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エレンは重鉄の腕甲を握りしめ、威容を放ちながら鎧の巨人へ走る。『彼』とミカサも、追い付くべく跳び出す。ベルトルトはこれから起こる巨人同士の戦いから逃れるべく、鎧の肩に刺すアンカーを1本減らす。鎧の巨人は左手に水晶を持ち換え、迎撃の姿勢を取った。ベルトルトは両手の柄を鳴らし、海の向こうで人へと向けた殺意を全開にする。
[……いつもの三人じゃ無い。でも、僕に迷いはない。あの中で真っ先に突き崩すべきなのは───]
二の足を踏まず『彼』を殺すべく空を跳躍するベルトルトに、それ以上の神速でミカサが阻んだ。冷徹な合理で彼女は殺意を囁く。
「あなたの相手は私」
顔色一つ変えなかったがミカサには分かった。彼女の両手にのし掛かる刃の重さは、これまでの比ではない、と。壁の中で、ベルトルトにこんな力は無かったはずだった。
[不思議な気分だ。今の僕には、何をするべきかが分かる。僕たち兵士の中で最強の君とも、渡り合える気がしてならない。この晴れやかな感覚……『彼』もそう、考えていたんだろうか]
ベルトルトの剣圧をミカサは受け止め、北へ。エレンと鎧の巨人が満足に戦えるよう引き離した。
鎧の巨人は目蓋の無い両眼で、猛進するエレンを見据える。
《エレン……俺達はあくまでアニを取り戻しに来ただけだが……そんなに死にたいなら、もう一度味わわせてやる。お前じゃ俺に勝てない、って現実をな》
黒金で覆われた右腕を掲げるエレンに対し、ライナーは両腕を下ろす。打撃よりも投げや極めに対処するために。
しかしライナーの警戒とは裏腹に、エレンの拳は握られたまま素直に鎧の巨人の顔に叩き込まれた。
重厚な鎧を以てすれば殴られた程度で吹き飛びはしないが、それでも鎧は一度飛び退いた。
殴られた箇所が少しだけ軽くなった気がした。ライナーが指で触れば、かすかにだが顔の鎧にヒビが入っている。
《……なんの冗談だ、これは?》
憤り手指を離したライナーは、再度エレンに右拳を叩き込まれる。今度は確かに、殴られた場所が軽くなった。人の掌大の破片が数粒、鎧の顔から剥がれ落ちていく。数歩後ずさるライナーに、エレンは負傷を追求するように吠える。
《……いい気になるなよ。その【兵器】が俺の鎧を完全に砕くには、あと何発も殴らなくちゃいけねえ。さっきのはただの確認だ。もうお前にそんなチャンスは作らせねえよ》
ライナーは自分のうなじに、小さな衝撃を感じた。手で押さえるまでも無い。指でつつかれたくらいの小さな衝撃は、彼が気にするまでも無いほどに弱かった。その犯人の力もまた同じ。
《今度は『お前』か……分かるだろ!お前の刃は俺に通じなかった!ただの人間の『お前』に何が出来る!?》
『私』は鎧の巨人の正面に躍り出て、持ち替えた【異形の刃】を水平に番える。『私』は抱いていた。五年前に焼き付いた鎧に閉ざされた瞳、それに抱いた一つの違和感を。それは、鎧の巨人が一度も瞬いていないこと。
鎧の巨人の左目に刃を突き立てる。眼球を覆う硬質な網膜を、剣は容易く貫いた。
(入った!この皮膜が瞼の代わりなんだ!鎧と比べて一際色合いが違うと思ったが、それを貫けるなら……!!)
丸薬による精密な動作で眼球を縁取るように刃を走らせて、
「あああああああああ!!!」
『彼』は怒号を飛ばしながら両手で剣を掴んで上へと引き上げ、鎧の巨人の眼球の殆どを引きずり出した。吹き出る鮮血は『私』に付着する前に蒸発してゆく。
(勝てる!この剣でなら、鎧は駄目でも、お前の眼は貫ける!!)
