去年の夏にオープンした大型複合リゾート施設『
国内最大級のウォータースライダーを有する屋外プールエリアに、50mプールや温浴を備えた屋内プールエリア。ショッピングエリアにフードコート、更には高層ホテルや温泉まで併設した超ド級のレジャー施設である。
オープン直後から大盛況で、雑誌の特集やテレビCMで見かけるくらいには有名になった。屋外プールが本格的に稼働するシーズン中は言わずもがな、オフシーズンも客足が途絶えることなく屋内プールが賑わっているといえばその繁盛っぷりも分かるというもの。
「おー……流石にデカいな」
「あっつい……死ぬ……」
目的地に到着し、マスコットキャラクターである目付きの悪いアライグマを見上げる俺と、項垂れる一ノ瀬の開口一番の言葉である。
夏休みということもあり周囲を見渡せば中高生から大学生、小さな子供連れの家族から御年配まであらゆる年齢層の人達でごった返している。うーん、入場ゲート前だというのにこの混雑具合。迷子になったら終わりだな。
俺達の最寄り駅からは大体二十分程で着くけど、実際に来るのはこれが初めてだ。なので俺は結構楽しみにしているのだが、お隣の一ノ瀬さんが既にグロッキー状態である。
時刻は午前十時半、空模様は雲ひとつ無い快晴。真夏の陽射しが容赦なく降り注ぎ、まあクソ暑いのは確かだが……。
「やっぱ、やめとくか? 一ノ瀬が嫌なら無理しなくても……」
「…………嫌とは言ってない。それに、ここまで来たのに帰るとかそれこそ無駄足やん」
突き出された手にスポドリを握らせ、財布から招待券を取りだして長蛇の列となっている一般受付の隣───人の少ない招待券の受付ゲートへと向かう。
なんとこの招待券、使用した当日に限りエリア内の全てのレジャー施設が無料で使えて待ち時間ほぼゼロという破格のプレミアムチケットなのである。その他、フード料金の割引や招待券使用者限定のノベルティ等各種特典も盛り沢山。
まかり間違ってもパンピーの俺が持ってて良いようなシロモノじゃないんだけれども、この間の夏祭りで一ノ瀬が見事に一等を獲得した際の景品なのである。使用期限には余裕があったが、鉄は熱いうちにということで夏休み終盤に予定をねじ込んだ。
気がかりとしては、生粋の引きこもりである一ノ瀬が真夏の日差しと暑さに耐えられるのかという点なんだけど……まあ屋内エリアもあるし、逐一状態確認してれば問題ないか。水分補給と熱中症だけは気をつけないとな。
「なにやってんのー? 早く受付してきてー」
「はいはい、分かりましたよっと」
一足先に日陰へ退避した一ノ瀬から催促のお言葉が飛んでくる。そこで自分で受付を始めないあたり、今日もあいつは通常運転らしかった。
◇◆◇
受付を終え、更衣室を抜ける。男の着替えなんて大して時間はかからないが、それでも空いているロッカーを探すのに苦労する程度には混雑していた。
一ノ瀬を待つ傍らに施設案内板で情報収集。敷地は相当な大きさだが、今回はプールエリアの利用がメインなのでそこまで歩き回らなくても良さそうだ。
ただ、トイレだったり売店だったりと各種設備を利用する際には結構注意が必要そうだ。通路は広いが似たような作りになっていて、どこのゲートから入ってきたのかを覚えていないと出口が分からなくなってしまう可能性がある。
にしてもどこから回ろうか。俺としてはこの超デカいウォータースライダーが気になるんだよなぁ。あ、でも一ノ瀬が絶叫系とか苦手ならやめとくか。いけるかどうか後で聞いてみよう。
ぐるりと周囲を見渡せば、カラフルな水着やウェアに身を包んだ人、人、人。わいわいがやがやと賑わう水辺はまさに盛夏の楽園。いやー、テーマパークに来たみたいだぜ、テンション上がるなぁ!
