─1─
サイド:ライナー
俺達が兵士になってから、68日。
シガンシナ区。壁の上。戦士長の腕時計が指すには、午後二時くらい。俺達三人は今後の話をすべく膝を突き合わせている。北からピークと一緒に現れた、戦士長ジークとともに。
「いやー、ひどい目に遭った遭った。まさか俺の無垢どもを使い果たしちゃうとはね。君らも大変だったろ。俺が来るまでの三日もの間、近辺の巨人が攻めてきたんだってね」
戦士長は海の向こう製のコートを羽織って、背中をポリポリ掻いている。
「ええ。どうやらエレンの”座標”の力は本物のようです」
「ま、俺の手で殆ど殺したから楽勝だったじゃない。お陰でここいらもすっきりしたし、いい天気じゃないか」
「……未だ、シガンシナ区以南から巨人が来てましたね。てっきり僕は、すべての巨人がウォール・マリアを突破出来ていたとばかり。なにせ、五年もありましたから」
「……五年経ってもあの処刑方法はまだ健在という訳だ。……さて、本題に入ろうか。今の俺達には2つの選択肢がある」
ジーク戦士長は二本指を立てて話す。
「アニちゃんを取り返すか、それとも、『座標』を奪うか、だ」
やはりその二つだろう。
エレンが『座標』の力を行使し、俺達は命からがらシガンシナ区まで逃げてきた。戦士長の助力がなければ、延々と巨人どもに追われ続けていただろう。その点は感謝している。
だが、ここでアニを諦めるのが正しいのか?マルセルの時のように、また俺達の届かないところへアイツを置いていくのか?
「ライナー……」
ベルトルトは俺の顔色を窺っている。お前はいつもそうだな。
「考え込む気持ちはわかるがな、ライナー。お前がどう悩もうと、俺は始祖の奪還を選ぶぜ。ただし、待つ作戦を使うがな」
「戦士長」
「お前の話すエレンとやらが『座標』の力を発揮したというのは、いわばチャンスだろう。無知な一般人が始祖の巨人の力を使ったのなら、少なくとも王の手を離れているか、王は始祖の力の行方がわからず、手をこまねいていたところだろう。なら、内ゲバで奴らの消耗を待つ方がいいだろう」
「内ゲバ、ですか?」
「そう。王はこれまで100年ほど始祖の力で民を押さえ続けてきたんだ。それが巨人を皆殺しにする目標を持つ、王の思想とは真反対な人間に渡ったんだ。今回で王の手先は動き出すだろう。危険な思想を持つエレンを捕えるためにな。調査兵団とやらはエレンを頼りにしてる。巨人の能力がどう継承されるか知っていようと知るまいと、阻止するために相応の血が流れる」
戦士長はキャッチャーミットを持っているかのように、右手の殴打を左手で受け止める動作を繰り返している。
「自滅を期待する、というわけですか?」
「そうそう。俺達が手を下す間でもない。もしかすると都合よくコトが運ぶかもしれないねえ。『本来王が持つ力を一介の兵士が持ってることに憤った王は、王への翻意を示す調査兵団の解体を命じた。』とかさ。上手くいけば主力とされる調査兵どもは檻の中。駐屯兵団は地力が足りず、憲兵団は腑抜け。あとは俺達が悠々と王から始祖を奪えばいいだけだ」
「では、なぜ迎え撃つ作戦を俺たちに説明したんですか?奴らが捕えられるのであれば、俺達が始祖を取りに向かう必要があるんじゃないですか?」
ライナーが戦士長に指摘すると、戦士長は両肩をすくめた。
「さすがに俺もそこまで楽観的じゃない。もし何らかの方法でエルヴィンが王を説得し、調査兵団が始祖の力を持つことを許可されたのなら、戦力を持たない俺達は無力も同然。迎え撃つなら手数は多い方がいい。ここ、シガンシナは最適の場所というわけだ」
「……『顎』はどうします?」
「あっちに送ろうと準備してる最中だからねえ。継承しても、ポルコは実戦経験がまったく無い。【先代】の記憶込みでも戦力としては期待出来ないね」
ジークは隣で両手を縛られ黙認するユミルを尻目に、この作戦会議を続けていた。ベルトルトはライナーから目を離して、北を眺めながら確認のため口を開いた。
