そして迎えた、文化祭当日。
普段は一ノ瀬と登校している俺だが、実行委員の生徒は早めに登校して当日の流れや設備のチェック等を行うので今日は別行動だ。一応、いつもの時間に電話だけ入れて生存確認はできたので大丈夫だと思うけど。
初日である土曜日は学内のみの公開で、二日目の日曜日は一般公開予定となっている。生徒に加えて家族や地域の人たちも来場するので、模擬店ブースはとんでもない忙しさになることが予想される。初日の学内公開は二日目の予行演習も兼ねているという訳だ。
必然的にシフトに余裕が出るのは土曜日の今日なので、できれば一ノ瀬と一緒に巡りたかったんだけど……悲しいかな、一ノ瀬は午前、俺は午後からと見事にシフトが割れてしまっているのだ。こればっかりはクジ運なので仕方ないのだが、はてさてどうしたものか。
そんなことを考えながら朝の仕事を終え、文化祭期間中のみ認められた服装であるクラスTシャツ+ジャージに着替えた俺は財布だけ持って教室へと戻ってきた。教室は丸々模擬店に改装したので、荷物置き場と男子の更衣室は別棟の空き教室に割り振られている。
こーいう時に大体割を食うのが男子なんだよなー、なんて思いながら教室の扉を開けた。
一ノ瀬が居た。
「おはよ……」
「お、おう。ずいぶん早いのな」
「電話くれる前に、目ぇ覚めちゃってて……せっかく電話してくれたのにゴメンだけど」
「あぁいや……日課みてーなもんだし、気にすんなよ」
なんでもない風を装って会話を続ける俺だが、内心ではクラT姿の一ノ瀬が可愛すぎて悶絶していた。
2組はメインカラーが青なので、一ノ瀬のイメージカラーとも合っている。夏前辺りでショートウルフに仕上げた髪も少し伸び、今ではミディアムウルフと呼べるくらいになったそれをうなじで軽く纏めている。
私服姿はもう見慣れているが、私服に近い雰囲気のままで学校に居るという非日常感が、より一ノ瀬の魅力を引き立てていた。当の本人は何かを探しているのか、がさごそとバッグを漁っていたが「あ」という声と共に動きが止まった。
「? どしたん」
「……最悪。上のジャージ持ってくんの忘れた……」
「なーんで下は持ってきてんのに忘れるかね……」
「下は家出る時から履いてたんよ。だから上も入れたもんだと思ってたわ」
「などと供述している一ノ瀬被告ですが、警察は余罪もあると見て捜査を進めていく方針です」
「おいジャージよこせ」
「強盗の現行犯マジ?」
まぁいいけどさあ……。
羽織っていた上のジャージを脱いで一ノ瀬に手渡す。うちの学校は体操服には名札があるが、ジャージには校章しかついてない。なので、パッと見で誰から借りたとかは分からないけど……流石に男女じゃ体格差が出るか。
裾は太腿の半分くらいまで届き、袖は余ってぶかぶか。図らずも萌え袖のようになってしまっている。「おー、でかい」なんて言いながらくるくると袖を回していたが、何を思ったか袖口ごと手を顔に近付けると小さく鼻を鳴らした。おい嗅ぐな嗅ぐな。
「河村のにおいがする」
「そりゃそうだろ。それで臭いとか言ったら流石の俺でも泣くからな?」
「うち、河村のにおい好きだよ。なんか安心する」
「…………さいですか」
ふにゃっとした顔でそんなことを言われ、頬に熱が集まるのを感じる。あーくそっ、朝から可愛いなこいつ……。
作業の邪魔にならないよう袖を2回ほど折り返した一ノ瀬が、バッグを担ぐとこちらへと歩み寄ってきた。おそらく女子の荷物置き場に向かうのだろう。
