九月も末。
夏の気配は薄れ、心地良い秋風が吹き抜ける季節となった。来月に控えた文化祭に向け、各クラスも本腰を入れて準備に取り掛かっている。
俺たち二年生は軽食やドリンク類の販売を主体とした模擬店を行う予定だ。赤字にならないよう原価と売値を計算した上で商品を決め、売り出し方も考える必要がある。
聞くところによれば1組はSNS映えを意識した小洒落たパンケーキ、3組は手軽に食べられてハズレのない焼き鳥、4組はタピオカやフルーツを合わせたカクテル風ドリンクだとか。危険なものや度が過ぎたものでない限りは広告や宣伝も各クラスに一任されているため、他のクラスと差をつけるためあれやこれやと頭を悩ませている訳だ。
ちなみに俺たちのクラスはサンドイッチとドリンクをセットにしたものを販売する。提案したのは俺だが、手軽に作れて腹持ちもそこそこ、中の具材でバリエーションも増やせるため満場一致で可決となった。
現在時刻は二時ちょっと過ぎ。今日は学校だが、五六限目は丸々文化祭の準備に充てられているため、各々割り振られた作業を進めている。俺と一ノ瀬は装飾に使う画用紙やモール、紙テープなどの材料を買いに学校近くのホームセンターへ向かっている途中だった。
「あ、そうだ河村」
「んぁ?」
隣を歩く一ノ瀬が、何かを思い出したと言わんばかりの声をあげた。俺はといえば晩飯の献立を考えていたので、めちゃくちゃ気の抜けた返事を返す。話半分、冷蔵庫にある
「うちの親が河村に会いたいって言ってて、一緒に夕食でもどうかって話してるんだけど今週の土曜日空いてる?」
「なんて????」
待ってくれないか、言葉の洪水をワッと一気に浴びせかけるのは。こっちは今カレーにするか肉じゃがにするかで悩んでたんやぞ。流石に予想外過ぎてちょっと脳が処理しきれなかったわ。
「悪い、よく聞こえなかった。もう一回頼む」
「だからうちの親が河村に会いたいって」
「なんで????」
聞き間違いじゃなかった。
一ノ瀬のご両親か……直接の面識は無いはずだけど……いや待て、だからか? 愛娘の近くに居る妙な男がどんな奴か見定めてやろうとかそういうアレか。ていうかよく考えたら家のキッチン借りたりしてるし、その御礼とかしといた方が良かったのかな。うわ、そこまで頭回らんかった!
そうだよな、一ノ瀬の家とはいっても家主はご両親な訳だし。一ノ瀬を介してでも親御さんになにか一言くらいはご挨拶しとくべきだよな!?
終わった……非常識なヤツだと思われてるよ絶対……。『今後はうちの娘に近づかないでもらおうか』とか言われるんだ……サヨナラ、俺の青春。短い間だったけど、幸せな時間だったよ……。
「大丈夫? なんか顔色悪いけど」
「ははっ、ありがとうな一ノ瀬。今まで楽しかったよ。俺が居なくなってもちゃんと飯は食うんだぞ」
「本当に大丈夫? あと変なこと言わないで、ぶん殴るよ」
「心配するか脅すかどっちかにしてくれ」
相変わらず黙らせる手段が『暴』な一ノ瀬さんである。
「その……この間、うちが風邪ひいた時に看病してくれたじゃん? それをポロッと漏らしたら『そんなお世話になったのなら御礼をするのが当然。もっと早く言いなさい』って怒られた」
「……まあ、親ならそう言うわな」
「で、弁当とか夏休みの間のご飯とか芋づる式にバレて……何がなんでも連れて来なさいって」
「強制イベント入っちゃったかー……」
とはいえ、目上の相手からのご厚意を断るのは失礼にあたる。悪いことをした訳ではないのだし、素直にお呼ばれして説明した上で、今後の対応を相談させてもらうのが無難だろうか。
「まあ、断るわけにもいかないし。ありがたく参加させてもらおうかな」
「ん。伝えとくね」
「頼んだ。ちなみに場所は一ノ瀬の家でいいのか?」
「え? あー……確か『
「ホテルレストランじゃねぇか!!!」
付け加えるなら、超が付く高級店である。
◇◆◇
土曜日、夜。
一ノ瀬家の夕食にお呼ばれすることを親に話したら、ちゃんとした服で行かなきゃダメだということで買ってもらったスマートカジュアル? 一式を着込んでやって来たのは駅前のホテルレストラン『Lupinus』。
街が一望できると噂のホテル最上階。エレベーターで上がってきたのはいいけど店の前に行くのにも勇気が居る。曲がり角からそろーっと様子を伺ってみると、店の前で暇そうに佇んでいる一ノ瀬の姿を発見した。
「あ、来た。おーい」
向こうもこちらに気付いたようで、軽い調子で手招きされた。見慣れた顔を見つけただけで、自分はひとりじゃないんだという安心感で涙が出そうになる。場違い感半端ないんだけど大丈夫かなこれ、つまみ出されたりしない?
