─1─
超大型巨人が出現して少し時間が経過した壁の上。駐屯兵団は事前の作戦の通り、北端にいるエルヴィン団長の合図があるまで区へ立ち入らず、踏み潰されていく区内を尻目に、壁の外にいる敵へ砲門を向け続けている。
「巨人複数体が発破地点到達を確認!」
「よし!撃て!」
出現地点から壁まで半分の距離に近づいた巨人に照準を定める駐屯兵へ、キッツが口の端に泡を浮かべながら命令する。
榴弾は焦点の手前を歩く巨人を貫き、地面へと着弾する。着弾点から一拍遅れて爆発が起き、周辺の7~8メートル級巨人数体が手足を無作為に千切られながら地を跳ねる。
「よぉし、動きが鈍くなった!五、六、七班で仕留めろ!」
指示通り砲手達は榴弾で巨人達のうなじを吹き飛ばしていく。ユトピア区での巨人掃討により、駐屯兵団は砲撃の正確さについてはこれ以上無いほどに仕上がっていた。
砲丸の作成に充てる名目で王の目を逃れ運ばれた大量の火薬は、エルミハ区周辺に波状に埋め込まれている。五、六波はあろう包囲網のうち、砲撃を受けたのは最も外側に位置する第一波である。
「はあ……はあ……ええい!慌ただしくて仕方ない……目印があるとはいえ、到達のタイミングで指示を出して、着弾して初めて爆発するなどとは、手間が掛かりすぎる」
「ふむ。これまで暇していた分、働かねばなるまいて」
キッツの小言を拾い上げたのは、カイゼル髭を蓄えた最古参の駐屯兵だった。
「司令!ここまで来られたので!……あの、私は最近までユトピア区で任に当たっていました。いやそれだけじゃない。司令が来るまでトロスト区で持ちこたえ、まだ脅威か希望とも分からぬまま、エレン・イェーガーを押し留めたのもまた私です。それを加味した上でのことなのですね?」
「ほっほっほ。身体が爆発四散せんばかりに働いている『新兵』を一人、ワシは知っておるからのう。まだまだ足りんじゃろうな」
砲撃並みの衝撃を与えなければ爆発しない。その制約を課したのは、司令だった。回りくどい起爆手順を設けたことには、彼なりの理由があってのことだ。
必要なくなった後で、則ちこの戦いが終わって市井の活気が戻った後、市民が誤って起爆させることが無いようにするためだ。戦いの傷で真っ先に苦しむのは兵士ではなく市民であることを、司令は兵としての永い命で思い知らされている。仮初めだろうと少しでも安寧が早くもたらされるようにと、司令は祈りを込めたのだ。
そのために兵達は今ここで血と汗を流すべきだと、老兵は信じている。
司令はこの戦いの先を見据え、人類の先を見据え、その姿勢を変えぬまま、今日も壁の向こうを見つめている。
「それより、良いんでしょうな?あそこの超大型巨人を無視して、砲撃を続けても」
「もし本当に窮しているのなら、北端のエルヴィンが必ず煙弾で指示を出す。ワシらはここ西北西で、ナイルら憲兵団が東北東で守り続けて、きゃつら調査兵団が専念できるように慮ることが先決じゃ。規則を守るに長けるだけで、キッツ。お主を隊長にまで上げたのではないぞ」
「はっ!……まあ、それよりも私が心配なのは」
キッツは第四班の砲撃を見て、脇を締めガッツポーズする坊主頭とお下げを見ている。それを苦い顔しながら称えるリコの姿も。
「調査兵団から借りてきたあの二人は、白兵戦に回した方がまだ活躍出来るんじゃないでしょうかね?」
「……心配いらんじゃろう。あやつら、どうやら計算じゃなく本能と経験で弾道を予測し、作り出せるようじゃからな。ここの大砲も手入れがされているとはいえ、一門毎に癖がある。それをあやつらは最初の数発で見抜いて、今やワシら駐屯兵団と遜色なく撃てておる。伊達に10番以内で卒業しとらんらしい」
戦場の中小心者の大男は、司令の信頼を重圧と誤解し、今日もまた神経を磨り減らす。
一方、壁まで道半ばの進行度の巨人どもに対し、肩を大きく揺らしながらも『彼』は壁の南端にまで辿り着いていた。
「ハァ……ハア……」
丸薬の途切れた身体は容易く悲鳴を上げる。拍動に呼応するかの如く等間隔でこめかみを走る鈍痛を手で押さえながら『彼』は壁までたどり着く。壁を昇る前に、何人かの鋭利な刃で両断された兵士と、装置が丸ごと一つ足りてない兵士の亡骸が地に落ちて潰れていた。ベルトルトに斬られて、それから巨人化の風に煽られ落下したのだろう。
