海の恐怖!グラ・バルカス帝国海軍vs原子力潜水艦   作:通常弾頭

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第二十二話

中央暦1643年1月15日

グラ・バルカス帝国帝都ラグナ

 

 レイフォル各地が連合軍に奪還されてから、約二週間が経過した。

 

 帝国政府は、レイフォル方面における敗北を国民へ公表していない。

 

 新聞各紙は、レイフォルでの戦況について「帝国軍は戦線を再編中」「敵の局地的攻勢を阻止」「戦略的配置転換を実施」といった曖昧な表現を繰り返していた。

 帝都のラジオ放送も、帝国軍が各地で勇敢に戦っているという内容ばかりを流している。

 レイフォリア軍港が破壊されたことも。

 海上輸送路が日本の潜水艦によって寸断されたことも。

 占領地の帝国軍が燃料不足に陥り、レイフォリア守備隊が戦闘不能であることも、一切報道されていなかった。

 しかし、戦況を隠すことはできても、その影響までは隠せない。

 

「食用油は一世帯につき一本までです!」

「砂糖は配給券をお持ちの方だけです!」

「次の入荷は未定です! 押さないでください!」

 

 帝都の商店街では、早朝から長い列ができていた。

 食料品店の棚には空白が目立ち、輸入品や遠隔地から運ばれていた商品はほとんど姿を消している。

 帝国本土が食糧難に陥ったわけではない。

 だが、海軍と陸軍が輸送船、貨車、車両を優先的に使用し、さらにレイフォル方面から戻るはずだった船舶が帰ってこなくなったことで、流通網全体に混乱が生じていた。

 政府は一時的措置として、食料と日用品の配給制を導入した。

 当初は軍需生産を維持するためと説明されていたものの、市民の間では別の噂が囁かれている。

 

「レイフォルから船が戻ってきていないらしい」

「日本の潜水艦に、片っ端から沈められているそうだ」

「潜水艦だけで、そんなことができるのか?」

「実際に物が来ないじゃないか」

 

 人々は周囲を警戒しながら、小声で言葉を交わす。

 軍や政府に対する不満を公然と口にすることはできない。それでも、生活の変化から真実を察する者は増えていた。

 

 道路を走る自家用車も、目に見えて減っている。帝国政府は民間向け燃料の販売を大幅に制限していた。

 石油そのものが帝国本土から消えたわけではない。

 しかし、海軍が大規模な対潜作戦を繰り返し、陸軍が本土防衛部隊の燃料備蓄を増やしたことで、民間へ回せる量が削減されていた。

 自動車を所有していても、燃料を購入できない。

 市街地の道路脇には、長期間動かされていない車両が並んでいる。

 代わりに路面電車や乗合馬車へ人々が殺到し、停留所には毎朝長い列が生じていた。

 

「戦争は勝っているはずだろう?」

「勝っている国が、どうして車も動かせないんだ」

「余計なことを言うな。憲兵に聞かれるぞ」

 

 市民はまだ、海軍の敗北を確信しているわけではなかった。

 だが、帝国が順調に勝利しているという政府発表を、額面通り信じる者も少なくなっていた。

 港へ行けば、さらに状況は明白だった。

 荷役設備は軍に接収され、海軍の補助艦艇と徴用商船がひしめいている。

 造船所は昼夜を問わず稼働し、損傷艦の修理と新造駆逐艦の建造を続けていた。

 それにもかかわらず、港へ帰ってくる商船の数は少ない。

 出港した船が戻らない。

 戻ってきた船も、船腹に大きな損傷を負い、乗組員の数を減らしている。

 

「レイフォルが落ちたらしい」

 

 その噂は、市場から工場へ。港から酒場へ。軍人の家族から近隣住民へと広がっていった。

 新聞に書かれていなくとも、帝都ラグナの人々は、帝国の外で何か重大な事態が起きていることを察し始めていた。

 


 

同日午後

グラ・バルカス帝国 帝都ラグナ 帝王府

 

「レイフォルを失ったままにしておくことはできません!」

 

 帝王府の大会議室に、グラ・カバル皇太子の声が響いた。

 長大な会議卓の最上席には、帝王グラ・ルークスが座っている。

 その両側には陸海軍の高官、政府閣僚、兵站担当者が並んでいた。

 壁面の巨大な地図には、ムー大陸西部とレイフォル一帯の戦況が表示されている。

 その大半から帝国軍陸上部隊を示す旗が取り除かれ、残りの多くにも「燃料不足」や「弾薬不足」のタグが付けられていた。

 