鎧の顔を蹴り飛ばして空に浮かぶ『私』は、鎧の巨人が左目を押さえる様を見て奮い立つ。
壁の砲撃部隊は変わらず周囲の巨人を遠ざけ続けている。今この人数だけで敵に立ち向かうには、これ以上無いほどに好条件だった。
(最強の兵士と人類の希望……ライナー……ここで、《お前》を断つ!)
ハンジの分析通り、確かに重厚な鎧は一見全身をくまなく守っているかのように思われる。本当にそうだとしたら無敵の要塞となれるが、だとすれば一切身動きが取れなくなる筈だ。
エレンを拐った時に鎧の巨人は速度を上げるためにひざ裏の鎧を剥がしたが、今は鎧を剥がした予兆は無い。
しかし『彼』の狙いは変わらない。
鎧の巨人には黄土色の硬い皮膚の隙間を走る赤身がある。前回ミカサはその赤い膝裏を斬ることで動きを止めた。当然今はただで斬らせてはもらえない。鈍重とだが動く鎧は繰り出す殴打と蹴撃で絶えず身体全体の隙間を忙しなく開いては閉じる。
しかし『私』には丸薬の力がある。丸薬により遅延する視界の中で、エレンの拳を掻い潜りカウンターを決める鎧の右腕を、伸びきった脇の下に【異形の双刃】をあてがいすれ違う。
手応えを覚えて振り向けば、完全な切断には至らなかったが、明瞭に鎧が右腕の重さに狼狽えていた。
その重さを振り払うかのように、鎧の巨人は右肩から急突進し脇を閉じる。両腕を広げ捕らえようとしたエレンは、空へ鞭のように跳ねる鎧の腕に弾かれる。
(今ので分かった。直接殺傷には至らなくても、動きの選択肢を封じて追い詰めることはできる!同じだ。思い出せ。王都地下でのあの殺し合いのように!エレンが確実に勝つために繋げるんだ!)
鎧の巨人は、いよいよ『彼』を無視できなくなっていた。鎧は不意に消える『彼』を地面にやっとこさ見つけたかと思えば、体重を乗せたエレンの文字通りの鉄拳の直撃を受けた。細かな破片が飛び散り、鎧の巨人は頭を左右に振った。水でも掛けられたかのように、微小の粒子がちらついて煩わしいのだろう。
数歩よろめく鎧の隙を逃さず、『私』は再度丸薬を喰らい、鎧の腰にある左広背筋の付け根を切り裂く。
(肩に繋がるこの部分が支えを失えば、後はエレンの攻撃で仰け反らせて地面に倒せる。対人格闘の時と同じだ。巨人の骨肉の仕組みは人間と同じ。地下でエレンに渡したあのマニュアルだってそうだ。自分よりも強大な敵をいかに打ち倒すか……そのためだけに『私』が書いた。アニ……エレン……君達と学んだ知識は、今ここで確かに活きている!)
もうじきエレンが次の一撃を仕掛ける頃と踏んでトリガーを強く握る『彼』だったが、その一撃はまだ来ない。不思議に思った『彼』はガスの向きを変えて瞬時に鎧の正面に回り込めば、その異変の原因が即座に分かった。
鎧の巨人は腕を掲げていた。空き手の右ではなく左手を。アニの入った水晶を、エレンの眼前に掲げている。
《やっぱりな。お前らが頑なに守ろうとしてるアニを、お前らが攻撃できる筈がねえ。……正直、『お前』にここまで追い詰められるとは思わなかった》
エレンの一瞬の躊躇に乗じて、鎧は回し蹴りを繰り出してエレンを地から浮かせる。その下衆さに『彼』は思わず罵る。
「この……クソ野郎」
《エレンが悠然と巨人化の実験で変身の回数を二回に増やす中で、ベルトルトと俺は一日に一度しか変身出来ねえままだった。これ以上ちょこまかと『お前』に惑わされて、消耗するわけにはいかねえ》
《ウオオオオオオ!!》
鎧は吠えた。高まる音に押さえた『彼』の耳の向こうから、別の音が聞こえた。何かが高く空を横切る音だ。奇しくもそれは、ウトガルド城で飛んでいったあの音と同じだった。
「二人とも北に退避!!投石が来る!」
発した言葉に数秒の猶予もなく、7メートルはあろう巨岩が空から降ってきた。砕いて破片が散らばらないよう、エレンは両手で衝撃を殺して受け止める。エレンが後ろへ岩を投げ捨てるその隙を逃さず、鎧の巨人が拳がエレンへ振り抜かれる。エレンの下顎が砕け散り、エレンの動きは止まった。
投擲の方角を見れば、『彼』には大きく後退させた筈の獣の巨人が、両腕を掲げて歓喜するのが見えた。
そして『彼』の視界の端を転がる、アニの水晶も。
(鎧が左手からアニを離した!ここで勝負を決めるつもりか!)