彼らの屍を乗り越える区内を見下ろす頃には、地上に巨大な楕円形の足跡が幾つも見えて、既に超大型巨人は区の中央付近まで歩いていた。
「……大きいな。これまでよりも明らかに」
変身の際に相当力を抑えたのだろう。『彼』の目に写る超大型巨人の身体は、過去に類を見ないくらい肉付きがよく、白い骨組みを埋め尽くしはち切れんばかりに露出した赤い筋繊維で周囲を威圧している。そしてその一叢を切り崩すべく、三人の兵士が一心不乱にヤツの左脚を斬りつけていた。
「エレン!ミカサ!リヴァイ兵士長!」
『彼』の声に反応して、三人は最寄りの家屋の屋根に跳び移る。跳び移るついでに石畳の竪穴からボンベを引っ張りだし、換装している。『彼』も二本受け取りながら兵士長の問いかけに報告する。
「『お前』……南の防衛はどうなっている?」
「頭目の獣の巨人は撃退しました。憲兵の精鋭集団が追撃に当たっています。確か、黒い帽子を被った男が、兵士長を援護しに行け、と」
「聞いてねえな、そんな話は」
「え?援護は不要でしたか?」
「いいや。それとは別に、『精鋭』って言葉が引っ掛かる。憲兵に巨人殺しのエリートなんて居るわけねえ。中央第一憲兵のことを言ってんだろうが、アイツらでさえ仕事は専ら公務だぞ」
「じゃあ、あの人の大立ち回りはいったい……」
「黒い帽子……いや、そんなワケねえか」
リヴァイ兵士長は何か自問したが一人合点がいったらしく、既に視線を『彼』から反らして、超大型巨人を睨み付けている。
「今はそんなおとぎ話の存在よりもあのデカブツのことだ。アイツをどうやって止めるか───」
「『私』が奴の脊椎を狙います。脚を斬るまでもありません」
「やめておけ」
兵士長の忠告よりも先に、『彼』は煙の中へ突撃した。『彼』はなぜかエレンの「やめとけ!」という声まで聞こえたが、好戦的な彼がそんなことを言う筈もないと自分の耳を疑うことにした。直ぐにそれは事実だと分かるが。
臀部の辺りまで登ったところで、『彼』の跳躍はすぐに中断される。空へ向かう蒸気の余波に触れて、『彼』は発汗を感じられない程の熱に思わずむせた。二度、三度と咳き込むわけにもいかないほどに吸息は熱く、辛うじて開く瞼に映る視界は大きく揺らぎを繰り返し、手を伝う水滴は豪雨でも味わえないほど重く、外套まで水気が滲み始めている。
「っ!凄まじい熱だ!」
「体積が増えたからか、下肢から巻き上がる熱がいつもの比じゃねえ。脊椎を斬って即座に動きを止める、なんてのは不可能だ」
「ああ!だからこっちでオレ達を手伝ってくれ!」
「エレンが先に試したから」とでも言うように、ミカサは火傷を負ったエレンの顔に手を差しのべようとする。「もう少し上……腰の手前まで進めたんだけどな」とエレンは溢して、
「……敵わないな、君には」と『彼』は評した。その根性ならば、今エレンの顔に浮かぶ火傷は治りかけで、実際はもっと酷かったに違いない。恐らくは、顔の皮くらいは容易く焼け落ちていたのだろう。
熱源から離れてあっという間に湯冷めを起こした『彼』は、大きなくしゃみを一つして翠の外套を脱いで手で絞り、無理やり水をエレンの顔に垂らす。
「焼け石に水、なので」と、ミカサに突っ込まれた。
「これほどの肥満体だ。普通の巨人の大きさに換えれば、俺達の攻撃はかすり傷と変わらない。俺が全快だとしても少し、手に余る。何度も切り刻んで明確な『傷』にするには人手が一人でも多く必要だ。分かるな?」
兵士長の提案を、『彼』は間断なく飲んだ。
たったこの少しの合間にも、超大型巨人は数歩歩いている。しかしその僅かな歩数でも、中央の兵団指令部を素通りしていくには十分なストライドだった。ベルトルトはアニの入った結晶を無視して、内門へと向かっていた。
「アニが狙いじゃないのか!?」
「このままでは王都への門が破壊されるな。どちらにしろやることは変わらねえ。まずは奴の脚を削いで、動きを封じるぞ」
「了解!」
ーーーーー
南へ果敢に進撃するケニー達は、視界に写る巨人達を瞬く間に鏖殺しながら、おめおめと逃げる獣の巨人にまでたどり着いた。歯を剥き出しにして獣は腕を下手に、土塊の嵐を浴びせようとする。