「レイフォルは、ムー大陸侵攻のための前進拠点です」

 

 カバルは地図を指し示した。

 

「我々がここを失ったままにすれば帝国の脅威になります。日本とミリシアル帝国は、レイフォリアを新たな軍事拠点として利用するでしょう」

 

 軍事について専門的な教育を受けた者からすれば、カバルの知識は断片的だった。

 艦艇の航続距離、船団護衛、兵站所要量、対潜捜索の困難さ。

 そうした細かな問題を理解しているわけではない。

 しかし、帝国が抱える問題の原因については、大筋で正しく認識していた。

 

「そして現在、帝都で起きている物資不足の原因は、日本の潜水艦だそうですね?」

 

 カバルは言い切った。

 

「奴らは我が国の商船を沈め、レイフォルとの輸送を遮断した」

「その通りだ」

 

 グラ・ルークスは静かに答える。

 

「ならば、潜水艦に沈められないほど巨大な船団を編成すればよいのです」

 

 会議室内の海軍軍人たちが僅かに表情を変えた。

 

「沈められないほどの船団?」

「はい」

 

 カバルは用意させた作戦案を卓上へ広げた。

 

「少数の輸送船を、小規模な護衛部隊で送り出すから各個撃破されるのです。帝国海軍が保有する戦闘艦艇を一か所へ集中し、輸送船団を幾重にも取り囲む。潜水艦が魚雷を発射すれば、数百隻の駆逐艦で追い詰める。日本艦隊が姿を現せば、前衛の主力艦隊が撃滅する」

 

 カバルの指が、本土からレイフォルへ至る航路をなぞる。

 

「船団は増援兵力と大量の軍需物資をレイフォルへ運びます。レイフォリアに着いたら港湾機能を復旧。帰路には、レイフォル各地に残されている資源、食料、工業原料を満載する……これによって占領地を奪還すると同時に、帝都の物資不足も解消できます」

 

 海軍側の席から、重い沈黙が返ってくる。

 

「海軍はどう見る」

 

 グラ・ルークスが尋ねた。

 海軍参謀総長は、すぐには答えなかった。

 

「理論上は、可能です」

 

 慎重に言葉を選ぶ。

 

「ただし、帝国海軍史上最大規模の動員となります」

「可能ならば実行すればよい」

「殿下。可能であることと、成功することは別です」

 

 海軍参謀総長は地図へ視線を落とした。

 

「日本の潜水艦は、未だ一隻も撃沈できておりません」

「だからこそ、数で押し潰すのだ」

「数が増えれば、船団の占有海域も拡大します。護衛すべき範囲が広がり、艦艇同士の連携も難しくなる。魚雷を回避するため自由に変針する余地も減ります」

 

 カバルは不満そうに眉をひそめた。

 

「駆逐艦を五百隻も用意して、それでも潜水艦一隻を防げないというのか」

「一隻とは限りません」

「ならば十隻いようと同じだ」

 

 カバルは作戦案を叩いた。

 

「こちらには数百隻の護衛艦がいる。海面を爆雷で埋め尽くせばよい」

「殿下」

 

 別の海軍将官が口を開いた。

 

「爆雷は敵潜水艦の位置が分からなければ、効果を発揮しません」

「分からないなら、船団の周囲すべてへ投下しろ」

 

 海軍軍人たちは言葉を失った。

 数百隻の艦艇が密集する海域で、無秩序に爆雷を投下すればどうなるか。

 誘導魚雷の初期型が味方艦を追尾した事故を知る者にとって、それは悪夢に近い提案だった。

 グラ・ルークスは息子の作戦案を見つめた。

 

「必要となる燃料は」

 

 兵站総監が資料を確認する。

 

「往復航海だけでも、海軍備蓄の相当部分を消費します……」

「艦だけではありません。空母の航空隊を継続運用し、対潜駆逐艦が高速で捜索を行う場合、さらに増加します。補給艦を伴わせたとしても、全艦を常時最大速力で航行させることは不可能です」

「本土防衛用の備蓄へ手を付けることになるか?」

「はい」

「それほどの燃料を使用して、失敗すればどうなる」

 

 兵站総監は答えなかった。

 答えるまでもない。

 大量の燃料を失った状態で船団が壊滅すれば、帝国海軍は本土周辺で艦隊を動かすことさえ困難となる。

 

「損害は避けられないのか」

 

 グラ・ルークスが海軍参謀総長へ尋ねた。

 