「獣の巨人……憲兵団の精鋭でもダメだったか」
「エレン!起きて!!鎧が来る!」
振りかぶった鎧の巨人の左手首を斬りつけて、加速に巻き込まれる前に『彼』は即離脱する。
ベルトルトと斬り合う中で叫ぶミカサの呼声もむなしく、エレンはまだ復帰しない。多少威力が下がろうとも、鎧の持ち前の重ねられた質量は健在だ。鎧の左手の殴打が再びエレンに命中し、エレンは大きく後ずさる。その苦境を見てベルトルトは、またとない好機を実感する。
[『君』はきっと、浮かれていたんだろ。僕がミカサと戦うので精一杯だろう、って。確かにそうだ。ミカサは手強い。でも、僕は一人じゃない。アニは何も出来ないかもしれない。それでも、今僕達戦士は皆揃っている。皆が一緒にいる。それだけでも僕は、勇気が湧いてくるんだ。ただ一人の兵士に過ぎない筈の『君』に、僕達の覚悟を思い知らせるべきだ、って]
ミカサは未だ無傷だが、ベルトルトを押さえるので手一杯だった。ベルトルトはここぞとばかりにミカサと切り結ぶのを避け、エレンのうなじを執拗につけ狙い始めている。助けに行きたいが、『私』は気がかりだった。次の投石がいつ来るのか。耳だけでは伝えるのが遅れるかもしれない。
いずれにせよ、このまま獣による援護が続けば、力の均衡が崩れるまでそう長くはかからない。それだけは確かだ。
「誰かが獣を止めないと!……『私』が───」
「駄目!私達二人じゃ手が足りない!」
「僕達の勝ちだ!!」
宣告するかのようにベルトルトが言葉を叩きつけた。
《まだ右手の力が万全じゃねえ。……だが構わん。次は、両手でやってやる。俺の鎧の重さを全部乗せた、この両手で……》
鎧の巨人は僅かに身体を前傾し、大きく両腕を引いた。弓を引き絞るかのように両肩を震わせ、ギシギシと鎧が軋み音を立てていく。身体の内側へと丸め込まれた手や肘、膝も隙間を埋めて、最早『彼』の刃を通す幅すらも無い。駄目元で『彼』はもう一度鎧の右目に【異形の刃】を突き立てて潰すが、不動のエレンを相手に今さら目を潰された所で方角を惑わされる筈もなく、着実に鎧の腕に力が充填されていく。
(このままだと、下顎どころじゃない。エレンの身体がバラバラに弾け飛んでしまう。もう一度巨人化させても、腕甲を装備させる隙を作れるのか……?)