しかしケニーは両手を挙げ、経年で磨耗した喉を振るわせて声を張り上げる。
「おい待て待て!俺達は争う気はねえんだ」
「……なに?……俺達?兵団全体の意思か?」
「いやあ?俺達は少し特殊な連中でよ」
ケニーは息一つ吐いてから、腕に刃を持たせたまま再開する。誰かに見られても違和が生じないよう取り繕って。
「俺達ぁお前らの仲間……いや、協力者と言ってもいい。ともかく、王の部下の中でもかな~り立場が近い連中だ」
「へえ。聞かなかったことにして、今ここで殺しても良いんだけどな」
「まあまあそうカッカすんなよ。どうやら一味のボスらしいお前を、ここで今すぐヤッちまってもいいんだがな。それじゃお互い血が流れすぎちまう。テキトーに切り結んだら、重傷を負ったという体で俺らは退散させてもらおう」
「いいのか?ここまで俺を追っかけ回しておいて逃亡とか、お前らの上司が黙っちゃいないだろ?」
ケニーは眼だけを懸命に北の壁に向けて、『彼』の存在が十分離れたことを確認する。
「ここまで来れば、少なくとも声までは拾えねえ。あの耳の良い『新兵』を遠ざけたのはそれが理由さ。とはいえこれ以上何も進展がねえと、壁上から望遠で覗いてるかもしれねえ奴らに怪しまれちまう。手短に言うぜ」
巨人殺しならぬ人殺しのエリートはニヤリと笑う。
「巨人陣営代表のお前に、一つやってもらいたいことがあるんだがよ……」
ケニーの提案を最後まで聞いた獣は、呼応するように邪悪な笑みを浮かべた。
ーーーーー
邪悪な提案もいざ知らず、四人は超大型巨人の左脚を斬りつけ続けていた。
最初は人が紙で指を切ったくらいの小さな傷だったが、転んで出来る膝の傷くらいのものには大きく切り刻めていた。
「何もしてこないな!」
「ああ!これならオレ達でも止められる!」
「二人とも、油断しないで」
「ああ。なにもしてこねぇ。不気味なくらいにな。南端の外門を壊してねえあたり、単に区内に巨人をなだれ込ませる作戦じゃないらしい。まだなにか企んでやがるな」
超大型巨人は、北に向かってただ歩き続けていた。蹴りや殴打なり蒸気なり、他に攻撃手段は幾らでもあるにも拘わらず、『彼』ら三人を歯牙にも掛けない。超大型巨人の傷の治りは早かった。巨人の大きさの比率に換算すれば、兵士長の言うとおり一太刀がただのかすり傷。何十もの斬撃を浴びせてようやく、左足首に明確な亀裂が出来始めたところだった。
「熱波で攻撃すると動きが止まる、というアルミンの仮説があったよな?」
「これだけじゃ確証が持てない」
「いずれにしろ、なるべく早く片付ける必要が出てきたな」
リヴァイがそう言い一際高く跳躍すると、その音に合わせるかのように、区内の南東辺りで何かが衝突する音が聞こえた。それも、一抱えそこらの大きさのもので収まる音ではないし、まして砲弾を取り落としたとしても、そんな音は鳴らない。
音のした方を振り向くと。そこには、むくりと身体を起こす巨人の姿があった。
「なぜあんな所に?」そう疑問が浮かんだ時には、上空から幾つもの閃きと、影が区内に射してきては落ちてくる。リヴァイは光が迸る前に、その光ひとつひとつの中に、人影を視認した。
【巨人の正体は人間】、という仮説に、確証を加える現象だった。
「チッ。……巨人の群れだ!光る直前に放物線が見えた。誰かが人間を投げて寄越して、なんらかの力で巨人化させてやがる」
集まる衝突音は纏まり一つの雷雲の唸りのような轟音が鳴り響かせた後、区内の各所から何十体もの巨人が起き上がってくる。足取りこそ遅いが、すべての個体が向かってきている。『彼』ら四人の下へ。
一発の凛とした高音に、緑の柱が北端から立ち上る。団長が上げた音響弾と、緑の信煙弾だ。
「白兵戦に切り替えろ」という合図だ。壁上四方からまばらにだが飛び降りる兵士の姿が見える。
『彼』は兵士長の指示を仰ぐ。巨人の群れも、知性巨人と等しい程の脅威である。仇であるからと視野を狭めれば如何様にでも死ねる。それがこの世界の事実だから。
「……どうします?」
「壁上の人員を内側に割くのが目的だろうな。俺達にまで届きそうな巨人はまだいねえ。俺達はこのまま超大型への攻撃を続けるぞ」
「了解!」
その世界の事実に最も力強く抗してきた兵士の言葉を、『彼』らは信じた。
─2─