「避けられません」

「超大規模な船団であってもか」

「規模が大きいからこそ、完全な防御は不可能です」

 

 海軍参謀総長は率直に答えた。

 

「日本側は船団すべてを沈める必要がありません。一度混乱が起きれば、数の多さそのものが弱点となります」

「ならば空母の航空機で潜水艦を探せばいい」

 

 カバルが反論する。

 

「護衛空母を五十隻投入する。飛行艇を何百機も飛ばし、磁気探知機で海を探らせるのだ」

「既に同様の作戦を行いました」

「規模が違う」

「規模を増やしても、探知能力そのものが向上するわけではありません」

 

 海軍側が何を言っても、カバルは引かなかった。

 

「海軍は初めから消極的過ぎる!」

 

 ついに、声を荒らげる。

 

「航路を失ったのも、潜水艦を恐れて港へ閉じこもったからではないか!」

「殿下」

「戦艦も空母もある!駆逐艦は何百隻も残っている!それなのに、なぜ戦おうとしない!」

「殿下!」

 

 海軍軍人たちの表情が硬くなる。

 彼らは戦わなかったわけではない。

 海神作戦開始後、数え切れないほどの艦艇が潜水艦捜索へ投入された。

 護衛空母も、駆逐艦も、巡洋艦も失われた。

 それでも日本の原子力潜水艦を一隻も沈められなかったのである。

 だが、それを皇太子へ理解させることはできなかった。

 

「父上」

 

 カバルはグラ・ルークスへ向き直る。

 

「今、何もしなければ、市民は帝国の敗北を確信します。配給制は長く続けられません。軍が燃料を独占していることにも、不満が高まっています。レイフォルへの航路を安全にし、大量の物資を帝都へ持ち帰れば、帝国の威信は回復します」

 

 カバルの主張は、軍事的には危険だった。

 しかし、政治的な問題を正確に突いていた。

 レイフォル周辺での情報は、完全には隠せていない。

 物資不足が長引けば、市民の不安は政府への不信へ変わる。

 帝国が何らかの大勝利を示さなければ、国内の動揺を抑えられない可能性があった。

 

「陸軍はどう見る」

 

 グラ・ルークスが尋ねる。

 

「レイフォリア近郊への到達に成功すれば、この作戦は可能です」

 

 陸軍代表が答えた。

 

「ただし、ムー国境には連合軍地上部隊が既に展開しています。増援を含めると、最低でも数個軍団規模が必要となります」

「輸送船団には、その兵員も乗せる」

 

 カバルが即答する。

 

「客船を徴用すればよい。帝都と主要港湾の客船をすべて集めろ」

 

 今度は陸軍の面々が絶句する番だった。

 グラ・ルークスは長い間、作戦案を見つめていた。

 貴重な燃料を消費し、多数の艦艇を危険にさらす。

 海軍は明らかに反対している。

 失敗すれば、帝国本土を守る艦隊まで失われる。

 

「この作戦は、見送るべきだ」

 

 やがてグラ・ルークスは告げた。

 

「父上!」

「危険が大き過ぎる」

「本土へ引きこもれば、日本に敗北を認めたも同然です!」

「帝国を守ることと、敗北を認めることは違う」

「市民はそう考えません!」

 

 カバルは卓上へ両手をついた。

 

「帝国は世界最強であると、我々自身が示さなければならないのです。ここで退けば、属領も占領地も一斉に反乱を起こします。レイフォルだけではありません。帝国に服属したすべての国が、我々を侮るようになる!」

「だからといって、艦隊すべてを賭けるのか」

「すべてではありません」

 

 カバルは海軍側を見た。

 

「本土防衛に最低限必要な艦艇……監査軍などは残します。一方の海軍は、総動員します」

 

 海軍参謀総長が何か言おうとする。

 しかし、カバルはそれを遮った。

 

「そして、この戦争を終わらせるのです。輸送路も物資も戻る。潜水艦が十隻や二十隻いたとしても、帝国海軍全体を止めることはできない」

 

 グラ・ルークスは、息子の顔を見つめた。

 そこに迷いはない。

 軍事的な危険を理解していないからこその、揺るぎない確信だった。

 会議は、その後も数時間にわたって続いた。

 海軍側は損失予測を示した。兵站担当者は燃料消費量を示した。本土防衛担当者は、残存戦力不足を訴えた。

 だがカバルは、政治的威信とレイフォル奪還の必要性を繰り返した。

 最終的に、グラ・ルークスは折れた。

 

「……作戦準備を許可する」

 

