─1─
『私』が調査兵になってから、75日。
陽に朱が混じり始めた時刻に、『私』は寄せては返す薫風を一身に受けている。往くか、往くまいかと、とうに決意を固めた『私』の周囲をうろついて止まない。何者も護れず、多くの喪失を味わった、嘗ての『私』を生き写すかのように。
幾度と血を流し続けてきたこの日々の中で、今『私』を見下ろす空だけは変わらず、規則正しく昼夜の色を示し続けてきた。
壁上固定砲は一斉に南を向いている。移動可能な砲台は、区の周囲を取り囲うように、その首を外へともたげている。
エルミハ区南端の壁上に、『私』は立つ。全兵団の最高戦力、という建前のために。
敵は南方から少しずつこちらに近付いて来ている筈だ。「筈だ」と呼んでいるのは、この高度からでも、巨人の姿が見えないから。脇に提がる【異形の刃】の片割れに右手を乗せていると、『私』の背後で声がする。
「ヤツの姿が見当たらねえな」
ジャンが言及する【ヤツ】が何者か、なぜ一人しか示唆しないか、この場にいる誰もが分かっていた。『私』にとっての【敵】のことだ。
「ミケ分隊長の鼻は健在だ。たとえあの怪我を負っていても」
「分かってるぜ。ロクに動けねえのに車椅子に乗ってまで、嗅覚で周囲を張り続けてたんだ。これ以上は無理だ。団長の作戦の都合上、動けない分隊長はもう避難を始めるしか無かった。この目で探し当てるしかねえ。奴等の居場所を」
「ミケ分隊長は村の人達と私を送り届ける間に、疾走の衝撃で足をさらに傷めたそうですから」
「お前のせいじゃねえよサシャ。あの時の俺達、なんにも武器が無かったんだからな」
サシャとコニーも、『私』の隣に立っていた。作戦が始まれば、二人は西を受け持つことになる。
「あとは敵が、あの光に気付くことを祈るばかりだな」
「悪いなアニ。こうでもしねえと、アイツらがちゃんと来るかも分からねえんだ」
エルミハ区中央の兵団本部。その頂上にさらに高く積み上げられた木組みはまるで砂時計のようで、その砂粒の代わりを努めているのは、アニが閉じ込められた結晶だ。結晶の近辺に配置された鏡は西日を拾い、水晶を通じて『私』達を越えた南へと光を放つ。彼女が確かにここにいると、【敵】に示すために。
エルヴィン団長が話した作戦を、『私』は今一度反芻する。
ーーーーー
「奴等を誘導するには、彼女がここにいるという確たる証拠が必要だ。そのために、アニ・レオンハートをこの本部の頂上に配置した」
団長は区内の中心を指で叩く。師団長。司令。総帥。兵団の統率者と兵士達。全てが団長の言葉に耳を傾ける。
「区内は無人とする。何か動きがあるまで兵士は一人も入らず、壁上固定砲から離れるな。エレンも含めて。ハンジが先ほど説明した【兵器】の使用が下りるか、区内に敵が姿を現すまで、な」
「敵の攻撃の方向を指定したとして、手段までは絞り込めん。侵入の方法は色々あるじゃろう。兵士に紛れ込んで入って来るか。人間の姿のまま単身乗り込んで来るか、巨人の群れを投げて寄越して壁内に混乱を招いてから、か」
「それか、素直に巨人化するか、のいずれかだろうな。エレン・イェーガーと同じ体格の鎧か、獣が来てくれれば良いが、もしそうでないのなら……」
司令と総統の指摘に、団長は黙して頷く。知恵者達に感謝するかのように。
「無人の理由は、最悪の想定である、超大型巨人の爆発から逃れるためです。我々はあの爆発の全容を知りません。シガンシナ区の時とトロスト区の時は、壁の破壊が目的だったから、そもそも爆発自体が起こらなかった。我々が交戦した時は、下半身が無く、かつ骨格のみを燃料として充てた。それでもなおあの威力……」
「なら、もしも、目的が敵の殲滅だったら……」