「あと、奴らがいつ押し寄せてくるかわかりませんよね」
「その通り、ベルトルト。俺の予想じゃ少なくとも1ヶ月はかかると思うが、あくまで予想だ。明日にはやってくるかもしれないし、もしかするといつまでも来ないかもしれない」
「じゃ、じゃあ、やっぱり取りに行った方がいいんじゃ……?」
戦士長は眼鏡に人差し指をかけ、少し弄ればまた手をあぐらに戻した。
「……お前がどうしたいのかを訊きたいんだがなぁ、ベルトルト。煮え切らないのは相変わらずなのかな?」
「えっと……僕は……」
「……俺がなんで派遣されてきたかわかるか?上の連中が、お前らの体たらくを見かねてのことだよ」
戦士長の目つきが変わった。普段のどこかとぼけているお調子者から、戦士の目つきに豹変する。
「五年も行方をくらまして置いて得た情報がそれだけじゃ、お前らは次の戦士が選ばれるまで拘束のうえ、時が来れば問答無用で処刑だ。二年前にピークちゃんも一度派遣したんだが、へまして巨人に背骨を折られて診療所行きとはね。この作戦会議迄に連れ戻せたのは幸運だったし、それに、お陰でお前らの話した情報が間違っていたことが証明は出来たが、国が払った代価に対して功績があまりに小さすぎるとしか言いようが無いんだ」
その車力の巨人改め、ピーク・フィンガーは現在も巨人化したまま、壁からやや離れた、一本の木の生えた小高い丘から、さらに北を眺めている。いち早く俺達に敵の接近を知らせるために。
「……お前達壁内人類が【異形の巨人】と呼んでいる存在。あれが何から出来てるか、分かるよな?」
「はい。歴代の獣の巨人の力を反映させた個体と、それに、柔軟な硬質の体を持つ個体。……関わっているんですね。あの一家が」
「その通り。ここじゃ余所者がいないから教えておくが、【異形の巨人】は、別にいきなり出現した突然変異の類いなんかじゃねえ。ここ五年程、俺はある実験に付き合わされてきた。女型の巨人が複数の巨人の能力を反映させる記録は覚えてるな」
「はい。そして、僕達のような巨人には、それほど特徴が反映されない、って」
「でもね、やっぱり俺の巨人は例外だったみたいだ。俺の脊髄液から生まれる巨人は、あの一家が関わることで少し変化するらしくてさ」
黒い包みを入れたマグを三つ並べて、戦士長は熱湯を注ぐ。
「単純な命令しか聞けないのは、無垢の巨人とそう変わらないんだが、俺の巨人のルーツと、ー家の占有する巨人の持つ、拡張性の高い硬質化がうまく噛み合ったらしい。鎧の巨人程じゃなくても、それなりに硬い巨人が生み出せるようになったんだ」
「ほ、本当ですか!?」
「まあそれも、とてつもなくレアケースだ。そう都合良くは試せていないが、何十体のうち一体くらいの割合だな。失敗例は俺の獣の巨人の特徴を強く反映した巨人か、何の変哲もない無垢の巨人になる。二種の巨人の形質を混ぜ合わせるとああなるんだ。実験がてらこの島に放してたが、残念ながらあっち曰く実用には程遠い。やはり始祖なくして、巨人の力は乱雑なままだ」
ジークは一頻り喋り終えて、マグから一口黒い液体を啜ってからまた喋りだす。
「俺らはな、未だお前らに確証が持てない。実績ではなく忠誠の面でな。本当にお前らが『戦士』なのか。たとえベルトルトがどちらに付こうとも、この相違は戦いを以て決めさせてもらう。……ベルトルト、今、ライナーは『戦士』なんだな?」
「はい、違いありません」
「この五年でお前らがあっち側に鞍替えしたかどうかも、この程度の情報じゃ晴れない。それに加えて奪還に協力を示した一家。お前らの意見を飲む者は多くない。でも、現場の指揮権は俺にある。いいか。これはチャンスなんだ。お前らの判断の如何がお前らの命の如何に直結してるんだ。作文で最も高い忠誠を買われて鎧を受け継いだお前が精神を病んで離反など、取り返すには相応の代価が必要だぞ?それをこんな儀礼的な勝負で決めてやると言ってるんだ」
