「先生、侵入者用センサーは!」
「もちろんありますが……!」
副委員長である八百万さんがいち早く13号先生にそう尋ねた。これが突発的に発生したテロなら、まず不法侵入にこちらが気づかない訳が無い。先述したように雄英高校はそもそもが堅牢である故、並大抵の敵であればまず侵入すら不可能なのだ。それがここまで隠然と、学園内に張り巡らされた監視の目を掻い潜ってまでやって来るとなると──ー。
「校舎と離れた隔離空間、そこに
バカだがアホじゃねぇ。これは、何らかの目的があって用意周到に画策された奇襲だ」
轟くんの鋭い推測が私の背中を凍りつかせる。ヒリついた空気は人知れず周囲の不安を煽る一方であったので、それを紛らわすように拳を握りこんだ。戦闘訓練の時から思ってはいたが、彼の俯瞰して物事を見る判断力は相変わらず健在のようだ。
13号先生の先導によって、ひとまずは非常口のゲートを目指すために足を動かす。相澤先生が13号先生に「任せた」と一言残して去っていった今。
幾らヒーローを志す有精卵であるとはいえど、それはどこまでいっても、現状はただの「派手な」個性を持っているだけの学生でしかない。
私は絶えず思考を逡巡させて、結論を弾き出した。けれども、その最善策に素直に肯えないでいる自分の存在に気がついて体の芯から血の気が引いていく感覚を覚えた。
この場において賢明なのは__迅速かつ柔軟な対応以外の何物でもない。
頭ではそう分かっているのに、先程からどうにも煮え切らない思いが胸の中で渦巻いていた。今回の奇襲も、もしかしたらリブートは全て知っていたのではないか。緑谷くんの個性の件を知っていたのだ。単に勘が冴えている、だけでは片付けられない違和感がある。私は誰にも悟られないように短く息をついた。
その時である。
「させませんよ」
突如、上から声が降ってきた、という表現が正しいのだろうか。地を這うような男の低い、ノイズの混じった声だった。
それにどことなく既視感を感じたのを胸の奥に押しやって、目の前を見た。皆して、血の気がない顔で呆然と立ち尽くしている。
「初めまして、我々は敵連合。僭越ながら……この度ヒーローの巣窟雄英高校に入らせて頂いたのは、平和の象徴オールマイトに息絶えて頂きたいと思ってのことでして」
その言葉に、私の根底にあった意識が揺ぐ。
傍でリブートが冷ややかに微笑んだ気がしたが、肝心の表情は汲み取れない。
『ほらね。この世のヤツらってのは"フィルター越し"にしか物事を見てないだろ? 私の言う通りって訳だ』
「その前に俺たちにやられることは考えてなかったか!?」
「ダメだどきなさい二人とも!」
咄嗟に勝己くんと切島くんが13号先生の制止を待たずして攻撃を試みる。しかしそれも虚しく、悠々と全てを躱しきった相手は、こちらが第二の手を打とうとするや否や辺り一帯を黒い霧で包み込んだ。
ほぼ直感的に飲まれる、と悟った。だから、私はただそれを受け入れることにした。察するに、移転装置系の個性だろうと踏んで滞りなく流れる霧のごとく、この身を委ねた。いっその事、そのまま消え去ってしまえと。
けれど、現実はいつも無常である。
次に目を覚ました時、そこには敵の他、雄英生は誰もいなかった。代わりに、立ち上る煙と延々と火柱を上げ続けるビル群の山。
「火災ゾーン……」
『らしいね、面倒だしパパっと片してアイザワ先生と合流しよーぜー。どうせマスターハンド相手に舐めプやってんでしょオ』
「……うん」
リブートの言葉は今ひとつ理解が出来なかったものの、軽く頷いては襲いかかってくる敵を片付けるべく前を向いた。
燃え盛る景色の中で敵のうめき声と己の浅い呼吸音だけが響いている。私は、大きく抉れた地面に目を向けた。
そこだけ切り取られたような、或いは作り変えられたような形状でぽっかりとあいたままの土砂の真ん中に、私はひとり立っていた。