「うむ。これまでの規模から計算して、区内の人間くらいなら全て消し飛ばせるじゃろうな。超大型巨人の対処は調査兵団に任せるとして……残りは我々駐屯兵団とともに壁上と地上での砲撃等の他戦力の殲滅に加わってもらう。区外各地に埋め込んだ、爆薬の狙撃と点火の判断も、諸君ら砲手に委ねる」
駐屯兵達は一斉に敬礼する。他二つの兵団に比べて格段に数が多いから、動作一つで埃が舞い起こりそうで、兵士長は不満げだ。ザックレー総統はその埃をもろに浴びるが、咳一つで次の項へと進んだ。
「さて、次に調査兵団の少数精鋭の行動について訊きたい」
「はい。新兵達は調査兵団入団初期の訓練と近似した状況、つまり、先輩兵士複数人と組んで、駐屯兵団の砲撃の補佐に回ってもらう。私が選んだ三人……ミカサ・アッカーマン、リヴァイ、そしてエレン・イェーガーは、超大型巨人の迎撃、団長の私は兵団全般の指揮を執る。エレン、ハンジ班がいなくても、あの【兵器】の装備は出来るな?」
「はい。模造品で訓練はしました。やれます」
右手を数度握って開いたエレンの言葉を、団長はいつものように賭ける。
「では成功する前提として、北端で指揮権を持つ私とは別に、最大の凶禍となる南端の主戦力となる班を別に編成する。リーネ。ヘニング。ジャン・キルシュタイン」
団長は『私』の方を向いた。そして、
「班長は『君』だ。『君』には南側で戦ってもらう。我々の、兵士の最高戦力として」
想像だにしなかった言葉を、団長は向けてきた。この期に及んで最も危険な場所に挑む勇気が無いとは言わない。しかし、『私』がその戦力として数えられるとは思ってもみなかったのだ。ハンジ分隊長やその他班長達といった、より適切な兵士がいると踏んでの疑念だ。『私』はそれを思わず四文字で言葉にしていた。
「なぜです」
「我々もなるべく切り札を隠しておきたい。アッカーマンやリヴァイ、それにエレン・イェーガー。彼ら三人が我々の運命を決定付ける以上、それを隠匿出来る人が必要だ。我々は、それを『君』にやってもらいたい」
「……分かりました」
なぜ『私』なのか、というには少し不十分な気もするが、引き受けることにする。願わくばその理由が、好意的なものであれば良いが。
「それで、『お前』が持ってるその【異形の刃】とやらだが……それは、鎧の巨人には通用しなかったんだろ?」
「それでも、普通の巨人の身体くらいなら問題なく斬れます」
「現状、みてくれが少し違うだけで俺達の刃と大差ないワケか……」
兵士長の見立てと違う点なら一つある。
この刃について言及したとき、微かにだが明確に、特定の人から向けられる息遣いが変わったことをこの両耳が拾った。配置からして、憲兵団のいるあたりからか。恐らく、王都地下で『私』を狙っていた人の同胞だろうが、彼らがどう関わってくるかの懸念など、もはや『私』にはどうでも良くなっていた。
「して、憲兵団は……」
ピクシス司令の眼差しは、黙していたナイル・ドーク師団長に向けられる。師団長は重々しく口を開く。
「……分かっているさ。我々憲兵団が今、避難先の市民達の治安維持のために人材の殆どを割いていて、戦力にならないことにはな。我々は駐屯兵と行動をともにし、可能な限り戦力の補填に勤める。『新兵』。『君』に渡したいものが、一つある」
ナイル・ドーク師団長が、一つの包みを抱えて、『私』の前に歩み出る。
会議に積極的な発言は無かった師団長だが、その行動一つで、『私』は彼の尽力の全てを理解した。包みから鳴った繊細な金属音と、ほどかれた布から姿を現した、樽状の機械から。
リヴァイ兵士長の方を向いても、彼は目を合わせない。「必要なことをしたまでだ」と言わんばかりに。
