英霊の稲荷様 作:名無しのペロリスト
<間桐雁夜>
このところ、ずっとまともに眠れなかった。
だが今日は、久しぶりにぐっすりと熟睡できた気がする。
しかし日頃の睡眠不足や、疲労が溜まっていたようだ。
目覚めたのは、次の日の昼近くになってからだった。
俺は眠い目を擦りながらベッドから身を起こし、何となく大きく伸びをして体を軽くほぐす。
こんなに清々しい気分は久しぶりだ。
親を失った直後としては異常だが、間桐臓硯のことは元々嫌悪していたし、逆らうこともできないので逃げるしかなかった。
そんな長年縛りつけられていた間桐の宿命から、俺は解放されたのだ。
自分だけではどうにもならない鎖に縛られ、たとえ反旗を翻しても返り討ちに遭う。
たとえ自分の命を燃やし尽くしても、桜ちゃんを助けられる保証はなかった。
だが運命の悪戯か、召喚したサーヴァントが間桐臓硯を焼き殺す。
しかも、それだけではない。
俺と桜ちゃんに寄生していた蟲を一匹残らず燃やし尽くし、肉体を万全の状態に回復させた。
正直、一晩経った今でさえ信じられない。
そんな英霊も存在するかも知れないが、極稀だ。
そして間違いなく、相当高位のサーヴァントだろう。例えるなら、神霊に限りなく近い存在がそうだ。
それはそれとして、間桐臓硯が亡くなった。
身辺整理が忙しくなりそうだが、俺にとっては天敵なような存在だったのだ。
結果を見れば悪くはないどころか、状況は良くなっていると言える。
だが一度は魔術から逃げ出した身だし、聖杯戦争を勝ち残ったあとも気は抜けない。
今後を考えると、どうにも気が重くて頭が痛くなってくる。
「だが俺が魔術師から逃げ出したのは、間桐臓硯が恐ろしかったからだ」
そう言って意識を集中し、新たに補強された魔術回路に魔力を流す。
小さな魔法陣が現れて、指先に青い火が灯る。
稲荷に教えてもらったように、今度は温度を調整した。
全く熱くはないが、本物の火のように揺らめいている。
「困っている人を助ける魔術師なら、目指しても良いな」
しかし間桐臓硯は、昔は高潔だったと聞いたことはある。
俺が正義の魔術師を目指しても、いつかは憎むべき敵と同じ末路になってしまうかも知れない。
「だが、遠坂時臣のようにはなりたくないな」
家訓の常に優雅たれを忠実に守っている魔術師で、桜ちゃんを間桐臓硯に売り渡した張本人でもある。
あんな男のようにも、なりたくはなかった。
しかし稲荷は、死してなお己の正義を貫き、困っている人を助けていた。
俺も心を強く保てば、進むべき道を見失うことはないだろう。
「けど、それが出来るのは一握りの英雄だけなんだよな」
天才ではない凡人の自分には困難な道だし、現時点で魔術を目指す理由は聖杯戦争に勝利し、間桐の子になった桜ちゃんを守ることだ。
「本当にどうしたものかな」
結論は出なかったが、それでも一先ず気持ちの整理がついた。
俺は狐火を消して大きく息を吐く。
するとタイミング良く部屋の扉が開いて、可愛らしい少女が姿を見せた。
「……桜ちゃん?」
昨日よりもずっと元気そうな姿を見られて、思わず顔がほころぶ。
とにかく桜ちゃんに挨拶しようとしたが、そこでギョッとして固まる。
何故なら彼女は、何処から迷い込んだのか虎サイズの大型犬に乗っていたのだ。
(ただの狼じゃない! 何だか知らんが! とにかくアレはヤバい!)
具体的には何が危険なのかはわからないが、俺の魔術師としての本能が警告しているのは確かだ。
しかし桜ちゃんは、冷や汗をかく自分とは違い、至って平気な顔をしている。
そして俺の無事を確認できて嬉しかったのか、にっこり笑顔で大きな声を出す。
「お母さーん! 雁夜お兄さん起きたよー!」
「そうですか! では食事を温めないとですね!
