「久しぶりだな、リディヴィーヌ」
こちらに向かって歩み寄ってくるその影に、オレは片手を上げて
「変わりないようで安心しました。ベルトラン」
「……皮肉にしか聞こえないな」
赤竜の残骸を横目に、
夜に溶け込む漆黒の髪、
大魔術師、リディヴィーヌ。
だが、そんな外見の気品も優雅さも
本能に生きる獣ならば一目に逃げ出す程度に滲み出た『強者』としての存在感は、我が師ながら、未だ恐ろしい以外の感想が湧いてこない。
(まあ、オレがガキだった頃のリディヴィーヌはもっと恐ろしかったが……)
過去の
オレの膝元で血塗れのまま倒れているフェリスを見て、その表情が厳しくなる。
「この少女は……」
「ああ、これは気絶しているだけだから安心してくれ。呼吸はしてるし、見た目が赤黒いのはただの返り血だ」
「そうでしたか、よかった。では、あなたがこの娘を守ったのですね」
「オレはアンタの弟子だからな。リディヴィーヌの弟子となるものは
「…………」
いつもならば、その道徳性の
オレは視線を横に
「あの魔獣の〈
「……通用したということは、“
「はは、なるほど、やはりアンタには敵わないな」
かつて、その魔術を
そうして今や、“花刃の魔術”は鋼花の国の象徴となっている。
オレは肩をすくめつつ、フェリスを背負ってゆっくりと立ち上がった。
「ところで、どうして大魔術師のアンタがここにいる? 今は不在と聞いていたが、偶然にしては不思議な状況だな」
「…………」
またしても、沈黙するリディヴィーヌ。
どうした――そう聞こうとして、今度はオレが黙る番となった。
眼前に
(…………)
あの日。リディヴィーヌに会った最初の日の、酷く暗い……荒野の中心。
あれから、時の流れによってその顔にはいくつも高年の証を刻んでいるものの、しかし、翡翠色の
この師匠がそんな表情をする時は、決まって――
「――リディヴィーヌ様、“雨降らし”の準備が整いましたよ」
赤竜の骸の背後に続く道の先、夜空に滲むほどの炎の光に包まれた空間から男が一人、こっちに歩いて来た。
枯れ草色の髪をした男……いや、青年と言ったほうが正しいか。
新たに現れたのは、リディヴィーヌの五番弟子、オレの
こっちは師匠と違い、黒
自由に跳ねた癖っ毛の髪と、
ミリオールはいつもの落ち着き払った物腰でリディヴィーヌのやや後ろに控えて、前方に立つオレと視線を合わせる。
「おや、ベルトラン。君が魔獣討伐をするなんて珍しいね」
「まあな」
一応、オレはこいつより年上であり
「ご苦労さまです、ミリオール。では……“雨降らし”を始めましょう」
そう言って、リディヴィーヌは空に向けて右手を差し出した。
「〈
リディヴィーヌが
光は木々の隙間から見える遥か先まで
そして、数秒が経ち、
「……手軽な消火活動だな」
ぽつぽつと、水滴が頭上を
立ち木の近くにいるオレとフェリスは突然の降水にも濡れずに済んでいたが、前方に佇むリディヴィーヌとミリオールの二人は全身を雨の下に
ミリオールの方は黒法衣の後ろの首元に付けられた
次第に強まっていく雨音が、さっきまでここにあった静寂の
それでも、かろうじて声の届く距離にいる己の師に向かって、オレは問う。
「なあ、そろそろ教えてくれていいんじゃないか? ……誰が裏切った?」
「…………」
さっきの質問の続きを通り越して、オレは核心の部分を尋ねることにした。
「アンタの態度を見るに、〈
二人の横合いにある、今度こそ完全に沈黙した巨大な魔獣をちらりと見る。
〈禁忌〉とは、初代の“三大魔術師”によって創られた魔術師の掟のことだ。
錬金術の国エンピレオが大陸を
当事は民衆からの冷遇や迫害に対してそうせざるを得なかったらしいが、現在においても、魔術師には十を超える規律は存在する。もっとも、それらが全て
(ただし、一つだけ絶対に破ってはならない〈禁忌〉がある)
それを破った魔術師には……同じく魔術師が処罰しなければならない規律もまた、存在する。
「先に言っておくけど、赤竜の死骸が動き出したのは僕の魔術じゃないからね?」
オレの視線を追って振り向いたミリオールが、
「ああ、知ってる。お前の“
大穴で
だが、あの男が一人でこれほどの事を起こせるとは思えない。信奉者の仲間がいるとして、それこそがおそらく……魔術師だ。
死した魔獣を操り、魔女の信奉者に
(…………)
ふと、
空はとうに暗くなり、月明かりさえ覗かない森の中を、魔術によって降り出した雨に打たれながら……リディヴィーヌが答える。
「フォルトゥナが――裏切りました」
「……フォルトゥナ、か」
告げられたその名前を聞いて、オレは……驚くことはなかった。
――フォルトゥナ・パルーフェ。リディヴィーヌの三番弟子であり、
得手とする魔術は、“
「…………」
大陸に無数といる魔術師の中で、あろうことか身内から現れた
リディヴィーヌは一呼吸置いて、
「〈禁忌と制裁〉の規律に従い、魔術師の誇りに懸《か》けて、〈禁忌〉を犯した重罪人フォルトゥナを――処罰します」
絶対に破ってはいけない〈禁忌〉――『戦乱《せんらん》を生み、戦乱に投じ、不純なる
遠い過去、大陸を支配していた覇者を打ち倒し、二度目の戦乱を呼び起こした魔女を
感じていた予感はとうにオレの背を追い越して――すでに現実のものとなっていた。
「…………」
降り続く雨音に
漆黒に塗り潰された空を、オレは睨むように見上げた。