どこぞで聞いたようなセリフが勝手に再生されるくらいには、俺も夏の陽気に浮かれているらしい。男子高校生だもん、仕方ないね。
なんてそわそわしていると、後ろから肩を叩かれた。反射的に振り向いてみれば、ドスッと頬に突き刺さる細い指先。顔面が固定されたので視線だけスライドさせると、イタズラが成功したことに小さく笑う一ノ瀬の姿があった。
「ふふっ、引っかかってやんの」
「小学生かお前は───っ」
文句のひとつでも言ってやろうと思って体ごと振り返った俺は、思わず言葉を詰まらせる。幼稚なイタズラするなだとか何とか、脳裏に浮かべていた単語も文も全部纏めて吹き飛んでいった。なにせ、水着に身を包んだ一ノ瀬の姿があまりにも魅力的だったのだから。
白を差し色にした黒ベースのビキニ。シミひとつ無い真っ白な柔肌とのコントラストが映える。本当に内蔵が詰まっているのか心配になるような細いウエストに反して、意外と豊かな谷間が大胆に開いた胸元から覗いている。
ゆるく羽織ったゼニスブルーのアウターで上半身の露出は抑えられているが、デニムのショートパンツから伸びるすらりとした脚は惜しげも無く晒されている。前頭部に引っ掛けたサングラスと足元を引き締めるシンプルなリゾートサンダルが全体の印象をスマートに纏め、一ノ瀬うるはという女性の魅力をこれでもかと引き出していた。
正直なところ、一ノ瀬がこういった露出の多い格好をするとは思っていなかった。大人しい、という表現が合っているのかは分からないが、今までの振る舞いからしてあまり大胆な冒険をするタイプではないはず。いや、それこそ俺の思い込みだったのかもしれないが……とにかく、予想外の角度から特大の衝撃をぶち込まれた気分だった。
文字通り言葉も忘れてガン見していると、頬を赤く染めた一ノ瀬の手が顔面に押し付けられる。
「へぶっ!?」
「見過ぎな」
「あ、あぁ……悪い」
「…………で、どうなん」
ん、と自らの格好を主張するように、けれど恥ずかしさもあるのか顔は背けて。所在なさそうに後ろ手を組んだ一ノ瀬に対して、最初から俺が言うべき言葉は決まっていた。
「めちゃくちゃ似合ってる。浴衣の時も思ったけど、一ノ瀬ってスタイル良いしコーデのセンスも抜群だよな。雑誌のモデルみてぇだ」
「……ん。ボキャブラリーもだいぶ増えたね」
「褒めてんだから素直に喜べや……」
感想求めたのそっちだろが。精神が男子中学生過ぎる。まあ、本人は気付いてないみたいだけど耳が赤くなっているので、照れているのはしっかりとバレているんだがな。照れ隠しで茶化しに走る辺り、中々どうして素直になれない思春期の一ノ瀬さんである。
なんてことを考えていると、俺の生暖かい視線に気が付いたのかグーパン───本人命名『うるぱんち』───を放ってきた。運動嫌いなくせにグーパンだけ異様に鋭いのは何なんだ。
「その目はうちのことバカにしてますねッ」
「してない、してないから。あと最近お前俺を殴るのに躊躇いが無くなってきてるだろ」
「そこはほら、信頼の裏返しじゃん?」
「ヤな信頼だなオイ」
「信頼ついでに、はいこれ」
そう言って手渡されたのは、チューブタイプの日焼け止め。……まさかとは思うが、俺に塗れというのか。
瞬間、脳内に溢れ出した『警戒心ってもんがねぇのかこいつは』『男だと思われてないんじゃないか』『役得だと思えばいいか』『流石に肌を触るのは良くないだろ』『ちくわ大明神』『誰だ今の』数々の思考───。
多分、物凄い顔をしていたのだと思う。反射的に一ノ瀬の方を向いた直後、咄嗟に口元を抑えて俯いた。華奢なシルエットを描く両肩はぷるぷると震えている。
「ふっ、く……顔ヤバ……!」
「お前なぁ……からかうのも程々にしとけよ」
「はーお腹いた。や、日焼け止め塗って欲しいのはホントなんだけど。使うのはこっちね」
チューブタイプのものと入れ替わりで手渡されたのは、スプレータイプの日焼け止めだった。へー、最近はこういうのもあるんだな。手軽に使えていいな、ムラが出そうでちょっと心配だけど。何だかんだ塗るタイプのがしっかりケアできるんだよなこういうのって。
上着を脱いで新雪のような背中を見せる一ノ瀬。一言断りを入れてから、ぷしゅーっと背中全体に満遍なくスプレーしていく。跡が出来ないように水着の紐を軽く引っ張り、その下にも忘れずに。引きこもりの肌にとってはこれでも足りないかもしれないけどな。
というか。
「もしかしてお前、俺をからかう為だけにチューブのやつも持ってきたのか?」
「え? うん。河村使う?」
「…………使う」
この後めちゃくちゃ日焼け止め塗った。
◇◆◇
ところ変わって流れるプール。
