既に武田家は、信玄が生存していた時の隆盛を跡形もなく消し去っており、彼女らの主である信廉は一方的に追われる身なのだ。一刻も早く、前線の状況を信廉に伝え彼を落ち延びさせる算段をつけなければならない。
そんな中、琥珀は幻蔵たちを先に行かせるために殿(しんがり)を務めると宣言した。たった一人で饗談を迎え撃つ琥珀の戦略とは……
私は琥珀という少女が一人で森の中に残った時、十対一では戦わずして勝負が明らかなのにどうするつもりなのか皆目見当がつかなかった。一体何のつもりなのか……
小型の火縄(銃)でも忍ばせているのか、あるいはまだ見たことも無いような新兵器でも持っているのだろうか。だが、そのいずれでもなかった。
彼女が所持しているのは結局、私が最初に目にした一尺程度の長さの小太刀が二振り、ただそれだけだ。弓も無い。それどころか、饗談を迎え撃つ準備すらしなかった。
無論、あの目立つ青白いふとももは露出したままだった。何のまねなのか、あるいは、己の技にそれほどの自信を持っているのか……
饗談どもはまず、十名の内六名がこの殺し合いの場に音も立てずに同時に侵入してきた。琥珀は樹木の太い幹の背後に立って身を隠していたが、身体の一部が太い幹から見えている。例の太ももの一部だった。
うっかりなのか、わざとなのか、私にはまったく分からない。もしや、
どう見ても厳しい。いや、【厳しい】などという表現を使うこと自体があつかましいとしか言いようがなかった。この六名の饗談どもはただの草ではない。一体どれほどの修練を積めばこのような動きができるのか。饗談どもは一糸乱れぬ全く同じ動きで少女が身を隠す木の幹へとゆっくり近づいて行った。
饗談どもは琥珀が身を隠している木の幹の周辺まで来ると、扇形に広がった。そして二呼吸ほどの時間が過ぎたその次の瞬間、六人の饗談が同時に幹の裏に刀を打ちかけた。
無論、左右三名ずつだ。ご丁寧にも各刀の間は二寸(約6cm)ごとの間隔を上下にあけていた。だが、少女の血しぶきは上がらなかった。木の幹に刀が打たれた音のみが森の中に低く響いた。琥珀の身体は幹の後ろにはなかった。饗談どもは、し損じた驚きとともに必死になって相手の行方を目で探った。
少女は地面にへたり込むように座っていた。扇が開くように両脚を開脚している。まるで地面から上半身が生えているかのようだ。私はその姿を見て、なぜだか、蓮の花が生えているような印象を受けた。もっとも『地面に蓮の花』というのもおかしな話だが……
饗談どもの次の動きは素早かった。今度は少女の姿を追うように、各々が少女の身体のそれぞれの別の部位に刀を打ちたてようと自らの位置を変えながら【蓮の花】を追っていく。
琥珀は身体を地面に接したまま、音もなく半円を描くように転がって行った……なんというしなやかで柔らかい身体。饗談どもはその転がる柔らかな身体を必死に追いまわし、次々と刀を打ち立てていく。
それらの刃を寸前のところでかわすと、彼女を追っていた一番先頭の位置にいた饗談の一人の背後に音も無く立ち上がった。まるで、男の背後にいきなり木が生えたかのような光景だった。琥珀の手には二振りの小太刀が逆手で握られていた。その刀身はまるで墨でできているかのように真っ黒で不気味な刀身だった。
まさに、あっという間もなかった。饗談の一人の背後に琥珀が姿を現したと私が認識した瞬間、饗談の首は宙に舞った。恐らくその饗談はいつ自分の首が胴体から離れたか知覚することなく、黄泉へと旅立ったと思う。
宙に血しぶきをまきちらし、饗談の首がくるくると回転しながら地面へと落下していく。間髪いれず、琥珀は首のない男の身体と自分の身体の位置を入れ替え、男の身体を男の正面から背中側にドンっ、と突き飛ばした。
その首のない男のすぐ後ろにいた饗談の一人が反射的に、その首のない男の身体を一瞬抱え込む形になった。その瞬間、首のない男の遺体を抱きしめた饗談の腰のあたりの背面に黒い小太刀が二つ、音も無く生えた。
『生えた』と称したのは、その場面を見ていながら、いつ小太刀が男の腰に突き立てられたか、私には見えなかったからだ。小太刀の柄には青白い細い指が巻きついている。無論、琥珀の指だ。
小太刀が生えている場所は蘭学者どものいう『腎の臓』と称す内臓で、一対の細い肋骨に覆われているものの、その肋骨は背骨に固定されているものではなく、肉の中に浮いているという。
したがって、この位置には骨に邪魔されることなく、刃がささるのだそうだ。『腎の臓』は『心の臓』に匹敵する重要な臓器で、ここを損傷することは死を意味するらしい。
日の浅い殺し屋は『心の臓』に刃を立てようとするが、刀を横に滑らさないとあばらに噛んで刃が『心の臓』に届かない。相手を戦闘不能にするなら『腎の臓』に刃を突き立てるほうがよほど楽なのだという。
以前そのように南蛮から来た学者から私は聞いたことがある。ただ、どうすれば相手の身体の背後に刃を突き立てられる状況に持っていけるのかは、私などには到底わからない。
男の身体から静かに小太刀を引き抜いた琥珀が、フッと柔らかな笑みを浮かべたのを私は見た。その笑みは、してやったり! というような、誇らしげなそれではなかった。何というか、誰に語るでもなく、一仕事終えた時の満足感というべきか……私はこのような表情をする者を幾度か見たことがある。例えば、それは森の中で見かけた猟師だ。
