一ノ瀬と俺。   作:パラベラム弾

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うちと河村(2)

「あー……留め具ごと外れちまってるっぽいな。無理に押し込めばなんとかなるか……? でもなぁ……うーん……」

 

鼻緒の切れたうちの草履をためつすがめつ確認していた河村が、呻くような声をあげた。

 

草履の歩き方に慣れていないのがいけなかったのか、はたまた単純に運が悪かったのか。どちらにせよ片足では歩くに歩けないので、肩を貸してもらってひとまず先程のベンチまで戻ってくることはできた。……体力のないうちにとっては、それだけでかなりの重労働ではあったのだけれども。浴衣でケンケンさすな。

 

乱れた息を整える傍ら、隣に座る河村の様子を横目に窺う。

 

スマホのライトを片手にああでもないこうでもないと頭を捻り、なんとか草履を直せないかと四苦八苦している。つい先程までお祭りを楽しめていただろうに、結局こうしてうちの世話に回る羽目になっている。

 

そんな姿を見て、胸の奥がちくりと痛んだ。

 

河村に世話を焼かれる事に慣れ過ぎて、今更それが嫌だなんてことは全くないんだけれど……最近、ふと考えることがある。うちは良くても、こいつは───河村はどう思っているんだろう、って。

 

以前、河村のお母さんから聞いた。家事を任せきりにしていることについて、河村は「好きでやっていることだから」と答えたらしい。でもそれは、ご両親の帰りが遅くて家にいるのが河村だけだから。他に担える人が居ないから。

 

もちろんご両親の負担を減らしたい気持ちはあるだろうけれど、そこには少なからず義務的な意味も含まれているとは思う。

 

一方で、うちの世話をする義務なんて何一つない。

 

発端こそ担任から頼まれた届け物だが、あくまで最初だけ。それからうちが部屋掃除や弁当作りなんかを頼むようになったけど、主従関係や雇用契約という訳でもなし。河村自身が嫌だと言えば終わらせるタイミングはいくらでもあった。

 

それでもこいつは、なんだかんだ言いながらも最終的にはやってくれて。会話の流れで冗談めかして断ることはあったけど、本気で『嫌だ』と断られたことは無かったように思う。ただそれも、うちが勝手にそう思っているだけかもしれない、なんて最近考えてしまう。

 

本当は口にしない、表に出さないだけで、嫌だと思っているんじゃないか。どうして赤の他人の世話なんて、と思っているんじゃないか。自堕落で鈍臭いうちに、辟易しているんじゃないだろうか。

 

うちと一緒に居ることが───河村にとって、苦痛になっていないだろうか。

 

高校生という限られた時間。うちにとってはあまり価値を感じられないそれが、河村にとっても同じだとは限らない。他にやりたいことがあるかもしれないのに、いたずらに時間を浪費させてはいないだろうか。

 

自分がダメな人間だという自覚はあるけれど、クズになったつもりはない。河村が嫌だといえば、無理に引き留めようとは考えていなかった。少しだけ踏み込んでいた関係性が、今まで通りに戻るだけ。ただのクラスメイトとして、互いに過干渉せず生きていくだけだ。

 

でも。

 

心のどこかで、それは嫌だと思う自分がいる。

 

河村に迷惑はかけたくない。でも今の関係が崩れてしまうのも嫌だ。そんな相反する思いが胸の内に存在している。

 

いつからだろう───こいつに世話を焼かれるのが、日常の一部に溶け込んでいたのは。

 

いつからだろう───そんな日常を、心地良いと感じるようになっていたのは。

 

 

 

 

いつからだろう───それを、終わらせたくないと思うようになったのは。

 

 

 

 

 

「───瀬……一ノ瀬!」

 

名前を呼ばれ、びくりと我に返った。

 

怪訝そうな顔をした河村がこちらを覗き込んでいた。思考に没頭するあまり、周囲の声まで聞こえなくなっていたらしい。努めて平静を装いながら、なんでもないと手を振って示す。

 

「なに?」

 

「なに? ってお前な……草履、ちょっとここで直すのは無理っぽい。お店とかで直してもらわないとダメかもしれん」

 

「……、そっか」

 

薄々分かっていたことではあるけれど。それでも、できたら最後まで回りたかったな、なんて。そんな未練がましい思いを抱ける程度には、うちもこの機会を楽しみにしていたらしい。自分の気持ちさえ正しく把握できていないというのに、相手がどうだとか考えても分かる訳がない。

 

……ああ、ダメだ。一度思考が回り始めたら、どうもメンヘラみたいになってきてしまった。そういう手合いが一番面倒臭いのに。名残惜しくはあるけれど、このままでは楽しむものも楽しめなさそうだ。今ならまだ楽しい思い出として残しておける。

 

「ちょうどいいや。なんか疲れたし、うちはここで休んでるわ。後は河村一人で回ってきていいよ」

 

