5月。
新年度が始まって少し経ったこの時期。進級に伴って入れ替わるクラスメイト達にも少しずつ慣れ、新たな人間関係の構築も済んでくる頃だ。かくいう俺も、一年の時からつるんでいた奴らに加えて新しい友達が何人か増えた。
ある程度固定化されたコミュニティに途中から入る、ないし抜けるのは中々に苦労するものだが、そんなものは最初だけ。一度打ち解けてしまえば後は仲良くなるまで大して時間はかからない。
やっぱ
「河村、ちょっといいかー」
「はい? なんすか?」
夕方のホームルームが終わり、のんびりと駄弁っている所に担任から声がかかった。周りのヤツらは「何かやったんか?」などと縁起でもない事を口にするが、特に思い当たる節も無いためビビりつつ席を立つ。パトカー通る度に別に悪いことしてないのにちょっとドキッとするのと同じだ。
内容がなんであれ、教師が顔を出したら否応なしに注目を浴びる。その視線から逃げるように若干背を丸めて教室の外へ。放課後だからか廊下も生徒たちで溢れているが、教室内よりはまだマシというもの。
「……俺、なんかやっちゃいました?」
「そんなビビらなくてもいいって。ちょっと頼み事があってな」
おそるおそる尋ねてみると、無精髭を生やした担任(32歳独身彼女無し)は苦笑いしつつ、その手に挟んだプリントをヒラヒラと揺らす。
「確かお前ん家、駅から近かったよな」
「まあ、はい」
「ちょうど良い。帰りに一ノ瀬の家までプリント届けてくれるか? 進路希望調査のプリントなんだが、提出期限が明日まででな。月曜から欠席してるから渡すに渡せなくてなぁ」
「はぁ……」
先生の説明に曖昧な返事をしながら、扉の窓越しに自分の席───の隣にある空席に目を向けた。
一ノ瀬うるは。
今年から同クラスとなった女子生徒で、更には席も隣。しかし直接話をしたことは殆どない。というのも彼女は何かと学校を休むことが多く、たまに登校してきても授業中や休み時間もほぼ寝ているからだ。出席日数や成績がどうなっているのかは知らないが、それでも進級出来たということは意外と何とかなっているんだろう。
あまり良いとは言えない素行と授業態度からか、一年生の時から色々と噂にはなっていた。
曰く「他校の生徒3人をまとめてシメた」だの「家がヤバい家系だから関わったら消される」だの「中学時代に暴れまくったせいで退学になった」だの「机をぶっ叩いて真っ二つにした」だの。にわかには信じられないような噂も一部混じってはいたが、正直どこまで信じられたもんか怪しいところではある。
とはいえ今回はただプリントを届けるだけだ。込み入った話をする訳でもないし、さっさと渡して用件伝えて帰ればいい。1分もかからないだろうし、トラブルになるようなこともないだろう。
「まぁ、はい。分かりました」
「そうか、助かる。んじゃ、よろしく頼むな!」
パシン、と俺の肩を叩いて去っていく担任の後ろ姿をボケっと眺めていると、教室の中から様子を見ていた奴らがぞろぞろと群がってきた。取り残された俺と、手にした進路希望調査の紙を見て首を傾げる。
「あれ? 河村、進路希望もう出してなかったっけ?」
「あぁいや……これ、一ノ瀬の分」
「は? 一ノ瀬って、あの一ノ瀬?」
「どの一ノ瀬か分からんけど多分その一ノ瀬」
「……生きて帰れよ、お前」
「マジであの人どんな扱いになってんの?」
猛獣か何か?