私個人の見解を言わせてもらえば、動物であれ何であれ、殺生を行う者を私は好かぬ。なぜなら私は以前仏門に帰依していた身だからだ。だが、人は霞を食うて生きていくことはかなわぬ。『たつき』をたてるため、獣の命を奪わざるをえない者どもがいることを否定するほど私は傲慢にはなれない。
だが、この者どもが今行っているのはただの殺戮だ。猟師のように肉を喰らったり、その肉を売買の対象にしたりするわけでもない。余人に誇れる技術ではなく、理解してもらえる仕事でもない。それでも彼女が浮かべた表情はまさしく職人のそれだったのだ。
ほんの二、三度瞬きする間に、もう二人死んだ。正確には背面に小太刀を突き立てられた男はしばらくの間生きていた。だが、低くうめき声を上げるだけで、全く身動きすることもできなかった。
しばらくして、地面で呻いている者の首が突然宙に舞った。琥珀の仕業ではなかった。すぐ近くにいた別の饗談の一人がかの者の首を刎ねたのだ。この饗談と称する 草の者どもも、なまなかな相手ではなかった。
すぐに琥珀は森の奥へ疾走し、姿を消した。琥珀の動きは全くの不規則で、ある時はまっすぐに前方に疾走したかと思うと、次の瞬間には真横へ跳躍する。逃げると見せかけ、二振りの小太刀を手に向かってくるかと思えば、元来た道を戻ってさっと森の中へと行方をくらます。
饗談どもは既に二人が殺られた。とはいえ、少女の命運はもう尽きたといってよいと私は考えた。先ほどは不意を突いて二人を消した琥珀だったが、結局のところ、彼女の動きは無秩序で体力を浪費しているにすぎない。
しょせんは集団で秩序だった動きをする饗談たちの敵ではないだろう。四人の饗談たちに森の中を追われ少女は早晩、屍(しかばね)をさらすことになるだろうと私は思った。
一名の荒武者が、数名の訓練された足軽に討たれることはよくあることだ。何のために集団に『統一された動きを訓練する』のか。それは個々の行動に自由な裁量を与えると、戦闘の効率が悪いことを皆が知っているからだ。
集団の規模が大きくなるほどその傾向が顕著となる。集団戦の場合、戦場に勇者は不要だ。ただ、統一された行動のできる凡百な個々の足軽がいればよい。歴史がそう証明している。
確かに琥珀は恐るべき忍耐力で三ツ者としての訓練を積んでいるのだろう。だが、訓練を積んでいるのは彼女だけではない。この饗談どもも筆舌に尽くしがたい厳しい訓練を積んでいるに違いない。
そして琥珀たちと同様に、彼らの背後にも明日の食事にすらありつくのが難しい村の者どもの姿があるのは、まず間違いないことだった。
……私はその光景に茫然とした。森の中を追われていく琥珀だったが、木々をうまく利用して四対一になる状況を巧みに避けていく。
饗談たちは確かによく訓練されていた。お互いが兄弟であったとしても、これほどの見事な統一された動きはできなかっただろう。だが、戦っている場所が饗談たちに味方しなかった。
彼らはしばしば乱立する木々に阻まれて、統一した動きを阻まれた。そして饗談たちの集団としての乱れを琥珀は見逃さなかった。一対一の機会が訪れると琥珀が判断した時、少女はためらわなかった。
私は戦闘については全くの門外漢だが、傍目で見る限り、琥珀の技量が饗談のそれをはるかに上回るものとは思えなかった。ただ、琥珀の動きに一つだけ大きな特徴がある。それは……彼女の動きの全てが『静か』だった。そう、感情のこもらない動き、まるで一定の手順で獣を屠るかのような機械的な動き……
以前この森で何度か足軽どもの小集団同士が合戦しているのを目にしたことがある。どの足軽たちも相手の首をどう獲るかだけに腐心していた。顔つきはまるで獣だ。歯を剥いて口角泡を飛ばし、大声で相手方を威嚇する。
なんのために? そう、怖いのだ。相手も全く同様のことを考えているだろう。互いが手にしている得物が自分の身体に当たったらどうなるか、彼らは普段よく目にしているからだ。その証拠に彼らの腰は常に引けている。恐怖心は身体を委縮させる。
小集団同士の合戦ではよくあることだが、時間が経過するうちに混戦になりやすく敵味方が入り混じる状態に陥りやすい。戦闘前は前方だけに気を配ればよかったが、こうなってくるとどこから刃が降ってくるかわからない。気が付いたら両隣りが敵だったということも、戦場では珍しいことではなかった。
だが、琥珀の戦い方はまるで違った。しなやかな体で敵の致命の一撃を最小限の動きでかわし、敵を始末していく。彼女の顔の表情は菩薩のようだ。怒りや恐怖の表情は微塵もない。
いくら訓練を重ねても人である限り潜在的な恐怖心はあるはずだ。それは動物の領域にも足をかけている『人』という生き物の宿命とも言える。そして、それは本能の領域に刷り込まれているものだ。
恐怖感を無視するように努めても無くすことはできない。例え気持ちの上で折り合いをつけたとしても、身体の動きに恐怖感は必ず影響を与える。
ましてや、今回の戦いは草どうしのものだ。刃に毒が塗ってあることを想像できないものは、彼らの世界では生きていけない。無論、『勝つ』ためだ。
彼らは、敵の屠り方や己の滅び方に美学を見出す侍ではない。勝つために凝らす工夫を【卑劣】とは考えない者、それが草だ。彼らの頭の中にあるのは、『どうすれば使命が果たせるか』、それのみだ。