【ライナーは『戦士』としての胸中に思考を巡らせる】
……俺と戦士長とで、票は一対一。ピークはこの後ユミルを『向こう』に運ぶまでの監視役として、参戦はしないと投票権を放棄。
あとはベルトルトの票で決まるんだが……。アイツの主体性は、まだ俺も測りかねてる。俺の人格がおかしくなってるからその評価自体も疑わないといけなくなったが……。多分俺達の説得のどちらに付くかで決まる。それなら、俺の勝ちだ。
自信ってほどじゃないが、俺は誰かを説き伏せることなら負けたことはない。
ベルトルト達にシガンシナ区を破壊する作戦を強行したときも、巨大樹の森でエレンの喚きを牽制した時も、全て上手くいっていた。
ずっと俺に付いてきたベルトルトだが、俺が持ち前の言葉を使えばこっちに付くのは明らかだ。
「俺は始祖の奪還のため、ここで待つことを指標に掲げる。ライナーはアニちゃんの奪還。ピークちゃんはどちらにも着けないとしてるから、あと一人。……このまま決着が着かないのであれば、あとは実力行使で決める。意思の強さを戦いで証明してもらうぞ」
「俺はそれで構いませんよ。この五年の間、何もしてないわけじゃないことを証明して見せます」
「ほお。生意気言うじゃない。……さて、ベルトルト、いい加減決まったか?」
俺と戦士長はベルトルトを見やるが、ベルトルトは黙ったまま目を伏せ、顔を上げようとしない。普通の人間なら、その様を踏ん切りの着かない男の貌だと軽蔑するのかもしれない。だが俺は違う。戦士になる前から知るその貌は、明確な目的を抱えていることが分かった。
(あいつ、悩んでるな。いや、戦士長の前じゃ言いたくないのか?)
「戦士長、一旦席を外してもいいですか?」
「ああ、いいとも。入念に話し合うといい。まあ、俺はお前の答えを待たないけどね。南端で待ってるよ」
─2─
サイド:ベルトルト
僕は、『彼』のことを思い出していた。
『彼』が取り戻したい、この区の壁の上、そこを僕たちは歩いている。昼間なのに、巨人はどこにもいない。付近の奴らは僕たちで片付けた。……巨人が居ないととてものどかなんだな、ここは。金網の柵で囲まれていたりもしてないし、銃を肩に僕らを見張る人もいない。確かにここは、僕たちの故郷よりも『自由』に見える。
『彼』が向けてきた目を、僕は鮮烈に覚えている。困惑と、悲嘆と、憎悪に満ちた目。ミカサやエレン、他の皆からは感じ取れなかった何かを、『彼』は抱えていたように感じられた。
それを代替するように、僕は吐露する。
「ライナー、僕は───」
「お前はアニを助けたい、そうだろ?」
「……うん」
「……もう目を反らすのはやめるんだな」
「ああ。僕はライナーに着くよ」
「でもな。正直俺は戦士長に勝てるとは思ってねえ。アイツは壁内でいうリヴァイ兵士長と同格のポジションだ。弱気になったつもりは無いが、一筋縄ではいかねえぞ」
「僕に一つ作戦がある。でもその前に、話したいことがある」
ライナー。こういうとき、君は察しが良い。マルセルの真似のつもりなんだろうけど、君には、彼に似てほしくないところが一つある。それは、
「君は言っていたね。アニを『見過ぎだ』って。確かにそう受け取られても仕方ないくらいには見ていたつもりだよ。……僕達のことを見もしない、君に比べたら、ね」
「なに?ああ、あの時の……そんなに引き摺ってたのか」
自分のために他人を利用したこと、だ。僕は、それを咎めずにはいられなかった。戦士長に「入念に話し合え」と言われたんだ。なら、その言葉に甘えるとする。
「君は、アニがどんな苦労をしてきたか、僕がどんな苦労をしてきたか、分かってない」
「オイオイ、確かにユミルに壊れてることを指摘された時は頭にきたぜ?だがそれは悪いとは思ってるし、結果的にだがお前らを守るためにやったことだ。現にその精神の異常とやらのおかげでここまでうまくことが運んできた。……エレンの件の手前まではな」
