850年。
『アンタ』らが望んだ故郷の地。その壁の上に、アタシは寝そべって夜空を見上げている。息も絶え絶えに。
シガンシナ区。アタシが巨人の姿から戻った時には、すでに巨人の住処になっていたここを、また見ることになるとはな。この地の空は、訓練地にいる時のものとなんら変わらない。
初めて巨人化から解放されたあの夜空に比べて、ここは、なんて暗くて、くすんでいるんだろう。見上げるなかそよぐ草木の音に、夜の虫の鈴の音が遥か下から聞こえてくるが、どことなく寂しそうだ。音そのものは多い。仲間は沢山いるだろうに、遠くて音そのものが小さいからなのかもしれない。
あの壮絶な戦いから、アタシは奇跡的に生き残った。いや、正しくはアタシ達だがな。『アンタ』にとって残念なことに、ライナーもベルトルトも生きてる。
皮肉なもんだな。守るべき者を託した途端、案外あっさりと切り抜けちまえるモンだ。
巨人の力が尽きる前に、命からがら壁まで辿り着けるくらいには。アタシ達の力は、それほどに絶対的なものだ。
まだ呼吸も落ち着かないまま、ライナーが尋ねてきた。まったく、間の悪い。お前はいつもそうだよな。リーダーを気取ることにかこつけて無遠慮に振舞いやがる。
「ユミル……なんで俺達のところに来た」
「あ?そりゃアタシがバカだからな。こうでもしねぇと、お前ら帰ってくれねえだろお前らの上官に。兵士だの戦士だの言ってるってことは、そういうことなんだろ、ベルトルさんよぉ」
「うん。その通り。でも、君はこのまま僕たちについて来れば、絶対、助からないよ」
「正直、俺達を放って、調査兵団に付いて行くと思ってたぜ。だって理由が無いんだからな。……今なら逃げられるぜ。もう俺達は巨人化できねえ」
わかんねぇよ。なんでアタシは……。
「そりゃあありがたいことだが、アタシはもう、いいんだよ。もう疲れたんだ。それに、アタシは壁の向こうを知ってる。お前達がこうしてやってきたってことは、アタシの頃から、あそこは大して変わってねえな?」
二人は黙って頷いた。薄々分かっていたし、良くもねぇ。このまま連れ去られて良い訳ねぇだろ。でもしょうがねえんだよ。アタシはこいつらの仲間の力を奪ったんだ。それを返さねぇと、向こうからさらに恐ろしい何かがやってくるかも知れねえんだぞ?
……クリスタ、きっと怒ってるだろうな。『アンタ』も、ひでえ面してたもんな。二人してうるせえんだよ。アタシの名前を呼び続けやがって。揺らいでしまうじゃねぇかよ。
思えば全部、『アンタ』のせいじゃねぇか。『アンタ』が日誌にアタシの時代の、アタシのいた国の文字を使っていたから、仲間だと錯覚して、カマ掛けたあの時から、アタシの計画は狂いっぱなしだった。なんだってアタシは、『アンタ』を買う必要があったんだ。
暗黒の中、アタシは思わず顔をしかめた。
雲の切れ間から、月がいっそう激しくアタシ達を照らしたから。
その眩しさから、なぜか私は目を逸らすことが出来なかった。それどころか、月明かりに目が慣れるのを待ち続けている。
なぜだ。
「……ああ、そうか」
アタシは、この輝きを知っていた。
木製のロッジの中で、兵士のために用意された粗末な毛布を羽織って、『アンタ』からぬるま湯と野戦糧食を受け取った、あのときの月光にそっくりだった。
ああ。やっと分かった。
「ああ、アタシは……ははっ」
上がる口角を引き裂きたくなっちまう。
なんだ。こんな簡単な答えにも気付かなかったんだ。
アタシは、『アンタ』を……。クリスタへ向ける気持ちとは、全然違う。でもきっと、そういうことだったんだ。
まだ『アンタ』と、話し足りないことが沢山あったんだ。うっとうしくて、不器用なくせに人恋しい『アンタ』は、いつもアタシ達の近くにいた。敵とも分からねえまま、そこにいる戦士二人とも、言葉を交わすことをやめなかった。
巨人の身体という壁が無ければ、『アイツ』ともっと話していられたのかもな。さっきの戦いでも。
訓練兵だった時も。
雪中行軍の時も。
正体を初めて打ち明けたあの時も。
あの月明かりのように。『アンタ』は眩かった。クリスタが太陽なら、『アンタ』はその逆に居たんだ。アタシがいつも一緒に居たいと選んだ人を、守ってくれるような人。それが、『アンタ』だと、アタシは信じたかったんだ。
「はははははははっ。アタシは結局……」
自分のために生きてなんかいない。
でも不思議だ。後悔は無いわけじゃねえ。でも凄く満足してるんだ。クリスタを、守れたんだ。
『アンタ』ならきっと、アタシの分もクリスタを守ってくれる。
『アンタ』は強い。なんたってアタシが選んだんだぜ?共犯者に。アタシに恥かかせないためにも、『アンタ』はクリスタを、あいつを守らなくちゃならねえ。
……だから、なあ、頼むよ。
『アンタ』は……いや、心のうちくらい、他人行儀な呼び名はよそう。
『オマエ』と最初に会ったときのことだ。寝坊した時の間抜けぶりを見て、まずアタシは、弱そうだ、と思ったんだ。
でも、違った。幾らパシっても平気な面して戻ってくるし、クリスタが遭難したときも誰よりも先に動いた。そんなバカみてぇに誰かのために動いてるヤツなんて、見たことが無かった。
卒業しても、それは変わらなかった。
五年ぶりに壁が破られた日も、『オマエ』は怯まず動いた。
『オマエ』がリヴァイ班に引き取られたときも、アタシは納得した。
ウトガルドでも、全てが尽きるまで、『オマエ』は戦い続けた。
……だからアタシも、今こうしてこの選択が出来た。
『オマエ』は、クリスタやアタシと違って、良い子なんだ。見返りも、死に場所も求めてない。ただアタシ達のためだけに戦い続ける、バカで、世界に無二な良い子なんだ。だから……だから……頼む。
この涙に、嘘を吐かせないでくれ。
『オマエ』の貌を思い出してやまない月へ伸ばした手を、アタシは握りしめた。
居なくなってしまってから見つけた答えを、今度は離さないように。
「女神様も悪い気分じゃないね」