辺りの建物は殆ど崩壊しており、被害の大きさが垣間見える。
「ヒッ」
地に倒れる敵と目が合った、と思えばすぐさま逸らされる視線。
それは、一般市民が敵を見た時と同じ表情をしていた。
怯えが全面に出て、まるで化け物を見るような目を、彼らもするのかと思った。
そうして、体に着いた煤を払った。
「死柄木弔」
「黒霧、13号はやったのか」
「行動不能には出来たものの散らし損ねた生徒がおりまして……一名逃げられました」
『あー、こりゃア出遅れたかな?』
セントラル広場まで駆け足で戻ってくると、目の前には惨劇が広がっていた。相澤先生が敵勢力に押されているではないか。どう考えても一人で太刀打ちするには分が悪すぎる。
絶句する私とは別に、リブートの口調はどんどん喜色が滲むものに変わっていく。相澤先生の腕は、脳を象ったような生き物に掴まれて、無惨にも潰されていた。だらりと脱力して、私の前にさらけ出されている。
私は、それをただ見ているだけ。
身体が凍りついたように動かなかった。
「……」
『アーアー、あんなに掻くと痕になるぜ……ステロイド軟膏塗ってあげようかしら』
ひくり、と喉の奥が蠢いた。変な痙攣を起こして、上手く息が吸い込めない。代わりに、目の前の男が首をガリガリと引っ掻く音が否応なしに耳に飛び込んでくる。
敵が"死柄木弔"と呼んだ少年は、今にも人を殺しそうな鋭い瞳で何かをぶつぶつと繰り返していた。ゲームオーバーだとか不気味な言動をする彼は、やがてこちらに視線を向けた。
「けどもその前に平和の象徴としての矜恃を少しでも……
へし折って帰ろう!」
「斎蹴さん!!」
迫り来る敵の姿を見た。
死という名の恐怖が全身を駆け巡った。
『エッ不意打ちなんてアリ?
……私はアリだと思うケドー!!』
しかし、私にはその一切を断ち切るそれ以上のものがあった。
「やめて……」
『では行きます、"平和の象徴の出番NTR大作戦"。ぱんぱかぱーん』
「ア? 雄英生ともあろう奴が土壇場で命乞いか? はは、はははは!」
「ああ、あ……」
私は耐えられなくなって遂に顔を覆った。人目も憚ることなく崩れ落ちた私の前に、影が降りかかる。これはただの悪夢だ。全てがリブートの掌の上。この挙動も、次の行動も、全てはそれの所有する盤上のお遊びに過ぎない。
ニコニコと変わることない表情で戦闘を俯瞰している裏で、都合の良いように駒を進めている。どうしようもなく愚かだ。こうなることは分かっていた、初めから分かりきっていた!
「……知ってたんでしょ」
「は? 何の話だ」
私はリブートを見た。何もいない方向に向かって話す私に相手は首を傾げる。そんなことも構わずに私はリブートに近づいた。
『まアね。でも別に言う必要はないかなと思ってさ。君が個性使うなんてのは前提として論外、碌に手出しもできない以上知っておいても意味ないだろう?』
「人を都合の良いように扱わないで」
ぐしゃり、体操服の裾を握る腕に力が入る。
『最初にそれを望んだのは遼の方だろ、ひどい言いがかりだよ』
「だからって、こんなのは望んでない……!!」
「お前、何を言ってる……?」
ピリピリとした殺気と、男の五指が私の方に目がけて飛んでくる。これを避けなければ、確実に死ぬのだろう。しかし、それは許されない。
『文句があるなら、脳無の一体でも倒してからドウゾ』
「は、? ____ッぐ、あ゛ッ、……!!!」
どおん、と鈍い衝撃音がひとつ。続いて、一瞬のうちに粉塵が辺り一面に舞い上がった。
死柄木弔の姿はない。代わりに、リブートの場にそぐわないほど明るい笑い声がその場に飽和しきっていた。
「斎、蹴…………!」
相澤先生がにげろ、と口を動かすのが見えた。死柄木弔が私を殺すように、"脳無"とやらに命令したのだと思われる。