「じゃあ今の君は?兵士?戦士?どっちなんだ?」
「そりゃあ戦士だな。今こうしてお前の過去も含めて、海の向こうでの訓練の日々も頭に入れた上で話してる」
「どうして分かる?」
「どうして、……ってそりゃあ、俺がそう言ってるから───」
「そうだよ!いちいち確認しないと分からないじゃないか!!」
気付けば僕は、声を荒げていた。ライナーは思わず組んでいた腕を一度震わせてほどいた。僕もそれに呼応するかのように、両腕を大きく振って答える。
「おいどうしたんだベルトルト?」
「ライナー、まだ分からないのか?君がどんな状態なのか分かってるのか?きっかけも分からず兵士と戦士を行ったり来たりしてる君に、僕ら戦士が作戦を練ることが、どんなに大変か!栓の抜かれた手榴弾を持たされてるようなものだよ?もし作戦を話してる最中に君が兵士になったら?君は僕達を密告するかもしれない。それを止められる人は?そんなことをいつも頭に入れて動かないといけないんだよ僕達は!」
「止める……ってそりゃあ、お前かアニのどっちかだろ」
「どっちかじゃないよ!僕しかいないよ!僕達はエレンに、アニとは同郷じゃない、って言ったんだから!アニをより自由に動かせるよう手配したんだ!僕が!!」
僕はライナーの両肩を掴む。壁の中の粗悪な食事で、ここまで成長したのも、全て僕達のお陰だろと言わんとして、僕は握力を強めていく。強く握るにしたがって、ライナーの目が微かに泳いでいく。
「何年か前、アニが壁の中央……つまり情報収集のため王都に潜伏すると言ったとき、僕はアニを見送ることしかできなかった」
「…………」
「アニが王都に潜伏している時、君がいつ戦士に戻るか分からない。アニにそれを止めさせる訳にはいかない。僕らが同郷で、アニは違うという体裁を取ったんだから、つっけんどんなアニが必死に君を止めようとしたら不自然だろ」
「そりゃあ……そうなるな」
「彼女が訓練地に戻ってきた翌朝、酷いくまが出来ていた。そんなこと、いつも見てないとわかりやしないんだよ。その夜に聞かされて、僕は後悔したよ。王のいる内地にも危険があって、アニが辿ろうとしてる進路も、安全じゃない、って」
「……そうだな。あの環境にしても、巨人と比べて人間の方が手強いもんな。巨人としての正体を明かせない点でいうなら、死ぬリスクはもっと高いかもしれなかった」
「調査兵団の勧誘式でも、きっと君は、僕がアニを見ていたことを覚えてるんだろ?なら分かるハズだ!彼女がどんどん危険な場所へと赴いてることに、僕が耐えられる訳が無いって。出来ることなら……僕が、代わってあげたかった。君が壊れてなければ、僕達はもっと円滑に動けたかもしれない。アニの負担を、もっと僕が背負ってあげられたかもしれない。そう思うと、僕は君に何も思わない訳無いだろ。たとえ幼馴染みだとしても、敵意くらい」
目を泳がせている幼馴染みは、言葉巧みにまた逃れようとする。僕は目を離さない。訓練地の時のように監視するためじゃない。海の向こう。彼がまだ壊れるその前の時のように。
「お前……じゃあなんだ?エレンの時みてえに謝ってほしいのか?いいぜ、俺は今戦士だ。いつでも応じられる。だがいいかベルトルト。お前がここまで言ってきたことは、全部お前の頭の中でしか起きてねえだろ。実際に行動を起こしたのは、俺とアニだけだ。やったことへの思惑や過程なんざ、誰も気にしねえし、伝わらねえんだよ。ここまでお前が言ってきたことも、アニには何一つ伝わってねえんだぞ?」
「僕は謝ってほしいなんて一言も言ってない。僕は、今まで何もしてこなかった。でもそれは、君を監視しないといけないからだ。アニにこれ以上、何も背負わせないためだ。でもそれは、アニにさらなる地獄を味わわせる結果になってしまった。それがどれほど辛いか、心が痛むか、君にも分かるハズだ。クリスタをこの地獄から救い出したい、って、君は言ってたんだから」