無料でレンタルできる大きめの浮き輪、そこに尻を突っ込んでダラける一ノ瀬とそれを牽引していく俺である。やったことある奴なら分かると思うけど、この状態めちゃくちゃ落ち着くんだよな。
欠点は一人だと中々抜けられないことと、ひっくり返った時に割とマジで命の危険があること。今回は俺がいるから大丈夫だけど、一ノ瀬がひとりでひっくり返ろうもんなら間違いなく水死体が上がるだろう。
「プールとか久しぶりだけど、悪くないね」
打ち上げられたタコみてーに浮き輪の上でまったりしている一ノ瀬。サングラスのせいで表情は分かりにくいものの、セリフを聞くに割と楽しんでくれているようだ。
実際、プールといってもスライダーや飛び込みとかのアクティブな場所じゃなければやってることはあまり変わらないのに、それでも楽しめるのは不思議なもんだよな。場の空気とか誰と来るかとかにもよるんだろうけど。
「一ノ瀬はまず外に出ないもんな。最後にプール行ったのいつだ?」
「多分小学生とかそんなもんじゃない? うち親も忙しいから、そもそもあんま出掛けたりとかしなかったんよね」
なんでもないような調子で告げられた言葉。
以前聞いた話では、一ノ瀬のご両親は開業医を営んでいるらしい。既に独り立ちしているお兄さんともあまり仲は良くなかったらしく、小さい頃から一人でいる事が多かったのだとか。
そういった家庭の事情もあり、家の中で過ごすことに慣れ切ってしまった結果が今の一ノ瀬(引きこもりのすがた)なんだろうなと納得する。元々引きこもりの素養があった可能性も否めないけど。
でも、せっかくの高校生活だ。一ノ瀬にはもっと楽しく過ごしてもらいたい。もちろん引きこもり生活を否定する訳ではないが、それ以外の楽しみを知ったってバチは当たらないだろう。
自惚れかもしれないが、俺とは割と気安い仲だと思う。割と雑に扱ってもいいや、とか思ってるから言いたいことも言えるし。一ノ瀬の方も、他のクラスメイトと接する態度とかを見てると俺に対しては案外砕けてくれている。
「……そんじゃ、もっと色んなところ遊びに行こうぜ。外で遊ぶのも楽しいってことを教えてやるよ」
俺の言葉を聞いた一ノ瀬は少しだけキョトンとしたような反応を見せたが、やがてふっ、と小さく口元を緩ませた。
「───遠慮しとく」
「なんッッでだよ!! 今めっちゃOKする流れだっただろ!」
「イヤッ、イヤッ!! 外出たくないッ! うち引きこもりがいいッ!!」
「ちい〇わかテメェは!! 引きこもるのは良いけど外にも出ろって言ってんの!」
「別にいいだろ! 河村も一緒に引きこもってよ! うちと一緒にお布団でだらだらゲームしようよぉ!」
「絶妙に断りにくい誘い方すんのやめろ!!」
前言撤回、こいつ天性の引きこもりだわ。
◇◆◇
なんやかんやといつものようにレスバしたり、流れるプールで流されたり温浴でだらけたりとしているうちに、あっという間に昼飯時となった。プールエリアから少し歩いてフード屋台の並ぶ一角へ移動し、運良く空いている席を見つけた俺達は休憩がてら軽食をつまんでいた。
「うまうま」
「なんでプールに餃子があんだよ……教えはどうなってんだ教えは」
幸せそうな顔で餃子を次々と口へ放り込んでいく一ノ瀬を横目に、机の上に並ぶ屋台飯の品揃えを見て首を傾げる俺。ちなみに俺は王道の焼きそばとたこ焼きを買った。店主らしい線の細いおっちゃんはパワボッとかディゲンヌとかよく分からない言葉を繰り返していたが、味は普通に美味しかった。
一ノ瀬が買ってきた餃子も何個か食わせてもらったが、屋台飯とは思えないレベルの美味しさで正直驚いた。町中華の店でも食ったことないぞあんな餃子……くっ、レシピ教えてほしい。
いち料理人としての意欲を刺激されつつも食事を終えて、食休みがてらぐるっと周囲を見渡してみる。
やはりというか、多く目につくのは中高生や大学生のグループ。夏休みを利用して存分に遊び倒すという気概が窺える。多くは男ばかりだが、男女混合だったりカップルらしき二人組もちらほら目につく。まあ、プールも夏のデートとしては定番だしなぁ。
ちょっと離れたテーブルに座る、俺たちと同年代らしい男女。運ばれてきたでっかいグラスに、二股のストローがセットされている。あ、あれはまさか、伝説のカップルジュースってやつか。あんなのまで売ってんのかよここの屋台……。
あまり良くないとは思いつつ、こっそりと行方を見守る。最初は互いに気恥しそうにしていたが、やがてどちらからともなくストローを咥えてドリンクを飲み始めた。時折視線が合っては逸らし、頬を赤くしながらもストローは離さず。
あ、甘酸っぺぇ〜!!
