第七話 恐怖
田中には分かっていた。移民の背後にいる“組織”。国家や政党ではなく、さらにその背後で資金提供し情報を操る、目に見えない存在。それは我々のような思想ではなく、恐怖によりこの国を蝕んでいると。
翌朝、テレビの僅かな枠に速報が流れる。
【速報】地方団体代表・佐々木誠氏、遺体で発見
【警察「事件性は薄い」】
【関係者「過労による自殺ではないか」】
田中の手が震えた。淡々と読み上げるアナウンサーの声に、虚無だけが響く。
「関係者の証言では、佐々木氏は精神的に不安定だった可能性も――」
田中は叫んだ。
「嘘だ。佐々木さんは……自殺なんかじゃない……!」
日が暮れ、当てもなく街をさまよう。最後に行き着いたのは、佐々木と初めて出会った小さな集会室だった。
日頃より注意していたため、室内には当然何もない。真っ白な空間。
田中は膝をつき、胸の奥で何かが音を立てて壊れるのを感じた。
その時、カバンから一冊の冊子が零れ落ちた。
表紙は以前と変わらず、古ぼけていた。
観測者の手引き——あの日、佐々木に渡されたものだった。
だが、あの集いの後、手引きは一度、佐々木の手に渡っていた。
それが、なぜか、今、田中の手元に戻っていた。
田中は眉をひそめる。
「誰が……?」
理由を考える間もなく、何かにひかれるように、最後のページに目を落とした。
——そこには、佐々木の文字があった。
「田中へ——
真実は、沈黙する者から奪われる。
それでも、お前は、目を逸らすな。」
田中は手引きを握りしめ、静かに涙を流した。
その時、彼は理解した。
ここから先は、もう引き返せない。
恐怖には恐怖を。
第八話 悪の敵
田中はもはや、かつての静かなサラリーマンではなかった。
育った覚悟は、やがて行動へと形を変えた。彼らの怒りと絶望は深く、抑えがたいものであった。
「俺たちがやらなければ、誰がやる」——その言葉がいつしか合図になり、彼らは一線を越えた。
軍関係者も密かに同志に加えた点も含め、準備は徹底的だった。
地下の倉庫に集まった同志たちは、情報の整理、動線の確認、危機管理、身体訓練を行った。
重い箱に詰められた書類の束を運び、夜通しで計画を練り、互いに連絡の暗号を確認する。
田中は自らリーダーとなり、行動の優先順位を示す。
「ここで手を抜けば、すべてが水の泡になる。」
その声には迷いはなく、仲間たちはうなずく。
ある夜、ついに標的である閣僚数名の拘束作戦が実行された。
闇に紛れ、事前に準備した偽の情報で騙し、閣僚、警備員たちを誘導。
建物内に入り、監視カメラや警備の死角を確実に把握。
正確な情報と計画で、閣僚を拘束後、拷問し情報を聞き取り殺害、警備員も殺害後処理。一人たりとも逃さず、自分達の情報を明かさせないことが目標だった。
そして、自分たちはそれを成し遂げた。
だがその過程で一人のSPが生き残った。
彼は目の前の混乱に怯えるでもなく、怒鳴るでもなく、ただ静かに息をしていた。
鍛えられた体に似合わず、どこか疲れたような眼をしていた。
田中には、ふと思った。
——この男には家族がいるかもしれない。
自宅の食卓で娘に「いってきます」と言ったかもしれない。
休日には家族でスーパーへ行き、何を作るか話し合ったかもしれない。
もしくは、誰もいない部屋で一人、眠っているだけなのかもしれない。
本当のことは分からない。何も聞いていない。
だが、そうであってほしいと田中は思った。
そうでなければ、この行為の重さが、あまりに軽くなってしまうからだ。
SPの目は、田中たちを責めてもいない。
ただ、何かを理解しようとしているように感じた。
なぜ自分はここにいるのか。
なぜ銃口の前に座らされているのか。
田中はその視線を見続けていた。他の面々が俯くなか、一人。田中はその男の目を見続けた。
——職務を果たす。その職務とは。誇りを持てていただろうか。誇りとは。
ああ、家に帰りたい。
それが真実かどうかは関係なかった。
田中がそう“感じた”という事実だけが、重かった。
「……円になろう。」
田中の声は低く、割れもせず、淡々としていた。命令でも号令でもない。
ただの提案のように響いた。だが、全員がすぐに応じた。誰も言葉を挟まない。
田中を中心にして、ゆっくりと仲間たちが輪を作る。靴がコンクリートを擦る音が、やけに大きく聞こえた。
「……俺たちは、正義じゃない。」
誰も反論しなかった。反論できなかった。
「俺たちは、国を守るために人を殺す。
その理由がどれだけ綺麗に見えても、
その行為は、誰がどう見ても“悪”だ。」
円の中に、ひっそりと震えが走る。
誰のものか分からない。
「だが――俺たちは悪でいい。」
田中はゆっくりとSPの方へ目を向ける。SPは田中を見返していた。恐怖でも憎しみでもなく、ただ、まっすぐに。
田中はほんの一瞬、目を逸らした。
「この人は……真面目に働いてきたんだと思う。」
それは事実ではない。ただの想像だ。だが、それでもよかった。
「家族がいるかもしれない。恋人がいるかもしれない。
それすら俺たちは奪う。
奪うんだ。」
輪が、揺らぎながら、強く繋がる。
「この弾は……いつか俺たちに返ってくる。
それでいい。
返ってくるべきだ。」
沈黙が、長く落ちた。地下の空気が凝り固まる。
田中は、静かに言う。
「──撃て。」
声は小さかった。だが、倉庫全体に、はっきりと響いた。
銃声はSPを除いた人数分。怒りでも、高揚でもない。ただ、冷静に、迷いなく、撃つ音だった。
それは、祈りにも似ていた。
作戦成功後、動画配信サイトに配信される。
――「悪の敵」
閣僚たちから得られたのは、噂に留まらない「証言」と「書類」だった。公的資金の流れ、政策決定過程の裏側、そして一般には伏せられていた情報――それらは、動画配信サイト上位ランキング独占、ネットのトップニュース、週刊誌の見出しとなり、やがて我が国だけでなく、世界の注目も集めた。
暴露された不正と裏取引はSNSで話題となり、爆裂に支持者が増え始める。
「罪をあばき、売国奴を殺せ」
「君たちこそこの国の光だ」
「こんなにも閣僚は・・・」
そして、世間は悪の敵一色といっていい程に染まる。
熱に浮かされたように、より活発的に悪の敵は活動を開始。
以後、止まらぬ闘争により代償は膨れ上がり、数多くの人が亡くなった。
売国奴の政治家、深入りしすぎた週刊誌の記者、果ては無関係の一般人まで。
「悪とは何か。」
まぎれもなく、今の世界で最も深い“悪”は、他ならぬ自分自身だった。
その事実を前にしたとき、手元のノートが――まるで、嗚咽しているかのように震えて見えた。
血戦の果てに──
国家の脅威は、ほぼ殲滅された。