「【蒼雷(アズール・ノート)】――ッ!!」
あの瞬間、私の世界が一変した気がした。
それは私が生まれて初めて、心から魔術というものに興味を持った瞬間だった。
それまでの私にとって、魔術はただの便利な道具に過ぎなかった。火を熾し、水を出し、生活を少しだけ楽にするための、ただの手段。
だけど、あの日、シャルルと一緒に放った青い雷は、言葉にできないほど綺麗で、カッコよくて、そして何より美しかった。
(私も、あんなふうに魔術を使ってみたい......!)
胸の奥が熱くなるような、そんな憧れを抱いたのは、私の人生で生まれて初めてのことだった。
* * *
「はぁ......私、何やってるんだろ」
夕暮れの光が差し込む宿のベッド。私はうつぶせに横たわったまま、枕に声を埋めるようにしてぽつりと呟いた。
瞼を閉じれば、あの恐ろしい岩石竜と戦った時の光景が鮮明に蘇る。
けれど、その後に思い出すのは、ギルドで私のあらぬ噂話を聞かされてパニックになり、思わず私を笑ったシャルルを力任せに投げ飛ばしてしまったことだった。
頭の中は、もう半日ずっとシャルルのことでいっぱいだ。
「絶対、シャルル怒ってるよね......。だって、思いっきり投げ飛ばしちゃったんだし」
いや、待って! そもそも笑ったシャルルが悪いでしょ。あんなに私が恥ずかしがって、泣きそうになっていたのに、目の前で吹き出すなんてあんまりだよね!......でも、と反省と言い訳を繰り返す。
あの傲慢なシャルルが、彼なりに気遣って、一生懸命に慰めようとしてくれていたのは私だって分かっている。笑われたのはショックだったけれど、だからって一人で置き去りにしてくるのはやりすぎだったかもしれない。
「絶対怒ってる。だって、あのプライドの高いシャルルを投げ飛ばしちゃたんだもん......」
傲慢で、高飛車で、怒りっぽくて。でも、たまに少しだけ、不器用な優しさを見せてくれる私の師匠。
シャルルと出会う前、私の日常は退屈で、単調で、人生なんてそんなものだって、どこか諦めていた。きっとおばあちゃんになるまで、ずっとあの場所で、こぢんまりと暮らしていくんだと信じて疑わなかった。
そんな私を連れ出して、外の世界を教えてくれたのがシャルルだった。
私にとってシャルルは、友だちで、仲間で、大切な家族で、そして唯一無二の師匠。 彼がいてくれなかったら、私はきっとここまで来られなかった。シャルルの存在が、その強引な言動のすべてが、私の止まっていた時間を動かし、私を変えてくれたんだ。
(私を笑ったことは、まだちょっと怒ってるけど......! でも、それ以上にシャルルには感謝してる)
きっと、あのプライドの塊みたいなシャルルから謝ってくることなんて万に一つもない。だったら、私の方からちゃんと謝らなきゃ。
何より――このままシャルルと離れ離れになってしまうことが、今の私にとっては一番嫌で、一番怖かった。
私がベッドの上でうんうんと頭を抱えて唸っていると、突然、トントンと静かにドアを叩く音が響いた。
「えっ......?」
心臓が跳ね上がる。誰だろうと息を殺し、そっとドアのスコープを覗き込むと、そこには見慣れた黒い毛玉――シャルルが丸くなって座っていた。 私は慌てて鍵を開け、扉を引いた。
「あの、シャルル、私――」
「ごめん」と言いかけた私の言葉を遮るように、シャルルは私の横をすり抜け、室内のテーブルへと軽がると飛び乗った。そして、器用に前足を内側に折り込む「香箱座り」の姿勢でどっしりと鎮座する。
見れば、小さな眉間にこれでもかと深い皺を寄せて、何やら深刻に考え込んでいる様子だ。
(やっぱり、投げ飛ばされたことをめちゃくちゃ怒ってるんだ......!)