脇に避けて道を譲ってやると、そのまま通り過ぎる……かと思えば俺の眼前で立ち止まる。どうしたのかと思っていると、ぽす、と小さな拳が胸に押し当てられた。
「ほな頑張れよ、実行委員」
「へいへい。お前もサボらず働けよ」
「前向きに検討させていただきます」
「もう検討する時間ねんだわ」
◇◆◇
時刻は午前十一時。
文化祭開始から二時間経つが、今のところ大きな問題はなく経過している。委員会の詰所にもトラブル発生の報告は上がってきてないし、校内をぐるっと回ってきたがそれらしい異常も見当たらない。滑り出しとしては好調と言えるだろう。
シフト開始までは自由時間なので、パンフ片手に見回りを兼ねてぶらついているのだが……いまいち気分が上がりきらない。や、理由は分かってるんだ。
他クラスの模擬店を見ては「一ノ瀬ならどの味が好きかな」とか、各部活動のブースでは「一ノ瀬ならどの部活入ってたかな」とか。自分が思っている以上に、隣に一ノ瀬がいる事が当たり前になっていた。大きなイベントの時には大体一緒に回ってたし。
明日は二人して午前シフトなので午後から回る予定だが、そうなるとひとりで先に楽しむのもちょっと気が引けるというか。田中や山本達に声を掛けても良いんだけど、あっちも部活の仕事があるから中途半端に拘束するのもなぁ。
……まあいいや、今日はひとりでのんびりしよう。
結局、売れ行きの確認も兼ねて自分のクラスの模擬店へと戻ってきた。パッと見はそこそこの繁盛具合だ。
一通りの流れとしては、受付となっている教室入口で注文と支払いを済ませて番号札を受け取り、そのまま教室内の空いている席に座ってもらう。屋外に隣接する形で設置されている調理スペースから商品を受け取ったフロア担当の生徒が机に持っていき、番号札と引き換えに商品を提供。食事が終わり次第、紙皿とプラコップは出口のゴミ箱へ捨ててもらって退室……といった感じだ。もちろん店内での食事だけでなくテイクアウトにも対応しているぞ。
装飾担当によって飾り付けられた入口から入り、受付の生徒に声を掛ける……まあ一ノ瀬なんだけど。
「うい。注文いいか」
「いらっしゃいませー……って河村じゃん。仕事増やさないでくれん?」
「カスタマーサポートってどこだ? 受付の態度が悪いってクレーム入れてやる」
「河村にだけ、特別だからね?」
「こんなに嬉しくねぇ特別ってあんのな」
受付用の机に座って注文を取っていた一ノ瀬。最初こそマニュアル通りの対応だったが、客が俺だとわかった途端に余所行きの仮面が剥がれ落ちた。せめて仮面を維持する努力くらいは見せような。
無難にハムチーズサンドとコーヒーを注文し、支払いを済ませて番号札を受け取る。作業の内容が大体一緒なのと、やることが決まっているので一ノ瀬向けの仕事ではある。作業振り分けたのは俺なんだけど我ながらファインプレーだ。
受付であんまり駄弁っている訳にもいかないので、空いている席に向かおうとした直後。ちょうど交替のタイミングだったのか、山本が受付の裏からひょっこりと顔を見せた。俺の顔を見て、一ノ瀬を見て、壁の時計を見て、何かを考え込むように視線を斜め上に向けてから、もう一度一ノ瀬に視線を向けた。
「一ノ瀬さん、後は俺が引き継ぐから休憩に入るといい。河村と同じ席なら客の邪魔にもならないだろう」
「え、いいの?」
「ああ。つまんなそうに歩き回ってたそいつの話し相手にでもなってあげてくれ」
「うるせーよ!!」
どっから見てやがったこのメガネ! つーかそんな傍目からわかるくらい顔に出てたのかよ俺!