もやもやと落ち着かない心の上に蓋を被せて、極力いつも通りの声色を意識して口を開く。自堕落で面倒臭がりな、いつもの自分。

 

おかしな所はなかったはず。お祭りに来たけど、人混みの中を歩いて疲れてしまったので早々にギブアップ。一ノ瀬うるはという人間を知っている人なら、特に違和感は覚えないはずだ。

 

うちの言葉を聞いた河村は、黙ってこちらを見詰めていた。

 

その視線から逃げるように、手提げからスマホを取り出して適当に弄る。もうお祭りに興味は無いですよ、というアピールも込めて。もちろん、SNSの画面を意味もなくスクロールしているだけで内容なんてこれっぽちも頭に入っては来ないのだけど。

 

しばらく無言の時間が続いたが、やがて河村がガシガシと頭をかいた。スマホを取りだして何かを打ち込み、小さなため息と共に立ち上がると、そのままうちの前で背を向けたまましゃがみ込んだ。流石に意図を掴みかねて、二、三度瞬きをした後になんとか疑問の声を絞り出す。

 

「…………なにしてんの?」

 

「駅まで戻るぞ。母さん呼んだから、車で帰ろう」

 

返ってきたのはそんな言葉。

 

予想外の返答に一瞬、反応が遅れた。

 

「な、何言ってんの。まだお祭り全然回ってないじゃん。花火だって残ってるし」

 

「いいよ別に。このままじゃ一ノ瀬も動けないだろ」

 

「だからうちはここで休んでるって。帰りはタクシーでも呼ぶから、河村は……」

 

「……あのなぁ」

 

呆れたような声音と共に、河村が肩越しにこちらを向く。その頬は、気の所為でなければ僅かに赤く染まっていた。

 

「お前と回ろうと思って誘ったのに、一ノ瀬が居なくちゃしょうがないだろ。いいから早く乗れって。この姿勢結構疲れんだよ」

 

「ぇぁ、う、うん……」

 

言葉の真意を尋ねる前に、急かされるまま河村の背に覆い被さるように体重を預けた。……預けて、しまった。

 

薄い甚平の生地を通して感じる、他人の熱。帰宅部で身体を鍛えたりなんてしていないのに、指先に触れる筋肉の硬さ。ごつごつした背中も、首筋から香るシトラス系の制汗剤の匂いも。自分とは違う『男子』の部分を間近に感じ、急激に心拍が早まっていくのが分かる。

 

「あと、これ。帯の下に挟んで腰周り隠しときな」

 

そう言って手渡されたのは……なんて言うんだっけこれ。風呂敷? だった。確かにおんぶだと裾捲れちゃうし、後ろからだとお尻のラインとか丸見えになっちゃうか。……ああもう、どれだけ気遣いできるんだよこいつ。

 

浴衣の裾を少し捲り、脚の可動域を確保。風呂敷を巻いたところで河村の腕が膝裏からするりと差し込まれた。少しだけ汗ばんだ肌。触れた箇所から、こいつの熱がうちにも流れ込んでくるような気がした。

 

「なるべく手で触らないようにはするけど、不快なら言ってくれ。よっ、と」

 

「わっ」

 

掛け声とともに河村が立ち上がり、目線が急激に高くなる。河村の身長が確か170くらいだったから、今の視線は大体180ちょっとくらい。普段うちが見ている景色とはまったく違うそれに、少しだけ心が躍る。

 

「……一ノ瀬お前、軽すぎねぇか? ちゃんと飯食ってるか?」

 

「食べてるけど。なんならお前の飯食い過ぎて若干増えたけど」

 

「他責マジ? ていうか別に責めてる訳じゃねぇよ」

 

もうちょっとタンパク質増やすか……なんて場違いな呟きと共に、ゆっくりと歩き始める河村。背に乗るうちを気遣ってか、上下動をなるべく減らすためにすり足気味に歩いてくれている。

 

本人はわざわざ言葉にしないし、うちも指摘することはないけれど。当たり前のように向けられる河村の優しさに充てられて、先程までの陰鬱な気持ちは幾分か晴れやかになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人を背負って歩くというのは、言わずもがな大変な労力である。

 

大人が子供を背負うのならまだしも、同年代の人間を背負って歩くのは男女であっても中々にしんどいものだろう。背負う側にコツがいるのはもちろん、背負われる側も重心位置や体幹のコントロールなどで背負う側の負担を減らさなくてはならない。

 

ただまあ、自他ともに認める引きこもりであるうちがそんなフィジカルなぞ持ち合わせていない訳で。重心管理なんて早々に諦めて、河村の背にへばりつくようにして体重を完全に預けてしまっていた。

 

後方に仰け反るよりは、くっついていた方がまだ楽だろうという考えである。断じてうちがくっつきたかったからとかそういうのじゃない。ないったらない。

 