 その一言に、海軍軍人たちが顔を上げる。

 

「ただし、本土防衛に必要な戦力は残す。損害を受けた場合、作戦司令官の判断で引き返すことを認めよう」

「ありがとうございます、父上」

 

 カバルの顔に笑みが浮かぶ。

 一方、海軍側の席に座る者たちは誰も喜ばなかった。

 帝国史上最大の救援船団。

 後に「レイフォル大輸送船団」と呼ばれる作戦が、皇太子の強引な主張によって承認された瞬間だった。

 


 

 帝国全土に、動員命令が発せられた。

 

 軍港で修理中だった艦艇、訓練部隊に所属する艦艇、植民地警備任務から戻った艦艇、本土沿岸を守る予備艦艇。

 使用可能な船は、次々と指定された集結港へ向かった。

 編成された戦闘艦艇は、あまりにも膨大だった。

 

 戦艦二十二隻。

 正規空母三十隻。

 護衛空母五十隻。

 巡洋艦七十四隻。

 駆逐艦五百隻以上。

 

 さらに哨戒艇、掃海艇、給油艦、工作艦、曳船など、数百隻の補助艦艇が加わる。

 輸送船団の積載計画も、帝国史上例のない規模だった。

 

 弾薬二十万トン。

 兵器及び車両十万トン。

 燃料三十万トン。

 食料三十五万トン。

 高速輸送船による優先物資十万トン。

 

 これに加え、兵員輸送用の徴用客船、医療船、工作艦、浮きドックを搭載したドック艦まで編入されている。

 単に物資を運ぶための船団ではない。

 港湾と艦艇を修理し、陸上部隊を展開するための移動基地だった。

 

 艦隊は、複数の護衛層によって構成された。

 

 船団中央部には輸送船と兵員輸送船が集められる。

 その直近を、大量の駆逐艦からなる直掩護衛グループが取り囲む。

 駆逐艦はソナーと爆雷、対潜ロケット、新型誘導魚雷を搭載し、潜水艦の接近を阻止する。

 

 その外側には、戦艦、巡洋艦、空母を中心とした間接護衛グループが配置された。

 空母航空隊が長距離の対潜哨戒と防空を担当し、戦艦と巡洋艦は日本水上艦隊の出現に備える。

 

 直掩護衛グループと間接護衛グループの間には、高速補給艦群が配置された。

 燃料、砲弾、航空機用弾薬、交換部品等。

 長大な航海中に護衛艦艇が必要とする物資を、洋上で補給するためである。

 

 さらに船団の前方には、三つの打撃群が先行する。

 それぞれが複数の戦艦と正規空母、巡洋艦、駆逐艦を有し、日本またはミリシアル帝国の主力艦隊が出現した場合、船団へ接近する前に迎撃する。

 

 後方には工作艦とドック艦を中心とした支援部隊が続く。

 損傷した艦艇を応急修理し、航行不能艦を本土へ曳航するための部隊であった。

 

 艦隊の先頭から最後尾までの距離は、数百キロメートルに達すると予想された。

 幅もまた広大であり、すべての艦艇が予定通りの隊形を取れば、海面そのものが船で埋め尽くされたように見える規模だった。

 

 だが、その編成には大きな問題があった。

 

 多数の艦艇が、それぞれ異なる部隊から寄せ集められている。

 通信方式、訓練水準、対潜戦術、航海能力等。各艦の状態は統一されていない。

 修理を完全に終えていない艦もあれば、乗組員の一部を訓練生で補っている艦もある。

 それでも、帝王府から示された出撃期限を守るため、準備は強行された。

 


 

中央暦1643年1月21日

帝都ラグナ 帝国海軍療養施設

 

「……何だ、これは」

 

 カイザルは、渡された編成表を見つめていた。

 レイフォル陥落の報告を受けて倒れた後、軍医の命令によって数日間の休養を取らされている。

 ようやく一人で歩ける程度には回復したものの、顔色はまだ悪い。

 机の上には、帝国史上最大の艦隊編成が並んでいた。

 

「戦艦二十二、空母八十、駆逐艦、五百以上……」

 

 ページをめくる。

 そのたび、信じ難い数字が現れる。

 

「誰が、これを承認した」

 

 副官は答えにくそうに口を開いた。

 

「皇太子殿下が立案され、帝王陛下が最終的に許可を下されました」

「海軍は」

「参謀総長をはじめ、複数の将官が反対しました」

「それでも、か」

「はい」

 

 カイザルは再び編成表へ目を落とした。

 