せめて獣の動向を探ろうと、『彼』は鎧の頭を乗り越える。既に獣の巨人は、右肩に巨岩をもう一つ番えて、右膝を大きく沈ませていた。発射まで秒読みだ。
再度知らせるべく大きく息を吸い込んだ『彼』だが、その息を思わず飲みかけた。『彼』には見えたからだ。獣へと近づく、幾人かの兵士の姿が。
涼しげな頭を持つ一人の調査兵が、目を血走らせて獣の巨人に斬りかかる。『彼』の鋭敏な耳にはハッキリと聞こえた。コニー・スプリンガーの激昂が。
「お前の相手は俺達だ!!」
サシャ、ジャン、シャーディス教官までもが、コニーの檄に呼応して獣の巨人へ斬り込んでいく。瞬く間に右腕を満遍なく斬られた獣の巨人は岩石を足元に落とし、間の抜けた声を上げながら一度大きく跳び跳ねた。
コニーの勇気に打ち震える『彼』に、ミカサの警告が聞こえた。
「大丈夫!獣の投石は止ま───」
突如『彼』の足場が大きく北へと動いて、さらに大きくはね上がり、『彼』は背中を打って空へと打ち上げられた。舌を思い切り噛んだ『彼』が生温かい鉄の味を口に含んで見下ろせば、エレンの巨人が鎧の両腕を躱して、顎に渾身のアッパーカットを食らわせていた。細かく砕けた鎧の破片が『彼』へと巻き上がってくる。
空を見上げる鎧の巨人の顔には、確かにヒビは入っているが、口はしっかりと閉じられている。
抗する策が何かあるハズだと、『彼』は丸薬を噛み潰し、口内の血液ごと飲み下しながら逡巡する。
(エレンの力でも正面から鎧の外皮を完全に破壊できない。普通に腕甲の仕掛けを使っても有効打にはならない。……鎧の中身は普通の巨人と同じ。届かせるには……そうだ!これならきっと───)
嘗て憧れた男の名を、『彼』は叫んだ。
「ライナアアアアアア!!!」
一度開かれた右目の点穴に、『彼』は再び刃を突き込んだ。刃どころか腕全体を、それどころか肩はおろか頭まで押し込んで、下を目指して刃を螺旋のように掻き回す。
緩やかに再生してゆく肉に挟まれそうになりながらも、頬の内側の腱に、『彼』の刃は届いた。鎧の巨人の左顎は弛緩し、片側だけだが開口を許した。『彼』は急いでねじ込んだ身体を引き抜いて離脱する。肩から手にかけて、蒸発しない血で塗れさせながら。
「こんな筈では」とでも言うかのように、鎧の巨人は激しく吠え声を上げた。
《ヴオオオオオオオオオ!!!!》
「ミカサ!鎧の腕を!」
口を覆うべく開かれた鎧の右腕、その露出した赤身を内肘に至るまで、ミカサが切り刻む。どんな兵士にも不可能な絶技。
『彼』も呼応するように怒涛の連撃を鎧の伸びきった左腕に叩き込む。
早熟にして尚早な技だったが、これまでの日々が、75日に渡る戦いの軌跡が、丸薬の力の後押しがあったとしてもほんの刹那、『彼』の技量を最強の同輩と同じにまで並び立たせた。
鎧の両腕は力を失い、攻め手を減らされた鎧は悪あがきにもエレンに蹴りを入れる。
「エレン!!」
エレンの右腕に跳び移った『彼』は、音響弾を一つ鳴らした。エレンは数秒の間右腕を静止し、『彼』がある攻撃の引き金を引くのを待つ。跪いて、『私』は人の手で辛うじて引ける大きさの信管に手を掛ける。
(この機を逃さない!これでヤツを───)
『彼』の背中に、何かが触れる感触があった。
それは冷たくて、とてつもなく細い。
その冷たさが身体を通り抜けて鮮烈な熱と痛みに変わる頃には、『私』の腹は1本の刃に貫かれていた。
【体から急速に熱が失われていく】
『私』の口からも、身体からも、血は垂れども吹き出てこなかった。戦士としての無欠の殺しの技だった。
【寒い。寒い】
しかし有無を言わさず『私』は左手を引っ張り上げて、右腹斜筋へとずれそうになる冷たい感触を、背面タックルで打ち消してやる。『私』が振りかぶった頭は固いなにかに当たった。そして生温かい雫が数滴髪に垂れるのを感じた。低く呻いた声からベルトルトだと確信したが、まだ勢いが足りない。腹に刺さった刃が、ほんの数ミリ右手側へずれていく。
(このままでは死ぬ。信管は……諦めないと)
