名もなき英雄の軌跡(進撃の巨人2二次創作)   作:なげすて

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第77話 診療所に迎えにきた男

─1─

 

 

今から一年前に、最前線での任務で私が助けた駐屯兵のことを覚えているだろうか。

彼女は、この診療所で最も長く滞在する患者となった。

それまでに多くの兵士達が出たり入ったりした。親族に会い、身を引き取られた者。

病状が悪化し、死んだ者。自力で回復し、また戦地へ戻っていった者。意識が戻らぬまま、別の大きな診療所へ移送された者。

多種多様な理由で、患者たちはこの診療所から離れていった。

 

しかし、『私』が救助したあの駐屯兵は、この診療所から動かなかった。

 

あれから今日まで、彼女の症状は、少しも良くならなかった。

様々な療法も試すが、うまくいかない。

彼女はこの一年間、足も、腕も動かないままだ。

 

満足に動かせないために体格も痩せ、見た目の年齢も、少し老けてしまった。彼女の寝汗を拭こうと身をはだけさせたときには、背中側の肋骨とひしゃげた背骨の繋がりがくっきりと浮き出ていて、あまりに痛々しかった。つい目を逸らしてしまった。クリスタは目を逸らさず手を止めず、彼女の看病を続けていた。

 

しかし看病する中でもう、理解できていた。彼女はもう長くないと。もってあと数ヶ月の命だろう。

 

彼女がこの診療所に来てまだ一ヶ月あたりの頃、彼女の引き取り先を知るために、

三重の壁がすっぽりと入った地図を広げ、彼女に家族の所在を問うたことがある。彼女は目で南を睨んだ。

 

ウォール・マリア。詳しい所在を聞くために指を指そうとして、途中で止めた。その南端にある区の末路など、誰もが知っていた。

 

だがその行動で、分かったことがある。彼女は指一つ動かせなくても、目で、伝えたいことを示せる、と。

 

たとえ身体は奪われても、知能や感性が奪われた訳じゃない、と。

 

それを理解したクリスタと『私』は、彼女に寄り添えるよう、できる限りのことはした。本を読みたいと望むなら代わりに持って支え、間が経ち目線が右下に向かえば次のページを捲る。チェスなら、次に差したい駒を目で示させ、医員が動かした。対局は患者同士で行われることもあったし、『私』やクリスタが行うこともあった。たまにクリスタの様子を見に来たユミルも彼女と一局を交わすこともあった。彼女は思いのほか強く、『私』も全力を出してなお何度も負けた。もしかすると、アルミンともかなり言い勝負が出来るかもしれない。そう述べると、彼女はその名前に興味を示した。

 

同じ要領で、すべての文字が書かれた盤を持ってきて、彼女に目線で文字を見つめさせ、音もなく言葉を交わすことも出来るようになった。

 

彼女は、『私』達のことを沢山訊きたがった。兵士として生きてきた自分と、共通する点では頷こうとし、『私』達の境遇に少しでも違いがあるなら、その両目は子犬のように興味深げに輝いた。

 

季節がめぐる中で、彼女の声を聞くことは無かったが、通じ合うことはできた、少なくとも『私』はそう思う。これはそんな、小さな記録だ。その記録が、後に呼ぶ結果も『私』は知らなかった。

 

 

 

850年。今日はエレンを奪還した、その翌日の昼下がり。

 

 

 

団長からの聴取を終えて、『私』は診療所の面々を、さらに壁の内側へと避難させる準備に取りかかっていた。何分人手が足りないのと、馴染みのある者の手を借りたいと、診療所から呼び出しがあったからだ。

 

負傷兵達の運搬は、病人と比べても段違いに慎重さを要求される。軽傷の者なら既存の馬車に乗ればそれで済む。しかし、満足に起きられない者は、柔らかくなるまで揉まれた藁等の緩衝材がふんだんに敷かれた荷馬車の荷台に寝かされて移動することになる。

 

一台ごとに乗れる人数はたかが知れていて、診療所の前に所狭しと荷馬車が停まっていた。一人ずつ担架に乗せて馬車へ運び、同席も許すなら数人ずつ、荷馬車へ乗せていく。乗せられる最中に談笑する患者もいて、この重労働も少し気が紛れた。

 

「あと残り二十人くらいか」

 

患者を一人乗せ終えた『私』は、患者を運ぶべく担架で両手の塞がったクリスタの、いや、ヒストリアの額の汗を手拭いで軽く叩くように拭き取る。

 

「うん。そうね。あともう少しで。……その拭き方……いや、なんでもない」

 

ヒストリアはなにかを思い出したようだが、言葉にするのをやめた。それよりも、『私』の右手を見つめている。

 