「いちのせぇ……!」
「なに情けない声出してんの。そんな緊張しなくていいって」
「無茶言うなよ……ていうか俺、ドレスコード大丈夫か? 入店拒否とかされないよな?」
そんな俺の服装はダークネイビーのシンプルなジャケットに白無地のTシャツ、下は黒のスラックス。母さんが言うには学生ならこんなもんらしいが、生憎こっちはドレスコードが必要な場面なんて経験してないパンピーの若造なんだ。
思いっ切りビビり散らかす俺に対し、呆れたような一ノ瀬の目線が上から下に一往復。
「大丈夫、ちゃんと似合ってるから。それよりシャキッとしてないと余計に怪しまれるよ」
「た、確かにそうか。すぅー……ふぅー……───よし、じゃあ行く───」
「待って」
呼吸を整えて入店しようとした瞬間、ストップがかかる。何事かと思って一ノ瀬の方を見てみれば、不満そうに唇を尖らせていた。心なしか頬が赤いのは俺の気のせいではないだろう。
「……服、どうなん」
言われてから、ようやく思い当たる。浴衣の時も水着の時も感想を伝えてたけど、今回はテンパりすぎててそんな余裕無かったから忘れてた。
改めて、一ノ瀬の服装に意識を向ける。
落ち着いた黒のロングワンピース。肩周りや胸元のレース生地が下品でない程度に華やかさを添えている。タイツに包まれた脚と普段は履かないヒールに、そのままでも十分過ぎるほど整った顔を薄いメイクが彩って『綺麗さ』が前面に押し出されている。そして、耳元と首元に光る深い青色を湛えたピアスとネックレス───いつぞやの夏祭りで、俺が一ノ瀬にあげたもの。
今日の一ノ瀬は『女子』というより『女性』と表すのが適切なくらいには、大人な雰囲気を纏っていた。
「……めっちゃ綺麗だ。ピアスとネックレスも、付けてくれてんだな」
「ん……まぁ、せっかく貰ったし」
自分から感想を求めておきながら、照れ隠しに指を遊ばせる辺りなんともいじらしい。外見は大人っぽくなっても中身はいつもの一ノ瀬で少しだけ安心する。
「じゃ、行こっか。お母さん達も待ってるから」
◇◆◇
「───いつも娘がお世話になっています。ささやかだけれど、今日はその御礼だと思って遠慮なく楽しんでいって頂戴」
「あ、ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます」
そうして始まった、一ノ瀬家の晩餐会with俺。
真っ白なテーブルクロスが眩しい卓上には煌びやかな食器やグラスが並んでおり、ウェイターさん達が次々と現れては料理を提供していく。
聞いたこともないような横文字だらけの料理は、手間暇かかってるんだろうなぁくらいしか分からない。脳のキャパは粗相しないようにという緊張で九割がた埋まっていた。
横目にちらっと一ノ瀬の様子を伺ってみれば、当然のようにナイフとフォークを使いこなして綺麗な所作で食事を進めている。俺はといえば、スマホと睨めっこして叩き込んだ付け焼き刃のテーブルマナーを再現するのに精一杯だ。
「ところで、河村くんは料理が上手だと聞いたのだけれど……普段から家で料理はしているのかしら?」
次の料理が提供されるのを待つ間に、一ノ瀬のお母さんからそんな話題が振られた。
一ノ瀬をより大人っぽくした感じの超絶美人で、切れ長の瞳とショートカットも相まって『バリキャリ』とか『シゴデキ』みたいな言葉がピッタリな感じの女性だ。
「あ、はい。家は両親の帰りが遅いので。夕食と、全員分の弁当は自分が作っています」