エルミハ区内の西側。サシャ、コニー、リコが一体の13メートル級巨人と戦闘していた。コニーにもまた悟っていた。故郷の村人達を巨人に変えた犯人が、どこか遠くにいる。ここを切り抜け次第、ヤツを追わなくてはならない、と。
「白刃戦といったって、壁上の兵士全員がやるんじゃないんだな!」
「白刃戦は偶数班だけだ。誰かが壁に迫る巨人を食い止めなくちゃいけないからな。そら、また来るぞ!」
戦いながらも、区の中央で超大型巨人の足元で閃く複数の剣閃がコニーの網膜で踊る。その光景に、コニーは内心に言い聞かせる。
「俺達も散々見てきたからな。成長してんのはお前らだけじゃねえぜ、エレン」
「あ!あれ、『彼』じゃありませんか!?」
「なに?あ、ホントだ!『アイツ』、なんでこんなところに?」
「新兵ども!手を止めるな!」
リコの警告を浴びるよりも早く、二人はリコの陽動の意図を把握してうなじを挟撃し破壊する。
「よそ見する程の余裕はあるんだな。砲撃の腕とはえらい違いだ」
「ええ。『彼』らから学びましたから」
「まったく…どうなってるんだ。今年の新兵どもは」
事態は決して余裕綽々というわけではない。獣の巨人が出した命令の強さは距離に応じて増減する。巨人に変えられた者達の中には、その微弱な命令を振りきれる個体もいる。
奇行種が一体、三人の元へ走っていく。
ーーーーー
目のピントが超大型から少しずれた時、エレンら視線の遥か先、西の端で、寄行種に追われるサシャとコニーを目撃する。
「アイツら……」
見かねたエレンが加勢しようとする。
エレンの眼に宿る悲愴を、『彼』は知っている。リヴァイ班を喪った時と同じ、同胞を喪った者の眼。しかし、『彼』はあえてその肩を掴んだ。
「大丈夫。あの人がいるから───」
ーーーーー
その言葉に応えるかのように、『彼』にとって顔見知りどころではない元・兵士が、新兵と奇行種との間に割って入る。その者によって瞬く間に巨人は地に伏せるが、サシャはその人間を一目見て、巨人に睨まれた時よりも恐怖に満ちた声で絶叫する。
「ひ、ひぃぃいいい!!!」
「なんだ。この有事に私が加勢しないとでも思っていたのか」
「き、教官!?なんでここに!??」
「コニー・スプリンガー。貴様の見立て自体は間違っていない。訓練兵時代のままなら、貴様はさっき食われていた。確かに成長したようだな」
「っ!……うす!……なんだろな、この違和感」
「教官が私達のことを面と向かって褒めることなんて無かったからですよ。今日、肉でも降ってくるんじゃないですか?」
「降ってくるのは巨人の血肉だけにしてもらおうか」
「バカ!芋女!聞かれてんぞ!」
「貴様らは!」
キース・シャーディスの一喝は、恐慌する二人を瞬く間に静まり返らせる。訓練地の時と変わらず。
「……貴様らはもはや一人前の兵士だ。今さら私への小言くらいで、私が何か言うことは無い」
「そっか。忘れてたぜ」
「いや、卒業に当たって既にそう言っていたはずだが、もう一度訓練地に戻すべきか?」
「いや……嫌ーー!!」
「嫌だと言おうが巨人は止まらん!!まだ来るぞ!私に続け!!」
「り、了解!」
(……生きたまま戦線を退いて、挙げ句に出戻りなど……俺はどこまで生き恥を重ね続けるんだろうな……カルラ)
不断に呵責を己に課し続けてきたシャーディスは、青ざめながらも力強く輝く二人の若き兵士の眼に嘗ての自分を重ね、先代団長として勇猛に率いていった。
ーーーーー
「あの調子なら、きっと問題無い」
「キース教官……強かったんだな。いや、あんだけ怖えんだ。当然だよな」
エレンの安堵に対し、リヴァイは何か言いたげだったが、言葉よりも手を動かすことを選んだ。幸いにも、兵士長の一撃で超大型巨人の左脚に巨大な亀裂が走り、腱を破壊した。その赤い巨躯は片膝を付く。
「やったか!?」
しかし、それでも止まらない。左脚を引き摺りながらも、まだ北端を目指して進み続ける。北端の壁上にしかと立つ団長を睨みながら。リヴァイ兵士長は敵の狙いを悟った。なまくらの刃を捨て、『彼』に一つ要求する。
「時間がねえ……。アレをやるぞ。ミカサとエレンは周囲を見張れ」
「っ!……はい!!」
「し、しかし……」
「俺と『コイツ』を信じろ。……出来るな?」