あっ! 狼は私の眷族……いえ、家族ですから!
敵ではないので攻撃しないでくださいね!」
遠くから稲荷の声が聞こえてきた。
敵ではないと教えられて、心底安心する。
だがそれはそれとして聞いておきたいことがあるので、大きな声で尋ねる。
「稲荷の眷族ということは、もしかして神獣か!」
「ええと! うちの子は神獣なんでしょうか!」
「俺に聞かれてもわからんよ!」
どうやら自分でも良くわかっていないようだ。
だがその対峙しているだけでただならぬ雰囲気を発しているし、尋常ならざる存在なのはわかる。
彼はこちらに敵意を向けていないので、注意深く観察しないと気づかないが、稲荷よりも格は落ちるが神性を持つ獣なのだろう。
しかしここまで考えたところで、俺のお腹が空腹を訴えて鳴った。
今はあれこれ思い悩むよりも、食事を摂るのが先だと切り替える。
取りあえずベッドから立ち上がり、桜ちゃんと狼も連れて台所に向かうのだった。
稲荷は、俺と桜ちゃんに卵粥を出してくれた。
卵以外にも、季節の野菜や食べやすくほぐされた鶏肉などが入った、消化が良くて栄養満点の料理だ。
肉体は回復したが病み上がりには違いないので、しばらく様子を見て少しずつ慣らしていくらしい。
しかし、蟲に寄生されていた頃は殆ど食べることができなかった。
再び普通に食事ができて、美味しいと感じられることに涙が出てしまう。
桜ちゃんも気に入ったようで、夢中でレンゲですくって小さな口に運んでいる。
ただ舌を火傷したのか熱そうにしているので、稲荷がコップに冷たいお茶を注ぎ入れてどうぞと渡す。
そういう心優しい気遣いが、お母さんと呼ばれる原因なのかも知れない。
だが自分は今食事に集中しているので、わざわざ口にはしない。
そんなバーサーカーが、コホンと咳払いをする。
「食事の途中ですが、二人に話しておくことがあります。
食べながらで良いので、聞いてください」
俺と桜ちゃんは、稲荷の話を聞きながら、レンゲで卵粥をすくって口に運ぶ。
「私が聖杯戦争に参加する目的ですが、一言でいうと世界の滅亡を防ぐためです」
「モグモグ……世界の滅亡とは、穏やかじゃないな。
もしかして、負けると世界が滅びるのか? それは何故だ?」
食べながら喋るのは、行儀が良くない。
しかし、それだけ稲荷の料理が美味しいし、久しぶりの食事なのもある。
修復されたばかりの胃腸も元気いっぱいで、今は少しでも栄養を取り込みたいのだろう。
「残念ながら、聖杯戦争が世界滅亡の鍵になっていることしか、わかっていません」
「どうにもはっきりしないな」
「なので、滅亡の原因を究明するためにも、まず勝ち残ることが大前提なのです」
現時点では聖杯戦争の何が、世界滅亡のキッカケになるのかわからない。
もしかしたら稲荷のようなイレギュラーな英霊が召喚されて、そいつが暴れ回ったり、地球を滅ぼすほどの宝具を持った者が居たり、もしくは勝ち残った者が聖杯に世界の破滅を願うなど、色々な予想が立てられる。
だが原因を究明するためには、途中でリタイアするわけにはいかない。
マスターの俺も、彼女に協力しても良いと判断する。
「俺は稲荷に助けられた身だ。
それに世界が滅びると聞いて、黙って見ているわけにはいかない。喜んで協力するよ」
「ありがとうございます。マスター」
バーサーカーは微笑みながらお礼を言うと、話を聞いていた桜ちゃんも大きな声を出す。
「私も! 私もお母さんのお手伝いをする!」
「桜ちゃんも、ありがとうございます」
桜ちゃんは幼い子供だし、聖杯戦争はとても危険だ。
嬉しいが、気持ちだけ受け取っておく。
稲荷も同じようで、微笑ましく見つめているだけで、以降は口を出さない。
「そう言えば稲荷は、聖杯を手に入れたら何を願うんだ?」