「『あなた』は、怪我の具合は平気なの?」

「擦りむいただけだ。心配ない。ここにいる人たちに比べれば」

 

異形の刃を初めて振るった時、強く握りすぎたためか『私』は手を擦りむいた。鎧を貫けなくても布は斬れるらしい。くるんでいても突き破って手にまで達していた。

 

これまで通り武器も振るえるが、なにぶん昨日の今日だ。力めば当然、痛む。

 

(それでも、エレンを取り戻すために、また多くの死傷者が出た。五体満足なのは奇跡に等しい。それに……)

 

それ程の過酷さでなくとも、今ここにいる負傷兵達もまた、人類のためにと信じて戦った兵士達なのだ。自分が泣き言を言っている場合じゃない。

 

特に重体のあの駐屯兵は、特に丁重に扱わなければ、移動の最中に命を落としかねない。

彼女を乗せる荷車は、その暗黙の了解を反映するかのように、懇切丁寧に巣作りがされていた。

 

うっそうと敷き詰められる緩衝材に、生命維持の為の薬品に溶液。粗相した時の替えに栄養と、長旅になることを予感させるには十分な量の品が積まれてゆく。

 

……最早診療所の最古参となった駐屯兵に、最後の言葉でも交わしておこうかと、『私』は一室に向かった。

 

すっかり診療所の規則正しい生活に馴染んだ彼女は、いつものように起きていた。

 

重傷者の過ごす一室は、他の寝室とは分けられている。終末医療も兼ねたこの場所は、もはや彼女一人しか残っていなかった。

 

ようやく姿を現した『私』に、彼女は視線を真っ直ぐに向けてくる。ここしばらく顔を見せていなかったからか、その眼差しには少し期待が籠っているようにも見えた。

 

「今日は───」

 

「ああそうだ」と『私』は慌てて文字盤を持って来て、彼女の言葉を受け取れる準備をしてから、話し始めた。

 

「……ここしばらくは、『私』達もかなり慌ただしくて、すみません。あまり訪ねられなくて。もしかすると、従事者達の噂話を小耳に挟んだかもしれませんが、一応、お話ししておきましょう。この状況を、誤魔化し通せるとも思えませんし」

 

側にある窓から、快晴からくる暖気と陽気な子どもの声が舞い込んでくる。それを叱る親の声も。

 

「我々は、兵団に大損害を与えた巨人の捕獲に成功しました。今は、ウォール・シーナの南端に、それがいます」

 

女型の巨人は現在、エルミハ区に移送され、地下に収容されている。憲兵の監視下、一向に目を覚ます気配は無いそうだ。

 

「今はその脅威に対して、備えをしている段階です。貴女にも当然避難をしてもらいます。多分、こことは比べ物にならないくらい、過ごしづらい場所になりそうですが」

 

駐屯兵は目線を盤に合わせてゆく。「残念」と、『私』は読み取った。

 

「そう、ですよね。ここは、とても過ごしやすいですし、これから向かう場所はたても……。ああ。行き先は地下なんです。大昔に王政が提案した地下移住計画、それが頓挫した跡地、地下街に患者を移送するとのことでして。……本当にすみません」

 

(我々は、初めから何も成し得ていないのかもしれない。女型の巨人を捕えても、市井には甚大な被害が出た。エレンを取り戻しても、それは振り出しに戻っただけだ)

 

「『私』達の不徳のいたすところです。とても、貴女達のようにはなれません。でもきっと、すぐここに戻れるように、尽力します」

 

言い終えないうちに、開け放した部屋の扉がノックされた。振り向くと医師が汗を拭きながら入ってきていた。

 

「訓練へ……いや、もう調査兵だったな。時が経つのは早いものだ。休憩に入って良いぞ。一時間後にはまた再開だ」

 

二つ返事で『私』は請けて、「ではまた」と部屋を後にした。

 

 

 

─2─

 

 

『私』には一つの疑念があった。彼女が一年以上生き永らえている奇跡。この奇跡が、果たして本当に奇跡と呼べるのか、と。

 

849年に、最前線での任務で彼女を救助していた時に、護衛に当たっていたイアンさん達を無視して、『私』に向かって巨人が襲ってきたことを、思い出さざるを得なかった。

 

そんな夢想を目頭の蓄えて指で摘まむ。

湿気の吹き飛んだ日差しの下で『私』は伸びをする。胸元から水を蓄えたスキットルを取り出して、蓋をキュルキュル巻いていると、『私』の頭上から声がした。

 

「あのーもし。兵士だよね?あんた」

 

長身のメガネを掛けた男が、胸元から一枚の似顔絵を取り出して、『彼』に尋ねる。

 

