に迫ってきたのだ。
後ろ手にアンカーを射出するも、間近な立体物も無いまま、『私』は後退せざるを得なくなった。
「い、異形の───」
『私』が報告する間もなく、巨人の突進はますます加速していく。馬でも逃げられそうにない。まして地面を走る立体機動では。
舌を噛みきりそうになりながら『私』はガスの噴射で巨人を横断する。ガキン、と歯茎まで砕けそうなほどにけたたましく音を立ててその両顎は閉じられた。
【異形】は勢い余ったか、『私』を大きく通り過ぎて背中を晒している。アンカーを飛ばすも奴はじたばたと踠き、『私』は跳び立つこともままならない。【異形】はすぐさま起き上がり、背中に刺さったアンカーを振り払おうと走り出す。やたら北へと不規則に。
(皆の様子が気になる。でも……くっ!)
『私』は一人じゃない。援護に兵士が何人か向かってはくれている。それでも接近した兵士から次々と【異形】の口内に収まっては両断されていく。
(本当はまだ使いたくなかった……でも……)
身体の痛みも怠さも引いていない。本来は鎧に群がる群れを蹴散らすために使いたかった。しかし『私』は、丸薬を一つ噛み潰した。
【異形】の疾走に身を任せ、『私』は一度大きく宙を舞う。凧揚げのように『私』のワイヤーを手繰る標的の走りの法則を、身体に覚え込ませる。他の【異形】達と同じならば、一人で倒すのは無謀だ。その無謀さに見合う時間が『私』には必要だった。
上下、左右に乱れ動く『私』の身体は、ワイヤーを伝う振動に応じて【異形】の挙動に適応してゆく。
(回転切りは要らない。好機は一度だけだ)
集中をさらに高め、【異形】の足取りが止まって見えるほどに身体と眼を慣らし終えたその時、『私』は一直線に地面へ跳び降りた。
地面に降り立った『私』の背後で、【異形】の沈み込む音がする。振り向けば【異形】のうなじは大きくえぐれていた。
(丸薬一つ分の時間を丸々使いきってしまった。急がないと)
鎧の巨人とは大きく距離を離されてしまった。遠目でミカサやジャン、コニー達が鎧の周囲にいる巨人達に手を焼いている。『私』一人がが追い付いても、手数が足りない。
近辺を観察して『私』の最も近くにいそうなのは、ユミルだった。乱戦のためか鎧の巨人から転がり落ちて、小さな体躯で複数の大型巨人を相手取っていた。クリスタもそこにいる。
『私』がたどり着く頃には、クリスタが討伐数1を記録していた。『私』は急いで体勢を崩したクリスタを拾い上げて、馬の背に乗せる。コニーもこっちに着いてきてくれた。
「クリスタ!ユミル!早くこっちに!」
「私はいいの!ほっといて!」
「な、何を……」
「ユミルが私を連れていかないと、ライナー達に殺される、って言ったの!私達はあっち側に行くつもりなの!」
「ユミル!本当なのか?」
「……」
巨人の殻に閉じ籠ったユミルは何も言わない。いや、今でも巨人が何体かこっちに来てる。出てきて話す訳にもいかないんだ。
コニーは流れ落ちる汗を拭って二人を諭す。
「バカの俺にでも分かるぞ。今この状況じゃ、アイツらに着いていく途中で食われて死ぬのが先だろ」
「『私』も、付いていくのが正しいとは思えない。人類を攻撃した人達なんだぞ?幾らクリスタが向こうにとって大事な人でも、二人だけじゃ交渉の余地なんか無い。きっと二人とも殺される。それだけは駄目だ」
「ユミル……どうなの?」
「……ウウ」
クリスタの目を承けて、ユミルは小さく唸る。あのユミルが、決断を迷っている。
それならば。
「ユミル!もう一度あの中へ行けるか!?」
「まだエレンがあそこに?」