「もしかして、掃除や洗濯なども?」
「そうですね。土日は親も居ますけど、習慣になってる所もありますんで」
「そう。まだ若いのにしっかりしているのね。娘にも見習って欲しいくらいだわ」
そう言って一ノ瀬に目配せをする一ノ瀬のお母さん。当の本人は気まずそうに目を逸らしているが、この場合は俺が外れ値なだけだからなんかフォローした方が良いのかな。
「まあまあ母さん。それは河村くんが凄いからであって、うるはちゃんは年相応だと思うよ?」
「またあなたはそんな事言って……甘やかし過ぎは良くないわ」
「まだ高校生なんだ、自分の好きなことをやらせてあげるのが一番だよ」
と思っていたら、そこで一ノ瀬のお父さんが援護にまわる。眼鏡をかけてにこにこと微笑んでいる、物腰柔らかそうな男性だ。ふむ、なるほど……しっかり者の奥さんと穏やかな旦那さんって感じだ。
こう見ると、顔立ちはお母さん似だけど目元とかはお父さん似なんだな一ノ瀬。
「───それに、河村くんと結婚するならそこは問題ないんじゃないかな」
「んげっっっっっっほ」
盛大にむせた。
「パパ!? い、いきなり何言ってんの!?」
とんでもない爆弾発言に、思わず一ノ瀬も声を上げる。というか素だとパパ呼びなんだな、かわいい。
じゃなくて。
なんとか弁明しようとするがむせ返った俺はそれどころじゃないし、一ノ瀬はそんな俺を助けるかお父さんを説き伏せるかでおろおろしている。ま、マズい。早く何とかしないと変な誤解される……!
「まったく、何を言っているのあなたは」
場の空気が混沌を極めようかというところで、ため息ひとつ、一ノ瀬のお母さんから助け舟。
「───まずは同棲から始めて生活スタイルや価値観の擦り合わせが先でしょう」
「ママも何言ってんの!?!?!?」
ママ呼びかわいい。
じゃなくて。
援護射撃かと思われた一ノ瀬ママの発言は、機銃掃射の如く俺と一ノ瀬を纏めて蜂の巣にしていった。
「けっ……結婚とかっ、まだそんなんじゃないから!!」
「おや、そうなのかい? でも『まだ』ってことはうるはちゃんもそのつもりはあるんじゃないかな?」
「はぁっ!? ばっ、いや、違っ、くは……!! う、うぅー……っ! 河村のバカぁッ!!」
「げほッ、お、俺かよ……」
あまりの羞恥に顔を真っ赤にしてうっすらと涙まで浮かべた一ノ瀬は、謂れのない捨て台詞を俺に突き刺して足早に何処かへ逃げ出してしまった。ようやく呼吸が戻りかけてきたところだったのに散々である。
一ノ瀬ママはやれやれと言わんばかりに席を立つと娘を追って歩いていき、残されたのは一ノ瀬パパと俺ふたり。水を飲んで喉の調子を整えていると、一ノ瀬パパが朗らかに笑う。
「いやぁ、ははは。すまないね河村くん。ちょっとしたジャブのつもりだったんだけど」
「ジャブどころかアゴに右ストレート決まってたと思うんですが……あ、すみません」
やっべ、あまりの衝撃につい一ノ瀬と会話するみたいなノリでツッコミ入れてしまった。流石に失礼だったので即座に訂正して謝罪したが、一ノ瀬パパは気にした様子もないどころか満足そうに頷いている。
「うんうん、緊張も解れて良い感じに肩の力が抜けたかな? 河村くんみたいな真面目な子には、こういうのが一番だからね」
「……さっきの発言、わざとだったんですか」
「半分はね。ほら、僕も医者の端くれだから心理学くらいは嗜んでいる訳で。もう半分は、父親としての僕の本音というか、願望かな」