「この物証と、『君』の供述が全てを引き合わせた。ストヘス区で起きた被害の一切を不問とするわけではないが、相応に返報が無くては、兵団の示しが付かないからな。……エレンを取り戻すにあたり、最も戦死者を出した不肖の兵団の代表として、そのけじめを、『君』に譲ることとする」
『私』は一人の兵士の方へ顔を向けた。これを持つべきにふさわしい人は、間違いなく他にいると思ったからだ。その人物こそ、この装置の持ち主と最も親しかったから。
ジャンは無言で『私』に頷いた。
他ならない彼の了承を得て、『私』はマルコ・ボットの立体機動装置を、背嚢に仕舞った。
「団長……まやかしの役、引き受けます。命令だからではありません。皆が引き寄せたからです。調査兵団、駐屯兵団、憲兵団。すべての団がここまでの結果を引き寄せてくれたから。そして、その切っ掛けを作ってくれたこの一人の訓練兵……いや、いずれ憲兵にまで上り詰めるはずだったこの勇敢な兵士のために、尽力いたします」
背中に感じる鋼の命に『私』は啖呵を切った。
ーーーーー
コニーが刃を震わせて、恨めしく唸る。
「あいつがいるかもしれねえ……どこかに、あいつが……」
『私』はコニーの頭を軽く叩いた。嘗て怒りに溺れた『私』を引き留めたのは、仲間の声だった。『私』達が側にいる、と、『私』は示した。
「生き残るんだ。全員で」
「ああ。そうだな」
「終わったら、また狩りに行きましょう」
「サシャ……」
「気が早いな」、という言葉は出てこなかった。
「……ああ。行こう、また」
「今度は皆さんで行きましょう。大がかりな狩猟も、村で一度やったきりですから」
「うん。そうだったね」
慰めだ。
爛漫な笑顔を浮かべる彼女から、そう読み取るのは難しくなかった。『私』以上に演技が下手で、素直な人。
彼らにもう一度何か言葉を掛けようとしたところで、小さな雷鳴が轟いた。一つ二つどころじゃない。何十も、同時に。
「南方より、巨人出現!!」
『私』の信煙弾を先駆けに壁上の東西へと、立ち上る赤の煙は伝播してゆく。
「来たな」
「配置に移動!」
「応!」
『私』とジャンが残り、コニー、サシャと入れ替わるように、リーネとヘニングが合流する。
─2─
大砲を整列させ巨人どもを待っていると、走る緊張とは大きく場違いな声が、遠くの地平から聞こえてくる。
「おーい!逃げ遅れたんだ!助けてくれ!!」
「おいおい、人が走ってくるぞ」
「避難しそびれた人間か?おーい待ってろ!今迎えに───」
「その声は……」
悠長な駐屯兵達の中で、『私』にはその声に聞き覚えがあった。二時の方角。顔は見なくてもありありと浮かんでくる。眼鏡を掛けた髭面の男。
診療所を訪ねてきた、ジークと名乗った男の声だった。
「零時の方角だ。撃て!」
「しかし、民間人ですが───」
まごついた駐屯兵を押し退け、『私』は大砲をぶっぱなした。要注意人物として情報は伝わっている筈だが、そこは駐屯兵としての良心が働いたのだろう。責めはしない。
髭面のいた地点から、土が弾け煙が舞う。通常なら即死だが、やはりというべきか。
雷鳴が轟いた。もうもうと立ち上る蒸気から、低い声で喋る巨大な猩々が現れる。
「まあ、さすがに勘づかれるわな。ウォール・ローゼの警備がザルだったのも、やはりそういうことか」
獣の巨人だ。
もう駐屯兵達に躊躇いは無い。各々が砲撃を開始する。
黄色の煙弾を空に放ち敵の動きを窺おうとしたところで、獣の巨人から着弾の黒煙が一つも上がっていないことに気付いた。恐らくは『戦士』達の上官に当たる人なら躱せて当然かと、そう『彼』が思った時。
獣の巨人はにやけ面を浮かべながら、
「こっちのは遅いな」
と後頭部へ腕を持っていく。その仕草に『彼』は身震いする。
(奴は、躱してなんかいない!)