「ほら、支払いが終わったならさっさと席に座れ。他のお客様の邪魔になるだろうが」
「どいつもこいつも態度悪ぃ店だなオイ……」
受付用の机にどっかりと陣取って、一ノ瀬の入る隙間をなくした山本がしっしっと俺を追い払うように手を振る。一ノ瀬はちょっと申し訳なさそうにしてたけど、山本の気遣いを無駄にするのもアレなので大人しく隅っこの二人がけの席へ移動する。
同じ学校の生徒とはいえ、大勢の客を捌くのは流石に疲れたのだろう。座った途端に目元から力が抜け、心なしか纏う雰囲気も柔らかくなったような気がする。
「お疲れさん。大変だったか?」
「んー……まあ、だいぶ。喋ること自体はいいんだけど、知らん人ばっかりだし」
「良かったな、バイトの経験積めて」
「いやいや、うちに接客業とか無理だから。あー……なんか適当に喋ってゲームやってるだけでお金稼げる職業とかないかなぁ」
はっはっは。そんな一ノ瀬の為にあるような職業なんてそうそう見つかってたまるか。というかむしろ俺がなりたいわそんなん。
「はい、ハムチーズサンドとコーヒーお待たせ! 後は若い二人でごゆっくりねぇ〜!」
「全員
そうこうしているうちに、注文した商品を乗せたトレーが運ばれてきた。四つに切り分けられたシンプルなサンドイッチと、市販のコーヒーをコップに注いだだけのセットメニュー。300円という値段でも原価を考慮すれば高い方だろうけど、学祭の飯でそんなこと言ってたらキリがないし、食って美味けりゃそれで良い。
もしゃもしゃとサンドイッチを頬張り、コーヒーをすすって一息。んー……ただのマヨよりもからしマヨとかにすりゃアクセントになって美味かったかもしれんな。
手に取ったサンドイッチを眺めながらそんなことを考えていると、不意に一ノ瀬が小さく笑う。
「ふっ……河村、『もっと美味しくできたな』とか考えてるでしょ」
「正解大卒。つーか俺、そんなに分かりやすいか?」
「まあ、割と? 顔に出る方だと思う」
「ほーん……。あ、そういや一ノ瀬も昼飯まだだろ? 俺がシフト入るまでで良ければ、飯食いながら見れそうなとこちょっと回るか?」
「……ん、いいよ」
「うし。じゃあさっさと……ん?」
毒にも薬にもならないようなのんびりとした会話を繰り広げながら、二つ目を口に放り込んだところで外の調理スペースが何やら騒がしいことに気がついた。覗き込んで見てみれば、この時間の担当の生徒達が慌ただしく動き回っていた。
何かしらのトラブルだった場合、実行委員として無視する訳にもいかないので声をかける。
「おーい田原、なんかあったか?」
「あっ河村! それがさ、思った以上に売れ行きが良くてホットサンド系の調理が間に合ってないんだよ! 普通のサンドも作んないとだから人手が足りねぇ! 空いてんなら手伝ってくれねぇか!?」
「あー……」
ちら、と一ノ瀬の方に視線を向ける。これだけデカい声で話していれば内容も丸聞こえな訳で、事情を察した一ノ瀬は軽く肩を竦めてヒラヒラと手を振った。
「うちのことは気にしなくていいから。そっち手伝ってあげてよ」
「……悪いな。代わりと言っちゃなんだが、残りは食っちまっていいぞ」
「タダ飯あざまーす」
これ幸いとばかりにサンドイッチをつまみ始めた一ノ瀬を尻目に、手指消毒を入念に行ってから調理スペースに入る。使い捨てのビニールエプロンと手袋を装備し、業務用コンロに並べられたフライパン達の前へ。
行くぞ英〇王。食材の貯蔵は十分か───!
◇◆◇
『ただいまを持ちまして、本日の模擬店エリアでの販売は終了いたしました。繰り返します。ただいまを持ちまして───』
午後三時。
校内放送のアナウンスがどこか遠くに聞こえる。
「つ、疲れた……………………」
昼時の応援に加えて本来のシフトを終えた俺は、あしたの〇ョーみたいに真っ白に燃え尽きていた。いくら料理に慣れていて簡単な調理といっても、ぶっ通しで三時間近くもやってたらそりゃあ疲れる。
見れば、最後まで共に戦い抜いたクラスメイト達も床やら机やらに突っ伏して動かなくなっている。まさに死屍累々といった感じだ。
足も痛ぇし腹も減った……結局昼前にサンドイッチ食べただけだし、ガス欠にもなるわ。
とはいえもう模擬店は終了するし、食材を勝手に使う訳にもいかない。こんなことなら早めに腹ごしらえしとくんだったぜ。
助っ人として早くからキッチンに入ったのは良いが、まあ普通に提供遅れもちょこちょこ発生していた。なので、途中からはライブキッチンみたいな感じであえて大袈裟な動きでフライパン返したり塩コショウ振ったりしてた訳だが。
当初の目的は調理するための時間稼ぎだったのが、これが意外にもウケた。『なんかパフォーマンスみたいなことしてる』と噂が広がり客足が増え、調理の手は足りないので更に時間を稼ぐためにライブキッチン継続……という喜んでいいやら嘆いていいやらの循環に陥っていた。
おかげで無駄に疲れたよチクショウ。
「お疲れ。めっちゃ頑張ってたね」
天を仰いで口から漏れ出ていきそうな魂を推し留めていると、途中で放ったらかしにしてしまった一ノ瀬が教室に戻ってきた。
手にはビニール袋を提げており、恐らくは他のブースを回ってきたのだろう。一緒に回れなかったのは残念だが、ひとりでも楽しめたようなら何よりだ。
「んぁー……これで明日もあるとか普通に死ねるが。残業代貰ってもバチは当たらねーと思います」
「残業代は知らんけど……はい、これ」
そう言って、手にしていたビニール袋を渡された。中身を確認してみれば、紙コップに入った焼き鳥とうちで出してるタマゴサンドとBLTサンドが入っていた。これは……もしかしなくても、俺のために買っておいてくれたのか?