「陽動だけでいい。奴らは団長やミカサを警戒してる。ユミルはライナーの味方の振りをして、そのまま巨人を少し片してて。クリスタとコニーは近づき過ぎないでくれ。『私』がやる」
「無茶だろ……」
「帰るんだ、全員で。ユミル、今は喋れないかもしれないけど、『私』の言葉は分かるんだろ。ヒストリアを頼む。『私』達の罪の落とし前は、二人でちゃんとつけよう。だから……帰るんだ、一緒に」
「『オ……オアエ』……」
「来るぞ!」
『私』は馬を下りて、一人で鎧に向かって走り出す。他の兵士達と交戦する巨人どもの影を縫い、迫る巨大な手足を最低限の跳躍で切り抜ける。鎧の足元はとてつもなく遠く感じた。丸薬の切れた身体は重くて、痛くて、骨肉全てを鉄に変えられたかのようだった。
鎧が手を振り払うのが見えた。もう一度丸薬を噛み砕いて、一気にうなじまで上昇する。そして、ベルトルトに向かって存分にガスを噴かす。
巨人の荒い息に混じって、確実に『私』の音は殺せたように思えた。しかし、ベルトルトは『私』の突進を阻んだ。装置から抜いた二刀の刃で。
「ベルトルト!!」
ベルトルトはすぐさま『私』の喉笛をとらえるべく右手で突きを放った。格闘で最も恐ろしいのは長物の突き。分かってる。散々お前達にノされたから。でも丸薬を飲んだ今なら目で追える。
『私』は真っ正面から刃を受けて、貫かせてやる。ただし、身体じゃなく兵服を、だ。外套もろとも噛ませて負傷を避け、左腕で包んだ『私』は右手で横に薙いだ。首を目掛けて。
『私』の刃は中程で折れて宙を舞った。ベルトルトの右手の刃は、左手の一閃で砕けた。ベルトルトの刃は、『私』の外套の中へ置き去りだ。
互いの手に残ったのは一本の刃だけ。不安定な足場で、アンカーはすでに鎧の皮膚に食い込んでいる。煙弾による陽動も不可能だ。手を切り落とされる。銃の手解きを受けたときに、ベルトルトの澄みきった集中力を見たから分かる。
今の『私』でも、正面からは彼を倒せない。
(……初めて見たよ。これ以上なく焦った顔を。いや、寧ろ決意に満ちている?)
じきに鎧も『私』に気付いて、二人で仕掛けてくる。そうなれば命はない。そう案じた『私』の一瞬の躊躇を、ベルトルトは読んでいたかのように一歩踏み込んだ。
するとその時、この場にいた誰の言葉でも無い一言が、全員の虚を突いた。
「アニを置いて帰るの?」
ベルトルトの目の色が変わった。その兵士の言葉は止まらない。
「アニは北のユトピア区に囚われて拷問を受けてるよ。どうもエレンに出来ない実験を、敵だからという理由だけでありっけ試してるみたい。こうしてる間にも様々な拷問が───」
虚言を吐くアルミンの言葉を、いや首を断つべくベルトルトは声の正体に身体を向けた。その瞬間、エレンを縛っていた紐が、ブツリと切れた。
『私』の仕業ではない。ベルトルトは『私』から注意を逸らしてない。
団長だった。兵士の勢いが落ちていなかったから気付かなかった。団長がエレンを解放した。『私』は即座にベルトルトに蹴りを浴びせて飛び降りる。刃で止められたが厚底だから関係ない。この場にいた全員が、取るべき選択肢を一瞬で決められた。
「総員撤退!!」
団長の言葉よりも早く、『私』達は駆け出していた。
─2─
待たせていた馬に乗った『私』は、兵団最後尾から叫ぶ。
「ユミル!!帰ろう!!」
『私』は振り向いて無いが、背後で四足の規則正しい振動が伝わってくるから、きっとユミルだと確信した。しかし四足の振動は、みるみるうちに乱れていく。
(八足?いやもっとだ。もっと多くの音が──)
「ハッ!?」
その異音に振り向けば、巨人が次々と空から降ってきていた。飛んできたにしては着地は無様で、跳んだにしても足からとは思えない乱雑ぶりだった。まるで、何かに投げ飛ばされたかのように。
