琥珀はもうろうとした意識の中で、どうして自分はこんなに苦しい思いをしてまで饗談どもと戦っているか、自身でも訝しく思うのだが……
琥珀の顔は、右のまぶたの上がかすかに出血して、青あざになっていた。頭部に与えられた衝撃で頭の中が霞む。身体は疲労で限界だ。もう、激しい呼吸や疲労を表情でごまかすのは無理だ。だが、激しい疲労とともに心の中の『何か』が目覚めつつあるのを彼女は予感していた。
琥珀はゆっくりと男の跡をつけていった。残りの三人が伏せている場所に案内させるために。これが饗談どもの罠だということは十分わかっていた。
無論、あの場で饗談の男を始末することはできた。そして自分が行方をくらませて待ち伏せていれば、残りの三人は必死にこちらを探すだろう。自分の使命は幻蔵たちがここに戻ってくるまで、饗談どもをこの森にくぎ付けにするか、追い払うことだ。
その内、彼らがここに戻ってきて自分に合力すれば、もうこちらの追跡はあきらめるに違いない。そうだ、そのほうがいい。これ以上無駄な危険を冒して何になる……だが、自分は饗談の男の跡をつけている。
身体が痛くはないかって? 痛いさ、決まってる! 苦しくないのかって? もう呼吸するのもしんどいよ。
でも……私は『あの男』に自分の力を認めてもらいたかった。もし、一人で十人の草を全てを殺ったなら、『あの男』は私を認めてくれるだろうか……いや認めざるを得ない。他の三ツ者の仲間でそんなことができるヤツがいるか? いるはずがないっ!
私は他の仲間たちとは違う。一番最後に三ツ者になった。その差を埋め、そこからさらにもう一つ上の場所へと登らなければならない。このままでは、『あの男』にとって自分は他の三ツ者達の中の一人でしかない。
まさか、自分は『あの男』に何かの想いをよせているのだろうか? いや、そんなはずはない、そんな浮ついた想いじゃない!
……でも、もし仮にそうだとしても、『あの男』は……幻蔵は、そういったこちらの想いなど気づかぬように涼しげな表情でいつも通りに接するに違いない。
私はおなごらしいことは何一つ教わらなかった。町に出た時に見かけた着飾った女たち……美しかった。もちろん、顔もかわいかった……かわいい表情ができた。
美しい模様の小袖、薄く唇に塗った紅、派手でない清楚な簪(かんざし)……どれも私が持っていないものばかりだ。
それに、どうあつらえたって私には似合わないもの……結局、私には『これ』しかない。これしか教わらなかったから……だからこれだけは譲れない。私が他の人間に絶対に負けられないもの……それが草の技なんだ。
そこは周りに比べるとやや開けた場所だった。木々の密集しているきわに、左手の拳を飛ばされ左足を引きずる男が一人立っていて、すぐ目の前の草むらに向かって何事か語りかけていた。
「申し訳ございませぬ、女をおびき寄せるのには成功しましたが手傷を負いました。もはや激しく戦うこと、叶いませぬ」
「そうか、ご苦労じゃった、だいぶ手ひどくやられたみたいじゃな」
「はい……相手を甘く見たわけではありませぬが、恐るべき手練れでした」
「左様か……お主ほどの男をの……」
「ですが、女にも手傷を負わせました。鋼の甲で女の頭に痛打を与えました。しばらくは頭がもうろうとして、まともな判断ができぬはずです」
「承知した……では最後の使命じゃ。この場で女の注意をひきつけよ。すでにこちらは準備ができておる。女の動きを必ず止める故、自分の命と引き換えに女を討て」
「……はっ、承知いたしましてございまする」
私がこの場で目にすることができるのは、左の拳を飛ばされたあの饗談の男だけ。だが、木々のあたりの草むらに一人、別の場所にそれぞれ一人ずつ……計三人、間違いなく伏せている。私は気配には敏感なのだ。
そのとき、木々の奥から二振りの小太刀を手にした女が現れた。琥珀だ。ちょうど手傷を負った男と反対の位置に少女はいる。だが、彼女の顔にはもう菩薩のような表情は見えなかった。疲れ切った少女の顔がそこにあるだけだった。
私は今までの少女の戦いをつぶさに見てきた。妙な表現になるが、そんな彼女の人間らしい部分を垣間見ることができて、むしろ私は少しほっとした。
いくら無表情で敵を屠る若い少女とはいえ、彼女も生身の人間だったということだ。この後そこでもっと壮絶な殺し合いが繰り広げられるに違いないが、もし私が彼女の立場ならもう動けはしないだろう。
私は改めて琥珀の姿を観察した。彼女の身体には一見すると大きな怪我はないようだ。ただ、大層気がかりなのは右の頭部からの出血とアザ、それに右のまぶたが少し腫れていることだ。
気がかり? ……私は思わずフッと笑みを浮かべた。私はどちらの味方でもないというのに……だが、私は少女の方に、より強く憐れみを覚えたのも確かだ。
なぜなら、彼女の目は右目しかないからだ! 何という不運。しかも、この場では三人の饗談どもが彼女の動きを制する手立てをすでに立てている。手首を飛ばされた男を含めると四人だ。
もしかすると、いよいよ彼女もここで討たれることになるのかもしれぬと、私は思った。それでも仮に私が心情的に彼女に味方する気になったとしても、私には物理的な合力はできない。
私の使命は、人間たちの生きざまを黙って見守る事だからだ。彼らには彼らの使命があるように、私にも使命があるのだ。異様に静まり返った森の開けた場所で、琥珀は口を開いた。
「ふーん、ここがアンタ達の
琥珀は無理に笑みを浮かべてそう言った。私の思いとは裏腹に、彼女はこの場で死ぬ気はさらさらないようだった。