「お前…………」
ライナーにも、僕の意図が分かったみたいだ。二人で戦士を目指していたあの時の瞳を、ライナーは取り戻していた。兵士でも、戦士でもなかった、あの時の眼を。
「ああ。僕は、アニを愛している。心の底から。たとえこの世界がどれだけ残酷でも、彼女を助けられるのなら、命だって惜しくない。ライナー、君は言ってたよね。老い先短い人殺し同士だ、って」
「ああ。だからお前も、俺に付くんだろ?ここまで俺を責めておきながら」
「そうだ。アニを地獄に落としたのは僕だから。でもその責任の一端は君にもある。そう言いたかっただけだ。これは僕の望みだ。ライナー、君のじゃない!僕には僕なりの信念があるんだ!たとえ目的が同じでも!僕の動機は君のものとは違う!……僕は、人殺しが心を持つことを許されるべきだとは思わない。エレンの言う通りだと思う。でも、僕は……」
僕の手は、とっくにライナーの肩を離れていた。彼の肩は僕が握った時のまま固まって、それでも僕の言葉を受け止め続けてくれている。
僕は、自分の手を握りしめる。奇しくもそれは、心臓を捧げる、その一歩手前の所作に似ていた。いつかアルミンに投げ掛けた言葉を、自分にも突きつける。
「僕は罪を背負ってでも、僕の望みのためなら、悪魔と呼ばれることも厭わない。たとえ悪魔の末裔の僕でも、アニがやってきたことに、報いを与えたい。意味を与えたい。だからアニを取り戻したい。アニにも、見届けてもらいたいから」
「…………お前、成長したんだな」
「どの口が……まあでも。ああ。そうだ。壁の中にいた時なら、『そうみたいだ』とか言って濁すのかもしれない。でも、今の僕には確信がある。僕がやらないといけないって。…………皮肉なものだよ。アニがいなくなってから、やっとこんなに言葉を尽くすことが出来た。壁の中があんなに忙しかったなんてね」
「ああ。小せえヤツらが散々俺達を頼ってきてな。いい迷惑だったぜ」
「それは君が進んでやってたことだろ。……ああいや、それは兵士の君だったね。ごめん」
幼馴染みとしての僕の甘えた願望を、ライナーは最後まで聞いてくれた。もし錯乱していたら、きっとここまで根気強く聞いてくれない。彼がやっと同じ土俵に立ってくれたんだと、僕は確信した。
「君にこんなに怒ったのは、多分初めてだ。出会ってからずっと、こんなに話したことは無いかも」
「ああ。戦士長との会議でもそのくらい強気に出てくれれば、そもそも俺が戦士長と対決する必要も無かったかもしれねえがな」
「あはは……成長したとはいえ、僕も人のことを言えないな。戦士長の覇気には、つい、怯んでしまう」
「いや、そうじゃねえだろ。お前は、俺を信じてくれてるんだ」
「ライナー?」
「あの五年は無駄じゃなかった。そう言いてえんだ。五年前なら多分お前は、戦士長の意向にそのまま従ったと思うぜ。こうして俺にはしっかり話してくれたんだ。俺が戦士か兵士かの垣根も越えて。それは、あの三年間の訓練が無ければ出来なかったことだろ」
「ライナー。君は───」
「あっと、今の俺は戦士だぜ。悪いな、言ってなくて。まあそうと決まれば、俺はさっさと戦士長をブチのめして、アニを助けに行かないとな」
「違う……そうじゃなくて……」
僕の言葉を遮ろうとしたライナーの手が、いいや、手どころじゃない。僕が自分の拳から目を離した時から、ライナーの堅牢な肉体に覆い被さった布地は、小刻みに振動していたのだ。
「ライナー、震えているのか?」
「む、そうか。自分じゃ気付かなかったぜ」
ライナーは自分で腕に触れて、改めて僕の指摘が正しいことを自覚する。
「にしたってなんで急に。まさか、あの黒い飲み物にアレルギーでもあったのか?」
「違うよ。アレルギーだったら、とっくに反応が起きてる。君が震えだしたのは、ついさっきから。『訓練』の言葉が出た時からだ」