鎧だ。すぐに分かった。鎧の巨人が、こちらの道を阻むように巨人を投げて寄越してきている。
「なんで!?」
「エレンが食われてもいいって言うの!?」
「ああ!エレンが!」
「ミカサ!」
巨人のうち一体が直撃したらしい。遠くで倒れるミカサ達が見えた。
「今助けに───」
「ギイヤアアアアアア!!」
南ではユミルがまた巨人に囲まれている。
ミカサ達にはハンネスさんが当たっているのが見えた。
(大丈夫だ。最近まで西の区で戦ってたハンネスさんならきっと……)
ユミルへと赴こうとしたが、数体の巨人がこちらに放り込まれる。
「……クソッ」
また分断された。一人だけで十メートル級と五メートル級。
(大丈夫……まだ……)
二粒目の副作用は既に『私』の身体を蝕み始めて、口に血の味が混じる。痛む喉奥から絞り出した血を吐き付けて、手足の折れた五メートル級を瞬殺する。
(大丈夫。教官に叩き込まれた基本を思い出して……)
十メートル級も見たところ通常種らしい。伸ばした手を足蹴に、目を潰して上から斬り伏せる。
(早く……まだやれるだろ……)
ユミルの元へ向かおうとすると、声が聞こえた。苦痛に呻く声が。振り向いた。ハンネスさんが捕まっていた。
言葉を漏らすために吸う息よりも素早く、『私』は踵を返してアンカーを射出する。しかし、アンカーはどこにも刺さらなかった。巨人を瞬殺したせいで、伝って跳ぶことも出来ない。
ハンネスさんの身体が、ゆっくりと巨人の口へと運ばれていく。
口から吹き出る血も噛み潰して、『私』は全速力で走る。でも、人間の足じゃ、どこへもたどり着けなかった。
口はおもむろに閉じられて、ハンネスさんの身体は両断された。
無様に転んだ。起き上がった。また喪った。でも身体は動く。でも、動いたとして次はどこへ?
ほうぼうから数多くの声が聞こえる。叫ぶアルミンの声。団長の落ち着かない呼吸に、エレンの叫びも。
(どうすれば…どうすればこの状況を切り抜けられる…!?)
声の方角に次から次へと首が揺らぐ。その怨嗟の数々は『私』をまた引き戻そうとする。シガンシナのあの日のように。
(リヴァイ兵士長がいれば……ハンジさんがいれば……ミケさんがいれば……ゲルガーさん……ナナバさん……リヴァイ班の皆ががいれば……全部……『私』のせいで)
それぞれの絶対絶命の渦中で、『彼』の選択肢は増えては消えてゆく。勝利の道筋も、敗北の道筋も、蜘蛛の巣のように張り巡らされては掻き乱される。その巣の中心の『私』は今一度胸に手を当てる。
(丸薬を食うか?いいや、一人じゃ全員は救えない。選ばなくちゃいけない。誰を見捨てるかを。だが見捨てたところで、そのごく少数の人達だけで壁まで帰れるのか?まさか……)
全員が同時に襲われていて、立体物も碌にない。さらにトロスト区よりも膨大な密度の巨人の群れ。冷静な『私』の頭は、この状況の答えを即断した。
(詰みだ)
『私』の心臓の鼓動が、一段大きく聞こえる。早鐘は打たない。ごく自然な拍動。その一音一音が重なる度に大きくなり、内耳を体内から破裂させんばかりに響き渡る。
(ここで死ぬのか?『私』達は?こんなところで?こうなったのも全部、『私』のせいで?)
その焦燥を鮮明に自覚する前に、『私』は丸薬を一粒噛み潰して、地獄の最南端を向いていた。
「うおおおお!!」
最早その名前で呼びたくないからか、『私』は雄叫びを上げて、鎧の巨人に向かって全力でガスを噴かす。
(どのみちここで死ぬのなら!全て叶わないというなら、お前をこの手で……!!)