「次弾装填急げ!」
「いや、退避だ!まさか───」
そのまま獣の巨人は身体を一回転させ、遠心力を乗せて何かを投げ付けてきた。
「退避!!」
『彼』の命令を合図に、内側か外側か、各員が壁面にアンカーを射出し緊急回避を執る。硬い金属が衝突する音と、散らばる硝煙と木片。
『彼』が壁上に復帰する時には、大砲が一門、砲身を反らせ大きくひしゃげさせていた。
「砲門一破損!負傷者無し!」
「榴弾を受け止めて、そのまま投げ返してきやがったか!」
「榴弾が通用しないか……」
「いいや!敵が躱して受け止めるのなら、それは命中したら痛手ということ!『私』が妨害します!ぶどう弾に切り替えて複数門で同時に砲撃して、『私』達が到着するまで、なるべく行動を封じて下さい!」
「俺達も行くぞ!」
リーネ、ヘニング、ジャンとともに、『私』は壁から飛び下りた。
ーーーーー
「アイツ、確かミケ分隊長をやった奴なんだよな?」
「ああ。石による遠投と咆哮が厄介だ。特に肺が発達してるのか、凄まじい声量を持ってる」
「ウトガルト城で危うく俺達は死ぬ所だった。心して掛かるぞ」
「……実力からして、『私』達でいうリヴァイ兵士長にあたる存在の筈。生存を最優先に行動しましょう」
「『君』達新兵は自由に動いて。私達先輩が合わせるから」
ヘニング達が言葉を交わす間にも、獣の巨人は小粒のぶどう弾を掴もうと試しては失敗し、かすり傷程度の怪我に苛立ち下がり出している。真っ正面から投石を食らって死ぬことは無さそうだ。おまけに南に広がる小市民向けの住宅街が、四人の立体機動を助けている。しかしその地の利も、獣にたどり着くまでにはすっかり消えてしまった。
獣相手の戦場となるのは、わずかな木々を残した平地。
獣の30メートル近くにまで到達したところで緑の信煙弾を打ち上げて、砲撃の中断を壁に知らせ、獣の周囲へ寄る巨人の牽制へと切り替えさせる。
獣の巨人もその距離を最適と判断したのだろう。長い腕を地面に突き刺して、投擲してきた。巻き上げられた土塊の中には細かな石が混じっていて、当然それを『彼』らは警戒した。土の波を大きく回り込んで回避した『彼』は、地にアンカーを刺し、地面を踵で踏みつけて滑走する。既に味方は散開しており、『彼』は獣の背後から体躯を入念に眺めて、次の動きを見定める。
女型の巨人と戦ったときと同じだ。鎧の巨人と違って強靭な部位を持たない獣は、『彼』らの攻撃を無視することは出来ないと。
土埃の切れ間から最速で飛び出したのは、ジャンだった。正面切って獣の双眸を潰そうと刃を合わせている。獣がすぐさま叩き落とそうと左腕を引いたその時、『彼』は動いた。厳密には、アンカーを刺した。獣の左肘に。【お前の守りは潰される】と脅して。
女型ならそれで攻撃の手は止む。しかし相手は戦士長だ。身体ごと大きく両腕を回して、地上の『彼』へ右手で掌底を放った。風圧でジャンは切り込めず、『彼』は跳び退くしか無かった。
それはまだ、『彼』の想定内だった。
『彼』が待っていたのは動きの『起こり』ではなく、『終わり』だった。
勿論隙は大きくない。遠心力で両腕の開く僅かな合間に、リーネとヘニングが同時に空へと斬り込んだ。ヘニングのは手であしらわれるが、リーネの一撃は獣の右手甲を深く抉った。骨は断ち切れずとも、確かな戦果だ。
(……よし、攻撃は通る。勝てはしなくても、まだ抗う余地はある)
弱々しく右手を押さえる動作もせず、獣は次の動きを開始する。刺さったアンカーを振りほどくべく、大きく跳躍したのだ。その手には乗らない、と、兵士達は足癖悪くもワイヤーを踏みつけて無理矢理離脱する。これまた女型に、ワイヤーを悪用されて殺された者達が繋いだ情報だ。
地響きを立てて着地する獣を、羊を追う狼の如く『彼』らは取り囲う。
落下の際に針が身体から抜けた感触を覚えて呆ける獣の周囲を、四方の刃が襲う。直接アンカーを刺さずとも、空高く舞った兵士達は落下の慣性にガスをくべてやれば殺傷に至れる技を繰り出せる。うなじを両手で覆う獣の横っ腹に、四つの斬撃が叩き込まれる。四つの辻が浮かび、獣の横腹は両側から血を噴いた。
その出血に対し、与えられたダメージは決して大きくなかった。