一定のリズムで緩やかに揺れる、河村の背中。口では軽いなんて言っていたけれど、そのまま1km近い道のりを歩くともなれば、しんどくないハズがない。首筋には汗が浮かび、徐々に息も荒くなってきている。

 

それでも文句ひとつ言わず、あまつさえ「キツくないか」なんてうちの心配をする始末だ。キツいのはどう考えたってそっちの方だろうに。

 

余計な負担をかけるのもどうかと思って、道中はほとんど喋っていない。ただただ揺られ、時折タオルで河村の首筋を拭ってあげるくらい。あれだけ賑やかだったお祭りの喧騒は既に遠く、どこかから響く鈴虫の鳴き声だけがアスファルトに染み込んでいく。

 

それでも足を止めずに歩き続けることしばらく、来る時にも通った小さな橋へと差し掛かった。ここを渡れば駅はもうすぐそこ。河村のお母さんが待ってるから、あとは車に乗せてもらって一緒に帰るだけ。相も変わらず締まらない終わり方だが、らしいといえばらしいか。

 

そんなことを考えていると、対岸から歩いてくる人影がひとつ。そりゃあ勿論通行人くらい居るだろうけれど、背負われた格好を見られるのも恥ずかしいので河村の背中によりくっつくようにして顔を隠した。そのまますれ違って───

 

「……あれ、河村? なにやってんのこんな所で」

 

遠目には暗くてよく見えなかったが、近くに来たことで互いが互いを認識したようだ。声を掛けてきたのは、河村とよくつるんでいるクラスメイトの……えーと……そうだ、田中だ。

 

半袖短パンという格好で、可愛らしい浴衣を着た小学生くらいの女の子と手を繋いでいた。恐らくは妹さんだろう、人見知りするようで田中の後ろに隠れるように半歩下がってしまった。かわいい。

 

「あー……田中か。悪いけど、今ちょっと忙しいんだわ」

 

「どうした、怪我人か? なんなら手伝っ……は!?」

 

背負われているうちを傷病人か何かだと思ったのか、こっちを覗き込もうとした田中の顔が驚きに見開かれた。

 

「い、一ノ瀬さん!? あ、浴衣姿すっごい綺麗で……じゃなくて河村ァ!! お前やっぱ一ノ瀬さんと……!?」

 

「うるせぇな、だから何回も言わすなって。一ノ瀬とは別にそういう関係じゃねぇよ」

 

「この状況でそれは流石に無理があるだろ! 大体お前ら普段から───あっ、ちょっと引っ張らないでマイシスター? お兄ちゃんこの人達と大事な話が……くそっ、河村ァ! 今度ちゃんと説明しろよおぉぉ……!」

 

ヒートアップしかけた田中だったが、いい加減お祭りに行きたかったらしい妹さんに手を引っ張られてあえなくリングアウト。ドップラー効果を残しながら夜闇の向こうへ引きずられていった。

 

残された河村は大きなため息をつき、身体を揺すってうちを背負い直した。サンダルの緩みを確かめるように二度三度とつま先を叩いてから、またゆっくりと歩き出す。

 

「相変わらず騒がしいな……一ノ瀬も真に受けんなよ。あいつらが勝手に騒いでるだけだから」

 

「ん……別に、気にしてない」

 

河村の言葉に、胸の奥がまた小さく痛んだ。きゅっと見えない糸で締め付けられるような、言いようのない痛み。

 

それを誤魔化すように、河村の背に額を押し付けた。

 

河村が否定した『そういう関係』。それが男女の関係性を指していることくらい、色恋に疎いうちでも分かる。最近話すようになったクラスの子達も、彼氏がどうだとかでよく盛り上がっているし。

 

けど、その度にうちは曖昧に聞き流すことしかできなかった。だって、人に『恋』したことも『愛』したこともないんだから、それがどんな気持ちなのか想像のしようもない。知識として知ってはいても体験として共感もできないし理解もできない。

 

河村のことは好きだ。でも、それはあくまで友達として。世間一般から見たらだいぶ特殊なことしてるという自覚はあるけど、そこから河村と男女の関係になりたいのかと聞かれると……どうなんだろうか。別段そういう事をしたいという欲はない……と、思う。

 

じゃあ、なんでうちは今『残念』だなんて思ったんだろう?

 

気がついていないだけで、やっぱりうちにもそういう願望があるのかな。ラベリングしてしまったら自覚せざるを得ないから、無意識の内に排斥している……なんて高度な頭をしているとは思えないけど。

 

ああ、もう。

 

モヤモヤする。

 

河村が、うちとは『そういう関係』じゃないって思ってることは分かった。

 

じゃあ、うちと河村はどういう関係なの?

 

……いや、そもそも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うちは───河村と、どういう関係でいたいんだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家に帰り、シャワーを浴びて、ベッドに入って眠りにつくまで。

 

その言葉が、胸の中でずっとリフレインしていた。

 

 

 

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