穏やかな笑顔のまま、一ノ瀬のお父さんはそう言葉を続けた。想像していた以上に好意的な反応に、肩透かしを食らったような気分になる。
「……こういう時って普通、『お前みたいな男に娘はやらん』とか言うものでは?」
「人見知りで警戒心の強いあの子が、遠慮なく素を出せる相手……それだけでも十分信用できるさ。あと、これは老婆心からの助言だけれど……想いを伝えるのなら早い方がいい───男の子なら、女の子をあまり待たせるものじゃないよ。我が娘ながら中々難儀な性格だからね、拗らせると後が大変だよ?」
「…………そう、ですね」
何から何まで見透かされている。
俺が胸の内に抱えた想いも、それを伝えあぐねていることも、伝えるべきか迷っていることも。この人が医者という職業だからなのか、それとも娘を持つ親だからなのか、同じ『男』だからなのか。人生の先輩として、そういったことも何となく分かってしまうものなのだろうか。
「それともうひとつ───僕のことは『お義父さん』と呼んで構わないからね」
「温度差が凄いんでちょっと待って貰えます?」
シリアスは置いてきた。はっきり言って話についていけそうもない。天さんだって多分そう言う。
凄い大人の余裕を感じさせる発言をしたかと思えばド天然ぶちかますのはやめて頂きたい。ああこの人間違いなく一ノ瀬の親だ、しっかりする時はしっかりしてるけど基本マイペースってかおもしれー人だよ……!
「いやー、母さんとの学生時代を思い出すよ。僕らにも甘酸っぱい青春があってねえ」
「は、はぁ。その話はまた別の機会にでも」
「あれは今から36万……いや、1万4000年前だったかな───」
「無敵ですか?」
「……なんて言うか、キャラの濃いご両親だったな」
「……ガチで恥ずいから忘れて」
当初の緊張はどこへやら。蓋を開けてみれば、なんとも平和な食事会だった。一ノ瀬のお母さんもお父さんも、娘さん思いの良い人だ。……まあ、多少ぶっ飛んでる所もあるっちゃあるけども。
一ノ瀬ママがお支払いをしている間、手持ち無沙汰になってしまった俺と一ノ瀬はエントランスのソファで寛いでいた。一ノ瀬パパは車をまわして来ると言って一足先に出ている。有難いことに俺も家まで送ってくれるそうで、いよいよ頭が上がらない。
結局、あの後お手洗いで捕獲された一ノ瀬は程なくして一ノ瀬ママと一緒に戻ってきた。一ノ瀬パパを割と本気のうるぱんちで沈めてから食事を再開したのだが、妙な空気になってしまって一ノ瀬とはあまり話せなかった。
しかし、流石にこのままの流れで解散する訳にはいかない。尾を引きそうなことは、早めに解消しておくに限る。それが勘違いじゃないことを証明したいのなら尚更に、だ。
…………よし。
頑張れ、俺。
さっきとは別の緊張で乾いた唇を舌で湿らせ、深呼吸をしてから意を決して口を開いた。
「あー…………その、な。……文化祭、あるだろ。最終日……後夜祭の前、少しだけ時間くれないか。───話っつーか、伝えたいこと……あるから」
「っ、…………うん」
恐らく、一ノ瀬も俺が言わんとすることは何となく察しがついたのだろう。一瞬驚いたような顔をしたが、頬を赤く染めながらそっぽを向き、やがてこくりと頷いてくれた。
臆病だとか
でもこれで、ようやく決心がついた。一ノ瀬のお父さんに背中を押される形にはなってしまったけど。
良い方に転ぶか悪い方に転ぶか分からないが、ずるずると現状を維持するよりずっと良い。
一ノ瀬と俺。
───ふたりの関係を、明確にしよう。