完全に身構え、今度こそ謝罪の言葉を口にしようとした瞬間。 シャルルがふいっと顔を背けながら、前足で何やら青い石のようなものをこちらに転がしてきた。
ベッドのシーツの上にコロンと落ちたそれを拾い上げると、それは細い紐の通った、綺麗なネックレスだった。
「......先ほどは悪かった。ティムが気にしているのに、配慮を欠いて笑ってしまってな。俺様が悪かった」
「え......?」
耳を疑った。あの傲慢を絵に描いたようなシャルルが、自分から謝るなんて。だって、最後に暴力を振るって置き去りにしたのは私の方なのに。
「私こそ......その、投げ捨ててごめんなさい」
「いや、お前は悪くない。今回は俺様に非がある。......それは、その詫びだ。出来の悪いものだが、俺様が作った。魔石に魔術刻印を細かく刻んだ、魔道具のようなものだ」
シャルルはそっぽを向いたまま髭を揺らし、その魔道具の使い方を説明してくれた。聞けば、その青い魔石に魔力を通すことで、不純物が一切混ざっていない完全な『純水』を生成できるらしい。
魔術の世界において純水はとても神聖なもので、魔術の触媒や、錬金術の材料としてもの凄く重宝するものなのだという。
「これを持って、より一層魔術の鍛錬に励むがいい」
不器用な、でも確かな私のための贈り物。
「うん! うん......! ありがとう、シャルル! 絶対に、一生大事にするね。私、もっともっと魔術の勉強頑張るから!」
私が何度も頷きながら宝物のようにネックレスを握りしめると、シャルルは、ようやく張り詰めていた緊張が解けたように、ほっと息をついて眉間の皺を和らげた。
「ふん、今回で目標金額の金貨十枚は稼ぐことができたのだ、もうこの街に用はない。次は魔道具の都アルテギアへ向かうぞ。だから、周りの無責任な噂など気にする必要はないのだ」
「う、うん! 正直、まだちょっと気になりはするけど......気にしないことにする!」
胸のつかえが取れて笑顔を見せる私を、シャルルはじっと見つめてくる。少し躊躇うような素振りを見せた後、静かに、でも厳かに語りかけてきた。
「ティム。お前には間違いなく、俺様を超える才能がある。真面目に鍛錬を積めば、必ず歴史に名を残す魔術師になる」
冗談を言っている様子はない。それは決められたことだと言わんばかりに、ごく普通のことの様にそんなことを口にする、
「......今回は少し噂が空回りしたが、お前の真の力が、正当に周りから認められる時は必ず来る。この大魔術師シャルル・エクレールが保証しよう」
心臓が、どきりと跳ねた。 じわじわと頬が熱くなっていくのが分かる。ニヤニヤと口角が上がってしまいそうなのを、必死で両手で押さえた。
他人にチヤホヤされるなんて、もうどうでもいいぐらい。そんなことよりも、シャルルにこうして真っ直ぐ褒められることが、何よりも、飛び上がるほど嬉しかった。
「ねぇ、ねぇシャルル! あの時使ってた、あの蒼い雷の魔術って、私にもいつか使えるようになるかな?」
調子に乗って身を乗り出す私に、シャルルは少し怒った様な顔でパッと目を剥いた。
「ふん! あまり調子に乗りすぎるなよ、アホ弟子! あの魔術は、歴史上この俺様以外には誰一人として使えなかった伝説の魔術だぞ!お前がここから百年、寝る間も惜しんで真面目に修行して、やっと使えるようになるかどうかだな!」
シャルルは小さな前足でバンバンと机を叩きながら、全力で抗議の念を示している。
だけど、そんなふうにムキになって偉そうにするシャルルの様子すら、今の私にはなんだか愛おしくて、可笑しくて、嬉しくてたまらなかった。
「へへーん! 私がすぐ使えるようになっちゃっても、シャルルすねないでよね!」
「なんだと! 師匠である俺様をバカにするな!」
シャーッと毛を逆立てて、私の頭をポカポカと叩こうと飛びかかってくるシャルル。私はそれを笑いながらひらりと身をかわし、狭い宿屋の部屋の中を二人で逃げ回った。
(きっと、こんな温かい時間が、これから先もずっとずっと続きますように)
そして、いつの日か。 私が本当にシャルルを超えて、彼が驚いて腰を抜かすような、世界一の凄い魔術師になれますように。
手首できらりと光る青い石を見つめながら、私は心の中で、未来の自分にそっと語りかけるのだった。