一ヶ所を入念に斬れば身体の片側を封じられたが、贅沢は言えない。相手が相手ゆえに、これ程の大きな隙でも、『彼』らは牽制、あるいは威嚇じみた攻撃にしか移れなかった。なぜなら、
この獣の巨人が、これ程され放題にも拘わらず、全力を出していないのが瞭然だったから。喋りだした獣の語気からも、どこかご機嫌さまで感じる。
「へえ。なかなかやるじゃん。あっちでも生身でここまでやれる奴はいないぜ。いやホント」
「そいつぁどうもよ!」
ジャンの返答は強気だが、彼にも察しは着いていた。
リーネやヘニングも相応に窮地を乗り越え続けてきた歴戦の兵士達だ。人の入った巨人という未踏の要素を勘定に入れても、手傷を負わせること自体ならリヴァイ班にも引けを取らない。それでもなお、獣の巨人から感じる異様を、理性で圧殺することは出来なかった。
『彼』らが獣の巨人に感じたのは、戦いの歴史の厚みだ。
女型は兵士達の攻撃の絡操りを先んじて知っていたから、それを利用して命を絶ってきた。
鎧や超大型は、その特異さに乗じて兵士達を退けた。
獣の巨人にはそのいずれも無い。多少ライナー達から『彼』らの事情を聞かされていようと、実地においてそういう見識を持たない者の筈だ。それなのに。
確かにダメージを与えながらも、『彼』らは途方もなさを覚えた。
獣は純粋な戦術のみで弱点に近寄らせないよう、敵を誘導しているという事実に。
「出来れば殺す前に、君達の名前を聞いておきたいんだけどね。まあ、君らの最高戦力とやらは、既にアニに殺られちゃったみたいだけども」
「巨人相手に名乗る名前なんて無い」
(抜け目の無いライナー達のことだ。きっと、『私』達の最高戦力のことも話している筈。でも、だからなんだ。『私』達が繋いできたものが、そう簡単に破られてたまるか)
自負に反して獣は『彼』の神経を逆撫でしてくる。
「うん。そりゃあ当たり前だよね。君達、強くないもん」
「ああ。別に『私』達は、お前を最強の戦士だとは思ってない。残念だったね。寧ろ教えてほしいくらいだよ。なんでそれほどに期待していたのか。お前如きに最高戦力をあてがわれると思ってたのかをさ」
『彼』も同じく応戦する。嘗て『彼』を詰ったあのそばかすを思い出して。
「戦場でわざわざ名乗る奴なんていねぇからだよ。一流の兵士なら名乗る前にさっさと殺しに来るからな。だが『お前』はわざわざ名乗る必要が無いと大見得を切った。よほどの旧時代的な戦いの作法でも実践してない限り、『お前』は、そのどちらでも無いからそうしたんだろ?ダメだなあ。嘘はもっと上手に吐かなくちゃ」
(……このまま有効打も出せないまま戦いが長引けば、先に時間切れになるのは『私』達だ。刃はまだなんとかなるがせめて、もう少し北に後退して、ガスを補給出来れば……)
「さて、君らは”何手”で死ぬのかな?」
“何手”。
『彼』は獣が発したその一語に、自身の認識の甘さを思い知らされた。
同胞、時には上官と、あるいは司令と交わした駒の差し合いを思い出す。
奴は同じなのだ。彼らと同じ目を持っている。
奴は、この戦場を盤面のように見ている。
団長や司令、アルミンと同じ。
頭目の器だ。
奴は兼ねていたのだ。兵士長と団長にあたる、双方の器を。
(コイツに命令を出させてはいけない!)
「逃がさないよ」
獣の巨人は両腕を地面に突き刺し、地盤を大きく巻き上げる。先ほどのものとは段違いな幅と厚みを持つ土の波。小粒の石を躱せば無傷で済むものじゃない。ガスを大きく噴かして四人は再度回り込む。ジャンと『彼』は獣の左手へ。リーネとヘニングは右手へ。
仕切り直された『彼』らは再びタイミングをずらして斬りかかろうとするが、次に仕掛けたのはまた獣の方だった。
右足を高く上げて、地を力一杯踏みつけた。地を揺らされて怯む兵士はここにはいないが、一踏みで起こされる風は、足への攻撃の択を潰した。空へと突き上げる風は直進するリーネをほんの刹那巻き上げて、獣はそこへ叩き潰すべく右腕を掲げる。
リーネに向かって速度を出すヘニングを見て、『彼』は獣の右脇を狙う。ジャンのアンカーは陽動のために、沈んだ獣の右足へ。しかし獣の右腕は大きく弧を描いて、背後の『彼』に向かって、裏拳へと変貌し襲いかかってきた。
(右脇に伸びるワイヤーを巻き取られる!)
