「ねぇ、このあたり様子がちょっとおかしくない?」
次の日、さらに森の奥へ進んだ俺たちは、明らかに他とは空気感の違う場所に足を踏み入れた。賑やかだった森のざわめきは完全に途絶え、草木はなぎ倒され、砕かれた岩石が散乱している。湿った土からは鼻を突く硫黄の臭いが漂っていた。
さらに奥に進むと樹齢数百年を超えるような巨木が、まるで紙細工のように根本から圧し折られ、地面には巨大な溝が深く刻まれている。
(……これは、巨大な質量の生き物が地を這った跡だ)
「シャルル、あれ見て……!」
ティムが指差した先には、フォレストベアの死骸があった。それは噛み切られたのではなく、凄まじい力で噛み砕かれ、すり潰された無残な傷痕だった。
「......なるほど、正体がわかった。すぐに逃げるぞティム、これは今の俺様とティムだけで手に負える相手ではない」
急いで撤退の準備を始めた、その時だった。
ズゥゥゥゥン……。
地響きがした。 心臓を直接揺さぶるような、低く重い震動。 前方にある「山」だと思っていた巨大な茶褐色の岩盤が、ゆっくりと、せり上がった。
「……岩ではない。やはり予想通りだ」
土煙が舞い、木々が弾け飛ぶ。 現れたのは、全身が多層構造の鋭利な岩石鱗に覆われた、山脈の化身。 四足の巨体に、棍棒のような太い尾。そして、ダイヤモンドをも噛み砕くであろう巨大な顎。
――岩石竜(ロック・ドラゴン)。
その黄金の眼球が、侵入者である俺たちを捉えた。
「グオォォォォォォォン!!」
咆哮とともに、生成された岩石が弾丸のような速度で飛来する。
「ひ……あぁ……っ!」
ティムはなんとか魔術を展開し、その攻撃を相殺するが、腰を抜かし、尻餅をつく。目の前の存在は、これまで戦ってきたラットウルフなどとは次元が違う。生物というよりは、歩く天災そのものだ。
「本来、岩石竜は穏やかな性格で知能も低いためBランクに分類される。だが、純粋な戦闘能力だけならAランクに相当する魔物だ。……なぜここまで好戦的になっている? チッ、大方誰かがちょっかいでも出したか」
岩石竜が巨体を揺らし、前脚を振り上げる。その一撃が振り下ろされれば、俺たちの命など道端の虫も同然に潰えるだろう。
「ティム!! 立て! 絶望している暇などないぞ!」
「無理だよ、シャルル……あんなの、勝てるわけないじゃん……っ!」
「勝てとは言っていない! 生き延びろと言っているんだ!」
俺様はティムの頬を前足で強く叩いた。
「俺様がこのトカゲを足止めしてやる。その間に、死に物狂いで森を駆け抜けろ! ギルドに報告し、冒険者を連れてこい!」
「シャルル……? 何を……」
「行け!師匠の命令が聞けんのか!!安心しろ、俺様も隙を見てすぐそちらに合流する!」
ティムは戸惑いを見せたが、すぐに立ち直り走り出した。俺様は岩石竜の正面に立ちはだかり、黄金色の魔力を青白い炎へと変えて噴き上げさせた。
「……どこを見ている、土塊の化け物め。貴様の相手は、この大魔術師シャルル様だ!」
岩石竜の巨大な爪が、空を裂いて振り下ろされる。 俺様は前足で虚空を切り裂き、最も得意な雷魔術の術式を刻み込んだ。
「【雷獣の鋭牙(ライトニング・ファング)】!」
バヂィィィィィン!! と火花が散り、岩石竜の攻撃を真っ向から相殺する。だが、やはりこの体では今一つ威力が足りない。相殺しきれなかった攻撃の余波に吹き飛ばされ、俺様の体は無様に地面を転がった。
「ガハッ……! ……行け、ティム! 振り返るな!!」
泥にまみれながらも、俺様は叫ぶ。背後で泣きながら走り出すティムの気配を遠くに感じながら、俺様は震える足で立ち上がり、再び魔術の構築を開始した。
* * *
数分後。俺様は満身創痍で地に伏していた。 魔力は底をつきかけ、体は立つのが精一杯だ。たった数分の足止めで、これほどの有様になるとは。
岩石竜も無傷ではない。爪は折れ、腕の一本は機能せず、至る所に傷がある。しかし、奴は依然として元気に雄叫びを上げ、俺様を睨みつけていた。
(……ここまでか。もう、ダメだな)
全盛期なら一撃で屠れたはずの相手。だが、この小さな器では致命傷を与えることも、逃げる隙を作ることすらできなかった。
全く馬鹿な話だ、愚かな話だ。ティムと一緒に戦っていれば結果は変わっていただろうか?いや、確かにティムには岩石竜を倒せるポテンシャルが十分にある。しかし、それはティムが真っ当に魔術師としての道を歩んだ数年後の話だ。
(そもそも、本来であればティムに構わず俺様も逃げれば良かったのだ)
昔の自分ならば、なんの躊躇いもなく逃げていただろう。だってこの世の中は自己責任なのだから。お互いにバラバラに逃げて、追いつかれて殺されたらそこまで、それはそいつの実力不足が原因だと。過去の自分ならそう言っていただろう。
馬鹿な話だ、一年も一緒にいない小娘に情が湧くなんて。なぜだろうか、昔の自分に似ていたからか?内気で、だけどお調子者で、飛び抜けた才能があるのに人生を諦めている、昔の自分にそっくりだったからか。
愚かな話だ、この体では岩石竜レベルの相手に逃げることも、ましてや勝つこともできないと分かっていたのに。だが、よくやった方だ。この体の能力値では本来、傷すらつけられるはずもなかったのに。