「……やれます」
『彼』は丸薬を口に含み、リヴァイと共に高く跳躍する。背中に熱波を受けながら二人は繰り出した。一人は壁の中で、一人は戦禍の嵐の中で長らく繰り返してきた、あの技を。
『彼』とリヴァイ、二人の回転切りは超大型の右足の肉を大きく削ぎ取っていく。緩慢に進む標的を相手にアンカーとワイヤーで方角を定めた回転切りはそう容易には止まらない。
『彼』は戦いに於いて刃を消耗したことはさして無かった。アニのように一撃で敵の部位を深く抉り取る力は無くても、ミカサのような絶対的な正確さと力が無くても、『彼』の斬撃の流儀は最後まで戦い抜くために、刃を極限まで保たせる力として身に付いていた。
そんな『彼』が躊躇なく刃を剣撃でみるみる磨り減らしていく。時間にして30秒、新兵と兵士長の二人で合わせて一ダースだった刃が6本まで減ったその時、超大型の右足は獣に切り裂かれたかのような傷を無数に刻み付けられて支えを失った。刃を手持ちの2本と【異形の双刃】の計4本にまで減らし、肩で息をする『彼』に対し、リヴァイは評した。
「……もう新兵扱いする必要も無さそうだな」
『彼』が応える間もなく、超大型巨人は両膝をついて地を這いつくばる。地面と平行になることで、蒸気は超大型の周囲へと拡散し、濃度が下がった。
「……今なら、オレ達で殺せる!」
ここぞとばかりにうなじを目指すエレンだったが、突如中央の兵団本部が稲妻とともに崩れ落ちる。
その異常を確認すべくエレンは一度距離を取った。崩れた瓦礫の山の中から、『彼』の宿敵がようやく姿を現す。
「鎧の巨人……!」
鎧の巨人の右手には、アニの入った水晶が握られていた。一拍遅れて、ベルトルトが鎧の肩に着地する。立体機動装置を換装して。
「やはりそれが狙いか……!ぐっ!!」
走り出す鎧に反して、兵士長は膝を付いた。恨みがましく自身の左膝を睨み、無茶で再び開いた傷に悪態を吐く。
その悪態を耳で拾った『彼』は振り向いたが、兵士長は目で鎧を指し示す。『彼』は無言で頷いて、先陣を切るエレンとミカサに続く。
「くそ……」
「よくやった。リヴァイ。ここからは『彼』らの出番だ」
北端から下りてきたエルヴィン団長はリヴァイに肩を貸し、南にいるハンジを見やる。区内の南西、外門と内門を直線で結んだ針路から少し外れた場所で、鎧の巨人が走り去った後の風圧で一人の分隊長の髪が揺れる。
『彼』と副長に矯正され毎日入浴と睡眠を欠かすことなく、適切な栄養補給も相まってすっかり滑らかになった髪を揺らしながら、ハンジはエレンに向かって手を振る。
「エレン!【兵器】の安全は確認できた!やってくれ!」
ハンジ分隊長は叫んで、緑の信煙弾を打ち上げる。それと同時に、一筋の雷が地に降った。『彼』ら調査兵団が何度も見てきた『希望』の背中が現れていく。
エレンの巨人は変身の最中にある未完成の右腕を、一件の家屋の中に縦に突っ込んだ。
巻き上げられた瓦礫が全て散り終える前に、完成を果たしたエレンの巨人は右腕を引き上げる。
そこから黒々とした鋼鉄の腕が姿を現した。
ーーーーー
決戦の一日前。
「重鉄の腕甲?」
「そうだ。私がそう名付けた」
と、ハンジ分隊長は設計図を黒板に広げる。
「これが、我々兵団に用意できる、鎧の巨人への対抗策だ。【異形の鎧の巨人】との戦いからずっと練り続けてきた、私の自信作だ」
高揚が目から溢れているが、分隊長はその立場としての姿勢を崩さない。
「【異形の鎧の巨人】は、榴弾なら傷を負わせることが出来た。しかしその結果だけで、鎧の巨人に有効打を与える証拠とするには楽観的過ぎる。けれど我々の武器には榴弾以上に硬度を持つモノがある。それが、立体機動装置に付いている『コレ』だ」
分隊長は腰の辺りを壊れないよう慎重に叩く。同様の箇所を、『私』は自分の装置で触れて確かめていた。同時に、ハンジがいつか話していた、開発を進めていた新兵器をいつか披露するという話しも。
(ハンジ分隊長が秘密裏に作っていたのは、女型捕獲用の装置じゃない。この兵器だったんだ)
「立体機動装置のアンカーだ。女型の巨人と同質の組成を持つ、三重の壁に容易く刺さるこのアンカーこそが、我々が求めていたものだった」