アンカーを引き抜いて勢いを殺し、空中で静止する『彼』は、ガス小さく噴かし空へ腹を向けて、双刃を合わせ振り抜かれる腕を迎え撃った。草地の坂を滑り下りるかのように、獣の右上腕を二つの刃で切り裂いていく。内肘にたどり着いて、左手にはたかれる前に離脱する。相応に深く抉ったつもりだったが、獣から垂れる血はさして多くなかった。
「……浅いな」
握っては開く右手を見つめながら、獣はほくそ笑む。斬撃の殆どを毛に吸われてしまったらしい。
(いいや、自分が散々やってきたことじゃないか。軍師を気取って、冷静沈着に戦局を見渡したつもりでいた)
獣の巨人は跳び上がり、うなじをこちらに向けて落下してくる。このタイミングで殺すべく動ける兵士はいなかった。この体躯に落下速度、『見かけより軽い』巨人だろうと全部位が致死性を持っている。
16メートル級のボディプレスで、踏みつけとは比べ物にならない風が吹き付ける。
誰かやられたか、『彼』の懸念は三人の影を見てすぐに止んだ。土埃の止む前に、次こそこちらのペースに引き込むべく『彼』はアンカーを突き刺す。しかし、ワイヤーを伝わる振動に、『彼』は悪寒を覚えた。
「攻撃、やめ───」
『彼』の身体は急速に巻き取られる。獣の身体を軸に『彼』は大きく回転し、遠心力で身体は逆向きに折られそうになる。『彼』の名を叫ぶジャンの声が不規則に近づいては離れる。急いで両の刃を捨てて右手を胸元に、左手を射出してない左アンカーへ伸ばす。振り回されながらも、一粒噛み潰した『彼』は感じる。空へと向かう力を。
獣の巨人は仰向けから両手を支えに、足を空へ向け大きくひねり暴れたのだ。跳び上がって着地するまでに、『彼』の刺したアンカーの感触が右足から無くなったのを確かめる。獣は残りの三人の始末を始めんと見渡すも、空で刃の換装される音を聞き見上げた。
紛れもない『彼』が、空から獣を見下ろしている。新たに替えたブレードを両手に。
『彼』は刺していないもう1本のワイヤーを身体に巻き付けて身体が開かれるのを防いでいた。刃を捨てたのは密着時の自傷を防ぐため。巻くのに使った『彼』の左手だけは防げず、外向きのベクトルに血流を手先へ留められうっ血で紫に変色していた。だがそれだけでは、『彼』がこれから放つ技は止められない。
回転切り。『彼』はアンカーを刺さないまま、ガスの出力だけで身体を高速で回し始め、重力を加えて獣へと直下する。
アンカーで指向性を定めない回転切りは、他方向からの妨害で進路を歪めやすく、それゆえ威力も殺されやすく、なおかつ兵士本人の命も脅かす。しかしそれでも。
『彼』の無謀な回転切りは、防御する獣の右手の五指を叩き斬った。『彼』の視界の端に浮かぶ深青が、時が止まったかのような区切りに区切った時間の中で『彼』を導いたのだ。
(コイツ相手に丸薬は使いたくなかった。でも、使わずに生き残れる気がしなかった。振り回され始める時点で食ったお陰で、吹き付ける風の向きも感じ取れて、死なずに済んだ。左手のうっ血なんてささやかな代償だ)
さすがに例に漏れず回転切りは勢いが死に、残る三人が攻勢に転じて『彼』の着地の時間を稼いだ。痙攣する左腕を押さえつけて、『彼』は眉を少し吊り上げた獣から目を離さない。
(探せ。奴があとどれ程手札を残しているのかを)
「へえ。面白い技を使うね。どうやら、ここの歴戦の兵士がよくやる”コマ回し”のようだが……」
「クソ!」
「じゃあ、俺も同じことをやってみるか。そーれ」
獣は身をよじり、両腕を胴に巻き付ける。前傾し数度の痙攣のあと、蓄えた力を一気に解き放ち、ぐるぐると両腕を回転させる。