【もはや何もできないのか。何か…何か…】
丸薬で限界まで早まった思考は、大昔に微睡んでいた時に感じた、いつぞやの冷感を思い出していた。
口惜しくも『私』が右手の【異形の刃】を逆手に持ったとき、唐突にもう一つの異なるベクトルを持つ力が、『私』の背中にいる敵へ向かうのを感じる。
腹から冷たさが消えていく。刃が引き抜かれた。
振り向くとそこには、誰よりも勇敢な同期がベルトルトに組み付いていた。血が混じり粘り掠れる声でその者の名を『私』は叫ぶ。
「アルミン!!!」
「僕はいい!早く『信管』を───」
「また邪魔を……!」
ベルトルトの殺意はアルミンへ向いて、ブレードはミカサの剣撃に迫る高速でアルミンを縦に両断しようとする。
『私』は『信管』の先を口に噛んで食い縛り、両手で【異形の刃】をベルトルトの右脇腹に突き刺した。
「んんんんんんん!!」
叫びを口で結わえて、全力でガスを噴かしてアルミンを死から遠ざける。突撃の勢いはアルミンを引き剥がし、衝撃は【異形の刃】を引き抜かせベルトルトを鎧の巨人の方へと突き飛ばした。プツン、と『私』の歯に軽い振動が伝わる。
咥えていた信管は引き抜かれた。仕掛けは動きだし、エレンの右腕は蒸気と駆動音を上げて定められた機構を実行する。
「っっエレン!!!」
叫ぶ『私』には見えた。
巨人の右前腕を覆い隠すほどに巨大な一つの矢じりに変形した腕甲は、巨人の体内に通う熱で紅く染まっていく。『信管』の目的はもう一つある。内蔵されたモノに巨人の熱を伝えない衝立のため。中身は鉄などではない。殴打の加速のための氷曝石と、これでもかと詰め込んだ爆薬だ。
鎧の巨人の両腕の回復は追い付いてない。せめて、と鎧は首を捻るが、エレンの左手が掴んで離さない。
この場にいる誰もが分かっていた。
一度食らいついたらエレンも、『私』も、最後まで敵を放しはしない、と。
半開きの顎に、引き絞られ赤熱する右腕は叩き込まれた。
ーーーーー
『この【兵器】は一度信管を引き抜いたら、跳ね戻るかのように本来の形に戻ろうとする。本来の形とは則ち我々のアンカーに似たモノなのだが、ともかく後は右腕を思い切り叩きつけてやればいい。一発限りだが絶大なその威力から、私はこう名付けた。名は───』
ーーーーー
それはまさしく、【紅蓮の弓矢】だった。
ハンジの言葉の通り、その威力はたった一度の実地で証明された。
鎧の巨人の頭蓋は、一点に込められた圧倒的な斥力に耐えきれず爆散した。爆風の余波を翳した手で防ぎながらも、吹き付ける爆風に煽られ地に降りた『彼』は、その壮観から目が離せなかった。
五年前に『彼』を睨んだ、父母の仇。『彼』の憎悪の象徴は、木っ端微塵に消し飛んだのだ。鎧は蹴り上げた足を、重力に従わせて落下させる。わずかに地を震わせて、脅威は静止する。
(本当に……やったのか?)
司令塔を失った鎧は、ゆっくりと、じつにゆっくりと倒れていき、空を仰いで重苦しい地響きとともに身体を横たえた。『彼』は呆然と、両膝を付いた。
あの日から5年と75日。『彼』が望んでやまなかった、『二度目の勝利』である。
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(勝った。遂に。鎧の巨人に、勝ったんだ)
すっかり沈静化した鎧の巨人を見つめると、身体の内側から突き破らんばかりに鼓動が激しくなる。一拍脈打つ度に血が沸いてくるかのように、みるみる身体が熱くなっていく。唾を飲み込んでも、胃に届く前に乾いてしまう。
「あ……あぁ……」
沸き上がる血に思わず腹に手を当てる。湯だつほどに熱い血を感じるが、ベルトルトの攻撃は内臓には当たっていない。安堵したのも束の間、凄まじい痛みが全身を駆け巡る。激痛は拍動に合わせ楔を『彼』に打ち込むかのように打刻を繰り返す。丸薬の効果が切れたのだ。
(刃が背中に触れた瞬間、身体の向きを僅かにずらして急所を全て避けた。丸薬の力が無ければ、確実に死んでいたよ)