「ご飯、買いに行く暇もなかったでしょ。お腹減ってるかなって思って。……いらないなら、いいけど」
「いや、マジでありがたい。死ぬ程腹減ってたんだよ、サンキュー!」
流石に焼き鳥は冷めてしまっているが、それでも塩コショウがキツめに効いた肉の味は最高で。それをおかずにしてタマゴサンドをもしゃもしゃと口に詰め込む。行事が悪いと言われても知らん、今の俺は食欲の悪魔なんだ。
爆食いする俺の隣に腰を下ろした一ノ瀬は、そのまま体育座りの格好で自らの腕に顎を乗せた。
「そういや、展示はどうだった? なんか面白そうな感じの所あったか?」
「や、行ってないから分からん」
予想の斜め上の答えに、思わず食べる手を止めて隣に視線を向ける。黒髪の隙間から、片目だけがこちらを覗いていた。
「は? じゃ、じゃあお前、シフト終わってから今まで何やってたんだよ」
「……、なにも? 疲れたから、座って休んで……河村が働いてるとこ、ぼーっと見てた」
「バードウォッチングじゃねぇんだぞ。俺なんか見てるより、どうせなら回ってくりゃよかったのに。他の女子とか、空いてるヤツ居なかったのか?」
「…………った」
あまりにもか細い声だった。
流石によく聞こえなかったのでもう一度言ってもらおうとした瞬間、ばね仕掛けのように一ノ瀬の顔が跳ね上がった。その頬は誰が見ても分かるくらいに赤く染まっており、次いでキッと擬音が聞こえそうな位の勢いで睨み付けられる。
「だからぁ……! お、お前といっしょに回りたかったの! なんだよ、なんか文句あるんですか!?」
「あ、いや、ない……っス」
恥ずかしさが一周したのか半ギレで本音をぶちまける一ノ瀬に気圧され、思わず敬語で返事を返す俺。ただ、内心ではあまりの嬉しさに爆発しそうな心臓を落ち着けるのに精一杯だった。おい、あんまドキドキさせんなよ。
しかし、その程度でジャックナイフと化した一ノ瀬の猛攻は止まらない。ひとたび抜けば、周囲すべてを傷付けるまで刃が収められることはない。
「ていうかさぁ、河村だって午前中暇してたんでしょ。うちが居なかったから回る気が起きなかったとか、どーせそんな理由なんじゃないの!?」
「……すげぇ、よく分かったな」
「ほら見ろ! お前だって…………へぇっ!?」
ヒートアップしかけたレスバは、虚をつかれたような一ノ瀬の鳴き声と共に沈黙。頬の赤みはみるみるうちに耳まで広がっていき、あれだけ饒舌にコメントを紡いでいた口は二の句を告げずむにむにと唇を食む。
流石に口撃だけでは分が悪いと悟ったのか、うるぱんちの体勢に入った一ノ瀬だが……結局、そのまま体育座りに戻って再び腕に顔を埋めた。
自分だけ恥ずかしい思いをするのが癪で俺も巻き込んでしまおうって魂胆だったんだろうが、俺は今かなり無敵の人だからな。腹括ってしまえば割と恥ずかしいことだって言えなくもないぞ。
それはそれとして、閉じこもってしまった一ノ瀬をどうやって宥めようか。そんなことを考えていると、ぽしょぽしょと蚊の鳴くような声が聞こえてきた。発生源は勿論お隣の一ノ瀬さんである。
「…………明日、ぜんぶお前の奢りだからな」
「……はいはい」
まあ言われなくてもそのつもりではあったんだが。せめてそれくらいは格好つけさせてほしい。
やれやれと小さく息を吐き、食事に戻ろうと顔をあげてみれば、クラスメイトが全員あたたかい目でこっちを見ていた。
「…………、」
俺は無言で体育座りして、腕に顔を埋めた。