「はあ?じゃあなんだ?この震えの正体はあの訓練の日々にある、ってのかよ」
僕には、その震えが誰によってもたらされたのかが直ぐに分かった。恐れを抱くはずの無い存在に。
「まさか、怖いのか?『彼』のことが」
「……そんなわけねえだろ。なぜそいつが思い当たるんだ。普通ならリヴァイ兵士長やミカサとか、まあ、エレンとかだろうが」
「それも、そうだね」
僕は歯切れ悪く答えた。
「『アイツ』に何ができるってんだ。ミカサのような強さもねえし、エレンのような巨人の力もねぇ。そんな奴の……どこが……」
言い張りながらも、ライナーの震えは止まっていなかった。僕の眼にも、『彼』の姿がありありと浮かんでくる。
数日前の白んだ空の下。壁の上、ライナーの頬に刺さったブレードに拳を叩き込む『彼』の姿。赤らんだ空の下。巨人の群れを投げ続ける中、単身でライナーを討ち取らんと突撃する『彼』の姿。僕への憎悪が二の次でしか無いと錯覚させるほどに、『彼』の抱くライナーへの怒りは圧倒的だった。
僕たちの力は絶対だ。人類ではどうしようもない程の、力の化身。それが僕たちの筈だったのに。
なんで僕まで、『彼』を恐れているのだろう。『彼』も僕たちとなにも変わらない、ただのエルディア人なのに。
全てを以て、ライナーを殺そうとするその殺意が、エレン以上に『彼』の中で渦巻いていたからなのか。
散々聞かされてきた、『鎧の巨人を殺す』という夢。
本性を隠して兵士を演じていた僕達に比べれば、単純で、大した表裏もなくて、背負う大義も取るに足らない、名もなき兵士の一人。そのはずなのに。
なぜ、僕まで震えているんだ?
─3─
サイド:ジーク
ジークは、シガンシナ区内の南端で、ライナーの巨人化を待っていた。
(さて、あいつらが壁内でサボってなかったか、確かめてやるとするか)
一束の稲妻が、区内北端で轟く。土煙の中から目を光らせ、鎧の巨人が現れた。鎧は両腕を身体の内側へと縮め、さらに身体も丸め込んでいく。
(俺と同じ構え?ほう、あっちにいる間、投石の勉強もしてたのかぁ。あっちにはキャッチボールの競技は無さそうだったが、感心感心。だが)
ジークは右手に抱える石を硬質化させ、その上でさらに硬質化させた左の拳で砕き、ライナーと同じく、投球の構えを取る。そして踏み込み、長い腕を駆使した遠心力を乗せて、放った。
どんな巨人にも防げない、硬質の散弾。
それを鎧の巨人は、身をよじらせ背中で堂々と受け止める。鋼の砕ける音がして、鎧の身体に、小さな点穴が幾つも開けられていく。鎧の巨人は怯まず歩き出すが、その歩みは非常にのろく、鈍重な巨人の短所を悉く露呈させていた。
(自らうなじに当たるかもしれない、背中を見せた?自殺行為か?)
ジークはその好機を逃さず、同様の動作を繰り返す。
拾っては投げ。拾っては投げ。
恩師とさんざん繰り返した、ルーチンの再生。壁の東へと徐々に移動しながら、手頃な石を拾っては投げていく。
硬質化された石の散弾が、鎧の巨人の皮膚を次々と穿ってゆく。牽制でひびの入り続けた鎧は、この投石でひびを繋がれ、剥がれ落ちていく。それでもなお、鎧は散弾の衝撃に耐え続け、進み続けることしかしない。やがて、鎧の殆どは剥がされてしまい、筋繊維まで露出し始めている。さらに幾つかの傷は筋肉にまで達し、鎧の巨人は平衡を保てなくなりつつある。
(終わりだな。さて、あとは彼の得意分野の近接で、プライドをしっかりへし折って決着をつけよう)
ジークは鎧に近づいていく。自らの拳をいつでも硬質化させられるよう、戦士長はまだ警戒を緩めない。丸裸にされてなお未だ不動の鎧に対して。
(待て、何か妙だ。まだ奴は背中を向け続けている。仮にあいつが投石をしようにも、背中、両足の肉は骨が見えるほどに削ぎ落とされている。踏ん張りが利かずしくじるはずだ。奴は何を考えている?そこまで意固地に構えを解かない理由はなんだ?)