『彼』は、確かにベルトルトの接近を感知していた。『彼』の耳が聞き逃す筈がない。否、ミカサの標的を鎧へ変えた時点で、『彼』が狙われるのは明らかだった。しかし刃が背に当たる直前まで、それを認めずに『彼』は信管を引き抜こうとしていたのだ。冷静に戦局を見渡すことを重視する『彼』がなぜにそんなことをしたのか。
エレンやミカサの勇気に触発されたからなのか。鎧の巨人を前にして、また我を忘れかけていたからなのか。丸薬の力があればどうとでも切り開けると思っていたからなのか。
それとも、自らの命を差し出すことが、鎧の巨人を倒すために捨てるべき、【大事なもの】であると信じたかったからなのか。
(もう、そんなことはどうでもいい)
『彼』は徐に片方の【異形の刃】を杖代わりに、腹部から伝わる痛みに耐えながら、一歩鎧へと近付く。踏みしめた地の草花が蒸発してしまいそうなくらい、『彼』の身体は歓喜の熱に打ち震えていた。一歩、また一歩と近付いていく。踏み出す度に巻き起こされる微弱な風が腹の傷を撫でる度に、『彼』は苦悶で叫びだしそうになる。それでも口角は裂けんばかりに吊り上がり、頬は上気し、目は細められて更なる悦びを著そうと必死だ。
(痛みなんか気にしてられない。こんなもので止まるわけにはいかないんだ。『私』を、『私』の代わりに死んでいった人達に比べればこんなもの────)
鎧まであと五、六歩のところまで歩いたあたりで、『彼』の身体は圧迫感を覚えた。誰かに両腕を巻き付けられている。振り向くとそこには、アルミンがいた。必死にしがみついて小さく呻き声を上げているあたり、『彼』は相当強い力で進んでいたのだろう。地面を見ると、アルミンの踵で轍が出来ていた。
「なにを……しているの?」
「ヤツにトドメを刺す。頭部を再生させている予兆も無い。……やるなら今しか無い。引きずり出してヤツを───」
「今はアニを運ぶことが先だ!気持ちは分かるけど、堪えてくれ!」
「まだベルトルトがどこに潜んでるか分からない。鎧の方へ突き飛ばしたけど爆発で殺せたかどうか……とにかく殺すなら今しか───」
「エレン!」
鎧を打倒したことに気を取られて、『彼』の耳は拾っていなかったのだ。エレンの巨人もまた力尽きて倒れていた。うなじから蒸気を噴き上げていて、ミカサが懸命にエレンを引きずり出している。
「……僕達には優先すべきことがまだある。今は彼らを殺すことより、戦意を挫いて帰ってもらう方が都合が良い」
壊れたぜんまい仕掛けのように、『彼』は同様の言葉を繰り返していた。
「でも……やるなら今しか……ヤツを殺せる好機なんて、今以上に来ないかもしれない……」
「もう僕達には刃もガスも殆ど残ってない。もしものことがあったら『君』を援護できない」
「必要ないさ。ヤツを殺す。そのために『私』は今日まで生きてきたんだから」
「オイ!あれを見ろ!」
コニーの指摘した方へ『彼』らは向いた。そこには何十体もの巨人が走ってきていた。咆哮は聞こえなかったが、恐らく獣の巨人の最後の一手なのだろう。もしも敗北した場合の奥の手。疲弊した『彼』らへの、数での圧倒。
「どうやら本当にそれどころじゃなさそうだぜ」と、ジャンは『彼』の背を叩く。叩いた拍子にジャンの掌には、べったりと血が付いた。
「『お前』、とんでもねえ量の血じゃねぇか!おいサシャ!早く止血帯持ってこい!……すぐ壁内に戻るからな!辛抱しろよ!」
「『私』のことはいい……教官はどこに。『私』と彼でならまだ鎧を……」
「教官は獣との戦いで満身創痍だ。とっくに壁まで撤退した。クソ……『お前』は俺達の分まで無茶しやがって……」
『彼』の願望に反して、『彼』は鎧の巨人から足早に引き離されていく。既に『彼』は兵士数人に引きずられてしまうくらいに、力が抜け始めていた。
それでも『彼』が抱いた鎧の巨人への殺意だけは、矢のように仇へと向いて逸れやしない。
(いつか……今日が駄目でも、いつの日か必ず【お前】を……)
巨人どもの打ち鳴らす地鳴りは、もうすぐそこまで迫ってきていた。