転移から日々は流れ、天震城の作業は着実に進んでいった。
城下では家屋の修繕、倉庫の整理、見張り台の設置が並行して進み、民衆の暮らしは少しずつ落ち着きを取り戻している。
だが悠馬は油断せず、外の世界を知るための足を止めなかった。
「まずは周辺の情報をまとめよ」──それが彼の最初の判断だった。
蒼嶺が補給線や水源の確認に動き、斉風は短距離・中距離の偵察ルートを敷設した。
廉虎は城内の兵の再編と巡回強化を進め、紅蓮と黒耀は戦時の指揮系統を整えた。
五将の連携は、目に見えて早くまとまっていく。
偵察は二週間にわたって続いた。
日々、斉風率いる小隊が草原を駆け、丘を越え、森の縁を探り、帰還しては地図に情報を書き入れた。
蒼嶺はそれらの報告を集約し、簡易の立体地図を作り上げていく。
ある朝、蒼嶺が丸めた巻物を悠馬の前に差し出した。
「北西の方向、城からおよそ五十キロ。遊牧の集落が確認されました。柵で区画された円形の居住域です。家畜が多く、人の気配と小規模の常駐騎馬がおります。」
悠馬は指で地図上の印を押さえた。
「北西五十キロか。想定より近いな。」
続いて斉風が報告した。
「南方、約八十キロ。丘陵上に小規模な城塞を確認。石造りの外郭、常駐兵は千から二千ほど。旗印は秦国のものです。」
情報は確実に、しかし慎重に集まっていった。
城を取り巻く情勢図が徐々に浮かび上がる。天震城は、まさに秦と月氏の「はざま」に位置していた。
「これで地形と主要勢力が掴めたわけやな。」悠馬が静かに言うと、黒耀が淡々と付け加えた。
「敵は距離を詰めればこちらを視認できます。ゆえに、偵察は必ず来るだろう。」
転移からおよそ二十五日目のこと。
城壁の見張りが、北西の小道に人影を視認したと報告を上げる。ほぼ同時刻、南門の見張りからも影が見えたという連絡が入る。
「月氏の斥候と、秦の斥候かもしれん」──短い報告が耳に入る。悠馬はすぐに命じた。
「殺すな。見せるだけや。様子を見て帰らせろ。」
紅蓮が眉根を寄せる。
「それで本当にええのですか? 相手は我々を知らんはずです。強い態度を見せる手も。」
悠馬は首を振る。
「まだや。ここで強気に出るのは性急すぎる。相手の出方と組織の構造を知るのが先や。偵察を丁寧に帰らせることで、“この城は脅威ではない”という印象を植え付けられるかもしれん。」
黒耀が静かに頷いた。
「情報を交渉の材料にする。合理的です。」
その日、両方の偵察隊は城の規模と人の動きを確認し、対立には至らず退いた。
月氏の斥候は草原の陰影を縫って去り、秦の斥候は夜明け前に姿を消した。――しかしその報告は、悠馬にまた別の懸念を与えた。
「彼らは情報を持ち帰る。次は本隊が動く可能性が高い。」
斉風がやや緊張した声で言う。
「月氏の集落は規模が小さく見えますが、遊牧の社会は迅速に動員できます。秦側も北辺の安定は重視するでしょう。」
蒼嶺が計算を示す。
「距離と補給を考えれば、到達にかかる時間は行軍速度次第ですが、準備から移動まで合わせると、概ね一か月前後と見ておくべきです。」
悠馬は地図に指を置き、淡々と答えた。
「分かった。一か月後をめどに備える。だが、焦らんでええ。今は観察と準備の時間や。余裕をもって備えよ。」
風が塔の旗を揺らし、天震城の空気はさらに引き締まった。
城内では兵の訓練が強化され、補給品は再点検された。五将はそれぞれの任務に戻り、民の動揺を最小限に抑える施策を進める。
城の周辺に小さな動きがあるごとに、斉風の斥候が飛び、蒼嶺はその情報を地図に反映していく。情報が蓄積されるにつれ、悠馬の戦略はより具体的になっていった。
――そして、静かながらも確実な準備期間が流れた。
天震城は、北西五十キロの月氏の集落、南八十キロの秦の砦、そして二十五日で来訪した両国の偵察隊を把握した。
これらの事実は、やがて一か月後の大波へと収束していく予兆に過ぎなかった。
東の空が淡く白み、草原が金色に染まり始めた。
天震城の見張り台が再び警鐘を鳴らす。
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「報告! 北西十里(約四十キロ)地点、月氏軍三万騎! こちらへ進軍中!」
悠馬は塔の上からその報告を聞き、静かに地図を睨んだ。
風が頬をかすめ、朝靄の向こうに微かに砂煙が見えた。
「……予定どおりやな。」
彼は短く息を整え、指示を飛ばす。
「城には二万を残せ。民と補給を守るのが最優先や。