草刈り鎌のように、奴の腕は地面の草花を削り取りながら、じわじわとこちらに向かってくる。巻き起こる砂塵に土や石つぶても混じり始めた。
呑気な物言いだが、その動作は殺意にまみれた竜巻だ。悪態を吐いて兵士達は北の住宅街を目指して後退する。せめて有利な地形に持ち込もう、とヘニングの主張を飲んで。
退く道半ばで、殺意の舵輪の中へ跳び込んでいく者がいた。『彼』だ。残存する丸薬の力を頼りに、跳ね飛ぶ砂礫を飛び越え回転する両腕の切れ間を突っ切って、二つの刃を合わせる。
いつか地下牢で剥いた赤い青果の皮のように、『彼』の刃は獣の回転軸である胴体を捉えて毛と皮を引き剥がしていく。着地して振り向くもまだ獣は余裕そうだ。
「また少し身体が軽くなったなっ───」
「こっちだ間抜け!」
『彼』をどこか誇らしげに眺める獣の背後へ、リーネとヘニングが斬りかかる。気配を察知し振り向く獣の左眼はジャンの刃が刺し貫く。先輩二人全霊の一閃は確かに敵のうなじへ浴びせられた、筈だった。
舞い散る毛に対して、うなじで鳴った音はとてつもなく堅かった。剥がされた毛の下で、灰色に硬化した獣のうなじがこれ見よがしに露出していた。
(弱点が……硬化している。アニの時のような前兆を知らせる音が無かったということは、変身の初めからうなじを硬質化させていたのか。それも今ここに至るまでに、一度も硬化が解ける音もまた無かった!)
獣の児戯のような振る舞いは、順当にも『絶対に敗北することはない』という自負によって保たれていたのだ。四肢を失おうと目を失おうと、中身まで暴かれることは決してあり得ない、と。
「あー、ばれちゃったか。まあ上出来なんじゃない?」
「焦れよ。そろそろ、俺達を脅威とみなし始めないと足下を掬われるぞ?おっさん」
手触りでガスの残量が残り半分を切っていることを知覚しながら、『彼』はジャンの挑発に便乗する。
「ああ。もう少しで決着が付けられそうだ。別にうなじを狙わなくても倒す方法は幾らでもあるし」
「どうだろうね。俺はこれまでの戦いで、お前ら人間相手に切り札を切ったことがないからさ」
丸薬をもう一粒口へと運んだところで、『彼』は獣の視線が『彼』に、厳密には『彼』の口元に向けられていることに気が付いた。
「なあんだ。結局最後は巨人の力頼みなんだ」
(巨人の力?……今、『巨人の力』って言ったのか?)
「まあ、お望み通り見せてやるか」
後退を続け住宅街までたどり着いた『彼』らは、ホームに持ち込めたつもりでいた。『彼』らは気付いていない。家屋を千切り取れば、後は鉄並みの固さを持つ散弾に変えられるという、獣の悪意に。兵士達ではなく家屋の一軒に手を伸ばす獣に不穏さを嗅ぎ取ったその時、『彼』の背後の遠くからガスの排される音が幾つも聞こえてきた。
そのうちの一音は、既に獣の巨人にまでたどり着いている。
「おいガキ、これはどういう状況だ」
「貴方は……」
「お前ら調査兵団があまりに遅いから俺らが出張ってきたんだよ」
一角馬のエンブレムを背に、黒帽子を被ったセミロングの壮年は痰を吐き捨て『彼』らに顎で指し示す。『さっさと片付けるぞ』と。
「お?」
「こっちだウスノロ!」
男の出で立ちで獣も何やら察したらしい。
獣の巨人は槍のように右腕を突くも、獣の右手は黒帽子の旋風で四散した。既に黒帽子は獣の背後に周っており、うなじに狙いを定めていたが、
「お?なんか固そうなモノで守られてやがる」と、舌打ちして、一拍攻撃の遅れた『彼』らとの連携を重んじ、突撃をやめた。
非常に危なっかしい。『彼』は第一にそう印象付けられたが、同時にこうも考えた。
捨て身だろうと無傷で生き延びれる、そんな傲慢に等しい自信を一太刀二の太刀で喧伝している。