見ているこっちも照れてしまいそうになるくらいのイチャラブっぷりである。家ならともかく、衆人環視の中であれ飲むとか相当ハードル高いだろ。今どきあんな熱々のカップルが見られるなんて、夏だねぇ……(?)。
よく分からない感想を抱きつつ、そろそろ共感性羞恥が限界に達しそうだったので視線を戻し───何故かこっちを見ていた一ノ瀬と思いっ切り目が合った。他人の様子を盗み見していたということもあり、妙な居心地の悪さを感じてしまう。
「うおびっくりした……な、なんだよ?」
「河村は、ああいうの興味あるの?」
紫水晶の瞳がじいっとこちらを見詰めてくる。声色こそ普段と変わらないものの、下手な誤魔化しは許さない、正直に言え、という圧力が込められているように感じた。
別段、嘘をつくような理由ではないので内心ビビりながらも素直に自供する。
「いや、人前でやれるのは凄いなと思って見てただけ。別にやりたい訳じゃないし、そもそも相手もいないしな」
「ふーん……。…………、気になる人とか、いないの」
次いで放たれたその言葉に、心臓が跳ねた。
会話の流れからして、『異性として』気になる人という意味の質問なのは間違いない。しかし、一ノ瀬から男女の関係性にまつわるような話が出てくるとは思っていなかった。
包み隠さず言えば───いま、俺の目の前に座っている一ノ瀬こそが俺の気になっている人、になる。
大人の綺麗さと少女の可憐さを併せ持った顔立ちに、耳に心地よい低めの声。艶のある黒髪にスラリとした四肢、白磁の肌。外見はモデル顔負けで近寄り難い雰囲気を纏っているのに、話してみればただの人見知りで引きこもりの優しい女の子。
仲良くなったら距離感は割と近くて、くだらない事でも笑い合える悪友のような面もある。生活スキルはゼロ、部屋は汚いし片付けはしないし。そのくせ甘え上手で『しょうがないなぁ』と世話を焼きたくなってしまう不思議な魅力がある。
ぶっちゃけ好きにならない方がおかしいだろう。
でも、それは俺の勝手な感情でしかない。
一ノ瀬にとっては、あれこれ世話を焼いてくれる便利な友人。そこを履き違えちゃいけない。そのラインを踏み越えてしまえば、きっとこの心地良い関係性は終わりを迎えてしまう。今まで通りに接することはできないだろうし、言動全てが『そういうもの』に感じ取られてしまうだろう。
彼女にとっても、下心を持った男が自身の周囲に居るというのは気持ち悪いし不快なはずだ。今までの気安い態度はあくまで『異性』ではなく『友人』としてのカテゴライズによる部分が大きいのだから。
俺の感情と一ノ瀬の感情。
そんなもの、比べるべくもない。
永遠にも感じられる一瞬の刹那。加速する思考の中で結論を出した俺は、努めて自然体を装って口を開いた。
「今んとこはいないなぁ。ほら、引きこもりの
「…………、ふーん。そっか」
声色はいつも通りだった。
俺も、そして一ノ瀬も。
でも、その顔色だけは明確に異なっていて。どこか安心したような、でも不満そうな、それでいて少し悲しそうな、様々な感情が綯い交ぜになった表情。
そこに潜む一ノ瀬の感情をどうにも汲み取ることが出来ず、俺は二の句を告げないでいた。周囲の喧騒から切り離されてしまったかのような気まずい沈黙が俺達の間に横たわる。
十秒か、二十秒か。
やがて、がたりと椅子を鳴らして立ち上がったのは一ノ瀬だった。
「トイレ行ってくる」
「あ、おう。スマホはいいのか?」
「すぐ戻るよ」
そう言い残して雑踏の中に消えていく後ろ姿を見送って。艶やかな黒髪が完全に人影の向こうに隠れてしまったのを確認してから、背もたれに体重を預けて天を仰いだ。
澱のように溜まった言いようのない何かを吐き出すように、肺から息を絞り出す。
相変わらず日差しは強く、目隠し代わりに腕を乗せた。
「…………正直に、なれたらなぁ」
日除けのパラソルに遮られて、空なんて見えやしなかった。