「それを加工して、エレンの巨人に装備させるための【兵器】にした、と?我々憲兵団や、総統への届けもなく?」
「いいや師団長。残念だけど、既存の素材から新しい武器を作ること自体には、なんの違反も無い。鋳造に当たり雛型に多少変化を加えたところで工場の人が泣きを見るだけだ。本当は使いたかったけどね。そこの『彼』が持っている、【異形の刃】を素材として、ね」
「な……貴様!!」
『彼』が抜いた、何の変哲も無い装置の柄に宿る【異形の刃】を見て、師団長はあからさまに狼狽えた。
「その刃は、ずっと隠していたんだね」
爪のように緩やかに湾曲する白く輝く刀身に反し、ハンジの目は曇る。当然だ。巨人への興味が尽きない当人が、謎の一端であるこの異形の破片を調べ尽くすことを望むのは分かりきっていた。だから秘めた。今日この日まで。
「『私』は、この刃をもっと巧みに使える人がいると考えています。しかし、とても譲り渡す時間は……」
「先の作戦でも話したが、『君』は、真の戦力をひた隠しにする役を請け負うと言っただろう?私達は、その刃が使えない前提でここまでコトを運んできた。【重鉄の腕甲】とそれに付いてる、とある一つの仕掛けとは別に、今ここで不確定要素を増やしたところで我々の方針に変わりは無い。だから───」
「その刃は『お前』が生き残るために使え。命令だ」
兵長が口を挟んだ。『彼』が何か言葉を紡ぐ前に、リヴァイは畳み掛ける。
「言ったはずだ。巨人との戦いは常に情報不足だ。どれほど手を尽くしても、どうなるかは誰にも分からねえ。……だがそれは、『お前』の持つ異形の刃も同じだ。俺達が巨人の未知な所に虚を突かれたのなら、『お前』のその刃にも、その可能性がある。まだその刃の真価が分からねえのなら、やはりそれは『お前』が持つべきモノだ」
ーーーーー
鎧の巨人は南へと走り、内門の壁面に右手を突き立てて登っていく。エレンも続き、上腕を覆う右手の腕甲を開いて、爪を壁に突き立てた。そして、鎧の巨人と同じように壁を登った。通常なら不可能な登頂をエレンは成し遂げて、外へ飛び降りる。
家屋をかき分け進んだ鎧の巨人は、エレンと対峙して、右腕をゆっくりともたげアニの入った水晶を見せつける。ベルトルトも刃を抜いて、『彼』らを静かに見つめている。一切の迷いを捨てた目で。
エレンに追い付いた『彼』は、三年間と二ヶ月半もの間追い続けた二人の背中を押す。
「行こう、二人とも」
「うん。ベルトルトは私が。腕甲の”信管”は『貴方』に任せる」
「ああ」
今度の『彼』は、怒りに飲まれなかった。
『彼』の声に応えるように、エレンの巨人は雄叫びを上げる。迫る黄昏の下、【戦士】と【兵士】は激突した。
─3─
エルミハ区外の東。ジャン・キルシュタインは【異形の巨人】を知らせる黒い狼煙の発生源を探していた。
「それで、【異形の巨人】はどこにいるんだ?もし鎧タイプだったら、俺達だけじゃ対処出来ねえが……」
「見て、あそこ!」
「お出ましか……これまた変な巨人だな」
鹿のような二本の角と長い顔、白目の少ない瞳を持つ15メートル級の巨人が、四つん這いになって平原を走っている。手を広げたかのような角は先端を大きく広げており、そのままではうなじを攻撃する前に串刺しになるだろう。
その足元で、戦っている者達がいる。
知識はあっても戦いではやや劣る。そんな調査兵が防戦一方ではあったが未知の脅威に立ち向かっている。ジャンは急いで援護に入る。
「アルミン!」
「ジャン!」
「お前……白兵戦やってんのか?他の憲兵達はどうした?」
「ウチの団特有の癖みたいなもんでさ!こういう危険な任務は新兵にやらせたがるの!」
緩く棚引くベージュの髪を揺らしながら、二人に割って入った女兵士はアルミンの肩を持って東端の壁方面に退いていく。刈り上げた黒髪おかっぱ頭の男が少女に続き、【異形】が追ってこないよう刃を向け続けている。アルミンは友の名を呼ぶので精一杯だったのか、滝のような汗をかいてぜいぜいと息を吐いていた。
家屋の無い壁寄りの平原でひとまずアルミンを下ろし、彼の呼吸の沈着を待つ。待つ間にジャンはそれぞれの名を交わし、その中で話が通じそうなマルロに質問する。
「あの巨人から何か分かったことはあるか?」