そう思っているうちに、ようやく鎧の巨人の上半身は動き出す。
ライナーは残された骨肉を駆使して、一つの樽をジークに向かって投げた。自立する力すら最早残っておらず、ライナーは地面をもんどりうつ。
(樽?石じゃないのか?)
巨人にダメージを与えるには、あまりに貧弱な選択肢。酒樽だろうが小石を詰めていようが、それが微々たる衝撃すら与えられないことは明白だ。
しかしその樽に込められた者を察知し、ジークは叫んだ。
「ええ!?」
(まずい、逃げ場が───)
近接格闘を警戒し、投石による牽制を続けていた彼は、区内東の壁を背に、これから起きる現象、あるいは災害を至近距離で受けることになる。
距離を取り続けてることを許していた鈍重な巨人との一対一を過小評価していたことへの罰だった。
【ベルトルトは滑る空の下、一つの答えを導き出す。】
『考えていた。なんで僕まで震えていたのか。
……答えは明白だ。僕もまた、『彼』の影響を受けていたんだ。
僕は彼らに言った。あの日々を嘘だと思っていない、って。本当に仲間だと思っていた、って。騙されていたのは、彼らだけじゃない。
僕もまた、あの日々に騙されていた。騙されていたなりに、彼らに影響されて、成長したんだ。
銃の腕を『彼』に買われたあの時、『彼』から受けた敬意を、僕は覚えている。戦士として見込まれた技能の一つに過ぎないこれが、誰かの役に立つとは思っても見なかった。僕に必要なのは、尊敬の眼差しを向ける『彼』を、一撃で焼き尽くす巨人の力だけだったから。少なくとも海の向こうでは、上官達も両親も、それだけを求めていた。
そんな僕を、人間として認めたのが、他ならない『彼』らだったんだ。
力の化身。人の言葉くらいでは不動と信じた僕は、『彼』の言葉を、憧憬を、歓喜を、憎悪を、怒りを、その全てを承けて、自分を信じられるようになったんだ。
海の向こうでの陰鬱な日々に、初めて意味を見いだせたんだ。
ならば僕も、その偽りの日々に嘘を吐かない。そう、決めた』
樽の中から、小さな戦士が飛び出した。手に鮮血を握りながら。
『僕達は、故郷に帰ると約束した』
超大型巨人は巨人化の際に爆発を起こすが、その規模は調節できる。壁を二度破壊した時には、目的はあくまで扉の破壊のため、爆発などほぼおまけの、ごく小規模のものだった。
『だけど帰るために、僕達のうち、誰かを犠牲にするつもりも無い!』
エレンを拐うときに起こした爆発は、体躯の半分程しか巨人化しておらず、肉が殆ど無い状態でのもの。依然として、ベルトルトは本領を見せていなかったのだ。
『必ず取り戻す!アニを!そして、皆で故郷に帰るんだ!!』
ベルトルトの意思は無意識のうちに、『彼』に通ずるものを受け継いでいた。『彼』すら無自覚な一つの意思。『誰一人失いたくない』という意思を。
今ここで、破壊の神の全霊をジークは目撃する。
ベルトルトは、巨人化の後に残す筈の肉体の分も、全て爆発の燃料に充てた。
一瞬の静寂。
そして、光があふれた。人間ごときが触れることすらかなわず蒸発する光。巻き起こされた風は家屋を容易く消し飛ばし、地鳴りは区を超えて草花を手折る。
そして、轟音。表皮を貫き、臓腑を引き裂かんばかりの、音の衝撃波。
地を均さんがための絶大な力。その一端を、ジークは正面から受けた。
爆発の直前で飛び退いたジークは、その足掻きも空しく、神罰により空を舞い、シガンシナ区の外にまで吹き飛ばされていた。空は両断され、雲一つ無く晴れ渡っていた。
ーーーーーー
「しかしとんでもない爆発だったなー。愛の力って凄いねぇ」
「……戦士長、その冷やかしは僕にはもう効きませんよ」
「あらそう?でも、これじゃ街ごと吹き飛ばしちゃったんじゃない?」