「おっと、遊びすぎたか。それじゃあ───」
うなじを丸見えにして頭を前傾させる【獣】の動作に、『彼』は攻撃ではなく、退避の命令を総員に出した。これから起こる事柄の持つ殺傷力を知っていたから。
獣の巨人は息を思い切り吸い込み、「うおおおおお!!!」叫んだ。
二筋の細い稲妻が、西と東から1本ずつ降り注ぐ。
東から黒い狼煙が1本登った。
【異形の巨人】の出現を知らせるものだった。
「チッ。【異形】になったのは一人だけか。だがまあ、本命はこっちだ」
【獣】のぼやきに遅れて空から一際大きな稲妻が一筋降る。赤黒い巨大な頭部が、壁の僅かに上から姿を現す。しかし今度は、壁の内側に、我々に背を向けて。
超大型巨人だ。取られた視線を【獣】に戻せば、獣の巨人は背を向けて南へ走り出したではないか。
「んじゃ。また来るからね~」
「待て!」
【獣】の気の抜けた声に『彼』は苛立ちをぶつけるも、全く手応えが無い。戦いを楽しんでいる獣の巨人の持つ余裕が、侮りではなく強さによって裏打ちされたものだとまたもやひしひしと伝わってくる。
「待ってもいいけど、勝ち目ないってことはいい加減分かっただろー。それに、まだ優先すべきことがあるんじゃない?このままじゃ、俺たちでアニちゃん取り返しちゃうよ~」
揚々と去る【獣】に対し、皆は『彼』の指示を待っていた。勿論『彼』も【獣】を追撃するつもりではあったが、『彼』はそれよりも恐るべき者と、さっきまで共闘していたのだ。恐らくは王都地下の下水道で出会ったその聞き馴染みある声に、これ以上背中を預けていいものか。そう逡巡する『彼』に、その老人は声を掛けてくる。
「あー、本調子じゃねえのは俺も同じだが、俺には俺なりの部隊がある。【獣】は俺達がヤる。『お前』は壁内にいるあのチビを援護してこい」
「……貴方は───」
「おっとその先は言わない方がいいぜ?いいか。俺は『お前』のことなんざ知らねえし、『お前』は俺のことを知らねえ。そういうフリをしてりゃ丸く収まるんだ。今はな」
老人は手指で銃を作って、『彼』の心臓の辺りをズイズイ押してくる。
「……信じますよ、今は」
「聞き分けの良いヤツは嫌いじゃねえ。早く行くんだな」
シッシ、と手振りで『彼』らを追い払うその男は、恐らくこの場にいる誰よりも強いと、『彼』は確信していた。
北を目指すなか、その合点の速さをジャンに訊かれる。
「知ってんのか?あいつ」
「……まあ、方々で任務に当たったから」
「俺は東の援護に行ってくる。区内は『お前』が頼む」
「私達もジャンの援護に回るわ。西には【あの人】がいるから、多分大丈夫」
「ああ。お前ら訓練兵が苦い顔する、あの人がな」
「皆、お願いします!」
『彼』は一人、壁を目指して跳んでいった。
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「手元がおろそかですね。隊長」
「ぬかせ、カーフェン。あのガキのお守りくらいでへまするものかよ」
ケニーはいつぞやの『彼』から受けた握撃の痛みが残る手をさする。
「あと数年もすれば、隊長の座は私のモノですね」
「数年か。気弱だな小娘が」
悪態を付き、当たらないと承知の上でケニーは右手で裏拳を放つ。手品でも披露するかのように、右手から白く輝く小刀が現れては消える。
「銃の方がまだ手に馴染むんだがな」
そう言いながらも、ケニーは対巨人用のブレードを慣れた手付きでくるくると手の中で遊ばせる。すぐさまその遊びは止み、ある血族特有の合理と歴戦の面影を躊躇なく発現させる。
「さあて。追うのは慣れてんだろお前ら。行くぞ」
二人の頭目と数人の人殺しの手練れ達は、巨人の群れへ飛び出した。