「この女性を探しているんだが、見覚えはあるかい?」

「あ、人探しですね。分かりました。念のため、もう少し近くで見ても?」

「いいとも。あ、なんならこの眼鏡でも借りるかい?」

 

と男はおちゃらける。その言葉は愛想笑いで誤魔化して、兵士として人探しの分野を脳から引っ張り出す。手に取ればこの紙、随分と滑りが良い。絵に描かれた人物の姿は非常に精巧で、まるで生き写しをそのまま貼り付けたかのようだった。それに、背景も人物も、全て統一された茶色っぽい霞のようなものを掛けられているような配色だ。どんな似顔絵師なら、こんな不思議な絵が描けるのか。

 

『私』の視界の焦点の外でぼやけてる男の輪郭はそれとなく、いたずらっぽい笑みを浮かべているらしいが、今は絵に集中する。

 

その絵には、一人の女性が描かれていた。

黒髪にわずかにウェーブがかかっていて、アニに似た、ゆるやかな曲線を描く鼻を持つ女性。こんな人物は記憶に一人しかいない。

 

ヒストリアが通う診療所で一年以上、家族を待ち続けているあの人そのものだった。

 

「ええ、知っています。あそこの診療所にいますよ。……残念ながら、この絵のような健康な状態とは言い難いですが」

「おお、そうか。良かった。俺はそいつの家族で、ずっと彼女を探していたんだ。ぜひ案内してくれ、頼む」

「あの、念のため、お名前を教えていただけますか?」

「ああ。俺の名前は───」

 

男は名乗った。一応市に生きる兵士の自負はあったが、さすがに戸籍情報を全てさらっている訳でもなく、『私』にその名前に聞き覚えはなかった。

 

「家族……それは、本当によくここを見つけられましたね」

「知っていると思うが、五年前のシガンシナ陥落から、戸籍の管理はいい加減だ。俺もこの絵一枚で探さなきゃいけないんだから随分時間もかかってしまった。あの娘もきっと、寂しかったに違いない。早く連れてってくれ」

「ええ、勿論。…………あの、貴方は」

 

『彼』はそう呼び止めて、また逡巡する。

 

「ん?どうした?」

 

その長身で金の髪と髭を生やした男は、『彼』を見下ろす。

 

「……いえ、どこかで見たような顔をしてる気がして。すみません、いきなりこんなことを言って」

「なあに、こんな顔、どこにでもある、ごくフツーのもんだと思うぜ、俺は」

 

長身の男はメガネを外して、無造作に両腕を上げて、軽やかにステップを踏みながら一回転して見せる。二枚のレンズを持つ値打ちものがふっ飛んでいきそうで危うかった。『彼』はそのひょうきんさに思わず慌ててとりなし、発言を撤回することにした。

 

長らく家族の安否もわからず探し続けている者の精神が、著しく磨耗している可能性をも考慮していない自分を律した。

 

ーーーーー

 

「ああ!ここにいたんだ!うわーすっかり痩せちゃって」

 

彼の言葉に彼女は目を見開いて、口元をわなわなと震わせようとする。実際には動いていないが、『私』にはわかる。まるで、亡霊に出会ったかのように、彼女の心は激しく揺れ動いていた。大声に驚いてヒストリアは駐屯兵から目を離した。

 

「え、えっと、貴方は!?」

「ああ。そこの駐屯兵の家族よ。兄貴みたいなもんさ。そりゃあ驚くだろうぜ。シガンシナ区で生き別れたハズの家族に、また会えたんだからなあ」

「家族……あまり、似てませんね」

 

ヒストリアが男の金髪と髭に言及した。

 

「うん?どっちに似るかで変わるもんだろ、そういうのは」

「それも、そうですね。あ、この書類にサインを」

「まあ、俺も後ろぐらいものが一切ない訳じゃないんだけどな。彼女については、出身と名前を偽って、兵団に入っている。お前達の2コ上のはずだ。シガンシナで育ったとくれば、奪還作戦に取り立てられたかもしれないからな」

 

書類の記入を済ませ、病状についての全てを後見人に伝え、『私』がヒストリアと担架で彼女をこれまた慎重に運んでいく。

 

柔らかい綿と藁の寝床に仰向けに寝かされた駐屯兵は、ある一文を、『私』達に示した。何度も融解された栄養食を嚥下した、弱々しい唇で。

 

”貴方達の勝利を、願っているわ”

 

と、その動きから読み取った。もはや文字盤は必要なかった。

 

「違いますよ。人類の勝利なのですから、あなたも一緒です。もう戦えない体かもしれませんが、貴女も立派に兵士として、人類の勝利に役立っています。その報いが、今日やっと訪れたんです」

 

彼女は少し目を見開いて、微笑を浮かべたいと、同意の目線を私に向けた。

 