装置の鞘に収まった【異形の刃】を抜いて、無理やり手の中に握り込む。布でくるんでいても触れば酷く痛む。右手のブレードと平行になるよう握る。隠れ蓑のように。トリガーのために指を割いているから満足に支えられないが、それでも構わない。少しでも可能性があるのなら。
皮肉なことに装置のための立体物は、鎧の周辺にありったけあった。殺したかどうかもろくに確認もせず、視界に入る巨人全てに手傷を負わせながら、『私』は鎧の元へ飛び込んでいく。上がる息も吐き続けながら、ベルトルトを無視して鎧の顔に刃を突き立てようとしたその時、
身体に稲妻が走るかのような、錯覚に襲われた。いや、そうとしか例えられない衝撃が、『私』の中を駆け巡った。
(丸薬の副作用がもう来たか?)
そう疑ったが、何かがおかしい。周囲の物音が、いやに統率が取れた音色を奏でている。まるで、一つの方向へ向かうかのように。
刃を握ったまま、北へと振り向いた。ハンネスさんを食った巨人が、食われている。周囲の巨人に、身体のありとあらゆる箇所を引きちぎられ、捕食されているのだ。まるで、人間のように。
思わず、刃を下ろしそうになったが、手が空いたか鎧が動き始めた。ベルトルトも『私』の方へ登ってきている。『私』は鎧のうなじへと逃げ、満身の力を込めて、うなじへ【異形の刃】を突き込んだ。
ガツン、バリバリ、と音がして、超硬質ブレードは砕け、【異形の刃】は歯こぼれもせず弾かれた。
その惨憺な結果に衝撃を受ける前に、また、稲妻が身体中を駆け巡る。
そして、巨人どもの視線が、一斉にこちらを向いた。
普段の生気の感じられない瞳から一変した、殺意と無邪気さに包まれた瞳が、無数に一斉に『私』へと向く。
震えた。身体の芯から。
どうやらそれは、敵の二人も同じようだった。
(都合がいい。もしかすると、鎧を引き剥がせるかもしれない。……もう兵団からは随分離れた。もう、ここで、終わらせてやる。緒共に)
既に鎧に群がる巨人の群れに乗じて、上空へとまっすぐ跳ぶ。もう一度【異形の刃】を構えて、空から下へと一直線に落下する。無数の巨人の瞳を、生気の無い瞳と照合しながら、『私』は静かに目を閉じた。
突き刺さる感触は確かにあった。深々と肉に入る感触が。ついにやったと、『私』は目を開けた。しかしそこに、鎧の巨人の姿は無かった。
【異形の刃】は、普通の巨人の肌に刺さっていた。いいや、普通の巨人どころではない。『私』を掴み、引っ張り下ろす手があった。その手は、『私』が誰よりもよく知っていた。
ユミルは『私』を投げ下ろしていた。コニーが捉え、『私』を馬に乗せる。クリスタの姿を探したが、どうやらさらに北にいるらしい。
「ユミル!?」
「……(頼んだ)」
「え?」
ユミルは喋っていない。でも、そう聞こえた気がした。ユミルの顔が、急速に『私』から離れていく。『私』はコニーから手綱を奪おうとする。
「待て!まだユミルが!!」
「帰るんだよ!」
「彼女を置いては帰れない!」
「約束したじゃないか!一緒に守るって!一人で勝手に降りるってのかよ!なんで!?なんでだよ!!?」
喉が痛い。言葉も正しく発話出来ない。顔も視界もどうしようもなく歪んで、煩わしく両目が激しく痛んだ。
「ユミル!ユミルーー!!」
『私』は叫び続けた。彼女の名前を。しかしユミルが帰ってくることはなかった。眼窩の痛みに呻いて繰り返し叩きつけた言葉は、彼女の名前だけだった。