つまらない遊戯だと、私の背後で嗤う者がいた。口裏から、早く終わらせろと口々に文句を言ってくれる。
『さァて、ガンバってねえ〜遼チャン』
その日、緑谷は見た。
目の前の幼馴染に降り注ぐ厄災を。
今の不甲斐ない己では力及ばないと分かっておきながらも、体は勝手に動き出していた。
驚くほど硬い巨躯と脳が露呈した気味の悪い見た目をした生物___脳無が、彼女に迫っているのを止めようと、蛙水と峰田も合わせて抑制にかかった。
その瞬間。
「ッ、なんだ……!?」
「ケロ、避けて緑谷ちゃん!」
周囲に広がる地響きとともに何かがこちら目掛けて飛んでくる。蛙水の舌がすかさず緑谷を引き寄せて避けると、それが単なる瓦礫であったと気づく。
緑谷は、衝撃波の中央にいる自身の幼馴染__斎蹴遼と対峙する敵の方に視線を向けた。目にも止まらぬ速さで繰り広げられる攻防は目視で捉えるのさえやっとだ。
それの反対側では、先程の衝撃音と粉塵に紛れて壁に激突したらしい蒼髪の男が何やらぶつぶつと狼狽えたまま呟いた。
「なんで、アイツが……ここにいる訳ない……!」
全身から溢れ出る男の動揺と殺気に、緑谷の脳内は絶えず警鐘を鳴らし続けていた。けれども男の射殺さんとばかりの視線は、緑谷ではなく斎蹴遼に向けられている。
がつん。
不意に、緑谷らの耳にとびこんできた軽い音があった。竹を割ったような、まっすぐな音だ。物音の中心では、砂埃に混じった人影の中からその姿が現れた。勝敗が着いたようにも見えたそれは、思いの他アッサリと終焉を迎えたからである。
「斎蹴さ」
しかし、緑谷の言葉がそれ以上続けられることはなかった。腹の辺りにどろりとした何かが溜まっていく感覚があった後、すぐさま肺が空気を求めたことで無意識的に息をとめていたのだと悟る。
「う゛っ……ぎ、……」
斎蹴遼、その人は。
何者に対しても心を開くことのない少女、傍若無人で傲岸不遜。ドがつく合理主義者で、孤高の王者……そんな緑谷の抱いていた彼女への印象が、ゆっくりと瓦解していく。
目の前に映し出された光景が理解を拒んだ。
脳を露出させた敵が、彼女の頭部を掴みあげていた。今にもかち割らんとばかりに乱雑に持ち上げられた体ごと、彼女の拳から力が抜けていくのが目に入る。その腕を伝って、鮮血が地面へと滴り落ちた。
「脳無……そいつを殺せ……!!!」
壁に叩きつけられていた男がそっと斎蹴の方を指さした。蛙水も峰田も、相澤でさえも反応するのに一呼吸置いているさなかで、緑谷だけが敵目掛けて走り出していた。
「やめろ────ーッ!!」
(マズイ……このままじゃ……!!)
緑谷は拳に力を一点集中させる。全身の血液がふつふつと滾って行く感覚に襲われながら、間髪入れずに敵の脳天へと拳を振り下ろした、その瞬間であった。
SMASSH___……
『オット、無理は良くないぜ少年』
「は」
そうして、緑谷の背後に重ねられた手。
と同時に耳元に囁かれた無機質な声に、緑谷は心の底から恐怖を覚えた。気配にすら気付けなかった、いつの間に。声自体に畏怖のようなものがあった訳ではないのに、本能がそれを受け付けない。人ではない何かと邂逅しているようだった。ゾワゾワと肌が粟立つのが分かる。
緑谷は相手の方を振り返ることもままならないで、その手が自分の上からゆっくりと離れていくのを見ていた。
目の前の敵よりももっと根源的な恐怖が、緑谷の背後に付き纏っている。
『アー、落ちた。成程、私に丸投げする気かな……仕方ない』
後方でぶつぶつと何かを呟いては、まるで端から緑谷を視認していなかったように姿をくらませる。"それ"に対して、警鐘を鳴らすかのようにバクバクと、自分の心臓が全身に血液を回す音さえも鮮明に聞こえてるんじゃないかと思うくらいの強い拍動。
次の瞬間、緑谷の視界に映ったのは目で追えないほど素早い人の残光と、吹き飛ぶ脳無の姿だった。