「ヤツはぶどう弾を弾く。角を振り回してな。正面から崩すのは難しいと判断した師団長は白兵戦を提案したが……チッ」
「なんだ?まあ、今いる人数の少なさからして予想が付くが」
「師団長、想像以上に人望が無かったのね。彼の公務に対するひたむきさが鼻持ちならない上官がたはここぞとばかりに不服従の意を表明した。『砲手としての役を任せられた我々にそれは越権行為だ』とね。信じられないでしょ。師団長相手に越権行為だって、ねえ」
ヒッチは両肩を竦めて「恐れ入ったわ」と眉を引くつかせて貶す。普段の彼女ならにやけ顔を浮かべているに違いない。
「そんな中飛び出したのはコイツよ」
ヒッチはアルミンを指差す。
「一目で分かったわ。実力は憲兵を目指してた私たちよりも足りてない。あんたらの団も苦労が多いわね」
「そう言いながらも俺達に続いただろ、ヒッチ」
「ここまで連れ戻そうとしただけよ!アンタまでコイツに加わってますます事態が拗れてんのよこの石頭!どう考えても卒業二ヶ月そこらの私達の手に負える敵じゃないって!!」
マルロは拳骨で思い切りヒッチに頭部を殴られた。そんな明らかな分析を示す憲兵よりも、ジャンは共に戦ってきた調査兵の意見を窺った。
「アルミン。何か考えはあるのか?」
「僕達三人でなんとかするには、かなり厳しかった。でも、ミケ班のお二人とジャンがいるなら、この人数だけでも勝てるかもしれない」
「本当か?やっぱり俺達憲兵からも、無理やり引っ張ってき方がいいんじゃないか?なんなら俺が今から何人か引き摺ってきて───」
「いいんだマルロ。きっと、エレンを奪還するときに憲兵の犠牲者が多く出たから、君たちの団自体白兵戦の意欲は殆ど無い。でも、砲撃の任務を放棄することも、また無い。それなら、僕達でもまだ戦える」
「はあ?アンタまだ勝つつもりでいるの?もうさっさと壁まで逃げて、上官がたに任せればいいじゃない!幸い砲撃は直接戦闘よりマシらしいし」
「砲撃は───」
逃げ腰の憲兵に嘗ての自分を重ねながら、ジャンは自分の喉元を緩く押さえヒッチを宥める。
「砲撃は確かに有効なんだな?お前らの団は?」
「あくまで俺達の団内の比較で、だ。砲撃の回数は東の駐屯兵団の陣営より多いし、巨人に着弾した回数は多くない。巨人どもの侵攻をかなり許している」
「つまり、僕達には時間もあまり残されてない。【異形の巨人】との戦闘が長引けば、倒したとしても巨人に包囲される」
「音響弾あるか!?」
リーネ、ヘニング、ジャンの三人で立て続けに一回ずつ、計三回鳴らす。榴弾に切り替えて砲撃する合図を憲兵団に送る。本分の指示は忠実に聞くらしく、新兵らが見上げる壁上からすぐさま数発砲声が響き、そのうち一発が【異形の巨人】に命中する。
「どうだ!?」
舞う煙を振り払う巨大な扇のような風切り音が数回。【異形の巨人】は自らの角の反動を逃がすかのように、頭の位置を戻して首をきまぐれな操舵のように左右に震わせる。
アルミンが指摘する。
「見えただろ!アイツは自分の角の反動に手こずっている。それに、ヤツが榴弾を弾く直前に後ろの両足で踏ん張る姿も、弾いた後で大きくうなじを見せるのも、僕には見えた。きっと両足の腱を削げば、支えを失って反動が大きくなる。……僕達でうなじを狙う。先輩方はアイツの動きを止めて下さい」
「了解!」
「だが気を付けろ。ヤツを怯ませる都合上、白兵戦と砲撃を同時にやらないといけねえ。正直俺達調査兵の先輩でも難しい立ち回りだ。不意の巻き添えで死ぬかもしれん」
「マルロが音響弾で都度知らせてくれる。そうだろう?」
「ああ。俺が鳴らしたら即離脱しろ。ウチの先輩どもは普段撃ち渋る分、合図があったら躊躇なく撃ち放つからな」
「分かったわ。さあ、行くわよ!」
リーネの鬨の声とともに、若年の兵達は進む。約一名、相当に顔を歪ませていたが。
【異形】を正面に捉え、まず一発目の音響弾をマルロは鳴らす。飛来する砲弾を【異形】は叩き落とす。大きく左手側へ振り抜いた【異形】の足下を掻い潜り、リーネとヘニングは両後ろ足の腱を一撃で削ぎ落とす。
【異形】の腹の辺りで一度止まった四人の新兵達は、【異形】が前足のみで自重を支えるのを確認し、マルロの二発目の音響弾を待った。素早く凛とした音が鳴り、数秒の間に再び【異形】の頭部に榴弾は叩き込まれる。アルミンの観察通り、さっきよりも【異形】の頭は大きく揺らいだ。うなじを直接狙っても間に合うほどに。