「無事です。爆発の指向性を全て前へ、貴方に向けましたから。それより、こんな方法で勝って良かったんですか?僕が言うのもなんですが、一対一の決闘を望んでいたんじゃ……」
「いいのいいの。あらゆる手段を厭わないのが俺達のやり方なんだからな。……極楽蜻蛉の上層部唯一の功績と言って良いな。お前を超大型巨人の継承者に選んだのは。やれやれ、身体の内側からうなじ周りを硬質化してなかったら本当に死んでたぜ」
獣の巨人は、爆発により丸焦げどころか骨も残らず灰塵と化していた。辛うじて残っていた硬質化の蛹から、ジークはベルトルトに引きずり出される。ジークの軽口は減らないが、四肢の殆どは煙を上げ、体表は火の粉で燻っていた。
「戦士に二言は無い。お前達の判断に従おう。その上で作戦の続きだが──」
「俺達はお二人の供述の通り、ウォール・シーナ南のエルミハ区に向かうことに賛成です」
「あれ?ユトピア区じゃなくていいの?」
「『彼』は頭が切れますから、ピークの正体に気付いているかもしれません。僕が保証します」
「私も同感ね」
凄まじい爆発を聞き付けてか、北の監視を一時切り上げたピークが巨人のうなじから出てきていた。
「送り込まれた二年前からある程度町の情報収集は欠かしてなかったの。壁内の持つ技術に法、娯楽歓楽から医術までなんでもね。特に医術は大事な分野だったわ。どれほど死に体を演出していられるか、その期間に関わるからね」
「まあ、あの状態は戦士の中でも相当な無理があったと思うがな、俺は。多分ピークちゃんじゃなければ衰弱死してるね」
「そう。巨人の力が判明しなければ、それを奇跡だのなんだのと誤魔化せたと思うの。あっちには宗教もあったから、それに乗じてね。……エレン・イェーガーが巨人だと判明するまでは」
「……君の生命力を、兵団が疑わないわけが無いよね」
「その通り、ベルトルト。だから進路を私達に合わせてくれたんでしょ?『彼ら』が私の正体に勘づいた上で、敢えて正しい情報を流した、って」
「……決まりだな。ひとまず南にアニちゃんがいると仮定して、エルミハ区を目指すとしよう」
「戦士長、攻め入るにあたり、お言葉が」
「ああ。言ってみろ」
「………」
「ええ?一人の兵士に気を付けろって?」
「はい、リヴァイ兵長です。奴は一個旅団に匹敵する実力者です。エレン以上の脅威になるかと」
「そいつは、『アッカーマン』なのか?」
「そこまでは分かりません。奴は手負いで、エレンの奪還の際は姿を見せませんでした。それでも、依然警戒対象に変わりないでしょう」
「もし奴がアッカーマンなら、怪我の治りも早い筈だ。これは思ったより急がないとマズそうだな」
ジークはパンッと手を鳴らす。
「…よし、一週間だ。一週間でエルミハ区に行くぞ」
「しかし戦士長、兵団が誘き寄せているのなら、相応の準備もされているはずです。場合によっては全兵団が集結する可能性も。流石に僕達三人だけでは……」
眼鏡を正して、ジークは壁上に置いてきた上着を拾い、「よし、無事だな」と確認した上で羽織って、裏地を全て出して見せびらかす。
「俺達には『補充』する手段があると言ったはずだぜ。それに、もしアニが本当に北にいるなら、また撤退して壁を壊せばいい。今度は四方全てな。さあ、備えよう」
「移動手段はどうします?」
「お誂え向きにも、馬は現地調達できたからな」
シガンシナの外を放浪していた馬を指差して、ジークは呟く。
「原種に近いからか、こちらの馬よりも帰巣本能が強く残留してるようだ。ま、俺達も向かう方向が分かってるし、あって無いようなもんだがな。さあ、行くぞ」
戦士三人は歩き出そうとしたが、さすがに戦士とはいえ休みは必要だ、と考え直し、一昼夜を越えてからようやく移動を開始した。