◇◆◇
「でっっっっっか」
先生から教えてもらった住所をGo〇gle先生のマップで探しつつ、なんとか辿り着いた俺の開口一番の感想である。何階あるんだよこのマンション。見上げてるだけで首痛くなりそう。セキュリティとかには全く詳しくないが、めっちゃ厳重でめっちゃ金かかってそうな事だけは分かる。
エントランス的な所まで入れたはいいんだけど、この後どうすりゃいいんだ……? あ、インターホンに部屋番号書いてある。これ押して直接話せばいいのか? 物理キーしか使ったことない一般市民には過ぎたテクノロジーだなこれ……
等と心の中であれこれと感想を浮かべつつインターホンぽちー。
返事を待ちつつ……ん? そういえば、女子の家来るのって初めてじゃね? アッなんかそう思うと急に緊張してきた……ッ、心臓バクバクするし変な汗出てきた! 落ち着け俺、どうせプリント渡すだけ、必要最低限のコミュニケーションでOKなはず。
そうだ、落ち着け……落ち着け……こういう時は深呼吸。特殊な呼吸をすることで神経の昂りを抑える、だったっけ。ひっひっふー、ひっひっふー、いや違うなこれ? なんか産まれてきそう。
などと一人でわたわたしていると、鳴らしたはずのインターホンから反応が無いことに気付く。
「押した、よな? 体調不良なら家に居るはずなんだけど……」
念の為もう一度押して、しばし待つものの結果は変わらず。残されたのは無言のインターホンと、プリントを手に立ち尽くす俺。さてどうしたもんか───
「そこ、邪魔なんだけど」
唐突に声が掛かる。
反射的に振り向くと、立っていたのは一人の女子。
白いパーカーにオーバーサイズの上着を羽織り、手にはコンビニの袋が提げられている。左側だけを緩く編み込んだ艶やかな黒い長髪に、涼やかな青いメッシュ。長い睫毛に縁取られた瞳は眠たげに細められているが、その下に覗く紫水晶のような瞳はジッとこちらを射抜いている。
というか、一ノ瀬うるは、その人だった。
「あ、あぁ。悪い」
そう言って横に避け、道を譲った。が、一ノ瀬は怪訝そうな顔で俺の事を上から下まで眺めている。学校の制服だし、怪しい点はないはず。そもそもクラスメイトなんだし、名前は知らなくても顔ぐらいは覚え「ていうか、誰? うちに何か用?」てる訳ないよな、知ってた。
「……河村だよ、河村。隣の席の。進路希望調査のプリント届けに来ただけ。んで、提出期限が明日までだから必ず出しに来いってさ」
ささやかな抵抗として自己紹介しつつ、手にしていたプリントを改めて一ノ瀬に突き出した。あからさまにダルそうな顔をしつつも受け取った彼女は、プリントを流し見するとそのままコンビニの袋に突っ込んだ。いや雑だな……
「わざわざ届けに来たんだ」
「そりゃ、先生から言われたらな」
「ふーん……暇なの?」
女子にしてはやや低めの声。耳に心地よい声とはこういう声質のことを言うのかもしれない、とそんな事を思った。が、次いで出てきたセリフに関してはおよそ初対面に近い人間に言う言葉じゃねぇ。
落ち着け俺、相手は女子だぞ。少しでも扱いを間違えればこちらが社会的にぶち転がされる事は想像に難くない。しかも噂が本当ならこの場で物理的にぶち転がされてもおかしくはない。
そう、ここはなんでもないようにして受け流すのが正解。
「俺だって好きでやってる訳じゃねぇよ。大体、そっちが学校来てれば俺がここに来る必要もなかったんだからな」
「は?」
やっべ本音出た。
一ノ瀬の瞳がギュッと絞られ、形の良い眉が吊り上がる。うお怖ぇ、美人が怒ると怖いってのはマジらしい。ていうか女子が出していい声と圧じゃねぇだろ。
「じゃあ何? うちが悪いってこと?」
「今回に限ってはそうだろ。休んだ理由が理由なら仕方ないだろうけど」
「仕方ないとか、なんでそんな偉そうなん? うち別に頼んでないんだけど?」
「俺が頼まれてんの。巡り巡って他人にしわ寄せが行ってんだから、感謝か謝罪の一言くらいあってもいーだろが」
「なんなん? マジで。善意の押し売り?」
「少なくとも目の前の人は買ってくれそうに無いけどな」
「……は?」
「……あ?」
まさに売り言葉に買い言葉。ヒートアップするレスバ。おかしい、本来なら俺はこんな短気な人間じゃない筈なのに。一ノ瀬の言葉にはつい言い返したくなってしまう。
エントランスで睨み合う俺と一ノ瀬。出会って僅か数分でめちゃめちゃ険悪なムードになってしまったが、その睨み合いも長くは続かなかった。
きゅるる…という可愛らしい音が響く。
音の出処は、どうやら目の前の一ノ瀬……の、腹部から。よくよく見てみれば、コンビニの袋にはカップ麺やサラダ等の食料品。なるほど、腹減ってコンビニ行ってきた帰りだったのか。どおりでキレやすいというか、言葉の切れ味がナイフみたいになってた訳だ。
当の本人はというと、色素の薄い頬を赤く染めてこっちを睨み付けていた。しかし、今度は羞恥が混じっているためか先程までの圧は感じない。むしろ、空腹で怒りっぽくなるという子供っぽい面が見られた分、こちらが大人になれば良いという余裕すら生まれてきた。
「あー……まぁ、腹減ってるとイライラするよな。悪かった」
「はぁ!? なんでそこで謝る!? 別にお腹空いてた訳じゃないんだけど!?」
「うんうん。俺はもう帰るから、ゆっくり食べろ」
「いやウザっ!話聞けよ!あとその笑顔止めろ!!」
うんうん、それは空腹が悪いね。じゃ、(胃袋に)入れるね───。
後ろで一ノ瀬が何かギャーギャー言ってたような気がするが、俺の頭の中は既に『一ノ瀬うるは=幼女』の方程式が出来上がっていたため殆ど気にならなかった。
家に帰り、晩飯を作り、風呂に入ったあとめちゃめちゃA〇exやってから寝た。
ちなみに一回もちゃんぽんは取れなかった。解せぬ。