「俺が行く!」
好機を逃すまいとジャンは【異形】の右肩を乗り越え、叩きつけるべく刃を合わせる。しかし、【異形】の頭は反動を押さえ込み、既に動き始めようとしていた。
「マズい!首の振り戻しが来る!」
もう一度音響弾を鳴らし、今度はマルロが刃を手に突撃する。
「あんのバカ!」
砲撃で頭を左に振り抜いた鹿の右角を、マルロが下から切り落とす。落下する角を避ける機動を取れなかったがヒッチのタックルを受けて危機一髪、逃れた。
開いた右側からジャンが切り込み、うなじを削ぎ取った。
ワイヤーを踏みつけて地面へ急降下し、左角に激突するのを防ぐ。
着地するジャンは、「やったか!?」と振り向いて確認しようとしたが、アルミン達とヘニングが立ち止まったジャンを凄まじい勢いで引き寄せた。さっちまでジャンが立っていた位置に、【異形】は倒れ込んできた。
「あの野郎まだ───」
「もう大丈夫。僕達の勝ちだ!」
アルミンの言葉の通り、ジャン達に背を向け寝そべる【異形の巨人】は、うなじを綺麗に切り開かれていた。安堵が六人の兵士達から一斉に漏れでる。
新人憲兵の二人は【異形】の腹側から大きく回り込んで、「巨人が来てるから早く壁へ退こう」と、そそくさと六人を壁へ駆け足させた。
「……これで、初めての討伐補佐になるのかな?あーやだやだ。前線に立つなんてまっぴらよ」
「なあ」
まだ道中だが一段落した現状に今度こそ羽を休めようと、ブレードを重たそうに持ち上げるヒッチに対して、マルロはジャンに問いかける。
「なんだか初めてな気がしないんだが、俺達、どこかで会ったことあるのか?」
「いいや?『あいつ』の手紙伝いで知ってるだけさ。どこぞの死に急ぎ野郎にそっくりな無謀さと、どこぞの真面目な奴とそっくりな憲兵への忠誠を併せ持った奴が、内地に行った、ってな」
「随分な有名人になってんじゃない、マルロ」
「冷やかすな、ヒッチ。……まあ、俺の生真面目さが、どこか遠くの訓練地のお前らにまでなんらかの悪い影響を及ぼしたと言うのなら、謝罪するが」
「いいや。寧ろ、真面目が災いして死んだ同僚がいてよ。だがまあ、なんだ。ソイツがもし憲兵になってたんなら、お前と仲良く出来たのかもしれねえ。ただ、そう思っただけさ」
「……なにやら、思い出させてしまったみたいだな」
「なによ。こういうしみったれた空気の時は妙に察しが良いじゃない。私相手にもそのくらいでいてほしいものなんだけど。ちょっと妬くわ」
「ヒッチ。お前いい加減に……」
「もう、これ以上の脅威は居ないんだろうな?」
若年達の語らいに、ヘニングがおずおずと割り込んだ。
「ええ。いくら俺達憲兵とはいえ、これ以上のお目汚しは無いかと」
「その割に巨人の数が減ってないみたいね。【異形の巨人】というイレギュラーを抜きにしても、ね」
リーネに突っ込まれたマルロは、口を噤まざるを得ない。リーネは軽やかに笑い取り成す。
「そうじゃない。新兵だけで上役の不手際まで背負おうとするのは不健全、ってだけよ。行こう、ヘニング」
「ああ。入れ替わり激しい俺らの兵団では、新兵のお守りは日常さ。……いや、この場合、歳だけ重ねた新兵止まりどももいるが、まあそこまでいわなくても良いか」
濁したヘニングの言葉に被せるかのように、区内でもう一つの戦士の雷鳴が轟いた。
「もう一つの雷……行かねえと」
「普通の巨人だけになった今なら、まだ俺達で食い止められる。ジャン・キルシュタイン。行ってくれるか」
「分かったぜ、マルロ・フロイデンベルク。……頼みますよ。先輩がた」
「おう」
「任せて」
「……僕も!」
「あ?」
「僕も行くよ。ジャンとならきっと、何か思い付けるかもしれないから」
そう進言するアルミンに、ジャンは自負を感じとる。女型の巨人を初めて退けた時も、彼らは『彼』とともに居た。ジャンは斜を打ち消した真心の笑顔で、アルミンの外套を引く。
「一蓮托生か。……いいぜ、お前も来い」
「……うん。足手まといにはならない!」
アルミンのその言葉には、もはや卑下は潜んでいない。勇気を胸に、二人は南に向かって跳んでいった。