「本土防衛艦隊からも出している」

「監査軍を除き、海軍は全て動員対象です」

「植民地警備艦隊まで」

「帰投可能な艦は、すべて集結を命じられています」

「燃料は」

「戦略備蓄から供出されます」

 

 カイザルの口が僅かに開いた。

 しかし、声は出なかった。

 怒り、困惑。

 そして恐怖。

 あまりに多くの感情が同時に押し寄せ、言葉にならない。

 帝国海軍が保有する戦力を一か所へ集中する。

 

 一見すれば、圧倒的な大艦隊である。

 

 だが、日本の潜水艦が支配する海域へ、それだけの艦艇と輸送船を送り込めばどうなるか。

 戦艦も空母も、燃料輸送船がなければ動けない。

 駆逐艦が五百隻あっても、潜水艦を発見できなければ意味がない。

 巨大な船団は回避行動に時間がかかり、通信の混乱も起こりやすい。

 日本側から見れば、探す必要すらないほど巨大な標的となる。

 

「なぜ、私に連絡しなかった」

「閣下は療養中でした」

「それが理由になるか」

 

 声は小さかった。

 怒鳴る力すら残っていない。

 

「今から中止させる」

 

 カイザルは立ち上がろうとした。

 だが足元がふらつき、副官が身体を支える。

 

「閣下」

「帝王府へ行く」

「既に各艦隊へ命令が発せられています」

「取り消させる」

「集結を開始した艦艇もあります」

「ならば、なおさら急がねばならん!」

 

 カイザルは編成表を握り締めた。

 

「これは船団ではない」

「帝国海軍を丸ごと、敵の潜水艦へ差し出すつもりか」

 

 紙が震える。

 

「日本は、商船一隻を沈めるために戦艦を狙う必要はない。燃料船を沈めればよい。補給艦を沈めればよい。航路の中央で大型船を沈め、船団を混乱させればよい。なのに!」

 

 カイザルは、その場で立ち尽くした。

 

「我々は、レイフォルで何を学んだのだ……」

 

 船団の出撃を止めるためには、帝王と皇太子の決定を覆さなければならない。

 だが、既に作戦は帝国の威信を賭けた国家事業として宣伝されようとしていた。

 海軍の合理性だけで止められる段階を過ぎている。

 


 

同日夜

帝国監査軍司令部

 

「主力艦隊の大半が、救援船団へ編入されました」

「西部管区の駆逐艦も、三分の二が引き抜かれています」

「北部航路の護衛艦は?」

「最低限を残し、動員対象です」

 

 ミレケネスは報告を聞きながら、本土周辺の海図を見つめていた。

 救援船団の編成が決まった後、残された戦力による本土防衛を命じられた人物である。

 幸いにも、監査軍の戦力にはほぼ手がつけられていなかった。

 机上には、各基地から送られてきた残存艦艇一覧が並んでいる。

 戦力としては、決して皆無ではない。

 だが、日本艦隊による本格的な攻撃を阻止するには、あまりにも心許なかった。

 

「救援船団が出港した後、本土周辺で行動可能な戦艦は?」

「修理中を含め九隻です」

「即応可能なのは」

「五隻」

「空母は」

「正規空母五、護衛空母十。ただし航空機と熟練搭乗員の多くが救援船団へ回されています」

 

 ミレケネスは短く息を吐いた。

 

「海岸砲台の弾薬備蓄を再確認。機雷敷設艦は、直ちに主要港湾へ移動。訓練中の航空隊も防空任務へ組み込む。沿岸監視所は二十四時間態勢へ移行。救援船団が帰還するまで、本土は我々だけで守るわ」

「……日本が、この隙を突くでしょうか」

 

 参謀の問いに、ミレケネスは即答しなかった。

 

「突かないと考える理由があるか?」

「ありません」

「ならば、来るものとして準備するわよ」

 

 ミレケネスは救援船団の航路を示す線を見た。

 

「それに、船団が無事に帰ってくるとは限らない」

 

 周囲の参謀たちが沈黙する。

 

「本土防衛計画を最初から作り直す。主力艦隊が存在しないことを前提にして」

「はっ」

「それから各港が孤立しても、最低一週間は戦闘を継続できるようにする」

「了解しました」

 

 ミレケネスは、そそくさと書類をまとめ始めた。

 救援船団の成否を議論している時間はない。

 皇太子の命令によって主力艦隊が持ち去られた以上、残された戦力で最悪の事態へ備えるしかなかった。

 

 

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