彼女の身から漂わせていた孤独が、彼の来訪でようやく解かれた。そう思うと、『私』は祝福せずにはいられなかった。

 

「あー、ところで、これからどこに向かえばいいのかな?もう長くは無いとはいえ、一応、避難はしておかないといけないからな」

 

長身の男は『私』に訊いた。

 

「ここから真北にあるエルミハ区は、必ず避けて下さい。危険ですから」

「ああ分かった。エルミハ区以外のどこか、ね。さあて、行こう、ピークちゃん」

 

掛け声とともに荷馬車に鞭打ち、署名に『ジーク・クサヴァー』と書いた男は、彼女の本名をそう呼んで、診療所から出て行った。

 

─3─

 

時は夕暮れ。

 

『私』達の努力の甲斐あって、今日中に診療所にいる残りの負傷者達も荷馬車に乗せることが出来た。現地で解散となったが、頭から爪先まで汗でぐっしょりだ。

 

「明後日まで雨は降らないみたいだし、みんな、なんとか避難先までたどり着けそうね」

「ああ。昨日の今日で、ヒストリアも大変だったろうに。お疲れ様」

「『あなた』こそ、ライ……鎧の巨人と正面から戦ってたそうじゃない。たった一人で」

「あの状況は、正直、『私』ももう駄目かと思ってしまった。エレンが新しい力に目覚めるまでは」

「うん。……今まで隠してたのかしら」

 

優しいクリスタのままだったら、彼女はその言葉をハッとして取り消そうとするのだろう。でも、彼女はそうせず、『私』の隣でポンプから水を出し、桶に溜め続けている。

 

「エレンがわざとそんなことをする訳が無い。エレンが裏切り者だと考えるのは至極合理的だ。これまで巨人化できる人達は、二人を除いて敵だったんだから。でも、残った二人は間違いなく仲間だ。『私』が保証する」

「……分からなかったじゃない」

 

ユミルのことを指してないのは、理解できた。ライナーとベルトルト。『私』はあの二人が敵だと、最後まで見抜けなかった。人を信じたがった『私』は、ただ目が眩んでいただけだったのだろう。

 

「……ユミル、なんで彼らに付いたんだろう。君を守るために『私』を引き入れたのに、その言いだしっぺがここにいないなんて」

「分からないよ。一番近くにいた私が分からないんだから」

「ごめん」

「いいの。私も、自分の身を守ることで精一杯だったから、とやかく言える立場じゃない。そんな中でも、『あなた』は戦うことを選んだ。エレンやミカサと同じように。そうでしょ?」

 

 

「水浴び、好きだったでしょ」と、ヒストリアは桶を『私』に差し出した。礼を述べて『私』は受け取り、片手で少し掬って顔に浴びる。それを数度繰り返して、乾いて粘つく油分をほぐして払う。空からの息吹きで水分が乾いていくこの感覚が、『私』は好きだ。このまま上着も脱いでしまいたかったが、今は顔から首までに留めておく。

 

いつもと違って、決して晴れやかな気持ちでは無かったから。

 

「あれは、そんな上等な感情じゃない。もう、好機が無いと思っていたから。アイツを殺せる、最後の…………皆を、見殺しにしようとした。もう、誰も助けられないならいっそ……って」

「そう」

 

咎められるとも思ったが、ヒストリアの答えは静かだった。

 

「こうまでしてやっと、『あなた』はそうなるのね。私とは全然違う」

 

ヒストリアは、ピークが運ばれていった方角を眺めている。

 

「あの人の家族……見つかって良かったね」

「ああ。本当に長かった」

「……あの髭の人の話、信じられると思う?」

「いいや。今となっては」

「でも種は蒔いた。あとは待つだけ」

「そう。ヤツらが掛かるか待つしかない」

「きっとうまくいくわ。もしかすると、ユミルも帰ってくるかもしれない」

「『私』も、そう信じたい…………ケホッ」

 

ヒストリアは数度、『私』の方へ手を泳がせる。桶を渡してやると、彼女は頭から桶をひっくり返した。水を全て被ったヒストリアは、馬が鬣を靡かせるように水気を振り払って、前へと枝垂れた髪を掴み絞り上げる。去ったあの人と同じように、赤い髪留めを後ろに回す。そうして、『私』と向き合い、決死の覚悟を、『私』に目線で伝えた。

 

彼女の留めるに短い髪を懸命に繋ぎ止めているそれを見て、『私』はまた咳き込んだ。ヒストリアから心配の声が上がる前に、『私』はタオルを被った。大袈裟に。咳と同時に昇る喀血をかき消すように。

 

 

 

そこから7日、ある一通の手紙が、『私』の元に届く。「例の柄が完成した」、と。

 

 

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