(120%どころではない200%の実力が出せたのではないか?誇るべき戦果だ、この体で岩石竜を追い詰めたのだから、本来あり得ない結果だ)
かつて七賢人と呼ばれた頃にこの実力が出せていれば、俺様は間違いなくエレノアなんかをゆうに超えて、間違いなく歴史を塗り替えるほどの最強の魔術師になっていただろう。
(大切なものの存在が強さにつながる...か。世迷言だと思っていたが、死に際に理解するとはな。)
岩石竜が最後の一撃を放とうと、魔力を練り始めた。俺様は静かに目を瞑り、死を待つ。 しかし、聞こえるはずのない声が聞こえ、思わず目を開けた。
「シャルル!!」
「馬鹿!なぜ戻ってきた、早く逃げろ!!」
絶叫する俺様に、駆け寄ってきたティムが叫び返す。
「シャルルは私の使い魔でしょ!私の体を私の魔力を使って!」
ハッと目が覚めるような衝撃が走った。そうだ。使い魔契約にある俺たちは、互いの魔力を通わせることができる。ティムの魔力と魔術回路を魔道具のように使えば、今の俺様でも全盛期の魔術を使うことができるはずだ。
「よく、よく気がついたなティム!いい発想だ!」
人間であった頃の感覚がまだ抜けず、自分では思いつかなかった考えだ。俺様は最後の力を振り絞りティムに駆け寄る。ティムも手を伸ばし俺様の手を握りしめる。
やっぱりそうだ、ティムの魔力と魔術回路に触れ改めて確信した。ティムには人間だった頃の俺様、いやそれ以上の魔術の才能がある。
これなら俺様の本来の力が出せるはずだ。ティムの魔力と魔術回路を使い、最も使い慣れた魔術を展開する。
「よく見ておけティム!これが七賢人、蒼雷の魔人と呼ばれた俺様の魔術だ!」
雷の魔術を構築する。俺様が歴代最強の雷魔術師と呼ばれた所以の魔術だ。雷は蒼く輝き、速さは音を超える。
「【蒼雷(アズール・ノート)】!」
蒼色に輝く雷は音を置き去りにして、光の道を作った。一瞬にして岩石竜の胴体には巨大な穴が開き、その光は空を突き抜けて消えていった。
「きれい……」と、隣から小さな声が聞こえる。遅れて轟く破壊音。山のような巨体が、崩れ落ちた。
それを見届け、俺様とティムもまた崩れるように安堵と共に膝をついた。
「は、ハハ、ハッハハハ!ティム見ろ、見てみろ倒したぞ、二人だけで有り得ない、有り得ない結果だ!ティム!誇るといい、お前という存在が俺様の想像を俺様の考えを凌駕したのだ!」
「......すごい、すごいよシャルル....」
上機嫌な俺様と裏腹にティムはどこか惚けた様子でで空を見上げている。これほどの成果だ、もっと結果を喜び、誇るべきだ。
「何を惚けている!岩石竜を倒したのだぞ、もっと喜べ!このレベルの魔物なら目標だった金貨十枚などゆうに超えた報酬がもらえるぞ!」
「え、ほ、ほんと?」
ティムはやっとことの凄さに気付いたのか、いつもの調子を取り戻し、感嘆の声をあげる。
「それだけの金があれば、ティム!お前の好きなステーキが食べ放題だぞ!」
「おお!!」
「しかも、岩石竜を倒したのだ、きっと街に帰れば英雄扱いされ、冒険者や町の住人からもチヤホヤされるに違いない!」
「おお!!!」
「さらに、これだけの成果をあげたんだ、きっとティムを仲間にしたいと考えた冒険者たちから仲間になって欲しいと猛烈なアプローチを受けるだろうな」
「おお!!!!」
ティムは元気を取り戻し、俺様を抱き上げる。俺様も気分が良く、二人は手を取り合い、その場でくるくると回りながら勝利を祝った。
* * *
結果として、報酬は素材代込みで金貨三十枚に達した。素材の損失が激しく、報酬が少なくなったとのことだが、魔術学校入学の費用としては十分すぎる額だ。
ホクホク顔で歩く俺様の隣で、ティムはどこか暗い顔をしている。その理由はわかっているのだが......
「おい、聞いたか?ウワサの新人、岩石竜を討伐したんだってよ」
「知ってる知ってる。しかもあの岩石竜に風穴を開けるぐらいの大魔術で討伐したんだろ?怖えぇ〜」
「ありゃあ、見習い魔術師じゃないな、若く見えるが別な地域で名を馳せた魔女とかだろ。俺たちより年上かもな」
ギルドの至る所からヒソヒソと噂話が聞こえてくる。
「ねぇ、聞いた?あの子岩石竜を痛ぶりながら、必要以上の大魔術で風穴開けて討伐したんだってー、魔物討伐が趣味のドSって噂本当だったのかなぁ〜?」
「なんか、名のある魔女だって噂聞いたよ?なんで冒険者なんてやってるんだろ?」
ティムは涙目になりながら袖を握りしめている。流石に可哀想だ。
『ティムは少し目つきが鋭いからな、誤解されているかもしれん。仲間ができるかもなんて期待の持たせる言い方をして悪かった。だが、いずれティムの良さを...』
そう言いかけた時、ドS魔女と呟く冒険者の声が聞こえ、思わず吹き出してしまった。ティムは涙目でこちらを睨みつける。
「シ、シャ、シャルルのバカぁぁぁぁぁ!!!!」
そう叫び、ティムは俺様を投げ捨てて走り出した。冒険者ギルドは何事かと投げ捨てられた俺様を見てざわつき始める。
(あぁ、面倒なことになってしまった...)
旅は上手くいかないことばかりだ。