何となく気になったので尋ねてみると、稲荷はすぐには答えられないようだ。
しばらく考え込んで、やがて口を開いた。
「考えていません」
「そうなのか?」
「ええ、急に呼ばれましたし。
聖杯戦争を勝ち抜いて、世界の滅亡を止める以外に、特に目的はありませんね」
無欲と言うか何と言うか、そういうサーヴァントも居るようだ。
今度はこちらが驚いた。
「ですが、もし叶うなら、平穏に暮らしたいです」
「それはまた、何と言うか。……変わった願いだな」
大抵の英霊は、未練を残したまま亡くなる。
戦いの中で死ぬことが多いし、生前果たせなかった願いを叶えようとするのが普通だ。
(生前は世界平和を求めつつも、望まぬ戦いに巻き込まれたとか。そんなところか)
俺は大体の予想を組み立てたが、平穏に暮らしたいと願うサーヴァントを見たのは初めてだ。
まあ他の英霊も見たことはないけど、伝説や伝承は多少なりとも知っている。
「お母さんは平穏に暮らせなかったの?」
桜ちゃんが率直に尋ねる。
稲荷は少しだけ考えて、質問に答えていく。
「かれこれ五百年程経ちましたが、平穏に暮らせていたとは言い難いですね。
事あるごとに呼び出されていますし」
そう言って彼女は、マスターである俺の顔をじっと見てくる。
たとえ生前のこととはいえ、何だか居た堪れなくなってしまう。
「何と言うか、すまん」
「いえ、別に責めているわけではないですよ。
世界の危機は見過ごせませんし、私も納得はしています」
だが稲荷は納得はしても、受け入れてはいないようだ。大きな溜息を吐いた。
そして俺と桜ちゃんが卵粥を食べ終わったことに気づいた彼女が、おかわりはいりますかと尋ねたので、二人揃っておかわりを頼む。
しかし、つくづく変わったサーヴァントだ。
彼女の説明は、やたらとスケールが大きい。
嘘や誇張表現が入り混じっているのは間違いないだろう。
俺が知っている英雄や神々とは、あまりにも違いすぎるのだ。
(真名は稲荷神と言っていたが、きっと数ある伝説の一つなのだろう)
大抵のサーヴァントは、数々の伝説を残している。
そして今回はバーサーカーのクラスで顕界したので、狂戦士の伝説が寄り集まったのが今の彼女なのだろう。
(その割には理性的過ぎるような気がするが、そもそも召喚に失敗してるしなあ)
狂戦士らしくないバーサーカーが呼び出されても不思議ではなかった。
そして彼女は己の名前以外は、あまり自分のことを語りたがらないようだ。
だが真相は不明でも、頼りになる相棒には違いない。
それに話したくないのに無理やり尋ねて、機嫌を損ねるのも良くなかった。
そのうち気が変わって、教えてくれるかも知れないのだ。
今はサーヴァントとマスターの信頼関係の構築に、専念するほうが良いだろう。
割烹着を着用し、焦がさないように卵粥を温めている稲荷の背中を見ながら、俺はそう思った。
ここであることを思いつき、彼女に告げる。
「聖杯戦争が世界の滅亡を招くことは、俺たち以外には喋らないほうが良いぞ」
「何故ですか?」
「誰が味方で敵かを判断できないからだ」
「なるほど、確かにそうですね」
どうやらわかってくれたようだ。
どのようにして世界が滅亡するかは不明だし、誰が敵で味方なのかも同じである。
俺と桜ちゃんは、もちろん彼女の味方だ。
しかし他の奴らが、破滅願望を持っていないとは限らない。
そういう者はずる賢く、味方のフリをして近づいて、最悪の場面で裏切る。
それに多くの人に話すと情報漏洩の危険が高まり、黒幕に気づかれて警戒されてしまう。
少なくとも聖杯戦争中は、他の陣営は全員敵だと思うべきだ。
もっとも良いのは他の誰にも打ち明けずに、順調に勝ち抜きながら手がかりを探すことだろう。
そのようなことを稲荷と桜ちゃんに説明すると、気をつけることを約束してくれたのだった。