「ところでクロ、少し聞きたいことがあるんだけど」
「クロはやめろ! 俺様の名はシャルル・エクー...いや、俺様の名前はシャルルだ。」
威厳を示そうと名乗りかけたが、寸でのところで口を噤んだ。この世界での情報が皆無に等しい現状では、迂闊に本名を明かすのは危険すぎた。この黒猫の姿では自分の身を守ることすら難しい。
それに元人間の魂を持つ黒猫など、魔術師にとっては垂涎の研究材料だ。俺様自身も魔術師であったからこそ、その価値を理解してしまった。
「え、えっと、じゃあシャルルよろしくね!」
「呼び捨てだと! せめて『様』をつけ...いや、なんでもない。「クロ」よりはマシだ、シャルルでいい。」
俺様にとって、呼び捨てを許容することは、この新しい世界を知るための、最大限の自制だった。
「そんなことよりだ。ひとまず今の時代のことを知りたい。この時代についてわかる資料や歴史書はないのか?」
ティムに問いかけると、返ってきたのは予期せぬ答えだった。
「それなら、一緒に学校に行ってみる?今日は学校の日なんだ」
学校?こんな庶民が?今の時代は、身分に関係なく教育を受けられるというのか。
「そっか、シャルルは知らないんだね。学校っていうのは、色々な勉強ができる場所だよ。今は十四歳までなら、お金を払わなくても無料で好きな講義を受けられるんだ」
ひとまずティムには自分の正体を隠すことにした。「長生きして喋れるようになったが、ずっと森にいた世間知らずの黒猫」という設定でティムには話を通してある。
喋れる猫というだけで怪しいが、過去の人間だと明かすよりは遥かにマシだろう。
「学校には興味はあるが、町に行くのは難しいだろ。俺様は黒猫だぞ?人がいるところで歓迎されるはずがない。」
「それにティム、お前の髪は限りなく黒に近い青色だ。普段は帽子などで隠しているのか?とにかく、町へ行くのは慎重になったほうがいい」
俺様の言葉に、ティムは目を丸くして不思議そうに首を傾げた。
「どういうこと?なんで黒猫が歓迎されないの?私の髪についても、何か言われたことなんて一度もないよ?」
(なぜだ?町に黒猫なんぞがいれば、当然眉をひそめられるだろうし、ティムのような青黒い、黒色に近い髪は忌み嫌われる可能性が高いはずだが...)
「黒い毛並みは、不幸と嫌悪の象徴だろう。かつて魔王が黒髪であったために、黒髪の者は魔王の生まれ変わり、魔族の血を引く者として忌み嫌われる...常識だろう!」
俺様は至極当然のこととして言い放つ。するとティムは、何かを納得したような、複雑な面持ちで答えた。
「確かに、昔は黒い髪の人は差別や偏見の対象だったって学校で習ったかも。でも、話を聞いた時は『昔は大変だったんだな』くらいにしか思ってなくて……そんなに根深い偏見があったんだね」
ティムは感心したような顔を見せた後、すぐに神妙な顔つきになった。どうやら本当に、この世界は俺様が知る時代から完全に様変わりしてしまったらしい。
「だから、シャルルはずっと森で暮らしていたんだね。でも大丈夫!今の時代に、そんな古い偏見を持つ人はほとんどいないから安心して。それに、私の髪はみんなから『夜空の色みたい』って好評なんだから」
ティムは自分の髪をサラリと靡かせながら、まるで慈愛に満ちた聖職者のように、優しい笑みを浮かべる。
「それに私、シャルルの毛並み好きだよ。綺麗な黒色で、滑らかで優雅でカッコいい。きっと学校のみんなも、シャルルのこと気に入るはずだよ」
ティムは、それが全くの真実であるかのように、平然と語った。
「...そ、そうか......。そうなのか、本当に世界は変わったのだな」
様々な感情が頭を巡るが、それらは一旦奥に押し込み、俺様はティムの提案を受け入れることにした。
「ならば、その庶民も通えるという学校に行くぞ! 学校ならば、今の時代のことが最も効率よく分かるはずだ!」
俺様は、前向きに情報収集に専念することを決意する。
「うん!学校にレッツゴー!あ、でもシャルル。お願いだから、学校のみんなには上から目線で話したり、偉そうな態度を取ったりしないでね。ただの可愛い猫のフリをしてて。私、目立つのは苦手なの」
ティムは元気な様子から一転、不安げな表情で俺様に釘を刺した。
「安心しろ。その程度の分別はできる。ティムには世話になるしな」
『ただの可愛い猫のフリ』。そんな条件を飲む自分に驚きながらも、俺様は心の奥底で、この新しい世界がどうなっているのか、自分が思っている以上に楽しみにしていることに気づいていた
* * *
結論から言うと、町の様子は俺様の記憶から大きく変わっていた。まず、人の衣服は上等なものになっており、王都の住民が来ているような服をこの辺境の町の住人が当たり前のように着ている。
しかも、町にも数は少ないが魔道具の街灯が数箇所あることに驚いた、魔道具の街灯は俺様のいた時代でもあったが、王都の中心街や貴族の住む周辺でのみしかなかったはずだ。それが辺境の町にもあるということが驚きだった。
「あー!黒猫ちゃんだかわいいー」
「ほんとね、黒い猫ちゃんなんて珍しい、かわいいわね」
町の子供達が俺様を指差して笑っている。その母親と思わしき人も笑っており、そこに嫌悪や偏見の意図はない。
ティムも何の問題もなく町に受け入れられていることがわかり、ティムが言っていたことは間違いじゃなかったのだと、改めて理解できた。
(本当にティムの言っていた通りだ。偏見の目を感じない。町特有の魔物や魔族に対するピリピリと警戒した雰囲気もない、平和そのものだ。たった六十年でここまで変わるのか)
町の道も土が固く押し固められ、歩いても泥などで足が汚れないようになっている。
見慣れないものや新しいものが次々と目に入り、驚きや興奮を通り越して、なんの言葉も出なかった。
町の様子をもう少し確認してみたい、町の横路地へふらっと立ち寄ろうとすると、背後から脇を抱えられ持ち上げられた。
「シャルル、学校はそっちじゃないよ、早くしないと授業が始まっちゃう」
そう言ってティムは俺様を抱えて、走り出した。
本来の俺様であれば猫のように雑に持ち上げられたことに怒りを感じていたかもしれないが、町の様子に放心状態で何も言うことができなかった。