出るのは十万。前線は歩兵主体、騎兵は後方で待機や。」
紅蓮がすぐに頷いた。
「騎兵を後ろに、か。」
「せや。前で押さえ、崩れたとこを突く。真正面から殴り合う気はない。」
悠馬の声は静かだが、確かな重みがあった。
黒耀が地図を広げて補足する。
「布陣位置は城から三里(約十二キロ)の平原。
見通しが良く、弩兵が機能します。丘陵を背に配置すれば退路も確保できます。」
「そこや。」悠馬は立ち上がる。
「紅蓮は後方で待機。突撃は俺の合図があるまで動くな。」
「了解。」紅蓮は口元を吊り上げる。
「抑えるのは得意やけど、走り出すのも我慢できるかはわからへんで。」
「……信じとるで。」悠馬が笑い、階段を下りた。
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朝日が昇るころ、震国軍十万はすでに平原へ到着していた。
中央に歩兵七万、盾列を敷いて整然と並ぶ。
後方に紅蓮率いる二万の騎兵。
さらに後方の丘には黒耀の弩兵三千が弓を構える。
蒼嶺と補給部隊はさらにその後ろで待機。
「陣、完成。」廉虎の声が響く。
盾と槍が並び、整然とした軍列が朝の光を反射した。
やがて、北の地平から黒い帯が近づく。
砂煙が上がり、地鳴りが平原を揺らす。
「月氏軍、距離1里! 進軍速度は速い!」
悠馬は前線に立ち、遠くを見つめた。
「城に届く前に止める。」
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太陽が頂に上る頃。
両軍は城から三里(約十二キロ)の平原で相まみえた。
風が止み、草原が静まり返る。
先に動いたのは月氏だった。
将が馬上で旗を振り下ろし、声を張り上げる。
「聞けッ! ここは我らの地! 我らの祖先の大地だ!
異国の城など、許されぬ!」
その叫びに呼応し、三万の騎馬が蹄を鳴らした。
紅蓮が馬を進め、槍を掲げる。
「黙っとけや、誰の土地かは血で決めるもんちゃう!」
彼女の声が風を裂いた。
「我らは民を守るために立つ! 無用な血を流す気はない!
今退けば誰も追わぬ、退けェッ!!!」
声が平野を渡り、風に乗って月氏の陣まで届く。
だが、月氏の将は憤怒に満ちて叫んだ。
「その言葉に耳を貸すな! 異国の言葉に惑わされるな!」
旗が振り下ろされる。
「突撃ッ!!!」
轟音が平原を裂いた。
騎馬の群れが一斉に走り出し、砂煙が天を覆う。
⸻
「黒耀!」悠馬の声が飛ぶ。
「第一射!」
乾いた音が響いた。
黒耀の弩兵三千が矢を放ち、空を黒く染める。
矢雨が月氏の先頭に降り注ぎ、馬が悲鳴を上げて倒れた。
だが月氏は止まらない。
怒号と蹄の音が混じり、波のように押し寄せる。
「盾列、構えッ!」廉虎の叫びが轟いた。
歩兵七万が一斉に盾を掲げ、壁のように立ちはだかる。
衝突の瞬間、鉄と肉の音が響き、衝撃が地を走った。
「踏みとどまれェッ!」廉虎が叫ぶ。
前列が一歩も引かず、槍が突き出される。
馬が倒れ、月氏の前線が崩れる。
「第二射、放て!」悠馬が指を振る。
黒耀の弩兵が再び射撃。矢が正確に、乱れた敵陣を貫いた。
紅蓮が後方で息を詰める。
崩れた敵陣の隙を見逃さない。
「――今や!」
騎兵二万が一斉に駆け出す。
砂煙が舞い、赤い旗が翻る。
紅蓮が先頭で叫んだ。
「震国騎兵、突撃ィッ!!!」
轟音と共に、震国の騎兵が左右の翼から敵の側面を貫いた。
砂塵と血が混じり合い、叫びが平野を満たす。
「囲まれるな! 回れ、回れぇッ!」月氏の将が叫ぶが、すでに遅い。
震国の歩兵が前に押し出し、紅蓮の騎兵が側面から斬り裂く。
黒耀の弩兵が残党を射抜く。
悠馬は全体を見渡し、静かに命じた。
「紅蓮、深追いするな。捕虜を確保しろ。」
紅蓮が槍を振り上げた。
「全軍停止ッ! 降伏する者は討つな!」
その声が広がり、震国軍がぴたりと止まる。
砂煙の中で、月氏の残兵たちが武器を捨て、膝をついた。
⸻
戦場に静寂が戻った。
紅蓮が馬を止め、槍を地に突く。
「……終わったわ。」
丘の上から悠馬がその光景を見下ろす。
「死人は?」
「軽傷多数、重傷者少数。」黒耀が即座に答える。
「捕虜は八百ほど。」
悠馬は小さく頷いた。
「上出来や。……誰も無駄死にせんで済んだ。」
紅蓮が馬上で笑う。
「陛下の指揮は、相変わらず冷静やね。」
「熱うなったら、戦は終わりや。」悠馬は目を細め、遠くを見た。
北西の地平には、まだ薄く砂煙が漂っていた。
「……月氏の本陣は、まだ残っとる。
次は、話をしに行く番や。」